http://anzenmon.jp/page/10243155 【その4 「思考」が持つ巨大な力】より
ルネッサンスが全盛期を迎えた一六〇〇年代はじめ、フランスの哲学者ルネ・デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と公言しました。理性と知識を信奉する知的覚醒の時代に生きたデカルトは、考えること、とりわけ疑ってみることを重んじ、そこにアイデンティティの基盤を求めたのでした。
二一世紀初頭の今日、それも心身医学の観点からすると、「私とは自分が考えるとおりのものである」、「私と私の思考は別物である」、あるいは「私とは私の思考以上のものである」と言ったほうが正確かもしれません。こうした表現のほうが、脳と体の相互関係や機能を通じた健康全般と心とのつながりについて新たにわかってきたことを、余すところなく伝えています。心とは、思考、感情、記憶、そしてそれ以上のものを含んだ、意識という内的な世界のことです。
体や健康に影響を与える心の力について昔から世間でよく言われてきたことが、今、医学研究者によって立証されつつあります。あなたが考えることや感じること、自分への語りかけ方、自分の身やその周囲で起きていることについての考え方が、あなたの健康と幸福にとても大きな影響を与えるのです。
思考の力
不安やパニックは往々にして、物理的な脅威や危険ではなく、恐怖を引き起こすような思考や心的態度から生じます。それどころか、心的態度、つまり心のなかでの意味づけが危険の認識に決定的な役割を果たすのです。R・リード・ウィルソンはパニックに関する著書のなかで、こう指摘しています。「人や場所、できごとは、私たちがそれに意味を与えて初めてパニックを引き起こす原因となる。店は店にすぎず、発言は発言にすぎず、ドライブはドライブにすぎないが、脳がそれを『危険』だとか『不吉』だと解釈するのだ。だとすれば、パニックを克服するためには、脳が解釈を下す時点に割って入る必要がある」
私たちは心と体が別個に切り離された存在ではないことを知っています。心身のつながりには、脳と神経系、内分泌系、免疫系がかかわっています。意識などの、きわめて重要な心の要素が脳や神経系で実際にどのように生じるかについては、いまだにさまざまな説があり、理解も進んでいません。けれども、脳と体の間のやりとりやつながりについては多くのことがわかってきました。
脳は、感覚器官や体とのつながりを通じて体や周囲の環境から情報を受けとります。脳の高次の中枢は、とてつもなく大量の流入情報を処理し、記憶として蓄え、処理した情報に基づいて体やさまざまなシステムに対する指示を生みだします。
恐怖反応のメカニズムには、恐怖に専門に対応する脳の領域が含まれています。この領域が感覚情報を処理し、それに状況的な意味を付け加えて、闘争・逃走反応を修正するようなメッセージを体に送り返します。
脳のその他の領域やシステムは言語、短期・長期記憶、注意、覚醒、意識、認知、感情、運動や活動のコントロール、社会的行動といったなじみ深い重要な機能を提供します。
こうした脳と体の機能を支える身体的、化学的基盤は実に驚くべきものです。ある概算によれば、人間の神経系には一〇〇億ものニューロンが存在し、それらがきわめて複雑に張りめぐらされています。こうした驚くべき情報システムの活動が、自己意識や体と外部の世界に対する一瞬ごとの意識を生みだすことを助けているのです。
ですから、思考には力があります。
そして、脳と体のつながりを通じてその力を行使するルートを持っているのです。
脳と体は、刻一刻と変化する環境とやりとりをしつつ、互いに関連しながら機能しています。心も含めて私たちが「自己」と呼ぶものは、実際のところ、そうした機能から、(科学ではうまく理解できないような形で)一瞬ごとに生じてくるものなのです。浮かんでくる思考、一瞬一瞬を染めていく恐怖や不安などの感情、そして一人一人が心の奥に抱いている姿勢や考え方は、一瞬ごとに生じる実体験に即座に深刻な影響を与えます。これは、出入りするすべての情報をさまざまなシステムが処理している最中に、思考や感情、考え方が各システムに直接かつ継続的にフィードバックを与えるからです。
恐怖や不安への対処という点から見ると、このことは朗報でもあり凶報でもあります。
