http://anzenmon.jp/page/10243163 【その9 気づきの呼吸】より
心身を穏やかに保ち注意を集中すると、心と体を今というこの瞬間の体験と結びつけることができます。これは昔から行われてきたあらゆる瞑想の核をなす原理であると同時に、恐怖や強い不安にとらわれているときに瞑想を行う際の、最大の難関でもあります。
瞑想では何よりもまず、注意力を磨くことが大切です。意識はあちこち飛びやすいものです。この章では、心身を穏やかに保ち注意を集中する力を養うことの利点についてみていきます。
呼吸に注意を集中して恐怖と向き合う―気球の話
数年前、私と妻のメアリーは古い友人のスティーブンに、ニューメキシコ州アルバカーキで毎年行われている熱気球フェスティバルに参加しないかと誘われました。私たちは二つ返事で話に乗り、気球を上げる数名のメンバーで編成されたチームにクルーとして加わりました。
私たちが乗る気球のゴンドラは床から縁の手すり部分まで全体が籐でできていて、高さはせいぜい私の腰の少し上ほどしかありませんでした。飛行中につかまれるものは、ゴンドラと球皮をつないでいる四隅の支柱とその手すりだけだというわけです。
正直言えば、私は高いところがあまり得意ではありません。少なくとも、腰の高さほどの手すりをたよりに、何百、何千メートルの上空に上るなどというのはごめんです。なぜ高い場所が怖いのかはよくわかりませんが、ともかく私は長年かけてこの恐怖を手なずけ、今日まで自分の行動を制限されることもなく過ごしてきました。
気球を立ち上げる様子を見て心にまず浮かんだのは、私も他のメンバーと一緒に地上に残ったほうが賢明だという思いでした。けれどもスティーブンは大乗り気で、きっと君も楽しめること請け合いだと張り切っています。彼は友情の証として、私と妻をこの日の初回のフライトグループに入れてくれたのです。いまさら断れるわけがありません。
そうこうするうちに、私はゴンドラに乗り込んでいました。スティーブンが頭上のガスバーナーに点火すると球皮がふくらみ、気球は静かにふわりと浮き上がりました。
最初の数分は何もかもがすばらしいことばかりでした。私は周りを見回し、涼しい風を肌に感じながら、アルバカーキの美しい暁の空にいっせいに気球が舞い上がっていく壮観な風景にうっとりと見とれていました。が、そのとき、ゴンドラがさっと風に流されるのを感じました。手すりごしに下を見下ろすと、チームのメンバー、車、建物、すべてがみるみるうちに小さくなっていきます。私は最初の恐怖の波に襲われました。
その感覚はいつもと同じでした。かすかなめまい。動悸。ひざのふるえ。胸や胃が締め付けられる感じ。両手はしっかりと手すりを握りしめていました。私はそのまま一歩も動きたくありませんでした、というより動けなかったのです。
私の横では、メアリーとスティーブンが、眼下に広がる景色を指差しながらはしゃいでいます。今やかすかな横揺れをくり返しているゴンドラの中を、二人はこともなげに歩き回っていました。そして、手すりにしがみついてばかりいないで周りを見てごらんなさいとしきりに勧めてきます。スティーブンはバーナーを燃やし続け、気球はさらに上昇していきました。私はぎこちない笑みを浮かべ、あいかわらず両手で手すりをかたく握り締めたまま、その場でこわごわ首を左右にめぐらすのがやっとでした。やはり下に残っていれ
ばよかった。そう思いましたが、もう後の祭りでした。
けれどもこのどうしようもないという思いがかえって助けになりました。地上に降りるまで恐怖から逃れる道がないとなれば、もはやそれを克服するしかなかったのです。私は自分がこれまで何年も瞑想の訓練を積んできたことを思いだしました。そして、今こそその力を発揮するときだと、感覚を研ぎ澄ませて、特に意識的に呼吸という体験に注意を集中してみました。
長年かけて学び、訓練してきた瞑想の要領で、私は自然に呼吸をして今の自分の状況をあるがままに受け入れました。
