http://anzenmon.jp/page/10243162 【その8 日常生活の豊かさを知ろう】より
すべてのことは、今というこの瞬間に起きています。けれども、あなたはほとんどの瞬間を無意識のうちに過ごしていませんか?
呼吸は命をつなぐためになくてはならないものです。しかし、あなたは自分の息に関心を払うことなどまずないのではありませんか?
あなたの思いはあなた自身とは別のものです。それでも、あなたは日々の生活において、心の中でくり返される考えや思考パターンに注意を向けていることが多いのではないですか?
恐怖や心配、不安などの感情のために雑念にとらわれたり、ものごとが見えなくなっていることはありませんか?
人間なら誰しも、こうした問いにうなずく経験をしてきたはずです。あなたも例外ではないでしょう。
人間には長い人生の間に、ものごとに意識を向けない、注意散漫、上の空といった状態で時を過ごす習慣が身にしみついています。多忙な生活が私たちの集中力を減じさせ、深いところでものごとと結びつく力を弱めているのです。
現代は、今という瞬間に目を向けることが難しい時代です。そのため、今に注意を集中する力を養うには、エネルギーと強固な決意、積極的な取り組みと日々の努力が求められます。
もっとも、今に集中するために必要なものをあなたはすでに備えています。マインドフルネスを生み出す力はもうあなたの中にあるのです。その力に気づくためには、判断しない、忍耐強い、初心を忘れない、自分を信じる、努力しない、受け入れる、とらわれないというマインドフルネスの七つの基本姿勢を守り、ものごとにしっかりと注意を払うことが必要です。あなたのマインドフルネスは、訓練をすればするほど高まっていきます。正式な瞑想に加え、日常の行動や日々の暮らしの中で普段からマインドフルネスを養うこと
が肝心です。
マインドフルネスを高めていくにつれ、この正式な訓練と日常生活の中での訓練の違いは薄れていきます。周囲の状況がどうあっても、今に身をおいているという感覚があなたの内面に育っていくのです。こうして今という瞬間に存在する力が強まることで、あなたは、恐怖や不安、心配といった感情を克服できるようになり、人生の豊かさや喜びを心から感じられるようになります。
マインドフルネスの実践は、日常的な行動の中で始めるのが一番です。普段、ほとんど意識していなかったものや、まったく意識していなかったものに注意を向けることで、あなたは今に存在する力を高めることができます。
呼吸の感覚
背中がいすの背もたれに触れている感覚
外の車の音
口に運んだ食べ物の匂い
サンドイッチの三口目や四口目の味
午後の光がテーブルに落とす影
例をあげればきりがありません。要は、普段私たちはあまりにも多くの瞬間を無意識で過ごしているため、ものごとに注意を払わない状態が習慣化してしまっているのです。
今ここに身をおくという新たな習慣を築く方法はただ一つです。それは、すでにそこに存在するものに注意を向けることです。これは単純なことですが、決して簡単ではありません!
