http://anzenmon.jp/page/10243167 【その13 瞑想についての質問と悩み Q&A】より
さて、これまで、マインドフルネスや思いやりの心を育てる瞑想をいくつか学んできましたが、実際にトレーニングを体験してみた今、あなたの心にはいろいろな疑問がわいているのではないでしょうか。いいことです。それは学習が進んだ証拠なのですから! あなたは注意を集中し、意識を向けることによって自分の内的世界との絆を深めつつあるのです。
本書の主なテーマの一つは、恐怖や不安、パニックなどの不快な感情には、その精神状態そのものに注意を集中する力を身につければ、より上手に対処できるようになるということです。
そのためには、注意を集中することを日常の習慣とするのが一番です。マインドフルネスは、恐怖や不安、パニックなどの感情に襲われたときにだけ利用する「テクニック」ではなく、生きる姿勢としてとらえていくべきものです。注意を集中し、思いやりの心を呼び起こす習慣を身につければ、恐怖や不安、パニックにはるかにうまく対処できるようになります。日々の積み重ねが効果を生むのは何事も同じです。毎日欠かさず瞑想を行うことが、マインドフルネスを生活の一部とする近道なのです。
瞑想を継続的に行っていれば、当然ながら、いろいろわからないことが出てくるでしょう。疑問を提起し適切な答えを見つけることで学習は深まります。また、疑問を解消しながら実践を重ねていくことで実力がつき、恐怖や不安、パニック、その他の日常生活のストレス要因や困難に向き合い、それらに自信を持って対処できるようになります。
疑問を解決するには、関連図書を読む、テープ教材を聞く、瞑想の先生や仲間に尋ねる、といった方法ももちろんあります。けれども忘れてはならないのは、真の答えは常に、正式な瞑想や普段の生活における実践の中で、マインドフルネスを自分自身で体験してみることから得られるということです。人から答えを聞いた場合は、それが自分にも当てはまるかどうかを必ず確認しましょう。
注意を集中する習慣を身につけるのは、そう簡単なことではありません。長年の習性としてすっかりしみついた物の見方や心の持ち方を変えるためには、忍耐や受け入れる心、固い決意を持って真剣に瞑想に取り組むことが必要です。
瞑想は精神と心の鍛錬であるとよく言われます。適切な指導の下、瞑想を熱心に継続して行うことで、あなたは従来の習慣を打ち破る力を得ることができます。特に、ものごとに意識を向けず、注意散漫や上の空の状態に陥る、自分を絶えず批判したり批評したりするといった習慣は、注意を集中する際の大きな障害となるため、改めなければなりません。こうして精神と心を鍛えることはまた、恐怖や不安、パニックなどの感情にやみくもに反応するという習慣を絶つ助けともなります。
瞑想を行うと、心の不変の安らぎが養われます。精神と心と体を平穏に保ち、今という瞬間に結びつける力が培われるのです。
ここで思いだしてほしいのは、そのために必要なものをあなたはすでに備えているということです。マインドフルネスの考え方では、あなたは生来、喜びに満ちた、穏やかで明晰な精神や心を持っています。自分だけは例外だと思うかもしれませんが、決してそんなことはないのです。
そう言われても、納得できないという人もいるかもしれません。それはおそらく、日々の生活や瞑想の中で、さまざまな障害に出くわしているからでしょう。その原因は、自分の奥深くにある穏やかで明晰な本質と結びついているという感覚や、それを十分に発揮しているという感覚を妨げている習慣や反応のパターンにあります。
大切なのは、そういった障害物を障害物としてあるがままに受け止めることです。それはあなた自身でもないし、永遠に続くものでもないのです。障害物を障害物と認識し、自分の人生を制約している習慣に気づくためには、瞑想やその他のマインドフルネスの手法を取り入れた精神修養法によって注意を集中する力を養っていくしかありません。こうした観点からみれば、疑問を抱くのは好ましいことだと言えます。そして興味深いことに、このような障害やその原因となる習慣は、誰にでもあるのです。
