Facebook・近藤裕子さん投稿記事 《 祈 り 》い の り
日本語の〈祈り〉の語源は〔生宣り(いのり) ]です。つまり 「いのり」は 〈いのちの宣言 〉と言われています。
古代から 人は 神仏の存在を信じ その 力 に願いを述べて来ました。
そして心の拠り所として 神仏の存在を心の中に作り 「生命や願い」を託して来ました。
宗教の違いを超えて人の〈祈り〉は 同じです。
今年も お盆 がやって来ました。それぞれの亡くなった人への思いと 感謝を捧げ 静かに過ごしたいと思います。
〈祈り〉とは 神への 命の宣言です。生きること。 感謝すること。
お盆を通して心の中の神仏に祈りながらまた 一歩 ずつ 大切な命を生きて行きたいと思います。
https://www.sankei.com/article/20130725-ZFV2FDRRUNIV3JRAAJ4HKEB6SA/【筑波大学名誉教授・村上和雄 祈りとは「生命の宣言」である】より
この2月、ニューヨークの国連本部総会議場で、ブーク・イェレミッチ国連総会議長らの主催によって、「宗教間の調和を通じた平和の文化のための結束」というユニークなイベントが行われた。この催しを通じて発信されたのは、あらゆる宗教には愛や慈悲などの普遍的な価値観があり、世界平和の構築に重要な役割を演じる-そんなメッセージである。
≪病癒やす効果の解明始まる≫
「世界平和の祈り」の運動を率いる西園寺昌美氏は、「宗教の違いを超えて魂をつなぐ祈りのハーモニー」と題して演説した。「人々の思いが闘争、差別、宗教対立に現れている限り、この世界に真の平和は訪れない。どの宗教にも平和の祈りがあり、それぞれ異なったメロディーを持ちつつも一つに合わされ、至高なハーモニーを織り成すことができる」
祈るだけでは平和は訪れないといわれるが、違いを超えて一つになって祈る姿を世界に広げていくことで、真の世界平和に一歩ずつ近づけるのではないか。
「祈り」は宗教が生まれる前から人類が続けている営みである。その祈りに病気を癒やし、心身の健康を保つ大きな力が秘められていることが最近、科学的に解明されつつある。従来の西洋医学を補うものとして、東洋医学などの伝統医学が治療に及ぼす影響に関する研究がハーバード大学、コロンビア大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)などの大学で活発化している。
この新分野で世界をリードする米国国立補完代替医療センターの報告では、「祈り」は最も人気のある補完・代替医療である。
興味深い実験結果がある。アメリカ西海岸の病院で、重い心臓病患者393人を対象に、快癒の祈りを行って、祈らなかったグループと比較したところ、祈られた患者たちは祈られなかった患者たちよりも、人工呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少なかった。この病院に近い所からの祈りも、遠い東海岸からの祈りも同様に効果があったという。このほか、祈りが効果的に働いた病気としては、高血圧、心臓病、不眠症、不妊症、がん、エイズ、鬱病、リウマチなどが挙げられている。
≪遺伝子のスイッチに関係か≫
しかし、この種の研究は実験条件の設定が難しく、祈りに治療効果が本当にあるかどうかについては、医学界ではまだ賛否両論あるところだ。ただ、祈りの効果に関する科学的研究が多数登場していることは注目に値する。
科学は、たとえすべてを明らかにすることはできなくても、その研究成果を人類のために役立てることができる。これまでも人類はそうしてきた。今まで宗教の側にあった祈りという行為が、科学の光を当てられることによって、全人類に有用なものとして再認識されだしたのではないか。
日本語の「いのり」という言葉の語源は「生宣り(いのり)」だと解釈されている。「い」は生命力(霊威ある力)、「のり」は祝詞(のりと)や詔(みことのり)の「のり」と同じで、宣言を意味している。だから、「いのり」は生命の宣言なのである。
人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けている。そのように苦しいとき、人は「自分はめげずに頑張って生きるぞ」と宣言する、それが祈り(生宣り)である。そうした「生命の宣言」をすると、祈る人の遺伝子も活性化して、いきいきと暮らしていけるようになると考えられる。実際、私は「祈りが遺伝子スイッチのオンとオフに関係する」という仮説を、2002年に提唱している。
まごころを込めて深く祈ることが、祈る人、祈られる人の遺伝子のスイッチを入れ、その思いが天に通じたときに祈りはかなえられる、と私は思っている。
≪思いもよらない力を秘める≫
時あたかも、世界平和のための祈りと治療における祈りの効果を描いた映画、「祈り~サムシンググレートとの対話~」が、上映中である。この映画は世界各地の映画祭で賞を取り、国際的な評価を得ている。祈りを含めた意識が人間に与える影響を科学的に解明しようというもので、科学者、医学者、ジャーナリストらが登場して、祈りの力を新しい視点からとらえようとしている。「見る者の魂の奥から感動を湧き上がらせる力がある」とは、ある医科大学教授の同映画評である。
祈りは、自らの願望や懇願のためだけにあるのではない。感謝や愛、思いやり、従順、誠意、畏敬のためにも、人は祈ることができる。祈ることの効果の一つは、祈る人の心に新しい良いものを芽生えさせてそれを培うことにある。例えば、希望の祈りとは、その希望の芽を祈りとともにだんだん大きく育てることである。
個人の祈りや願いが天に通じるとき、心が落ち着き、心の中に中心軸ができて、ブレない生き方ができるようになる。このことを人間は太古から直感していたのだろう。人は無力だから祈るのではなく、祈りに思いもよらない力があるから祈るのだと思う。(むらかみ かずお)
0コメント