むくげの様に・野の花を見よ

http://honshitsu.jugem.jp/?PHPSESSID=9f6f7b4c62b2b56fd68e63147bfabdd9&fbclid=IwAR3z9EoWDugmbtfp25Bdxob00J78w6IOgWBCgyCukib3AvC_23OoTMLN2LU    【今の時代に、決定的に起きていることとは何か?】 より

250年続いた近代自我のあり方・生き方と近代合理主義に基づいた社会の仕組みが有史以来初めて、遂に、完全に行き詰まりつつある時代を迎えています。

ゆえに、これからは、これまでのように見える世界にやたらと執着したり、見える世界をやたらと追いかける生き方をしない方が賢明な時代になりつつあります。

現象に「頼ろう」とすること自体が「魂の弱さ」だと、気づく必要のある時代です。

「ここ」に気づけなければ、何も始まって行きません。

私たちが五感の目で確認できる「外側の現象」というものは、私たちの「内側の心が何に向けられているのか」の正直な反映です。私たちは、それをはっきりと目の前に見ています。

それは、1ミリの狂いもなく反映しています。

この世の中とか世界というものも、すべて、人間の内部の実態が外側に反映されているものです。私たちは、つねにその外側の現象だけに執着しがちです。

しかし、外側の現象というものは、今この瞬間のあなたは「どんな意識に生きているのか?」を正直に外側に具体化して見せてくれている「鏡」に過ぎません。

この肉眼に「見えている世界」はすべて、内側の実態を正直に映し出している「鏡を見ている世界」です。

ゆえに、問題というものは、決して「外」には存在していない、のです。

だから、刻々と消えて行く現象を追ってはならないしそんな現象に頼ってはならないのです。刻々移り変わる現象に、あなたの魂を奪われてはなりません。

そうすれば、私たちは確実に不幸になります。

「鏡に映し出された姿」を実体と見なす本末転倒を犯しているから不幸になるのです。

外側の現象というものは、決して私たちに幸せをもたらすことはありません。

今までも、今も、これからも、永遠に、です。

それは、単に「みずからの内側が今どうなっているのか?」を「確認するためだけ」に存在しているからです。

現象というものはそもそもにおいて目的ではないのです。肉体にあまりにも執着した意識、これが自我です。自我は肉体の生存に執拗に執着するゆえに目に見える現象にも、強くしがみつきます。それは、自我が「恐れそのものである」からです。

これからの2015年以降に、「自我の恐れ」を根底にしたあり方・生き方をし続けて行けば、間違いなく、今まで以上の生活の困難、人間関係のトラブルを体験し、望みもしない悩みや苦しみの多い人生を体験することになって行きます。