この章では、マインドフルネス瞑想(あるいはその他の瞑想)を始めたばかりの人から寄せられた質問や悩みを取り上げていきます。これを見ると、人間の心は基本的に揺れ動くものであり、快適さを求め、不快さには怒りや嫌悪感を向けるものであることがわかります。質問や悩みの内容に共通点が多いのも、私たち人間が、本質的に似ていることを示す証拠です。
瞑想全般についての質問と悩み Q&A
Q‥瞑想をする時間がないのですが。
A‥あなたは、瞑想をほかのことに優先させていますか? 瞑想も、日々こなさなければならないほかの仕事と同様、実行するには高い優先順位をつけなければなりません。これは、初心を思いだすいいきっかけにもなります。あなたはなぜ瞑想を始めたいと思ったのでしょうか? 本当に瞑想を行いたいのなら、時間は作るしかありません。自分の人生に癒しをもたらすためなら、なんとかやりくりできるはずです。
Q‥瞑想が退屈でたまりません。
A‥瞑想が退屈でたまらないという人は、たいがい瞑想がもたらす効果について過剰な期待をかけているか、そもそも瞑想とは何かがわかっていないかのどちらかです。
マインドフルネス瞑想で求められるのは、今ここにあるものをよく観察することです。それには、退屈だという感情も含めた今という瞬間に起きているできごとを進んで受け入れる姿勢が必要です。退屈という気持ちに向けて呼吸をし、その思いとともに今に身をおくことができますか? 心に生じる感情をありのままに受け入れてみましょう。退屈という気持ちには、たいてい否定的な判断や独り言といったものが混じっています。そこには、体で感じとれる欲求不満の思いや、今起きていることへの嫌悪感などが存在するのです。今度瞑想のときに「退屈さ」を感じたら、その体験を詳しく観察してみましょう。そこで発見することは、決して退屈ではないはずです。
Q‥じっと座って瞑想をしていると、よけいに不安が増してくるのですが。
A‥興味深い現象ではありませんか。これはもしかすると、不安の思いが実際に増したのではなくて、ほかの事をやめてじっと座っていることによって、すでに存在していた不安がより意識されるようになったという話ではないでしょうか? 瞑想中には、普段不安の思いからあなたの注意をそらしている、ものごとに意識を向けない、注意散漫、上の空といった心の状態が変化します。あなたは不安に対して、より注意を集中するようになったのです。
心配や不安、パニックを克服するには、まずそれらの感情を理解することが必要です。といっても、それは単にそうした感情についての見解や情報を集めることではありません。見解や情報を集めることも時には必要ですが、それと合わせて自分の内側から生じる体験から身をもって学ばなければならないのです。この体験から学ぶという点が、マインドフルネスの手法には欠かせません。動揺した心と向き合うことの意味を、そうした感情が生じているまさにその時点で、思いやりの気持ちを持ち、注意を集中して今に身をおくことによって学ぶのです。そして、心配や不安などの手に余る感情に直面したときの自分の心の反射的反応に気づき、それにのみこまれないようにする力を身につけていきます。瞑想中に不安が生じても、自分が間違ったことをしているとは思わないことです。そういうときは、ただ不安の思いや、自分の置かれている状況に向けて呼吸をし、不安を感じているという体験そのものに注意と意識を向けます。心にゆとりを持って、自分の中に生じ
ているできごとをあるがままに受け止めるようにしてみましょう。
Q‥でもやはり、落ち着きません。たまらずに逃げ出したくなります。もう、不安を感じるのはいやです。
A‥その気持ちはわかります。慢性の恐怖や不安による不快感や混乱に苦しめられている人は誰でも、逃げ出したいという思いや嫌悪感を抱くものです。けれどもあなたはこれまで一度でも、不安から真の意味で逃げられましたか? 不安という感情がまた舞い戻ってくるのではと、心や体の状態に常に神経を尖らせているのではないでしょうか? 不安を感じること自体に不安を覚えているのではありませんか? 不安というものを、それがどういう形で現れるのであれ、自分の敵とみなしているのでは? 心と体の中で己と不安とのせめぎあいを感じているのではないでしょうか?
