鎌倉を生きて出でけん初鰹

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/katuo.htm  【鎌倉を生きて出でけん初鰹】より

(葛の松原)(かまくらを いきていでけん はつがつお)

鎌倉は活きて出でけんはつがつお(芭蕉翁真蹟集)

鎌倉を生きて出でけん初鰹

 江戸っ子の初鰹にかける想いは格別のものがある。よそ者の芭蕉はこれをなんと見ていたのだろう。その初鰹は、相模湾で捕獲されたものが、鎌倉海岸から江戸へ運ばれた。 徳川将軍にかつおが献上されたと聞けば、庶民にとってのかつおのシーズン開幕ということになったのである。

 其角の句に「まな板に小判一枚初がつお」がある。左程に初がつおは高かったのである。


http://kk28028hrk.livedoor.blog/archives/22873614.html 【芭蕉句035】より

 今回は初鰹の一句

鰹売りいかなる人を酔はすらん  (松尾芭蕉)(かつおうり いかなるひとを よわすらん)

貞亨4年(1687年)初夏。江戸の芭蕉庵にて。44歳。初鰹は当時江戸の人々には高級魚だった。庶民はもとより金子を持たない者には高嶺の花だった。

  「鰹売りの威勢のいい声が聞こえて来る。いったいどんな金持ちが買うというのだろう。文字通り鰹を肴に酒に酔っていることだろう。」という一句である。

 これは金持ちに対する皮肉でもなんでもない。金持ちを目指す人なら、のっけから俳諧師を目指さないに相違ない。そして単純に羨ましがっている句でもない。芭蕉には庶民に寄り添ったこうした作品が散見される。名句か否か判断がつきかねるけれど、私には好句に思われる。

 続いて次の一句。

鎌倉を生きて出でけん初鰹    (松尾芭蕉)(かまくらを いきていでけん はつがつお)

元禄5年(1692年)49歳作。初鰹は当時神奈川県鎌倉海岸で捕獲され、、徳川将軍へ献上された。「目には青葉山ほととぎす初鰹」という広く知れ渡った一句がある。これは芭蕉の句だと思っている人があるいはいるかも知れない。が、実は山口素堂の名句である。素堂(そどう)は芭蕉と同年代(芭蕉より2歳年上)の知識人。山梨県北杜市の人で、家督を弟に譲り、江戸に出て、俳句、和歌、漢文に燃えた文化人。芭蕉と親交があった。

 「鎌倉」は神奈川県鎌倉海岸のこと。

  「鎌倉海岸を生きたまま捕獲され、徳川将軍等に献上されていく初鰹」

 という一句である。

 前句と同じく初鰹の一句だが、どこか平板で、事実を述べるに急な作品である。この句に限っては前掲した素堂(そどう)の句に遙かに及ばない。やはり人心の評価は素晴らしいとおもわれる。

      夏過ぎて生き返り生き返り半年余        (桐山芳夫)

体調が日々異なる。


https://wheatbaku.exblog.jp/11505690/ 【初鰹   (江戸の歳時記⑥)】 より

  かまくらは いきて出でけん 初かつお 芭蕉

  目に青葉  山ほととぎす  初かつお  素堂

 昨日、鰹節の「にんべん」を紹介しましたので、今日は 「初鰹」 について書きます。

 江戸時代、鰹は売り出し時期は4月と定められていました。

 江戸っ子は、もともと、初物が大好きで、「初物を食えば75日長生きする」と言われ熱狂しました。

 その熱狂を抑えるため、江戸初期の4代将軍家綱のころの寛文9年(1669年)には、すでに初物の売り出し時期が定められるほどでした。それにより、鰹は売り出し時期は4月と定められていました。

 その年の一番の鰹が魚河岸に入荷すると、まず将軍に納められ、その後市中に出回りました。鰹は江戸初期から賞味されていましたが、その理由は「勝負にかつうお」と通じることと言われています。 

 東都歳時記には、「初堅魚(はつがつお) 東都にこの魚を賞すること他邦にすぐれ、相州より送る所 味はひ(味わい)美なり、鄙賎(ひせん)の者も高価を出してこれを求む」と書かれています。

 大田南畝は、文化9年3月25日に入荷された鰹を、高級料理屋の八百善が2両1分づつで3本買い、3代目中村歌右衛門は1本3両で買ったと書いているとのことです。

最も高いのは、文政6年に、高級料理屋の八百善が4両で仕入れたのが最高値だそうです。 

1両を、仮に現在の10万円とすると、鰹が40万円ですから、いかに高かったかがわかると思います。

  しかし、幕末期には、その熱狂も下火になったようです。守貞謾稿には「2,30年前は、初めて来る松魚(かつお)1尾値金2,3両に至る。小民も争いてこれを食す。近年かくのごとく昌(さか)んなること、さらにこれなし。値1分2朱あるひは2分ばかりなり」と書いてあり、大幅に初鰹の値段が下がった様子がわかります。

 江戸っ子の初鰹に対する思い入れは異常とも言えるほどですね。 現代の私たちはこれほどのことはありませんが、まぐろに対しては同じようなところがありますね。

ところで、江戸時代は、まぐろは下魚(げうお)と呼ばれ現代と違って高級魚とは思われていませんでした。時代により、好みが変わるということでしょうか・・・

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