凶報は、恐怖や不安が主に扁桃体とつながる経路を通じて伝達されることにより、恐怖反応のメカニズムをあおり、働かせ続ける点です。扁桃体には、感覚情報や修正された感覚情報のほか、思考や記憶をつかさどる高次の関連中枢からの情報が入ってきます。
高次の情報がもたらされるのは、高次中枢による状況判断が済んだら、扁桃体の非常警報を解除できるようにするためです。高次の情報、すなわち思考が扁桃体の働きを抑制せず、逆に刺激した場合、恐怖反応のメカニズムの活動はさらに活発になります。言い換えれば、危険な状況だと判断した高次中枢は、安心感を与えるメッセージを送らず、扁桃体が最初に出した非常警報を補強するのです。状況が本当に危険なものであれば、このシステムは役立ちます。けれども、実際は危険でないのに、高次中枢があいまいな脅威について不安な思考を生みだすと、直接的な理由がないまま恐怖反応が続くことになります。
ありがたいのは、高次中枢は恐怖反応のメカニズムより優位に立ち、この働きを弱めることができるという点です。
恐怖や不安に対処するうえで、自分の思考に気づき、思考を自分と同一視しないでありのままに受け止められるようになることがなぜ重要なことなのか、容易におわかりでしょう。自分の思考や考え方を認識し、恐怖反応のメカニズムを刺激するようなものを修正するのを学ぶことは、はかりしれないほど強力な武器となるのです。
それでは、脳の働き方は変えられるのでしょうか。瞑想を行うことで、「生まれつきの」反応を変えることができるのでしょうか。その答えは、イエスです。脳がかつて考えられていたよりはるかに柔軟であることを示す証拠が増えているのです。瞑想によって脳の働き方を変えることも不可能ではありません。
二〇〇三年一月の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙で、コラムニストのシャロン・ベグリーは、専門誌に近く発表予定だったリチャード・デビッドソンの研究について伝えています。デビッドソン博士の研究チームは地元企業の従業員の脳機能について研究しました。ジョン・カバット= ジンが八週間にわたって従業員にマインドフルネス瞑想を教えます。瞑想を学ぶ前と学び始めて八週間後、一六週間後に、MRI(磁気共鳴映像装置)画像と脳波図を用いて、従業員の脳機能を測定しました。
違いは歴然でした。研究結果は、瞑想を行うと前頭前野の活動が変化することを示していたのです。喜びや幸福感、軽度の不安といった感情にかかわる活動が増大していました。
ほかに同様の研究はありませんが、この結果は、脳の思考にかかわる領域と感情をつかさどる領域のつながりが、かつて考えられていたよりはるかに柔軟であるという主張を裏づけるものと言えます。また、気分や思考をモニターし、心を乱すものはストップさせて不安を減らし、結果的に活力や喜びを増進させることが実際に可能であることを示唆するものでもあります。
思考や感情が健康に与える影響
ここで、自分の毎日の体験についてしばし考えてみましょう。考えるということがいかに体の反応を引き起こすものか、気づいたことはありますか。あなたがくり返し思い浮かべる特定の思考パターンや筋書きがあるでしょうか。そうしたパターンは恐怖や不安、心配といった感情とどうつながっているでしょう。こうした思考パターンや筋書きによって自分の体がいかに行動に向けた準備を行うか、気づいたことがありますか。
聞きなれた表現が示しているとおり、多くの人々がそうした心と体のつながりに気づいてきました。
彼は怒りで胸が張りさけそうだった。
彼女は失意のあまり死んでしまった。
彼は心配のあまり病気になりそうだった。
彼女は死ぬほど怖い思いをした。
これらはほんの一例ですが、私たちが日ごろから、思考や感情が健康に大きな影響を与えることに気づいていることを示すものと言えます。医学研究者たちは近年、思考や感情と健康の間の関連性について興味深い発見をしてきました。
怒りと敵意
デューク大学医療センターのレッドフォード・ウィリアムズは行動医学分野の先駆者です。彼の研究は、敵意と病気との関連性、とりわけ敵意が人の心臓に与える影響についての理解を格段に深めました。
一九六〇年代、心臓内科医のメイヤー・フリードマンとレイ・ローゼンマンは、心臓病患者の大半に見られると思われる行動特性を明らかにしました。それは、せっかち、競争心が強い、漠然とした敵意といった特性です。フリードマンらはこうした一定の特徴を有する人々を「A型人間」と名づけました。