また、注意の向け方も重要です。マインドフルなやり方で注意を払わなければなりません。言いかえれば、判断を加えず、成果を期待せずに、ただ注意を向けるのです。何かを変えようとしてはいけません。すべてをあるがままに受け入れる気持ちで注意を払うと言ってもいいでしょう。好奇心を抱き、初心を忘れずに。そして「自分は何もわかっていない」という気持ちを持ち続けること(注意を向けている対象について何か考えたり、これまで何度も考えたことがあるからもうわかっているなどと決めつけないこと)です。
このような気の持ち方で人生にのぞみ、意識的に注意を集中して、日常のできごとを細部までより敏感に感じ取ることで、今に身をおく力が養われます。そうすればやがて、日々の体験に対して十分に目覚めた状態でいられるようになります。そして、自分のなかにある広がりや落ち着きを見いだせます。この広がりがあなたの助けとなってくれます。それによって、恐怖や不安、パニックを克服し、ひいては怒り、悲しみ、絶望といった御しがたい感情にも対処できるようになるのです。
今という瞬間を生きる喜び
以前私の瞑想のクラスに参加していたある女性が、今を生きる喜びについて次のような素敵な話をしてくれました。
私は、長年日曜日に教会に通っています。聖歌隊の歌が大好きで、賛美歌はこれまで何度もくり返し耳にしてきたため、もうどの曲もすっかり知り尽くしているような気になっていました。でも、昨日は少し事情が違いました。
マインドフルネス瞑想のクラスに通っていた私は、今という瞬間に注意を集中して、あらゆるものを感じ取ることを学んでいました。けれども、それが本当にどういうことかを、私は昨日初めて知ったのです。
礼拝中に私は心配事で頭を悩ませていました。でも、それについて考えるのをやめて、いつも瞑想のクラスでやっているように、自分の呼吸や体の感覚に注意を集中すると、しばらくして心が落ち着いてくるのを感じました。そのとき、聖歌隊が私のお気に入りの賛美歌を歌い始めました。
それは長年、私が数え切れないほど耳にしてきた歌のはずでした。けれども、何かが違いました。その歌が、いつになく美しく胸に響いたのです。私はじっと耳を澄ませ、真剣に聞き入りました。そして、心からその歌に耳を傾けました。オルガンの音色、聖歌隊の歌声、歌の歌詞、すべてに。それはこの上なく美しいものでした。
私は今まで自分が一度も本当の意味で、今を生きたことがなかったのだと気づきました。それまでの私はいつも、思考などの雑念にとらわれていたのです。今という瞬間を生き、真の意味で賛美歌を聞くことができたのは感動的な体験でした。
これは、今を生きるすばらしさを示す励みになるエピソードです。今に身をおき、より注意を集中することであなたの人生は思いもかけない形で豊かになっていくのです。
あなたが本書を読み始めたのは、おそらく恐怖や不安、パニックなどのつらく不快な感情を克服したいという気持ちからだったのでしょう。それは問題ありません。本書で紹介する瞑想トレーニングを実践すれば、あなたの不安やその重圧はきっと解消されることでしょう。
けれども、ここで思いだしていただきたいのは、マインドフルネスが単なる問題解決のためのテクニックではないということです。それどころか、成果にこだわらず、今ここにあるものにただ注意を向けられるようになればなるほど、あなたのマインドフルネスは高まっていくのです。これはマインドフルネスのパラドックスの一つだと言えます。そして、マインドフルネスを培う利点の一つは、人生におけるありとあらゆるものとの絆を新たにできることにあるのです。
今という瞬間に身をおき、美しい音楽を聴く。
今という瞬間に身をおき、すばらしい夕景を見る。
今という瞬間に身をおき、愛する人の手のぬくもりを感じる。
今という瞬間に身をおき、人生の恵みを感じる。
マインドフルネスは、日ごろからつねにものごとに注意を払い、今に身をおくことによって養われます。これは神秘的な奥儀でも難解な理屈でもありません。ただ、特に最初のうちは、習得するために努力が必要です。
ですから、集中しようとして気持ちが他へそれてしまっても、自分を責めないことです。いらだちを覚えたり、効果に疑問を持ったりしても、途中で投げ出さないでください。そんなときは、もう一度、些細なものごとに注意を向けてみます。リラックスして注意を集中し、現在という瞬間に戻るのです。そして今ここにあるものを十分に感じ取りましょう。
食べる瞑想
私は瞑想のクラスの最初のレッスンで、しばしば「食べる瞑想」というトレーニングを行います。これには次のような理由があります。
第一に、このトレーニングがマインドフルネスは私たち人間に生来備わっているものであることを教えてくれるからです。瞑想がまったく初めての方でも、最初のレッスンでこのことをはっきりと認識します。