これは、慢性の痛みやストレス、恐怖、不安などを抱えている人が、必ずと言っていいほど抱く感覚です。自分自身に対する思いやりや慈しみの気持ちを呼び起こしたり、呼吸や体に注意を集中することで深いリラックス感や安らぎを得る訓練の成果が大いに活かされるのは、こういうときです。
こんなふうに不安に対する嫌悪感や敵意が生じたときは、何よりもまず変えなくてはならないのが、自分自身と不安との関係であることを認識しましょう。つまりは闘う気持ちを捨てて進んで今に身をおき、自分に起きていることを受け入れるのが肝心なのです。
マインドフルネス瞑想で私が気に入っているのは、指示が「リラックスして今に注意を集中する」という、単純なものであることです。
不安やパニックの強烈な混乱状態に対処する際に、第一の課題であり、最大の難関でもあるのは、ただひたすら心身を平穏に保ち、注意を集中し続けるという点です。ひどい動揺と緊張を感じているときに、今に身をおき注意を集中するというのは、至難の業です。意識を傾け、思いやりと慈しみの気持ちを上手に自分自身に向けることで、あなたは、リラックス感と注意力を高め、より明晰な気づきを得られるようになります。
今あるがままの状態を認識し、受け入れましょう。そして、苦しんでいるわが子や友人に対するのと同様に、実際的な方法で、自分をいたわり慰めるのです。否定的な考えや自己批判は捨て去りましょう。無理なら、まずはそれを受け入れます。それは、ただの思考にすぎないのです。そして受け止めた後は、ボディースキャンや、歩く瞑想その他のマインドフルネスの手法を用いた体の動きを伴う精神修養法や気づきの呼吸で注意を集中し、同じく今という瞬間に存在する心の落ち着きや広がりを見いだします。
困難な状況にあるときに、呼吸に注意を集中してみましょう。息に意識を向け、不安とともに、不安という感情を基点にして呼吸をするのです。そして、今という瞬間に存在するすべてのものを息で包み込むようにして受け入れます。自分の内部にある穏やかな部分に、動揺した心や、そこに蓄積した嫌悪感や絶望感を全部入れてしまいましょう。
Q‥でも、とにかく不安でたまらず、落ち着いて座っていることができません。私には瞑想は無理なのでしょうか?
A‥あなたのように感じて、悩む方は少なくありません。結論から言えば、答えはノーです。いくら不安を感じても瞑想をすることはできます。前の質問の回答とも重なりますが、もう少し詳しく説明しましょう。
まず肝心なのは、不安や心配、パニックは、あなた自身ではないことです。それは、今という瞬間における状態にすぎません。ただそれがあまりに強烈なので、その状態と自分を同一視して、反射的な反応にのみこまれてしまうのです。心と体がさかんに情報伝達を行い、互いに影響しあっていることは前に見てきたとおりです。これがまさに今のあなたに起きていることなのです。
瞑想の訓練の基本原則は、心身を穏やかに保ち、注意を集中することです。不安感にのみこまれそうになったときは、何らかの方法で今に注意を集中しなければならないのです。これは通常、一度でできることではなく、何度かやり直しが必要になります。
本書では気づきの呼吸を使って、今という瞬間に意識をつなぐ練習をしてきました。今このときに起きているできごととともに呼吸をする訓練をしてきたわけです。こうした意識的な呼吸が、現在に注意を集中させ、心と体を今という瞬間の体験に結びつけます。それにより、心身の緊張がとけて開いた状態になり、自分に起きているできごとを変えるのではなく、ありのままに受け入れることが可能になるのです。
心身をリラックスさせ注意を集中するための手法そのものは、絶対的なものではありません。たとえば、気づきの呼吸によって注意力を高めることができる場合もあるでしょうし、現在の体験に意識をつなぎとめるために、歩く瞑想やヨガなどのマインドフルネスの手法を取り入れた体の動きを伴う精神修養法を行わなければならないこともあるかもしれません。
よりしっかりと意識を向けて不安を観察できれば、不安という感情そのものが注意を集中する対象となります。そうすると、それにのまれたり、反射的な反応をすることもなく、そのときに生じている感覚や思考を受け入れられるようになります。そしてさらには、それらのものを自分と同一視せずに、受身ではなく能動的に受け止められるようになるはずです。
すべては心身を穏やかに保ち、注意を集中することから始まります。
Q‥私には精神力が足りないようです。瞑想に向かないのでしょうか。
A‥自分の内なる声にじっと耳を傾けてみましょう。今のあなたの心の中には何が存在していますか?