ウィリアムズらが敵意という因子に的を絞って研究したところ、(一般的な心理テストによる測定で)敵意が高い数値を示した患者の七〇パーセント以上に冠動脈の重度の閉塞が見られることがわかりました。これとは対照的に、敵意の数値の低い人々で重度の閉塞が見られたのは、五〇パーセント未満でした。
今では、敵意がそれだけで冠動脈疾患の「危険因子」となることがわかっています。言い換えれば、生活上の敵意や怒りを減らすことができれば、冠動脈疾患にかかる確率は低くなるでしょう。
最新の健康心理学研究から、怒りや敵意への対処のまずさは、そのほか数多くの体の不調にも関係していることが明らかにされています。ハーフェンらは一九九六年に著した著書で、怒りと病気に関する研究の成果を発表しました。それによれば、長期的、または慢性的な怒りは体のほぼすべての部位に影響を与える可能性があります。とりわけ血圧、冠動脈疾患、偏頭痛、皮膚疾患に悪影響があり、ふつうの風邪にさえ影響を及ぼすのです。
これは日常的な怒りのことです。レッドフォード・ウィリアムズとバージニア・ウィリアムズは『怒りのセルフコントロール』(一九九三年)という著書のなかで、健康に悪影響を及ぼすこうした怒りがごく一般的でありふれたものである点を指摘しています。「確かに、人は怒りにかられてだれかを撃ってしまったり、ナイフで刺し殺してしまったりすることがあります。けれども、ここで……申し上げているのは、そういう種類の怒りではなく、ごく普通の人が日常的に抱えている腹立たしさやいらだちのことなのです」(岩坂彰訳)心配
思考や感情は、心配という形でも健康に影響を及ぼします。心配とは不安が引き起こす思考パターンだと考えられることはすでに見てきました。多くの場合、考えている内容は、不安の症状である不快感や落ち着かなさを取り除こうという意図を反映しています。
ハーフェンらは心配と健康についていくつか興味深い事実を報告しています。
・アメリカ人のおよそ三分の二は自分が心配性だと考えている。
・そのうちの約半数は、自分が、一日のうち一〇〜五〇パーセントの間心配している人並みな心配性だと考えている。
・残りの半数は、日に八時間以上心配している。
・心配は体の不調にかかわりがある。たとえば、心臓発作を起こした患者では不整脈、実験室の動物では血圧の上昇、大人と子どもの双方で喘息の原因となっている。
・心配の一要素である不確実性がとりわけ有害な影響を及ぼす。きわめて不確実な状況に直面したときや、次に何が起き、それにどう反応すべきかがわからないとき、人は無力感や挫折感に満ちた有害な感情を味わう。不確実性によって人は常に半覚醒状態におかれ、リラックスできない。こうした継続的な緊張とストレスの代価は大きい。
今という瞬間に踏みとどまることがポイントとなります。キャシー・パールマターはある雑誌記事で、心配への対処で重要なのは今起きていることへの集中だという、ジェニファー・アベルの言葉を引用しています。
アベルは、心配とはほとんどの場合、未来に目を向けたものであるとして、「だれかが次に言いそうなことについて考える代わりに、自分が今やっていること、今読んでいる文章や今話している人の声に注意を集中すれば、もっと気が楽になります」と述べています。
態度と考え方
怒りや心配のほか、心の奥に抱いた自己や世界に対する態度や考え方も健康に大きな影
響を及ぼします。
態度が持つ力は徹底的に研究されてきました。健康にとりわけ大きく影響するのは、状況をコントロールする自らの力についての意識、問題やストレスへの対処能力に対する自信、目前の状況に対する期待感や楽観的・悲観的見方といったことを形成している思考パターンです。
態度とストレス
同じストレスに直面しても、難なく対処できる人と病気になってしまう人がいるのはなぜでしょうか。
スザンヌ・コバサらは、企業の重役、開業弁護士、婦人科の外来診察を受けている女性など、さまざまな人々のストレスとストレス反応を調査しました。各集団の調査対象者はほぼ同じたぐいのストレスに直面しましたが、それが健康に与えた影響は人によって異なっていました。各集団の人々の性格や対処スタイルが調べられ、五年の長きに及んだ調査もありました。結局わかったのは、身体的な健康とある一定の態度や考え方の間には強い相関関係があるということでした。強いストレスがかかる生活上のできごとと体の病気の間には相関関係は見られませんでした。言い換えれば、違いをもたらしたのは、被験者の思考や信念だったと考えられるのです。
