https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/mominoie/KANEKOTOUTASAKUHINKANSHOU/SAKUHINKANSHOU.09.html 【金子兜太作品鑑賞 九】 より
子・父・母・妹・祖父などの句。
舌は帆柱のけぞる吾子と夕陽をゆく 『少年』
親子の情が夕陽の中を流れてゆく。これは昭和二十三年の句であり、この年六月に長男真土が誕生している。おそらく子を抱いて歩いているのではないか。その子が舌を出してのけぞっているのであろう。夕陽の中を航行してゆくイメージが何とも楽しい。
尖塔や外套の吾等独り子守り 『少年』
句の表情に厳しいものがある。体裁は子俳句であるが、むしろ社会性俳句である気がする。この句の作句年とほぼ同時期に「社会性は作者の態度の問題である」という名言が吐かれているが、この句には真摯に社会に対峙して価値あるものを守ってゆきたいという作者の態度が感じられる。
子と並べた煙草鬼婆の歯となる夜 『金子兜太句集』
煙草を並べて子供と遊んでいて、いつしか昔話の鬼婆の話などに展開していった、というような親と子のやりとりが想像される。煙草を並べていてそのような話が出てくるところは、いかにも父親と子供の会話だという感じである。
秋風の父が手帖をめくりやまぬ 『生長』
〈入隊を前に父と南総に遊ぶ 十七句〉と前書のある句の中の一句。軍隊に入る前の息子と共に居て、何となく落着かない父親の気分が出ているのではないだろうか。そして「秋風」に父親の真情が潜んでいる気がしてならない。
父亡くして一茶百五十一回忌の蕎麦食う 『遊牧集』
芭蕉が求道者なら一茶は存在者である。存在者とは聖も俗もそのあるがままを肯定して在る者のことである。一茶が存在者なら兜太は意志的あるいは意識的存在者と言える気がする。一茶はその境遇から止むに止まれず存在者であるより他はなかった。兜太にはむしろ意志的にそうなろうとしている気配がある。一茶には高悟帰俗などということを言う余裕がなかった。兜太は高悟帰俗などという種類の言葉に潜みうる高慢性に気付いて存在者(土がたと言い換えてもいいかもしれない)で在ろうと意志した。
そんなことを考えながらこの句を味わっている。
父の好戦いまも許さず夏を生く 『日常』
多くの場合、父というものは教師であると同時に反面教師でもある。父と息子はそういう意味で付かず離れずの微妙な関係にある気がする。
父の日のわれら途方もない草山 『日常』
存在の根源を母性的なものであると捉えるか、父性的なものと捉えるかによって、我々の生きる態度は正反対の様相を帯びてくる気がする。我々は未熟なる者であるが、母性的なものに包まれているとみれば、未熟なるままをそのまま認めて、ゆっくりとゆったりと生きることができる気がする。父性的なものに見られているとみれば、我々は常に向上心をもって生きる意欲を持ちやすい反面、不完全さへのもどかしさもある。「われら途方もない草山」という感慨も解る気がするのである。
夏の山国母いてわれを与太と言う 『皆之』
こういう冗談半分の悪口が言えるというのは、かなり親密な母子関係であった気がする。私自身についていえば、私の母はこういうふうな軽口は言わなかった。私の母は勤めていたので、私がいわゆるおばあちゃん子だった所為もあるかもしれない。そういう意味で、この句は私にとっては羨ましい母子関係の句ともいえる。
秩父古生層長生きの母の朝寝 『日常』
これは逆に息子からの冗談。随分と長生きして、そしてまた随分と朝寝坊している。まるで秩父古生層のようだというのであろう。
老母指せば蛇の体の笑うなり 『日常』
この時、兜太師の御母堂は百歳を過ぎていた。百歳を過ぎれば既に人間はまるごと精霊みたいなもの。動物はもともと精霊みたいなものだから、精霊仲間が響き合っているといった感じである。
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ 『日常』
昔の女性はこのように容易く分娩したと聞くことがある。何かがとても自然だったのかもしれない。また、句は作者自身の態度の表明としても気持ちのよいものがある。自分自身をうんこのような存在であると感じている、そのことが気持ち良いのである。うんこというものは「俺はうんこだ」と威張れるようなものではないし、しかしどこか温かくて憎めないような存在感があり、畑の肥しにもなる。謙遜ぶって言う「自分は塵芥のようなものです」などという言葉のような嫌みがなく、ある意味では堂々と自分を主張している。しかもこれは自分がそのように選んだものではなく、母親がそう産んだのであるという客観的事実の表明である。自意識の強い私にとっては座右の銘にしておきたいような一句である。
母逝きて風雲枯木なべて美し 『日常』
〈母百四歳にて他界 六句〉と前書のある一句目。天寿を存分に全うした母の死である。そのことがこのような大きな美しい心情になり得させたのかもしれないが、常日頃〈生も有情死も有情〉というような心持ちが無ければなかなかこうは書けない。
母逝きて与太な倅の鼻光る 『日常』
〈同〉二句目。風雲枯木なべて美し。しかし、涙は自然に出てきてしまうのである。涙は涙なりの自然で真正な生を全うしているのである。涙という言葉を使わないで「鼻光る」と書いたり、自分のことを「与太な倅」とつき放して書いている態度には見習うべきものがある。
母の歯か椿の下の霜柱 『日常』
〈同〉六句目。情とユーモア、そして或る世界観。
この連作は大きな自然観の中で母の死と我とが客観的に見つめられていると思うのであるが、それは生前母との関わりが付かず離れずバランスがとれていたということの結果なのでもあろうし、自分自身も含めてあらゆる物事に対して付かず離れずの客観的視点を持ちえている兜太の資質の故ではないだろうか。幼い頃に実母と死に別れ継母との軋轢の中で生きた小林一茶の「亡き母や海見る度に見る度に」や、幼い頃に母が自殺してしまった山頭火の「うどん供へて、母よ、わたしもいただきまする」などの句を関連して思っているが、いずれにしても母との関係というものは、その人の生の在り方と密接に関係しているのではないだろうか。
0コメント