呼吸、特に息を吐くときの感覚に注意を集中していると、しばらくして心と体が安らいでくるのを感じました。体のなかのどこに恐怖の感情が生じているのかがわかるようになり、それを息で包み込むような気持ちで呼吸を続けると、いくらか恐怖感が和らいできました。実際、私は周りに広がるすばらしい景色を堪能できるまでになり、ゴンドラのなかを自由に歩き回り、心から飛行を楽しみ始めていたのです。
この日、私は恐怖という感情を抱えて、かなり長い間飛行を続けていました。恐怖が襲ってきては消え、襲ってきては消え、ということがくり返されました。けれども、そのたびごとに、私は自分の息に注意を集中して心を落ち着かせ、意識的に今この瞬間の体験とともに呼吸をすることにより、恐怖という感情を受け止めました。
呼吸に注意を集中することで、私は恐怖との関係を根本的に変えることができました。つまり、恐怖から逃げたり、そうした感情を自分と同一視するのではなく、それと向き合えるようになったのです。私は恐怖を、自分の奥深くの内的世界で起きているできごとの一つとして受け入れ始めていました。何度も襲ってくる恐怖の思いは、それぞれが強烈で心をかき乱されるものでしたが、私の中でそれらは、ひんやりとしたニューメキシコの空に浮かぶさまざまなものの一つにすぎなくなっていました。そして、その恐怖心は、たゆたう雲、陽光、他の気球などと同様に、刻一刻と変化していきました。恐怖は永久に続くものではなく、私自身でもなかったのです。
呼吸に注意を集中することで心と体が落ち着き、私は恐怖という感情もまた、意識の中でとらえられるできごとであり、いずれは過ぎ去っていくものであることに気づきました。そしてやがては、恐怖が意識の中に常に居座っているわけではないことにも気づき、気球の旅に集中できるようになっていました。そのあとは恐怖感が舞い戻ってきても、あまり脅威を感じませんでした。恐怖を克服できるという自信を強め、いっそうリラックスした私は、空の旅を十分満喫して地上に降り立ったのです。
恐怖や不安に賢く対処する
すべてのことは、今という瞬間に起きています。日々の生活におけるあらゆるできごとは今この瞬間に起きているのです。そして、それらにどう反応するかを決めるのはあなたです。
恐れを感じているとき、現実の脅威や不安に対する反応としてよく見られるのが、その感情にのまれて動転する、闘争・逃走反応を示すといった「マインドフルでない」対応です。この「賢明でない」反応には、恐怖や不安から逃げようとする傾向がみられます。
また、恐怖や不安という感情が自分自身であるかのように思ってしまう場合もあります。こうした気持ちを、あなたは自らと恐怖心を重ね合わせ、「私は臆病者だ」とか「私はひどい心配性だ」などと言い表すことがあります。
その時点で、意識にあるものはすべて恐怖反応の強烈な不快感に染まってしまいます。あなたはまさに、恐怖という色眼鏡を通して世界を見ながら生きているというわけです。
恐怖反応が生じたときにはとかくその不快感と闘おうとしたり、それから逃げようとしたりしがちですが、これはまずいやり方です。そうした恐怖感に「パニック発作」とか「高所恐怖症」などと名前がついていたりすると、あなたはもう戦うことも逃げることもできないと感じ、ますます無力感を覚えたり自分を欠陥人間のように思ったりするかもしれません。こうした名前のついた不快感はどんな治療や精神分析を受けても消えることはなく、心にくり返し襲ってきます。そのため、それが自分には太刀打ちできない物、あるいは状況だと思い込んでしまうこともあります。
けれども、名前のあるなしにかかわらず、こうした恐怖の感情から逃げようとしたり、その感情を自分と同一視することでは、問題は解決しません。
それらは、現実に即していないので「賢明でない」反応です。実際には、あなたという人間と恐怖反応は別のものであり、恐怖反応はあなた自身ではありません。また、恐怖反応はどんなに強烈なものであれ永久には続きません。いくつかの条件がそろったときに起き、その条件が変われば消えていくのです。
