https://kinokobito.com/archives/189 【きのこの下には死体が眠る!?】より
きのこの下には死体が眠る!? 吹春俊光 著
ちょっと安っぽい三流ミステリーみたいなタイトルとは裏腹に、キノコ初心者でもひきつけられるような軽い話題から高等でアカデミックな深い話題まで、よく噛みくだかれた文章で語るキノコ学の本。
最初こそ、タイトルにあるアンモニア菌の話題で万人の興味をひくような出だしだけど、そこから分類、生理、生態などへと話は進み、内容もどんどん高度に。でもそこは博物館の学芸員さん、教えるツボを知っているのか、何気なく読ませてしまう。
キノコの分布の、たとえば外来種の問題とか、地球温暖化の話題なんかはとてもホットで、研究の現場にいなければ知りえない内容。まだまだ固まりきらないキノコ分類の話なんかも初めて知ることがたくさんあった。
キノコに限らず学問ってのは、ついつい内向きになってしまう傾向があるけれど、そんなことをつゆも感じさせないワールドワイドな視点がこの本の魅力だと思う。
ただひとつ言わせてもらうとすれば、この装丁。見れば見るほど落ち着きがなくなる散漫なレイアウト。シリーズモノだからしょうがないとはいえ、もーちっと、なんとかならんかったんかい……(特にタイトル下の文字がうるさい)
ま、そこを割り引いても内容は申し分なし。キノコを学問って視点から知りたいと思う向きには絶好の一冊だ。
https://booklog.jp/item/1/4774138738 【作品紹介・あらすじ】より
ある日、突然、地上に姿をあらわすきのこ。気がつくと足元に群れ開き、瞬くまに姿を消していくきのこ。そのきのこの下には何が眠っているのだろうか。菌界という大きな分類群をなすにもかかわらず、ほとんどだれからも、顧みられることのないきのこ。そんなきのこの暮らしぶりや、生態系での役割を、地球規模で紹介する。
感想・レビュー・書評
まだ分かっていないことの多い土壌中の世界.
菌類についてよく分かる.分かりやすくかいてあるけど、けっこう専門的な内容.
「モグラの雪隠茸」なんてステキな別名をもつキノコがあるらしい.
キノコの本体は、土壌の中なのですよね!
パラサイトするキノコは、胞子も命がけですね。
http://www.nansou.kais.kyoto-u.ac.jp/54/watashinoshokuba.html 【私の職場は自然誌博物館です 吹春 俊光(昭57卒)】より
私は県立の自然誌博物館で働いている。千葉県の地方公務員である。就職をして16年、展示準備室に2年、開館して14年。千葉県なので主に房総半島に生息する生物の戸籍調査をおこなうのが仕事である。野外調査を行い、標本を収集し、目録を作成する。その裏付け標本を作成し、ラベルをつけて標本庫という蔵の中に整理するのである。私はきのこ担当なので、きのこを集めて整理する。今まで千葉県から約500種の大型きのこを記録し、標本を約2万点集めた。まだまだ、知らない種が毎年沢山でてくる。展示もやる。毎年やるのは常設展示ではなく、企画展示、特別展示といった期間限定の展示である。自分の関心のある展示を作るのはおもしろいが、まじめにやるとこれが結構時間がかかる。
原稿を書いている今は10月、きのこの時期である。9月の下旬から10月いっぱい、きのこの観察会や講座の毎日である。泊りのものもいくつかある。他の仕事はこの間、お休みとなる。たまに朝から部屋にいると、電話がどんどん鳴る。保健所からも中毒きのこの鑑定依頼がくる。鑑定書をつくって、起案をあげ、館長名で回答する。イスに座っている秋の日に、ほぼ毎日あるのは博物館持ち込みのきのこの鑑定である。お客さんは、定年後の男性、子育てが終わった女性、子供が小さいお母さんなど。きのこは食べられるからみんな季節になると熱狂する。お客さんも真剣なので、結構対応にも力がはいる。房総は江戸期からマツ林が多かったらしくマツ林のきのこが最上のきのことなっている。ハツタケ、ショウロ、アミタケ。博物館に聞きに来て、食べられるとわかったきのこを持った人の後ろ姿は心持ちスキップをしている。それを見ると俺もちょっとは役立っているかな、と、少しうれしい。
故濱田稔先生がつくられた関西菌類談話会をまねて、千葉菌類談話会という会をつくった。創立11年、会員300名。職業を越えて、きのこを採って語って、皆、くつろぐ、のである。自分の研究はかなり閉店状態である。顕微鏡はホコリをかぶっている。書類を書いたり、問い合わせの返事を書いたり、電話に出たり。そんなことでほとんど毎日が過ぎていく。降り積もる雪をかくような日々である。そんなことでいいのか、と思うこともある。
自然誌博物館の社会的な使命があるならば、地域の自然のことについて、何でも答えられるということだろう。そして、その地域の自然の来し方、行く末について、ある程度、見通しのよい「予言」もできるのである。誰も聞きにこないけど。
自然誌博物館を「怪獣博物館」とか「見せ物小舎」と考える人が多い。博物館を管理している教育関係の役所からしてそうである。人事管理をする役人は、来館者や収益が気になる。唯一はっきりする数字だからだろう。来館者数を職員数で割ったような乱暴な数字が関心事である。しかし、それとは別の、大きな使命があると思うのだが、だれもその使命は気づかない。世の中がかなり貧乏になってくると、大きな使命があるのだ、と言っても、なかなか聞いてもらえない。余裕がないのである。余裕がないと、自然のこともなかなか考えられない。そう、考えてしまう私自身に余裕がないのかもしれないが。