コバサは「ストレス耐性」という言葉を考案しました。これは、大きく健康を損なうことなくストレスに対処できた人の性質を表す言葉です。コバサが重要だと考えたストレス耐性は、コミットメント、コントロール、チャレンジの三つです。
コミットメントとは、自分や他者、仕事、重要な価値観をはじめとして、自分の周囲で起こっていることに深い関心を持ち、積極的にかかわり続ける傾向を言います。言い換えれば、つながっているという感覚を持つことが重要です。
コントロールとは、自分には強いストレスによるダメージを和らげる能力がある、という自信を意味します。他者やある状況のあらゆる側面をコントロールするということではなく、被害者になるのを拒否するということです。つまり、自分が左右できることに注意を集中させ、自分ではどうにもできないことに心を乱されない能力を言うのです。
チャレンジとは、ストレスがかかる状況を成長や奮起のための好機ととらえる能力のことです。したがって、変化に圧倒されたりせず、変化を恒常的なものとして歓迎し受け入れる傾向を意味します。
こうした所見は、ストレス研究で繰り返し取り上げられるおなじみのテーマを反映したものです。つまり、ストレス自体が病気を引き起こすわけではない、ということです。決定的な役割を果たすのは、ストレスに対する反応の仕方です。今起きていることをどう考え説明するかが、ストレスによる影響を決定づけるのです。
説明スタイル
自分の身に何かよくないことが起きたとき、その意味を自分にどう説明しますか。コップが半分空だと思いますか、それとも、まだ半分入っていると思いますか。人生の不愉快な「よくない」できごとの説明の仕方には、人それぞれ決まった傾向があります。その根底には心の奥に抱いている考え方があり、それがその人の「説明スタイル」を形成します。
ペンシルバニア大学のマーティン・E・P・セリグマンは、説明スタイルの持つ影響力に関する研究の先駆者です。セリグマンは、自分の身に起きた「よくない」できごとについての説明の仕方が、健康や幸福に大きな影響を与えることを突き止めました。ほかにも、イェール大学の外科医バーニー・シーゲルやマイアミ大学のチャールズ・カーバー、カーネギー・メロン大学のマイケル・F・シャイアーなど数多くの研究者が同様の研究を行っています。こうした説明スタイルに関する研究の結果が示しているのは、実のところ、私
たちが自分が考えるとおりのものであるということです。
悲観主義者は、自分のことやたいていの状況を否定的に見る傾向があります。自分の身に起こった、あらゆる「よくない」できごとについて自分を責め、ちょっとしたことを何でもおおげさに受け止めて、想像しうる最悪の事態のように思いこむ傾向があります。
悲観主義者の健康状態はかんばしくありません。悲観的スタイルは健康との相関関係が非常に強いために、健康状態の予測に利用できるほどです。つまり、研究者は、被験者の悲観的なスタイルだけを根拠に、どの被験者の健康状態が思わしくないかを予測できたのでした。
楽観主義者は、状況のよい側面に目を向け、ものごとはなるようになると考え、コントロール可能な面に注目し、簡単にあきらめず、起きたことについて自分を責めたりしない傾向があります。
悲観主義者とは対照的に、楽観主義者の健康状態は良好であることが、研究で繰り返し証明されています。楽観的なスタイルを持つことで病気を予防できるとさえ言えるほどです。
思考の力を利用する
態度と健康に関するこうした研究の大多数が、重要な結論を示しています。個人の健康にこれほど大きく影響する態度や考え方は、学習するものであり、したがって変化させることが可能だ、という点です。
自分のなかで作用している態度や考え方、感情を認識し理解すれば、自分の態度を評価し変化させる力が手に入ります。変化には時間がかかることもありますし、変化の仕方は人によって異なりますが、この事実から得られる教訓は明白です。あなたは、自分の思考や感情が持つ力を認識しうまく利用することで、もっと健康になれるのです。
マインドフルネスの効用
マインドフルネスとは、考えることではなく意識することです。わいてくる思考や感情に気づくことができ、しかもそれと自分を同一視しないことです。判断を加えず、好意的に受け入れる姿勢で今を意識することなのです。