恐怖や不安、パニックをコントロールする力を高めたければ、一瞬一瞬の体験とより高度な関係を築かなければなりません。恐怖心を感じたときには、戦ったりやみくもに反応するのではなく、その体験を受け入れるのです。賢明な反応、マインドフルな反応とは、心身を穏やかに保ち、注意を集中して体験に向き合うことです。
注意を集中して心の平安を見出す
これまで見てきたように、瞑想には注意を集中し、意識する力を高めることが肝心です。そして判断を加えず、努力をせず、受け入れる心をもって、とらわれず、忍耐強くあることが、瞑想を行う際の重要な姿勢となります。こうした姿勢は、ひとつひとつの呼吸、特に恐怖やパニックなどの感情に心を支配されているときの呼吸の中で学ばなければなりません。
矛盾するようですが、恐怖や不安、パニックをコントロールするには、何かをする力ではなく、ただ存在する力を養うことが有効なのです。感情をコントロールしようとするのをやめ、心身を穏やかに保ちながら注意を集中して、それらの感情が心にわき起こる状態をありのままに受け入れることが重要です。
強烈な感情に襲われているときにその状況をあるがままに受け入れることで、あなたは心が習慣に流され反射的に反応するときに生じる、思考や行動のパターンから解放されます。
存在することを学ぶというのは、意思の力で念じたり歯を食いしばって耐えることとは違います。意外に思えるかもしれませんが、耐え忍んだり、何かが起こるのを待つというのもまた、不快感から逃げる手段にほかならないのです。それはまだ不快感の只中で、その感覚に対抗したり反応したりしている状態です。
存在する力を効果的に養うには、戦おうとする気持ちを捨て、不快感への接し方を変えなければなりません。これは、普段とは違った方法、つまり何も判断せず、否定せず、すべてを受け入れる心をもって今に意識を向けることにより可能になります。心と体と体験を意識の中で結びつけること、本書の中で「マインドフルネス」と呼ばれているものは、まさにこれなのです。
強い不快感の只中にあるときに注意を集中して心身を鎮めるためには、まず集中力を高めることが必要です。
自分の奥深くに存在する深い穏やかさに満ちた部分に触れる力を養うには、努力と忍耐が欠かせません。正式な瞑想を決められた時間、きちんと行うのはもちろん、時間を増やしたり集中的に行うことが大切です。瞑想は心の訓練です。身にしみついた注意散漫やものごとに意識を向けない状態を断ち切り、集中力と注意力を働かせるという新しい習慣を打ち立てていかなければなりません。そのためには、実践を重ねるしかありません。実際に体験してみることによって、あなたは、自分の奥深くに備わった、広大で安定した部分を身をもって感じ取れるようになるのです。
瞑想は日々積み重ねていくことが肝要です。正式な形の瞑想と併せ日常生活の中でも実践していくことで、新しい習慣が築きあげられます。
気づきの呼吸
最も古くから行われている一般的な瞑想法の一つに、集中力を高め、呼吸そのものに意識を向けるという手法があります。これは、「気づきの呼吸法」、「マインドフルネス呼吸法」などと呼ばれています。
呼吸を意識することで、あなたはすぐ今という瞬間に立ち戻ることができます。注意を集中して呼吸をすると、生来備わっている心身のリラックス作用が働き、さらには、ものの見方が一変するという重要な変化が生じます。すると、今この瞬間に自分に起きているすべてのできごとをありのままに捉えられるようになります。自分が体験していることから逃げたり、それを自分と同一視するのではなく、その体験と向き合えるようになるのです。
この章ではこれ以降、気づきの呼吸法を学ぶにあたっての正式なトレーニング方法と、普段の暮らしの中での取り組みについて述べていきます。瞑想の具体的な手順や、日常生活における実践のポイントを紹介していきましょう。
ここにあげたトレーニングに真剣に取り組むことは、きっとあなたのためになるはずです。自分の命がかかっているくらいの気持ちでやってみましょう。熱気球で大空に舞い上がる機会があなたに訪れないとも限らないのですから!