人が、自分には瞑想をするだけの精神力がないと言うとき、それは「やってみたけど、途中で障害物が現れた」という状況を指している場合が多いものです。毎日の仕事や家事、習慣化してしまった注意散漫、上の空、ものごとに意識を向けないなどの状態がその邪魔をするのです。そしてそのあとにはたいてい、自信喪失の思いが頭をもたげます。そうした障害物に対処するだけの能力と強さが自分にはないと思い始めてしまうのです。
マインドフルネス瞑想は思いやりや慈しみの心で行うものだということを思いだしてください。瞑想はあなたの友として、人生の苦難のときも共にあり、あなたの助けとなってくれます。「完璧」に行う必要などありません。瞑想には到達目標がないのです。実践することに意味があります。訓練を重ね、それが生活の中でいつどんな場面において役立つかを、自分で確かめていきましょう。やがてあなた自身も、瞑想も、周りの環境も変化していくことでしょう。とにかく、リラックスして無理をせずに取り組むことです。
間違いなくやろうとか、至福の喜びを味わおうとか、瞑想の達人になろうといった気持ちは捨てます。障害となる思いが現れたときには、まずその事実に気づき、それをあるがままに受け入れること。そうした思いを自分自身だと思い込んだり、その内容を信じ込まないこと。それだけで十分です。
Q‥瞑想の効果が現れません。どうしてもうまくできないのです。
A‥内なる声に注意を集中して耳を傾けてみましょう。どんな口調になっていますか? 今、あなたの心の中にはどういう感情があるでしょうか? 思いやりの気持ちで意識を向
け、じっくり観察しましょう。
これは、瞑想に限らず、何かを始めたばかりの人が必ずといっていいほど陥る状態と言えます。見当違いで非現実的な期待を抱き、それがかなわないために自分に厳しい評価を下したり、自己批判や欲求不満、絶望感の渦に巻き込まれてしまうのです。
これもまた、注意を集中することによってさらけ出される根深い習慣の一部です。そうした思いが生じたら、ただその事実を認め、あるがままに受け入れましょう。思考であれ感情であれ、何でも注意を集中する対象とするのです。今という瞬間に自分の中にあるものを、思いやりの心で受け入れる力を養いましょう。個々の瞑想についての質問と悩み
Q‥時間の余裕がなく、何事も食べる瞑想のときのようなゆっくりとしたペースで行うことができません。私には、注意を集中することは無理なのでしょうか。
A‥注意を集中できるかどうかは、動作のスピードとは関係ありません。今に身をおく力は、あなたの中にすでに備わっているのです。レーズンを食べる瞑想のときに、ゆっくり
行うことをお勧めしたのは、また別の理由からです。
注意を集中する力を生来備えているとはいえ、あなたには同時に、ものごとに意識を向けない、上の空で時を過ごすという習慣が根付いています。何かを行ったり体験したりするスピードは、ものごとに意識を向けない、急いで事を終わらせようとするといった、生活の中で習慣化してしまった状態を引き起こす度合いと密接な関係があります。注意を集中する妨げとなる、ものごとを意識しない状態は、私たちの身に深く染み付いています。そもそも注意を払わなければ、今ここにあるものに気づくことは難しいでしょう。
注意を集中し続けるには、ある程度の努力が必要です。動作をゆっくりと行い、できる限り細かいところにまで注意を払うと、よりしっかり今に身をおけるようになります。注意を集中する力が高まれば、より早い動作にも対応できるようになるでしょう。そうすれば、どんな行為の中でも、動作のスピードにかかわらず、いつでもマインドフルネスを発揮できるようになります。すべては注意を払うことから始まります。
Q‥気づきの呼吸、ボディースキャンはおろか、歩く瞑想を行っているときも、あれこれ思いが浮かんできて集中できません。私には心をコントロールする力がないようです。
A‥面白い質問ですね。心をコントロールしなければならないという発想はどこから出てきたのでしょう。