きのこを職業としている人は、栽培きのこの業界の人を除けば、かなり数が少ない。数が少ない分だけ、能力がそれほど無くても(私のことですよ)、重宝されることもある。隙間産業のようなものだと私は思っている。企業できのこや菌類をやっている人はどうか。数年前、ある外資系企業で菌類部門が廃止され、部長以下かなりの人間が会社をやめた(くびになった)事件があった。バブル期に拡張した菌類資源探索部門が廃止された会社も多い。知っている優秀な人たちも配置転換や転職をした。そして今、シイタケ産業が不振で、この夏、大きな会社の50代の働き盛りがつぎつぎと会社をやめている。大きな会社などでは35歳頃になると顕微鏡をのぞく仕事ではない仕事へと異動になることもある。会社で研究を続けるには幸運が必要らしい。現場をはなれて管理職になると、どんな気持ちだろう。給料はあがり、えらくなるのだろうけど。
私は、大学には博士後期課程まで合計9年いた。卒業した部屋は旧応用植物学研究室、瀧本先生が教授だった。私が学んだのは植物生理学ではなく、旧教養部におられた相良先生のもとでアンモニア菌を教えて頂いた。あまりまじめな学生ではなかった。いろいろ思うこともあり、植物病理学の当時助手だった石田先生が主催する3階の災害研に出入りし、農薬ゼミでも学んだ。農業は人が食べる食料を、人がつくるのだ、ということを学んだ。また食べ物をつくる農業には大規模生産は全く適さない、ということも考えた。芦生演習林のダムのことを考えるゼミでもいろいろ考えた。経済的に自立している村は、考え方においても非常に自由であることを、まのあたりにした。ダムの直下に予定されていた芦生の村だけが「なめこ生産組合」という組織によって経済的に自立し、ダムという選択枝から自由だったのだ。
いろんなことを学んで、いろんな基盤をつくってくれた大学時代だった。卒業して20年ちかく経過したが、考え方の基本、職業を続けるための知識、人間関係など、今でも大学時代の延長上にある。無意味にいばる先生がわりと少ない京都大学は今でも大好きだ。すぐれた先生と先輩と後輩が沢山いたことも自慢の種だ。エラそうな物事の裏をつい考えてしまうクセも周囲にならったのだろう。未だにその影響下にあること自体が、大学が強い影響力をもっていたことと、その存在意義が大きかったということだろう。
大学は、時代とともに変わっていかねばならないのだとしても、なくしてほしくない役割もある。
やはりその一番は、学術の最先端を維持することである。あたりまえだ。みんなそう思っている。それがもっとも重要な経営方針だ。そのためには、優秀な人を残す仕組みと、あるていどの研究予算を確保する仕組みが必要だ。日本各地にそのような高い山がいくつかあって、そこが日本の学術情報のセンターとして機能する。それが大学の役割だと思う。そしてそのためには様々な装置が必要だ。専門的な図書館はその一つである。京都の農学部の生物系の雑誌や図書のコレクションは優れていると思う。しかし最近どんどん雑誌がけずられているというが、大丈夫だろうか。適切な目的でつくられた研究所なども必要である。そのような学術に優れた面があって、大学は尊敬され、存在意義をもつ。様々な分野と共同作業が可能になる。例えば、博物館の得意技は標本が沢山あることだろう。そして、私が務めるような地方の博物館は、ある意味ではローカルな情報のセンターである。ネットワークによって生きる価値を十分にもっている。そのようなローカルな情報が日本のところどころにあるセンターで集約され、またそこを拠点にいろんなものが還ってくる。その拠点が大学であってほしい。でも、そんな役割を演じるには予算が必要で、その予算基盤が危うくなっているから、こんな作文テーマを与えられたのだろう。しかし、金があまりなくても尊敬され、センターとして機能するような仕組みを、考えてもよいのかもしれない。今は、米国を中心につくられた評価指標や点数が、すべての学術活動を評価する数字になっているらしいけど、その指標と評価を越えて、日本が100年やっていける指針を、創意工夫で考えだすことも、大学の役目のひとつだろう。
大学のことを考えると、もう一つのことが思い浮かぶ。植物病理学の石田先生は、私のもう一人の師匠であると思っているが、石田元助手の部屋は、今から考えると、いろんな人が出入りしていた。主催者は大変だが、大学内のいくつかの場所に、このような出入り自由、使用自由な空間が存在する必要があるのではないか。石田氏個人の努力によって、その空間が維持されていたのだろうけれど。そんな出入り自由の場所を、大学の仕組みとして組織すべきなのではないか。大学の人とそうでない人が互いに出入りすることによって、互いに学ぶと思う。学生はそのような教官の姿を、後ろからみていると思う。学生自身もかなり影響をうける。産学協同ばかりが強調される。でも農薬ゼミと芦生のダムのことを思うと、いろんなレベルで大学の外につながった、そんなパイプが、大学のバランスを保つ、一つの装置じゃないかという気がする。大学の役割がもう一つあるとするなら、大学に出入り自由の場所がいくつも開いていて、いつでも人や情報がながれているような状態をつくりだすことだろう。大変だけど。しかし、これって昔どっかで聞いたような話ですね。
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