瞑想トレーニング
<気づきの呼吸>
これは単純ですが奥の深い瞑想です。この瞑想では、呼吸の感覚が意識を向けるおもな対象となります。何も判断せず、すべてを受け入れる心をもって、ただひたすら呼吸の感覚、それが生じて変化し消えていくありのままの感覚に意識的に注意を払います。気持ちがそれたらその事実を認め、静かに呼吸に注意を戻します。
こうして注意を集中することにより、あなたの心と体は今という瞬間に結びつき、さらには自分の奥深くに備わっている穏やかで安定した部分とつながります。この瞑想では、自分の心がたとえ強烈な感情にとらわれているときでも、穏やかで安定した状態を生み出す力を備えていることが実感できます。その穏やかで安定した状態は、体でも感じられます。
特定の時間帯を設定して行う正式な瞑想と、暮らしの中での実践をコツコツと続けていくことで、やがてあなたは体に深い安らぎとリラックス感を感じられるようになるはずです。そして、より安定したゆるぎない形で今を意識できるようになるのです。
呼吸を意識するこの「気づきの呼吸」は、困難な状況に陥ったとき集中力を維持する手段として利用できます。その時体験していることとともに呼吸をすることで、心身を穏やかに保ち、注意を集中して今に身をおく力を養います。まさに呼吸が、今というこの瞬間に意識をつなぎとめる錨いかりの役割を果たすわけです。
そして何より重要なのは、心身を穏やかに保ち注意を集中することによって、日々の生活における一瞬一瞬の体験とあなた自身との関係が実際に変わっていくということです。恐怖や不安やパニックなどの不快な感情を自分と同一視したり、判断の基準にするのではなく、一つの状態として認識できるようになるのです。それにより、あなたの体験も感じ方や考え、行動もすべてが、よい方向に変化していくでしょう。
気づきの呼吸の手順
1. トレーニング用の場所を決めていすを置き、楽な姿勢で座ります。トレーニングは二〇〜三〇分かかります。できるだけ邪魔が入らず、気が散らない時間帯を選びましょう。
2. まず、マインドフルネスの基本となる心構えを胸に刻みます。マインドフルネスとは、何の干渉もせずに、すべてを受け入れる心をもって、今に身をおくことです。判断しない、忍耐強い、初心を忘れない、自分を信じる、努力しない、受け入れる とらわれないという七つの基本姿勢を思いだしてください。最初は、判断しない、努力しないの二点に特に留意します。恐怖や不安、パニックの感情、その他を変えようとする思いをやりすごし、何かを得ようとする気持ちを捨てましょう。
3. 両足をしっかりと床につけ、手は楽に構えます。背中と首、頭が一直線になるよう、背筋をのばし、注意力や集中力を高めやすい姿勢をとりましょう。そしてゆっくりと目を閉じます。
4. 体の感覚に注意を集中します。足が床に触れている感じ。背中がいすの背もたれに触れている感じ。手がそこにあること、顔や頭がそこにあることを意識しましょう。そして、自分の体の重みや、いすや床に体を支えられている感覚を感じ取ります。肩の力を抜き、できるだけ体をリラックスさせましょう。
5. 次に腹部に注意を向けます。力を抜き、リラックスさせてその状態を保ちます。
6. 呼吸に注意を集中します。自分の体で最も自然に、そして楽に息が出入りしている部分に意識を向けます。その部分は、腹部、胸、鼻、口(口で息をしている場合)と、人それぞれでしょう。心を鎮め、一番呼吸を感じやすい部分に注意を集中します。それがどこかはっきりしない場合は、とりあえず腹部に意識を向けてみるとよいでしょう。注意を集中したら、体に息が出入りする感覚を、あるがままに感じ取ります。
7. 自然に息をしましょう。呼吸の仕方を無理に変えてはいけません。この瞑想の目的は注意と意識の力を高めることであって、呼吸をコントロールすることではないのです。ひとつひとつの呼吸に集中しましょう。「今何回目の呼吸だろう」と考えたり、次の呼吸や前の呼吸のことに意識が向いても、それにとらわれないことです。ひたすら、今の呼吸に注意を集中しましょう。必要なら、呼吸のタイミングに合わせて「吸う」「吐く」などと小声でささやいてみてもいいでしょう。