第二に、これが楽しんでできるトレーニングだからです。体の痛みなどの深刻な問題を抱えてこのクラスに参加した人も、食べる瞑想を行った後には笑顔になり、昔のことをあれこれ懐かしんだり、単純に元気が出たりします。これがマインドフルネスのもう一つの基本原則です。今という瞬間に意識を向ければ、生きる力がわいてくる、そしてそれを自覚できるのです。
第三に、このトレーニングでは、好奇心を持ち、無知の境地で、ゆっくりと、意識的にものごとに注意を払うことによって、マインドフルネスの核となる要素を学べるからです。この、立ち止まり、何も判断を下さずに意識を向けて、今に身をおくことが、マインドフルネスを発揮している状態にほかならないのです。食べる瞑想を行った人は、このことをたちどころに学びとります。
そのほかにもこのトレーニングは、いろいろ重要なことを教えてくれます。たとえば、どんな行為も注意を集中する対象になりうること、意識はあちこちに飛びやすいものであること、今という瞬間を体験しようとしても、さまざまな思考によって邪魔されてしまいがちであることなどです。
マインドフルネスの実践は、この日常生活における最も重要な「食べる」という行為から始められます。それによってマインドフルネスが、自然な能力として自分に備わっていることを肌で体感できるでしょう。そして、今を生きる喜びや、意識的に注意を集中することの持つ力に気づくはずです。また同時に、注意がそれたり、懐疑的になったり、雑念を抱いたりという自分の心の状態にも気づくことでしょう。しかしそんなときも、自分や自分の心を、親しみと優しさをもって受け止めることが肝心です。
準備はできましたか? それではトレーニングを始めましょう。
瞑想トレーニング
<食べる瞑想>
マインドフルネスとは、何の判断も加えず努力をせずに気づきを得ることです。こうした資質は、思いやりの気持ちをもって、最大限感性を研ぎ澄ませ、できる限り詳細な部分にまでものごとにじっくりと注意を向けることで培われます。この注意を集中して気づきを得ることは、どんな行為の中でも行えます。注意を集中してものを食べることで、マインドフルネスが生来人間に備わっていることを知り、今に意識を向けさえすれば、どんな行動も、どんな瞬間も実り多いものになることを実感できるのです。
食べる瞑想では、一瞬一瞬食べるという体験に意識を向けますが、そのためにはほかの行為をすべてやめ、心から注意を集中することが必要です。
食べる瞑想の手順
1.レーズンを三、四粒、手にとります。楽な姿勢で座り、そのレーズンを初めて見て味わうつもりで観察します。五感をすべて働かせましょう。レーズンをよく見てください。そのレーズンについて、または、それを食べるということについて、何かあらためて気づくことがあるでしょうか? 好奇心をもって眺めましょう。途中で「いったい自分は何をしているんだ」などという思いがわきあがってくるかもしれませんが、そんなときは、その思いにとらわれないようにして、注意をレーズンに戻します。
2.しばらく観察したら、そのうちの一粒を指でつまみます。感触を味わいましょう。裏返して、さらに詳しく観察します。明かりにかざして、光の当たり具合を見てみましょう。レーズンは光を通していますか? たっぷり時間をかけて眺めます。だんだんじれったくなったり、退屈になったりするかもしれません。レーズンから注意がそれたり、レーズンのことをあれこれ考えたり、その他の思いが心に浮かんでくるかもしれません。そんなふうに注意がそれたり別のものに向いたりしても、自分を責めないことです。あなたは間違いを犯しているわけでも、いけないことをしているわけでもないのです。ただ静かにレーズンに注意を戻しましょう。
3.次にレーズンを耳元に近づけ、軽く指でこすってみましょう。何か聞こえますか?同様のことをもう片方の耳元でも行います。指をこする速さを変えてみましょう。まだ意識は今にとどまっていますか? 指でこすったとき、レーズンは何か音を発しますか? 自分が何らかの考えを抱いたり、判断を下しているのに気づいたら、優しく、静かにその思いを放します。そして、またレーズンの音に耳をすませます。
十分に時間をかけて聞きましょう。途中で早く終わらせたいという気持ちが生じ、もどかしくなったり、いらいらしたりするかもしれません。そんなときは、自分自身を思いやり、そうした感情を穏やかに受け止めて、再びレーズンに注意を戻します。
4.今度はレーズンを鼻に近づけます。何かにおいがしますか? それはどんなにおいですか? においそのものに集中できているでしょうか? 心に浮かんだ考えに気をとられたり、今体験していることに評価を下したりしていませんか? レーズンは土のにおいがしますか? それとも甘い香りや酸味のある香りがするでしょうか?(あまりにおいがしないこともあるでしょう) それはいいにおいですか、不快なにおいですか?