マインドフルネスの実践では、自分があれこれ思いを浮かべていることに気づけば、それで十分なのです。それこそ、マインドフルネスを発揮しているということなのですから。「気づく」ことでただその思考を受け入れましょう。気づきの呼吸、ボディースキャン、歩く瞑想で、あなたはそれぞれ、呼吸、体、歩くという行為に集中する力を養っています。思い(または他の雑念)が浮かんできたときは、ただその事実に気づき、それにとらわれることなく、もともと意識を向けていたものに注意を戻します。
瞑想では、思考も他のすべてのものと同列に扱われます。要は、認識するだけの対象にするということです。選択をしない気づきの瞑想では、今という瞬間に存在している限り、その思考自体が注意を集中する対象となります。批判の声、イメージ、その他のどんな形で現れた思考も、注意を集中して受け止めましょう。それらとともに呼吸し、観察して耳を傾けるのです。あなたはまさに、その思考が生まれて変化し、去っていくのを感じ取ることができるでしょう。思考は、それがどんなに劇的で抗いがたく重要なものに思えても、
あなた自身ではないのです。
思考にかまわず呼吸や体に意識を戻す、あるいはその思考自体に注意を集中する、どちらの方法をとるのであれ、あなたはもうそれを自分と同一視しなくなるはずです。また、その思考についてさらに何か考えたりすることもなくなるでしょう。ただその思考を一つのできごととして認識し、ありのままに受け入れられるようになるのです。
Q‥ボディースキャンは、とてもリラックスできるので、最高だと思えることもありますが、じっとしていられなかったり眠ってしまったり、うまくいっていないと感じられることもあります。
A‥あなたは、ボディースキャンについて、心地よさや、自分の描いたイメージに合うかどうかで評価を下していませんか? 心地よさを感じるのも、イメージを描くのも悪いことではありませんが、もっと掘り下げて考えてみましょう。
瞑想は、何かにつけ心地よさや成果を求めようとする気持ちや、そこから生まれる判断が、苦痛の原因になりうることを教えてくれます。その苦痛は、身の安全が失われるのではないかという恐怖感や、心配、不安などの形で現れることがあります。
ボディースキャンの目的は、体と結びつき、そのあるがままの状態を意識することにあります。結果としてリラックス感が得られるのは、有意義な話ではありますが、それは最終目的ではありません。目的はあくまで気づきを得ることです。どのくらいリラックス感や「心地よさ」を得られたかによって成否を判断してはいけません。判断することそのものをやめなければならないのです。ただ現在に身をおき、今ここにあるものを認識して受け入れましょう。日ごと、瞑想ごとにものごとはどのように変わっていくでしょうか? 何かに執着したり、成果を期待するのは禁物です。
Q‥選択をしない気づきの瞑想の最中、すぐに注意がそれてしまいます。不安が強く、恐ろしい考えで頭がいっぱいになり、あらゆることが自分の手に負えなくなる気がして心配になります。どうしたらよいでしょうか。
A‥非常にいい質問です。瞑想中に気持ちが乱れたり、心が不安で埋め尽くされたり、コントロールを失ったりするという極端な状態に陥ることはめずらしくありません。くじけないことです。これは初心者の方がまず例外なくつきあたる問題です。
それどころか、瞑想はまさしくこうした状況を克服するためにあるのです。実践を重ね、瞑想の中でこのようなつまずきを体験するうちに、思いやりの気持ちを向け、注意を集中してそれらに対処していく力が身についていきます。そしてその結果、いつでもどこでも困難な状況をうまく乗り切れるようになるのです。
恐怖や不安、パニックに襲われたときの対処法については、次の章でさらに詳しく見ていきます。
基本原理は単純ですが、決して簡単ではありません。
・今という瞬間に注意を集中します。すでに見てきたように、そのためには自分の息に意識を向け、今このときに起きているできごととともに呼吸をします。これまでにも述べてきた「息で包み込むように」という要領です。
・集中できたら、呼吸を意識することによって体と心を今という瞬間につなぎ、そのとき生じている体験に注意を向けます。それが何であれ、好奇心とすべてを受け入れる気持ちをもって、念入りに注意を払いましょう。