8. それぞれの呼吸の初めから終わりまで、今に身をおくよう努めます。吸う……吐く……呼吸と呼吸の間……吸う……吐くといったぐあいです。マインドフルネスが培われてくると、「息を吸う」という一つの過程の中でも、さらにその最初の部分、中ほど、終わりといったように注意を向けられるようになります。「息を吐く」、「呼吸と呼吸の間」の過程も同様です。
9. 呼吸に伴って生じるさまざまな体の感覚に、さらにしっかりと注意を向けます。腹部が上下する感じや、腹部の皮膚が張る感じに集中しましょう。感覚の変化、ひとつひとつの呼吸の違い││浅い、深い、強い、弱い、荒い、滑らか、など││を感じ取ります。それぞれの呼吸を、初心に戻り、初めて体験するような気持ちで意識してください。実際、各々の呼吸はそのとき一度きりのものですからだいじにしましょう。
10. 呼吸から注意がそれてしまっても、あわてることはありません。気持ちを落ち着けて、どこに意識が向いたかを確認しましょう。体のほかの部分でしょうか? それとも、何かの思い? 外の音? あるいは、恐怖や、心配、不安といった感情でしょうか? どこに向いたのであれ、忍耐と思いやりの心をもって、それまで集中して呼吸を感じていた体の部分に静かに注意を戻します。注意がそれたことに気づいた自分をほめてあげましょう。あなたは間違いを犯したわけでも、いけないことをしたわけでもありません。意識というのは往々にしてあちこちに飛ぶものです。注意がそれたことに気づくのも、マインドフルネスを発揮しているからこそです。それもまた、あなたの心の訓練の一環なのです。
11. 腹部には力を入れないようにします。体が硬くなったり緊張したりしていませんか? できるだけ力を抜きリラックスしましょう。あまりがんばりすぎないように。何かを得ようとしてもいけません。瞑想をうまく行おうと思うのも禁物です。ただ無心になって、判断せず、広い心で意識を向け呼吸の感覚に集中することに努めましょう。すべてをあるがままの状態にしておきます。雑念が浮かんでも、それにはとらわれず、ただ注意を呼吸に戻します。
12. そのまま終了時間まで、同様の方法で呼吸を続けます。ときどき目をあけて時間を確認してもかまいませんが、頻繁に時計を見てしまうときは、そういう自分の状況に注意を向け、体が緊張していないか、雑念が浮かんでいないか、退屈やいらいらを感じていないかといったことを確認しましょう。そしてそれらにかまわずに、静かに注意を呼吸に戻します。心を開いた状態をできる限り持続し、それぞれの呼吸の感覚を精一杯感じ取りましょう。
13. 恐怖、不安、焦燥感、退屈 、眠気などが高じて集中できなくなったら、静かにその感覚に意識を向けます。それらと戦おうという気持ちが生じたらその思いにも意識を向け、かまわずにおきます。息に注意を集中し、雑念が生じていることを含めた今の状態を意識しながら呼吸をします。意識がそれていることをありのままに受け止めましょう。そしてその状況に気づきながら意識的に呼吸をするのです。それでもまだ気が散る場合は、さらに感覚を研ぎ澄ませてしっかりと呼吸に集中するよう努めます。体の特定の部分に的
を絞って意識を向けましょう。その部分の感覚を時間をかけてより細かく感じ取るのです。そうすると、集中力が高まり、心の中の安定した部分が見えてきます。
あせらないことです。初めからうまくいくものではありません。意識はあちこちに飛ぶのが当たり前です。この瞑想には努力と忍耐が必要なのです。今に身をおくために努力をしながら、がんばらないようにバランスをとることが大切です。瞑想をするときのあなたの状態は毎回違います。実践を重ねることで、どんな状況でも呼吸に注意を集中する力、すなわち、息に意識を向け、広い心を持ち、あらゆる雑念とともに呼吸をする力を養えるのです。