5.次に、レーズンを口元に運びます。けれども、まだ食べてはいけません。口の中では何が起きていますか? 唾液が出ているでしょうか。それはどの部分に多く分泌されていますか。舌は動いていますか。できるだけ入念に、口の中の状態に注意を払いましょう。
6.それからレーズンを唇によせ、口の中に入れます。どうなるかを注意深く意識しましょう。レーズンはどんな舌触りですか? それ以外に口の中で感じられる感覚はありますか? レーズンを舌で転がしてみます。何か変化がありましたか? それはどんな感覚ですか? 心に何らかの考えや思いや判断が浮かんできましたか? もしそうであれば、それらをやりすごし、口の中のありのままの感覚に注意を集中し続けましょう。
7.十分感覚をとらえたら、レーズンを一度だけ嚙んでみます。何が起こりましたか?味は? 甘い、すっぱい、土臭い、苦い、それとも? 舌触りはどうでしょう。滑らか、ざらざら、歯ごたえがある? あるいはそれ以外の感覚でしょうか。嚙むうちに味が変わりましたか? どんなふうに? 口の中のどの部分で最も強く味を感じるでしょうか。今に集中しながら、嚙むという行為によって起きる変化を感じ取りましょう。レーズンの味や、嚙むことに関して何かあらためて気づいたことはありますか? レーズンがだんだん
なくなっていくことにも注意を向けてみます。のみこむとはどんな感覚でしょうか。口の中に何か残りましたか? 嚙んでのみこんだあともまだ口の中に味が残っていますか? その味はどの部分で感じられますか? 今という瞬間に起きていることのすべてを受け入れましょう。どんなことに気づきましたか。
8.しばらくしたら、二粒目のレーズンに注意を移します。みているうちに、レーズンの成分や、それが自分のもとへとたどり着くまでの過程について考えてしまうこともあるでしょう。けれども、これはものごとに深い分析を加える練習ではありません。ここでは、レーズンが適度な日光、土、水、肥料、そして人間を含めたさまざまな生物の活動の賜物だという事実をただ受け止めればいいのです。ぶどうのつるに実がなり、それが収穫、乾燥、梱包という過程を経てレーズンとして店頭に並び、今あなたの手の中にある。このように考えることで、レーズン一粒にしても、自分の身の回りにあるものはすべてが結びつき、相互に関連していることがわかるはずです。
9.二つ目のレーズンに静かに注意を戻します。あなたがそのレーズンを見るのは今が初めてです。それは、あなたがこれまで見たり味わったりしたどのレーズンとも違います。心の片隅に、「もうレーズンのことなら知っている」とか、「さっきもこれと同じことをやった」という思いがあって、興味を失いかけたり、そのレーズンから気持ちがそれそうになっていませんか? その「もう知っている」という気持ちをやりすごせるでしょうか? 初心に戻って意識をレーズンに向けられますか? 一つ目のレーズン以上とは言わないまでも、少なくとも同等の注意をそのレーズンに集中できるでしょうか。見て、触れて、音を聞いて、においをかいでください。嚙んで、味わって、のみこんで、その感覚を味わいましょう。このレーズンを食べるという体験によって、どんなことに気づきましたか?
10.同じことを、三つ目、四つ目のレーズンについてもくり返しましょう。それぞれに対して心を新たにし、今に注意を集中します。じれったくなったり、退屈したり、いらいらしたり、疑問をもったりするなど、レーズンを食べるという体験から意識をそらされる思考や精神状態に陥っていないでしょうか? もしそうであっても、自分を責めないことです。注意がほかへそれたり、何かの思いや判断、いらだちの気持ちが生じたとしても、問題はありません。あなたは間違いを犯したわけではないのです。あなたは今自分のマインドフルネスを発揮しているのですから、そうなって当然です。今という瞬間に起きていることをあなたは感じ取っているのです。ここで、受け入れる心と忍耐を持つことを練習するつもりになってみましょう。
心を鎮め、体をリラックスさせて今という瞬間に身をおく
トレーニングはいかがでしたか?