自我は肉体に強く執着しているがゆえに、明日この世に生存して行けるかどうかに恐れを持ちます。そのために、「私は何をすればいいのか?」に苦悩します。

「私は何をすれば・・私は何をすれば・・」に悩みます。そのようにして、結果としての現象にしがみついて行きます。

現象というものは、外に現われては消えているように見えていますが、実は、私たちが見ている現象のすべては、「私自身の意識の反映」でしかありません。

それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

問題があるとしたら、それは、人間の「内側」にしかありません。

肉体の生存に執着し恐怖している自我は、その執着と恐怖が日々増長して行けば、

人間を悪魔のような存在にもして行きます。

結果的に、そのような存在は「悪い人間」に見えますが、よくよく深く観じていくと、ただただ肉体の生存に人の何倍も執着し、恐怖している人間であることが分かります。

このように、誰もが外の世界を追い求めたがりますが、外の世界をいくら求めても、みずからの幸せはありません。外の世界に、あなたが求めている「中身」は無いのです。

外の世界というものは、いつも「スッカラカン」です。

だから、外の世界に何を求めても、結局は「肩すかしを食らう」ことになるのです。

本当の幸せは、「みずからの内にしかない」のであって、外の世界には、決してありません。

自我に生きる人は、多くのモノをこの世で獲得しなければ幸せには成れない、と考えます。

自我は死ぬまでこのような「飢餓感」に突き動かされます。

「自我という恐れと不安」はこの世への執着と飢餓感を増長させています。

このために、外の条件に縛られ続ける奴隷に成って行きます。

だからこそ、いつも満たされず、悩み多き苦しみ多き人生を過ごします。

本心に生きる人は、足下のささやかな事にさえも無限の感謝と喜びと豊かさを味わいます。

だからこそ、それ以上の喜びと豊かさを宇宙摂理から与えられ続けて行きます。

外側の現象や形ばかりを当てにする自我に生きている限り幻滅と絶望が待っている人生を生きているだけのことになります。

外側の現象というものは、肉体に執着した意識が三次元的に反映されたものです。

ゆえに、外側の現象に執着することは、「本末転倒したあり方」となりますので、苦悩を抱えることになるのです。

不幸・不本意と思えるものは、外側には絶対にありません。

外に不幸や不本意なことがあると思い込んでいるのは「自我の錯覚」です。

この「自我の錯覚」から始終湧いて出て来る妄想妄念が、結局、苦しみ・悩み・憂いを生じさせる「幻想」を作り出しあたかも「まさに私の現実であるか」のように思わせています。

つまり、錯覚の自我に生きている限り、死ぬまで、私たちは、みずからの妄想のイメージ世界に、苦しみ悩まされ続けることになるのです。

私たちは、外と思い込んでいる目に見える世界に、私自身の内側の意識を三次元の映像に

映し出して見ているだけのことです。

「自我に生きている状態」というのは、「眠りの中で、悪夢を見ている状態」と全く同じです。人は「覚醒」しない限り、ずっと死ぬまで、眠りの中で悪夢を見続けているのです。

目の前の現象=あなたの内部が現わされたもの

目に見える「外部の世界」というものは、私たちの「内部のあり方と何を実行しているか?」をその客観的な事実を通して「認識するため」に存在しているだけで「魂を奪われて依存する対象ではない」ということです。

私たちがコントロールできるのは、どんな時であろうと、「みずからの内側だけ」です。

外部の世界をコントロールすることは、絶対に出来ません。

みずからの行動さえ、実はコントロールすることは出来ません。

私たちがコントロール出来るのは、「みずからの意識のあり方だけ」です。

「動き」はその意識のあり方から自動的に導き出されているだけです。

もし、私たちが自我に生きていれば、そこには、いつも何らかの深刻な問題が現象化して映し出されています。

私たちは、この自我の錯覚から、「つねに外の世界を何とかしよう」としますが、そんなことをいくらしても無駄なことです。

それらはすべて。内側の意識のあり方が外に映し出されているだけなのですから。

自我を脱却しない限り、私たちはその真実にさえ永久に気づくことさえ出来ません。

自我とは、この肉体の生存にのみ執着した意識です。

この世には「肉体の生活しかない」と根強く思い込んでいる意識です。

その意識が、要らざるさまざまな生存上の困難を招き寄せる原因になっています。

この意識から、いかに脱却するかがこれからの時代を生きて行けるかどうかを決しているのです。

肉体の生存にのみ執着している自我を「自分自身だ」と思い込んでいれば、いずれ、人間は「悪に堕して行くしかない存在」です。

自分の生存のためには、それが「良くないこと」だと知っていても「やらざるを得なくなる」からです。

肉体の生存にのみ執着している自我の欲望に始終、突き動かされている魂には必ず悲惨な不幸がもたらされます。

自我を欲するままに放置していれば、地獄の底まで堕ちて行く可能性があります。

自我をしっかりと制御できる「確かな拠り所としての真の主体」が何も確立されていなければ、そうならざるを得ないのです。

自我は、自分自身のタメにはならない事ばかりを好み、自分自身にとって本当の意味でタメになることは、避けようとする習性を根強く持っているからです。

「宇宙摂理は自我の存続を許さない」という道理がこの世に活発に働き始めていることを、今後2015年からは顕著に、事実を通して観察せざるを得なくなって行きます。

逆に、本心の道理に生き始める人を2015年から宇宙摂理は顕著に護って行くようになります。本格的に「意識覚醒の時代」が始まったからです。自我に「確かさの世界」なんて何もありません。自我にあるのは、「不安と恐怖と心配」だけです。

