金子兜太作品鑑賞 ⑩

https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/mominoie/KANEKOTOUTASAKUHINKANSHOU/SAKUHINKANSHOU.10.html 【金子兜太作品鑑賞  十】  より

  霧の村石を投(ほ)うらば父母散らん      『蜿蜿』

 人間が生長して自立した自由な大人になる過程で、親との決着が如何についているかということは重要なことである。依存であっても、反撥であっても駄目であろう。親も一人の弱い人間に過ぎない、と見做せるかどうかである。この句はその辺りの心理を描いたものに思えてならない。親というものも、石を投うれば散っていってしまうような頼りないものに思える、というようなことである。そしてニュアンスとして、作者には〈石を投うれば父母は散るだろうけれど、私は投うらない〉という心理が感じられる。その辺りの微妙に自分を律しているところに、作者の、自由に生きるという事はどういうことかという把握がある気がする。また、社会そのものも実に曖昧模糊としたものだという感じ方が「霧の村」という言い方に内在されているのではないだろうか。

  嫁ぐ妹と蛙田を越え鉄路を越え        『少年』

 共に歩いてゆく妹との情感の共有が感じられる。〈共に歩いた〉という場面は人間関係の中でも特に懐かしく思いだされる場面の一つなのではなかろうか。私自身にもそのような懐かしい記憶とともに思いだす友人がある。映画「スタンドバイミー」でも少年たちが長い鉄路を歩いて行くシーンが印象的であり、映画の筋そのものは忘れてしまったがそのシーンだけが、ベン・E・キングの歌うあの主題歌とともに記憶に残っている。斎藤茂吉の「足乳根の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの」なども思い出される。

  祖父恋し野を焼く子等と共に駈け       『少年』

 情感とともに流れてゆく映像が見える。私の中では、その映像とともにスメタナの「モルダウ」の旋律が流れてくる。おそらく、二十年くらい前に観た映画「次郎物語」の雰囲気やシーンが重なってくるからである。この映画のBGMがスメタナの「モルダウ」だったのである。このBGMは映画の主題歌でもあり、さだまさしが歌詞を付けて歌っていた。それは「・・せつないことがあったなら、大きく叫んで雲を呼べ・・苦しい時こそ意地を張れ・・そして男は大きな河になれ・・」というような歌詞であった。私はある句が、好きな音楽と結びつくと、より忘れられない句となるようである。

 ちなみに「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」にはバッハのシャコンヌが深い部分で直接的に結びついている。

  一生怠けて暮した祖父の柿の秋        『日常』

 「一生怠けて暮した祖父」を肯定している雰囲気がある。「柿の秋」という言葉から肯定的な感じを受けないわけにはいかない。この祖父が前句の祖父であるとしたら、おそらく兜太はこの祖父が大好きだ。私もこの句が好きだ。

  みな貧しく鶴渡りしと祖父の話        『日常』

 私が貧乏だからというのでもなく、貧乏を価値あるものとするのでもないが、何故だかこの句に涙が出てくる。この涙の要点は「みな貧しく」の「みな」にあるような気がする。貧しくても、それが「みな」であるから、心穏やかで、大事なものを見失わずに暮せた時代だったのではないだろうか。

 これから友人、知人、遠類の句を取り上げたいと思うが、友人知人等に対する心情は、その人の死に際して、よく表現されると思うので、追悼句を取り上げる。

  落書地蔵も麦野も無慚に友死なしめ      『少年』

 〈堀徹死す〉と前書。激しく友を奪った運命への無念を叩きつけている。生を愛し死を憎むストレートな若さがある。

  

  死者は丘夜明けの鳥ら声をまき        『蜿蜿』

 〈岑伸六死去 五句〉の二句目。死者は丘だ。丘のように確と在る。夜明けの鳥たちが声を撒いているが、あれは死者を弔っているのだろうか。むしろ生き残っている者たちを弔っているようにも聞える。この前書のある句の三句目は「カーテンに松浮き一ひらの生者たち」であるが、生きている者の存在がいかにもふわふわとした影のようであり、死者のほうが確とした存在に思えてくる。自分にとって関係の深かった人が死んだ時、心理的に暫くその人と共に行くという現象がある。その時には生き残っている者が影のように見える。

  芸妓駆け来て屍(かばね)にすがる菜の花明り  『両神』

 〈伯母とき他界〉と前書。ときさんの人柄が偲ばれる。この芸妓さんの直情的行為が美しい。うわべの付き合いではない真の心の通いあいが、ときさんとこの芸妓の間にはあったのだと思い、人間の演じているドラマも捨てたものではないと思う。「菜の花明り」がこのドラマを演出して美しい。

  新聞全面落花の写真葦男亡し          『両神』

 〈堀葦男他界〉と前書。「新聞全面落花の写真」と「葦男亡し」という二つの事柄の出会いの美しさである。この堀葦男という人の存在が作者にとっていかに大きかったかという暗示も含まれるし、その死を悼みながらも、その生全体を祝福しているという大きな視点も感じられる。

  第一級の寒波です能登の酒いかが      『東国抄』

 〈悼杉森久英先生 三句〉の三句目。「第一級の寒波」と「能登の酒」の配合。そしてその語りかけの語調の心情の厚さ。私には、墓石の前で酒をその墓石に注いでいる作者の姿が見えてくる。

  甲子男亡しといえば螢の瞬きぬ        『東国抄』

 〈悼奥山甲子男 三句〉の三句目。

  仁太郎亡し正直一徹の根榾め         『日常』

 〈山本仁太郎他界 二句〉の二句目。

 追悼句というものは、亡くなられた方を知っている場合にはより親しく鑑賞できる気がする。この二句の場合、私はお二人を知っているので、とてもよく解る気がするのである。知っているといっても、一度だけ海程の全国大会でお見かけしただけで会話を交したこともないのであるが、その印象は私に残っている。自慢するわけではないが、私の直感はかなり当る。兜太師の場合も、その句はもちろんのこと殆ど何も知らなかったのであるが、一度テレビでお見かけして、師とするならこの人だと決めてしまって、結果として全く間違いがなかった。この句のお二人とも気取らない、威張らない、土臭いといえるお人柄であったと、しみじみと偲んでいる。

  いじわるな叔母逝き母に虎落笛       『日常』

 この句は厳密な意味では追悼句ではないかもしれないが、広い意味では追悼の意が感じられる。母にいじわるであった叔母が死んだ。しかし、母の心は虎落笛が鳴る時のような心境であるというのである。そのように作者は母の気持ちを察しているわけである。どのような在り方の人間でも、その生には価値があるということがほのめかされている気がする。

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