勝利を呼ぶ縁起のいい虫

Facebook・棚原 勝也さん投稿記事

先日(8月13日)の『そもそも総研』は100歳を超えるジャーナリストむのたけじさんの特集だった。むのさんの言葉には力がある。留め置きたい。

「戦争とは相手を殺さなければこっちが殺される(自分が)生きたければ相手を殺さなきゃいかん。これが戦争の真実だ。自分の(精神の)バランスを保って死なないように生きるように頑張ろうと。その感覚が続くのは3日くらいです。

その後は『なるようになりやがれ』という“ 本能 ” に戻っちゃう。」

むのさんが従軍記者として実際に見た戦争があった。

「連合軍がインドネシアの女達を何十人、何百人もベッドに縛りつけ強姦した。

そのそばには女達の夫だろう、死体が転がっていた。妻を助けようとしたのだろう。

それが戦場では普通だっていうことだ。『軍国美談』とか、『戦いにも人情の花か咲く』とか言う人がいるけれど、それはあだ花であって戦争というものは誰がどう言ってみたって絶対に許されない人類の一番悪い罪悪だと私は断定します。

なぜこんな悪い手段を使って幸福な世の中をつくるために(戦争を)やるんだなんて言えるのか。」あの70年前の戦争はその兆候があったのか…。

戦争前夜、多くの新聞記者がいたが、誰も太平洋戦争をやるなんて知らなかった…。

なぜか…当たり前と思うだろうが軍部が秘密にしていたからだ。

「大きな戦争であればあるほど徹底的に秘密にされる。自分の国民をだましにくる。

戦争の準備をしていることを相手の国に知られちゃ困るわけだから。

だから『秘密保護法』とか、『秘密を漏らしちゃいかんぞ』という法律をつくるわけ。」

2013年に特定秘密保護法をつくり国民に知らされない秘密が増え、職員の適性審査も始まった。

「始まる前が最も大事 戦争の始まる前に戦争を計画したら徹底的に秘密にする。それが戦争なのよ。敵国ではなく、自分の国民をだます。」

では、当時のメディア(新聞社)は戦争の準備を暴こうとしなかったのか?

「新聞社は怯えちゃう。軍部やなんやから恨まれないように。新聞社、通信社は(自分の側も)こっちも問題ないように検閲するのが社内にあった。それが1箇所なのが増えていく。

軍部に(記事を)持っていった時に絶対問題にならないように。軍部の弾圧や憲兵たちの脅しで

新聞社は(自主規制した)こうなったのではない。

(新聞社が自ら自主規制した。)」

振り返って今のジャーナリズムは安泰なのか?

「同じだ。行政(国)は(新聞社同士)競争させると秘密が漏れるから、『記者クラブ』を作った。共同発表なら“抜かれる心配がない”野合だな。行政と報道との。

それを直さなきゃいかんと言って戦後、何度も問題になったが直っていない。』

むのさんは戦争の後自らの仕事の反省から朝日新聞を辞める。

「過ちを犯した現場にドンと座ってそこで過ちと戦う。私が本当に勇気のある賢い人間ならそうしたはずだ。その言葉を言えば仲間も動いたんだ。私はそれを、自分の恥辱だと思っている。バカだから辞める。(新聞社を辞めて)出直すことしかできなかった。』

VTR後の赤江珠緒さんの言葉に真摯な人柄を感じる。『むのさんは終戦の時に朝日新聞を辞めたことを愚かだったとおっしゃっていたが、でも少なくともむのさんは、ご自身の職業に対して非常に誠実だったと思う。でも、その職業としての誠実ということすら今の我々の世代がプロとして守れているか。行政と報道がきちんと独立しているか。記者クラブは生まれた時からあるので当たり前のように思っているが果たしてそこは、きちんと独立してチェックしあえているのかとか、職業としての誠実さ。せめてそこすら守れていない気がする。』