14. トレーニング時間が終了したら、ゆっくりと目を開けて手足の指を動かします。体をストレッチしてもいいでしょう。どんな気分になったかを感じ取り、その感覚を放します。ある一回の瞑想や、そのあとに感じた気分を、判断基準にはしないこと。今回は今回、次回は次回、瞑想は全部違うのです。過去に行った瞑想と比較したり、評価を加えようという気持ちが生まれたら、その思いを感じ取り、捨て去ります。あなたは別に間違いを犯したわけではありません。心は判断を下すものです。自分を責めず、ただその判断をやりすごしましょう。
気づきの呼吸―実践のポイント
気づきの呼吸は基本となる正式な瞑想です。一方、普段から生活のさまざまな場面で実践することにより、この世界に存在するという体験と切り離せない要素にもなります。正式なトレーニングに加えて、日ごろから気軽に行うことで、この呼吸に注意を集中する瞑想は、不安への対処の仕方を変える力となるはずです。
正式な瞑想トレーニング
毎回、少なくとも二〇〜三〇分間行いましょう。それ以上でもかまいません。まとまった時間をとることにより、瞑想中に種々のできごとを体験し、心と体を鎮めることができます。もし途中でやめたいという気持ちが生じたら、その思いをやりすごしましょう。そして、ともかく瞑想を続けます。くり返しになりますが、無理に瞑想を好きになる必要はありません。ただ、実践すればよいのです!
トレーニングは週に最低五日は行いましょう。マインドフルネスの効果はトレーニング量に比例します。定期的に時間がとれない場合も、暇をみつけてできるかぎりトレーニングに励みましょう。といっても、決められた日にトレーニングができなかったからといって、がっかりしてやめたりしないことです。誰にでもあることと割り切り、できるだけ早くトレーニングを再開すれば、問題はありません。
本やカセットテープなしでもできるようになるまで練習しましょう。最初のうちは使ってもかまいませんが、瞑想の手順はさほど複雑なものではありません。最終的には、自分の力だけで行えるようにしましょう。
普段の生活における実践
普段の生活における実践とは文字どおり、一日を通じてさまざまな場面で立ち止まり、瞑想を行うことです。この本で紹介するどの瞑想も、正式なトレーニング(そのためにまとまった時間をとって行う)、普段の生活における実践(特に時間や場所は定めずに行う)の両方の形で行うことができます。普段の暮らしの中で気づきの呼吸を積極的に実践してみましょう。ちょっと手を休めて呼吸を意識し、その時自分の身に起きているできごととともに息を吸って吐き出すのです。折にふれて、実験してみるような気持ちで楽しんで行いましょう。そして注意を集中し、今に身をおくことの力を感じてみてください。
成果をあげようとする気持ちは捨てます。何かを得ようとか、変えようとするのも禁物です。好奇心と探究心をもって、日々の生活や瞑想にのぞみましょう。いろいろな状況で呼吸に集中したとき、どんな感覚の変化が感じ取れるでしょうか。判断を加えないように。特に、心身が落ち着きリラックスしたかどうかを基準にはしないことです。これは、注意と意識の力を養う瞑想です。落ち着きや安らぎが得られる可能性は十分ありますが、それが第一の目的ではないのです。
まとめ
この章ではマインドフルネス瞑想法の一つである気づきの呼吸を紹介し、その方法を実践してきました。意識的に呼吸に注意を集中してその感覚をあるがままに受け止め、さまざまな状況において自分の息を感じ取ることで、ものごとに反射的に反応するという習慣を断ち切り、何事にもとらわれることなく日々の体験と結びつくことができます。
気づきの呼吸を友としてあらゆる行動の中に取り入れてみましょう。義務と考える必要はありません。あなたは今までにもずっと呼吸をしてきたのです。あとはそれにもっと注意を払うだけのことです。
著者等紹介
ジェフ・ブラントリー
医学博士。デューク大学医学部精神医学科顧問医師。同大学統合医学センターの「マインドフルネスに基づくストレス緩和(MBSR)プログラム」の創始者、ディレクターでもある。ラジオ、テレビ、新聞、雑誌などでMSBRプログラムに関する数々のインタビューに応じている。
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