その不安と恐怖と心配に突き動かされる「動き」があるだけです。

そして、自我は、いつもこんな不安と恐怖に突き動かされ続けています。

「私のこれからは、一体どうなってしまうのだろうか?」「私は、どこへ向かって生きて行けばいいのだろうか?」「私は一体何に生きて行けばいいのだろうか?」「私がここに居る目的は何だろうか?」「私はこの世の中で何をすべきなんだろうか?」

しかし、どんなに問うても、自我からは、確かな答えは返って来ません。

自我はただ、この世を悩みながら、苦しみながら、さ迷い続けるだけで、どんな目的地にも、永遠にたどり着くことは出来ません。

自我は、どこまでも世の中の「表層」を漂いながら、流されるままに流されている「浮草」のようなものです。

確かな世界につながった根っこが何も無いのです。

人間は必ずいつか、とことん思い知らされることになります。

私たちが自我に生きている限りは、結局のところ、「無力であり、行き詰まりであり、絶望であること」を、です。

「自我に生きている」とは、いつか必ず「自我の無力と絶望を知ることになる」ということです。今、どんな人もここに直面しています。

自我に生きている時、ハートは全く働いていません。

自我が完全に滅する時、自他共に幸せをもたらすハートは全開して活発に働き始めます。

もうすでに「自我に生きているその延長線上には21世紀という未来はもはや無い」のです。

この事実に、今、日本のみならず世界中の人たちが「直面」しています。

本当の幸せというものは、外の世界へ向かって何かをやたらと渇望するということが

無くなった心境が確立されることの「プロセスの中で見い出されて行くもの」です。

とりとめもない現象のあれやこれやにしがみつこうとするのは、真の主体が確立されていないからです。

ただ、それだけが唯一の理由です。自我(ニセモノの自分)はとかく「外に向けて確かなそうな現象を作ってそれに頼ろう頼ろう」とします。

しかし、現象というものは無始無終から「刻々に無常なるもの」です。

刻々において常に変転極まりないものであり刻々滅して行く"はかないもの"です。

そんな現象世界に頼って生きようとすること自体がとりとめもないニセモノの自我を強固にして行きます。

ニセモノの自我(自分本位なだけの自分)に生きている限り、何をやっても上手くは行きません。特に、2015年からは、この自我レベルに留まったあり方のままで居ると、生きて行くことさえ出来なくなって行きます。

2015年以降は、これまで人が経験して来たことに比べたら、比較にならないほど前代未聞のことが起きて来ます。これまでの意識次元を超えて生きることが必然的な時代に入っているからです。

刻々の確かな真の主体の確立にこそ真実の幸せがあり、それがこの世を生きていることの真実の目的です。

しかし、自我に生きていては永遠に真の主体は確立出来ません。

今・今、確かで不動の、真の主体の確立への努力こそ今の時代にとっての要請であり急務です。自己確立の「自己」とは「本心」のことですから、真の自己確立とは、本心に生きる境地の確立です。自己実現ということも同じです。

これからの「21世紀という時代」は、「みずからの本心に忠実に生き、みずからの真実を誠実に貫いて行く以外に生きて行ける道が見い出せない時代」になって行きます。

本心は慈悲そのものであり、叡智そのものです。

「本心の慈悲」から汲めども尽きない叡智が溢れ出て来るのです。(※慈悲=人に、だけではなく、生きとし生けるものへ注がれる愛情)

