Facebook・さとうみつろうさん投稿記事 新しい病気が流行っている。
その病気の死亡率は、なんと100%。恐ろしいことに、日本でも流行っている。
その病気の名は「ジン・セイ」。
ブッダは、「悩んでいる人の共通点は、永遠に生きると思い込んでいること」だと述べた。
このストーリーは、「あなた」のお話し。
あなたが罹っている「人生」という名の病気の死亡率は100%。
あなたは「明日死ぬかもしれない」どころか、今日、午後にも死ぬかもしれない。
1時間後の可能性だってある。 あなたの死亡率は100%、それが人生のたった1つのルール。
https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12703397436.html
昨日行なわれた『命のイベント』
末期がん患者である酒井法子さんのマネージャーの命を通して、その「命」が、自分自身の「命」と1mmも変わらない同じモノだと知るためのイベント(だったと思うw
15,000人、多くのご参加ありがとうございました。「余命を宣告された」ということは、
「人生のルールをしっかりと把握した!」ということでしょう、
ルールも知らずに野球をしている人よりは、ルールを理解して野球している人の方が、
絶対に強い。そして、野球そのものを楽しめるようになる。
あなたは、人生の「ルール」を理解していますか?
(偉そうなことを言ってる僕も理解してませんがwさとうみつろうが死ぬ可能性も100%なのかw)
https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12703397436.html
死と再生は一つ 命の営みそのものは死と再生の繰り返しです。
私たちは 動物の命を食することで 罪責感を煽られますが それは人間の死への恐怖の投影現象と言えるのではないでしょうか?
愛犬らんは 年老いて 自分の力で二階に上がれなくなってからはそれまで恐れていたものに対し 何一つ動じなくなりました。
命は命の循環によって支えられます。肉体の死を白装束で祝う文化も 喪服で嘆く文化も存在します。
聖書には一粒の麦が死ぬことにより 千倍、万倍の麦の命を結ぶ譬え話があります。
同じく聖書の創造物語では 人間が 動物、植物を(感謝を持って)食することは 祝福されています。
また命は循環することで 進化の過程をたどります。動物が死を恐るとは 人間の勝手な感情移入かもしれません。
そのうえ「奇跡の脳」の著者ジル・ボルト・ティラーさん(左脳出血から立ち直った 神経細胞学者)は 左脳が鎮まるとき「人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心が和んでいきました。」「意識は悟りの感覚、あるいは意識と融合して『ひとつになる』ところまで高まっていきました。」「心地よいのです。」と語ります。
人間は左脳に後悔や、思い残すことがなければ 安らかな死を迎えうるとも言えます。
思い残すことがないとは「人生でやりたいと願ったことが完了した」
あるいは「自分を必要としているものが居ない」、「別れを嘆くものがいない」ことかもしれません。
あるいは人生に飽き飽きしていることかもしれません。
いずれにしても 生と死はセットであり 死が前提の(他の死によって支えられる)命の歩みを感謝を持って歩みたいと願います。
修道院では「メメントモリ(死を覚えよ)」が挨拶だと言われます。
震災の痛みが死の痛みを余りにもリアルに感じさせます。
死を覚えることは生を問うこととも言えます。
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