Facebook・Takahisa Taniguchiさん投稿記事【子どもに政治を説明する時に用いられる話】

ディズニー×ピクサーの『バグズ・ライフ』という映画があります。

アリがせっせと集めている食料を、当たり前のようにバッタが奪っていく話。

数では圧倒的に上回っているアリが、「服従」をし続けるあまり、バッタにいいようにされる話。

これは「子どもに政治を説明する時に用いられる話」とも言われている。

政府もそうだし、企業やメディアに関しても、それらが強力だからという事を理由に、服従を続ける人たちがほとんど。

どれだけ強力であろうが、立ち上がった大勢の民に対しては「多勢に無勢」という事に気づかず。

『バグズ・ライフ』の中では、エリックという一匹のアリが、抵抗を始めた。

たった一匹のアリの抵抗という、ちっぽけに見えるものに対して、バッタたちはあざ笑った。

しかし、バッタたちのリーダーであるホッパーは、エリックの抵抗に脅威を感じた。

そして、他のバッタに、一粒ではなんともない穀物をアリの存在に例えてぶつけた。

それをあざ笑うバッタに、同じ穀物を、山のような数ぶつけて倒した後、こう言った。

「一匹のアリが従わない事を容認したら、すべてのアリがそうなるかもしれない。

アリは小さいが数は俺たちバッタの100倍。

この事にアリどもが気づいてしまったら…俺達はもうこの生き方ができなくなる!

これはアリたちから奪う食料の話ではなく、アリたちを服従させ続けられるかの話なのだ」

物語は、一匹のアリの抵抗から始まった、大勢のアリの抵抗によって、バッタが退けられ終わる。政府や企業やメディアというものと、争う必要はない。しかし同時に、自分がおかしいと思うものに、黙って従う必要もない。沈黙は容認。

ガンジーは、「非暴力」ではあるが、「不服従」によって自分たちの自由と権利を勝ち取った。ドイツは、ナチスを生んでしまった過ちから学び、「たった一人でも反対できる人間を育てる教育」を目指しているという。

今の世の中のおかしいと思うところを変えられるかどうかは、自分が「その一人」になる勇気を振り絞れるかどうかにかかっている。

これは難しい話でもなんでもなく、それ以上でもそれ以下でもないんだ。

守りたいものがあるなら。「一人では変えられない」のではなく、「一人からしか変えられない」。


【ノアの箱舟と火の鳥伝説】

新共同訳  

創世記 / 9章 18節 ~

箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。

この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。

さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。

やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った、「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。

神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。

また言った、「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ」

ユダヤ教の聖典であるモーセ5書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は 出エジプト以降に編纂されたことは言うまでもありません。

しかしノアがぶどうを作り、葡萄酒を飲んでいるのに、「民数記」6章にはナジル人(「聖別された者」)はありとあらゆる葡萄の木の産物を口にすることを禁止されると記されています。

ここにも葡萄を巡って大きな矛盾が存在します。

それは 創世記が神の呼び名においてだけでも[エロヒーム資料」[祭司資料」に分けられるほど様々な セム族に伝わる口伝が寄せ集められて編纂されているからにほかなりません。

神話表現を採る創世記を「逐語無謬説」の立場で読むと 大変なことになります。

神話は 夢や、泥酔 その他トランス状態に陥った時 あるいは臨死体験を通して そして シンボル、自然、祀りなどを通して潜在意識に触れて得た情報です。

私の潜在意識情報は「ノアの箱舟」と「火の鳥伝説」は同じ体験に基づくものだと 伝えます。いずれも「アトランティスとムーの滅び」に起因しているからです。

アントロメダ星雲は「アトランティスとムー」が核戦争で滅んだ残像だと聞きました。

そしてアトランティス・ムーの滅びは多くの人の潜在意識情報にあります。(その故の罪責感を持つ人たちに沢山会いました)

物質はエネルギーが密集している状態を指します。密集するためのコァは 帯電効果のある鉄だとも聞いています。

世界の滅びのエネルギーも帯電効果のある鉄に集まり続け 滅びの船となり 宇宙をさまよい続けたノアの箱舟。

その乗組員である霊魂達は 死を死に続ける絶望(キルケゴール)に嘆き苦しむ火の鳥(またはフェニックスまたはベヌー鳥。そして鶴は魂とも言われます。)私にはそのように思えます。

地球がそのようなノァの箱舟にならないよう 祈ってやみません。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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