本心と一つに成った心は、完全なる叡智であり、永遠の至福であり、永遠の平安と調和に満たされた境地です。

私たちの内部の本心一つの中に宇宙全体を成り立たせている源が存在している、という事実を内部修練の中で「確信することができるかどうか」が一番肝心なことです。

それが、「本当の自分自身を信じる」ということの真意です。

「私たちというこの存在の実質は宇宙本体に直結している」という真実。

その真実を、この世に生きている間に内部修練の中で「悟ること」があなたがこの世に生きている「唯一の意味」です。

現代に生きている私たちがどこまでも「信じるべきこと」は、私たちの内部の本心は宇宙本体と「一つにつながっている」という、「この一点」を「全面的に信頼し確信しているかどうか」ということです。

この信頼と確信があって初めて、私はいつも「私自身が信じられる」という心境が生まれて来ます。

この心境に安住しているからこそ、他の人への思いやりもごく自然に生まれて来ます。

現実の世界では、ひとまず「自信というもの」が無ければ、「何も始まりません」からね。

何かをしようとしても、自信が無ければ、まず「主体的に動くこと」が出来ません。

恐る恐るでも動くことは出来たとしても、壁にぶち当たった時に、必ず挫折してしまいます。そして、その動きを、それ以上、続けることが出来なくなってしまいます。

まして、結果や実績には到底届きません。

「自信」というのは、文字通り「みずからを信じられる力」です。

この「みずから」が自我であれば、信じられる根拠が初めから「ありません」から、本物の自信には至らないのです。

ゆえに、「本心の自分自身を信じる」という一点に生きてください。

この世の中で、この宇宙で、どんな事があっても永遠に消滅することのないものは、みずからの「本心の実在だけである」という真実を理解して、それを内部修練の中で自覚でき、魂に実感できているということが「永遠であり絶対の世界に安住して生かされる」ということです。

このような自覚が、つねに日常何をしていても持てるようになると、自我の迷いの世界からは完全に抜け出すことが出来ます。

そして、これまでの、あっちにフラフラ・こっちにフラフラして、変転極まりない迷いの人生から遂に完全に脱却できて、永遠の本心の世界に生きることができるようになります。

とにかく、これを、21世紀を生きて行くための、個人・個人の内部のベースとして、しっかりと確立して行く必要があります。

その全面的な信頼が「常の自覚」としてあれば、私たちには、どこで何をしていようが

「私は宇宙本体から生かされている」という感謝の中で、このあるがままの人生に最高の幸せと充実が感じられるあり方と生き方がおのずから生まれて来る、ということです。

これが全面的に信頼できていなければ、死ぬまで自我に翻弄されて生きるしか、道はありません。本質的には、「心が本心に安住すること」を「Self-Realization=自己実現」と呼ぶのです。

本心の慈悲と叡智を離れて、この世には確かなものなど何もありません。

この慈悲と叡智がこの世に価値あるものを現わす「源」です。

この「源」と私たちの心が「一つに成ること」が本当の自己実現です。

本心は汲めども汲めども永遠に尽きることのない叡智の宝庫です。これを一心に開拓する人生こそ、真に意義ある人生です。本心こそ真の自己であり、あらゆる現象を現わす直接の源であり、

本物の幸せと豊かさと平和と充実のすべてがここにあり、ここに心を安住させることが生きることの目的の「すべて」です。

「真の自己=本心」を24時間365日生きていることが真の自己実現です。(自我本能の欲望をこの世で満たすことを自己実現と呼んでいる人がいますが全くの間違いです)