私たちは、思考が恐怖や不安、パニックに決定的な役割を果たすことを知っています。不安から生じる次のような思考について考えてみましょう。
機械が操作できなくて事故を起こしたらどうしよう。
今パニック発作を起こしたら、うまく対処できないだろう。
私は始終疲れている。ガンで手遅れだったらどうしよう。
明日のあのミーティングには出られない。大勢の人が私を笑おうと待ち構えているから。
私は頭がよくないから、今上司に与えられた仕事はこなせない。
このような考えはいずれも恐怖反応を引き起こしかねません。すると、ストレス反応が進みます。それに続く思考の根底に、悲観的な説明スタイルや自己非難、自己卑下があるとしたら、恐怖反応をさらにあおることになります。
自覚的には次のように感じられるでしょう。恐怖反応のメカニズムが働きだす。過覚醒状態による不快感が生じ、心と体が騒ぎ始める。気がかりで恐ろしい思考が生じる。恐怖反応が激しさを増す。自己意識が非常に強くなり、重くのしかかってくる。時にはこの自意識がひどく脅かされ、抗しがたいほどのパニックだけが存在しているように思われる。自分が崩壊するのではという思いが一瞬一瞬の抑えがたい懸念となる……。
そういうときこそ、マインドフルネスが大きくものを言います。マインドフルネスを発揮するというのは、今に意識をとどめ、生じてくる内的な体験にじっくり目を向けようとすることです。自分の内的な世界に注意を傾け、優しい気持ちで恐怖や不安、思考や感覚と向き合うのです。このとき、何も変えたりする必要はありません。必要なのは、自分が一瞬ごとに体験していることに、慈しみに満ちた心で注意を向けることだけです。
呼吸の感覚などをよりどころに今に意識をとどめながら、経験そのものに注意を向けましょう。次々に押し寄せる身体感覚と思考に心を開き、それらを観察していくと、生じることの一切が過ぎ去っていく一時的なものにすぎないことに気づきます。心の広がりや安らぎが感じられ、それが心を乱す体験を包みこみます。落ち着きが増し、注意力が研ぎ澄まされます。
思考がわくままに任せ、それを今の時点での新たな体験にすぎないと認識することで、そうした体験と自分を同一視し、それに無意識に反応するというサイクルを止めることができます。今や移り変わっていく自分自身や自分の内的な人生とより深くつながることができるのです。
心身の相互作用という点から見ると、不安という体験を心身両面で自分と同一視しなくなります。今という瞬間に注意を集中させることで、恐怖反応のメカニズムをあおる思考のサイクルが断ち切られ、落ち着きを取り戻すリラクセーション反応が活性化するチャンスが生まれます。そして、マインドフルネスは、恐ろしい思考との同一視を破ることで、状況を正しく把握し、解釈するという高次の皮質中枢の本来の能力を支えます。皮質中枢は、扁桃体に働きかけて恐怖反応のメカニズムを鎮めるという通常の仕事をこなせるようになります。
まとめ
思考は大きな力を持っています。恐怖反応のメカニズムや不安という体験との相互作用において、プラスに働くこともあればマイナスに働くこともあります。
今を意識し、生じてくる思考や感情、身体感覚に意識的に注意を払うことを学べば、思考の持つ力や思考が恐怖や不安に与える影響をうまく処理できるようになります。
思考を止めたりコントロールすることは無理でも、思考と自分を同一視したり、思考をうのみにしたりしないよう学ぶことはできます。思考が生じるのを認識し、生じるままに任せることは学べます。そうした形で思考を意識下におけば、マインドフルネスの力で思考の力を弱めることができるのです。
そうなれば、自分が思考を止められるかどうかは問題ではなくなります。たとえ不安な考えが浮かんでも、その考えがあなたの人生に入り込み、あなたを支配する力はなくなるからです。意識的に今を生きることによって、あなたは自分の心が感じることや自分の人生そのものに対して、新たな力を手にするのです。
著者等紹介
ジェフ・ブラントリー
医学博士。デューク大学医学部精神医学科顧問医師。同大学統合医学センターの「マインドフルネスに基づくストレス緩和(MBSR)プログラム」の創始者、ディレクターでもある。ラジオ、テレビ、新聞、雑誌などでMSBRプログラムに関する数々のインタビューに応じている。
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