一旦呼吸に集中できれば、もう心が乱れることはありません。そのまま体の中にある不安の感情に向けて呼吸をし、その感情自体を注意集中の対象としましょう。心配や恐ろしい考えに耳を傾け、それらをあるがままの状態にしておくのです。それができたら次は、コントロールを失ってしまうという恐れに、思いやりの気持ちと意識を向けましょう。
大切なのは、これらがすべて今という瞬間に現れては変化し、消えていくものであることです。あなたは瞑想の中で、こうしたものが去来する今という瞬間に、思いやりの心を向け注意を集中してとどまる力を養っています。これは不変の安らぎを得ることでもあります。ともかく実践あるのみです。次々と襲ってくる思考や感情に心を乱されたり、気をのまれたりしないほどにまで、集中力や注意力を高めるには時間と努力が必要でしょう。でも大丈夫です。あせることはありません。何はともあれ、続けることです。
Q‥愛と慈しみの瞑想が、わざとらしく思えてしまい、いつも優しい気持ちになれません。腹が立ったり悲しくなったりして、慈愛の心を呼び起こせないのですが、私はおかしいのでしょうか。
A‥とてもいい質問です。実によく自分を観察していますね。おかしいどころか、あなたはまったく正常です。愛と慈しみの瞑想を始めたばかりの人はよく、今のあなたのように感じています。
この瞑想は、すでに自分の中にある資質と結びつく訓練です。思いやりや慈しみの心は、誰にでも備わっています。でも、それをなかなか感じ取れないというのは、実のところとても一般的なことなのです。
注意を集中する障害となる、上の空、ものごとに意識を向けないなどの習慣化した状態は、自らの中にある思いやりの心を感じ取り、自分が優しさの絆で世の中と結びついていることに気づく妨げともなります。また、怒りや敵意などの感情のために無慈悲な考え方に陥るという習慣も根深いものです。実際、怒りや敵意は、恐怖や、切り離され見捨てられたという思いによって、あおられていく場合が多いのです。
注意を集中する力を養うことで今という瞬間との結びつきを深めていくにつれ、あなたは愛と慈しみの瞑想で唱えられる言葉に空々しさを覚えることもなくなり、それらを心と体の両方でより自然に受け止められるようになるでしょう。そのためには、とにかく実践を重ねることが肝要です。
瞑想を深めるうちに、怒りや悲しみの気持ちがさらに強くなるかもしれませんが、あわてないことです。心の声にじっと耳を傾け、深い一体感を味わうことで大きな解放感と癒しが得られるはずです。どんなに強い怒りや悲しみの感情も、たいがいは、あなたが離れていくのを待っているだけなのです。思いやりと慈しみの気持ちを呼び起こして注意を集中することで、それらの感情を手放すことができます。その後には、癒しと変化がもたらされます。
Q‥愛と慈しみの瞑想で、なかなか自分自身をイメージすることができないのですが。
A‥これもまたとてもいい質問です。初心者の方がほぼ例外なく苦労するのが、この自分自身に思いやりの心を向けるという点です。
リラックスして、自分の中で確かに感じ取ったりイメージできる部分と結びつけるように努めてみましょう。うまくできないときは、まず体に注意を集中して、そこに思いやりの気持ちを向けるようにします。
必ずしも「全身」をイメージする必要はありません。たとえば怪我をしているところや調子の悪い箇所など、一部分に注意を向ければよいのです。あるいは怒りや不安、常にあれこれ判断を下そうとする気持ちなど、感情的、認知的な感覚の一部に集中してもかまいません。
瞑想の力がつき、感性が研ぎ澄まされてくると、あなたはこれまで知らなかった自分の側面を見いだし、自分自身や周りの人々に新たな形で思いやりの心を向けられるようになります。
著者等紹介
ジェフ・ブラントリー
医学博士。デューク大学医学部精神医学科顧問医師。同大学統合医学センターの「マインドフルネスに基づくストレス緩和(MBSR)プログラム」の創始者、ディレクターでもある。ラジオ、テレビ、新聞、雑誌などでMSBRプログラムに関する数々のインタビューに応じている。
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