「真の自己に生きる=心が本心に安住する境地」をこの世に居る間に実現して行けば、この世での必要はすべて満たされて行きます。

この世に生まれて来た人は、この本心の叡智の世界にみずからを投げ入れて、本心に生きて、本心をこの世に現わすだけでいいのです。

「本心」とは、いついかなる時においても「この世の一切」です。「この世の一切」とは、「本心」以外の何物でもありません。

肉体も、心も、魂も、すべて、本心から「派生している働き」です。

そして、この世の一切の現象というものは、私たちが「本心と一つの境地に至るため」に存在するに過ぎません。

まず、みずからの「内なる本心」に目覚めることさらに、その内なる本心に安住すること。それがこれからの「21世紀を生きる」ということです。

今現在のあなたの「主体」は、「自我のあなた(この肉体を自分と思い込んでいる意識)」ですか?それとも「本心のあなた(宇宙本体に直結したあなた自身という意識)」ですか?

それを瞬間・瞬間、しっかりと見つめて行くことです。

自我は「有限束縛の世界」本心は「無限解放の世界」自我と本心が今この瞬間に「同時に」存在することは出来ません。

今、私たちが自我に生きていれば、本心の世界は隠されています。

今、私たちが本心に生きていれば、自我はまったく機能できません。

いつもあなたが「自我の私」であれば、今あなたが何をしていようと

今後何をしようとも、本当の幸せに行き着くことはありません。

もし「本心のあなた」であれば、すでに今ここで、最高の幸せを味わっているはずです。

まず、真の主体を確立することこそが、これからの時代には、一切に優先して「先決」の問題です。

世界が、この世の中が、たとえことごとく滅び去ったとしても、なお、「最後の最後に残るものは何か?」「唯一確かな実在として永遠に存続し続けているものは何か?」

それが「本心のあなた」です。それが、「真の主体としてのあなた自身」です。

「そのような存在であることを常に自覚して今・ここを生きる」ということです。

そして、この世の一切の現象に巻き込まれることも束縛されることもなく、ただ瞬間・瞬間、目の前の状況に触れて、最も的確で最も創造的な対応が取れる真の主体が「本心のあなた」です。

この真の主体を確立しなければ、まず、みずからが「何者なのか」が分からないままです。

みずからが何者かが分からなければ、外のあらゆる現象に巻き込まれて「その奴隷」に成って行きます。

さらに、あなには時代が読めませんし、人間が何なのかが分かりません。

また、真の主体の確立が無ければ「まず物事の背後を読むこと」が出来ません。

相手が何かをして来ても、「その意図が何か?」も分かりません。

自分の経験している状況が何を意味しているかも分かりません。

その状況に対して、どう対応すればいいかも分かりません。何もかもが分からないままに

外部に翻弄され続けて生きることになります。これは「人生を本当に生きている」ことにはなりません。ただ、自我に生きている時は、自分が自我に生きていることにすら全く気づいていません。これが「一番の問題」です。

みずからが自我に生きていたことに、本当に気づけるのは、「自我を脱却した時だけ」です。別の言い方をしますと、意識が覚醒して初めて、「これまでは、全く無自覚で、周りの世界にただ翻弄されているだけの奴隷のような人生を生きていたこと」に本当の意味で「気づくことができる」のです。

その時にだけ、「なんと危険極まりない二元の世界にドップリ浸って分けも分からず無知なままで呆けていたのか」に気づくと同時に「そのまま」であれば、確実に「絶望の世界に堕ちていただろう人生」に気づいて「ゾッとする」のです。

人生に「真の確かな判断基準を持つ」ためには、さらに、250年間の近代自我の迷妄から覚醒するためには、真の主体を確立するしか道はありません。

そして、その時期は今なのです。特に2015年からは、自我のままに生きている人たちの受難と困難が始まって行きます。

何にしても、これからの時代に、主体の確立に努力出来ない人は、生きて行くことさえ出来なくなる、ということになります。

対話セミナーでは、

この「心が本心と一つに成る自己確立」の究極の真髄を短期間に「完全に体得」できるように成ります。

さらに、この「究極の真髄」では、

「みずからの特性(使命)をこれからの商売として成り立たせて行く」ことも同時に進めて行きます。

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コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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