初めての人は、たいていレーズンや自分自身についていろいろな発見をして驚きます。
「レーズンがあんなに甘いものだとは知らなかった」とか、「レーズンはあまり好きではないが、どうしてかわからなくなってきた」(あるいは「その理由がよくわかった」)、「レーズンというのは、嚙んで初めて味がするものだ」といったぐあいに。
また、レーズンのことをあれこれ考えたり、「ずっと昔、クリスマスに祖母と一緒にレーズン入りのオートミールクッキーを作った」など、レーズンについての思い出が甦ったという人もたくさんいます。
あなたが気づいたことによい悪いはいっさいありません。大切なのはあくまで判断を加えず、すべてを受け入れる広い心で意識的に注意を集中し、マインドフルネスを発揮することです。
レーズンであれ、その他の日常のできごとであれ、自分の体の内側でも外側でも、どれほどの発見ができるかは、あなたの注意と意識の質にかかっているのです。
マインドフルネスとリラクセーション反応
食べる瞑想によって、あなたの心と体の状態は何か変化しましたか? 多くの人は注意を集中してレーズンを食べた後、心が落ち着き体がリラックスして、より今に身をおけるようになったと話しています。
これは、マインドフルネスのもう一つの基本原理を裏付けています。努力せず、判断を下さずに、好奇心と思いやりの気持ちをもって注意を集中すると、リラクセーション反応が生じるのです。この心を鎮め体をリラックスさせる力は、私たち人間に生来備わっているものです。
心身を鎮めリラックスさせるという作用は、あらゆる瞑想に共通する重要な要素です。穏やかな心とリラックスした体という基盤があってこそ、マインドフルネスを深めることができるのです。
けれども忘れないでほしいのは、マインドフルネスを養う最終的な目的は、単にリラックスすることではないということです。マインドフルネスとは、注意を集中し、判断を加えずに鋭い感性でものごとを意識することです。もし恐怖や心配、不安に襲われたら、レーズンを味わうのとまったく同じ要領で、その感情そのものに注意を集中するのです。心身ともに穏やかでリラックスした状態になれば、今に身をおきやすくなります。とりわけ恐怖や心配、不安といった動揺と緊張を強いられる状況にあるとき、この方法は効果的です。
日常生活の中でマインドフルネスを養う
マインドフルネスを無理なく養うために、まず日々の生活の中でさまざまな行為に意識を向けることから始めましょう。
三度の食事のうち、少なくとも一回は注意を集中して食べる
あるいは二口、三口だけ、または間食のみでもかまいません。空腹でもないのに間食をしている場合は、よりていねいに意識を向けてみましょう。
日常的な行為の一つを選び、注意を集中して行う
たとえば歯磨き、着替え、シャワー、犬の散歩、皿洗いといった行為を、よりゆっくりとしたペースで行います。触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚のすべてを働かせて、自分に起きていることを感じ取り、心の声や思いに注意を払ってみましょう。
日々の生活のあらゆる場面で注意を集中する
移動中、会議中、仕事中、休憩時間中、早朝、夕方、いつでもかまいません。また自宅の庭、スポーツジム、どこにいるときでも結構です。レーズンを食べるときと同様、そのとき体験しているできごとをじっくり味わってみましょう。
時間が足りないと悩むことはありません。マインドフルネスはいつでも実践できます。今という瞬間に注意を集中する時間が持てるようになると、自分の日々の暮らしを追い立てている焦りの気持ちや、軽いパニックが単なる感情にすぎないことがわかってくるでしょう。それらは、他のすべてのものと同様、現れては変化し、やがては消えていくものなのです。
まとめ
私たちは今という瞬間の中で生きています。けれども、ものごとに意識を向けない、上の空、といった状態が習慣化していると、充実した毎日を送り、今ここにあるものと深く結びつくことができなくなってしまいます。食事、雑事、入浴などの日常の行動にもっと注意を集中することで、あなたは日々の生活と親密になり、その豊かさを知ることができます。この親密さが、たとえ苦難のときでも喜びや感動を見出す力を生み出す基盤となるのです。
著者等紹介
ジェフ・ブラントリー
医学博士。デューク大学医学部精神医学科顧問医師。同大学統合医学センターの「マインドフルネスに基づくストレス緩和(MBSR)プログラム」の創始者、ディレクターでもある。ラジオ、テレビ、新聞、雑誌などでMSBRプログラムに関する数々のインタビューに応じている。
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