桜と美と死

https://gakuen.koka.ac.jp/archives/635 【散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛和尚)】 より

今月の言葉は、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている歌です。意味は、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと。」というように受け取れます。要するに限られた「いのち」です。

皆さん少し平生を振り返って考えてみましょう。今の世の中は色々悩み事が多くあります。仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のこと等、幸せな事より悩み事の方が多く重たくのし掛かっている毎日ではないでしょうか。

しかし、物事にはすべて結果があることは言うまでもありません。無常にも時間は止めることができません。ならばどう時間を過ごすのかを考えること。 即ち、限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでを如何に充実したものにし、悔いの残らないようにすることが大事だと思います。

また、この良寛和尚の句から親鸞聖人が得度をされる時にお詠みになられたと伝えられる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を連想させられます。「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」とそのような心境で親鸞聖人は慈鎮和尚に得度を願われたことと思います。

この二つの歌から伺えることは、今生きている命を「如何に生きるか」ということではないでしょうか。自分自身が積み重ねてきた過去の経験(苦しみや楽しみ)を現在に生かし、そして未来につなげていくことができるのは、自分一人の力ではありません。いろいろな人に支えられているからこそ実現できるのです。

そのことに気付き、そして感謝の気持ちを持って日々充実した生活を過ごさせていただくことが私たちの使命なのではないでしょうか。(宗)


https://ameblo.jp/ryusenin-himeji/entry-12666073305.html 【桜と美と死】 より

明日ありと思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 親鸞上人

つい3日前まで満開の桜で、参道からは姫路城の望むことが出来、コロナ禍においても「花見日和」でした.

しかし、一昨日の雨で、桜もかなり散り、道路には桜の花びらの絨毯ができています。

桜の花びらがひらひらと舞い落ちる様は、日本人の美意識をくすぐりますが、「花が散ること」や「葉が落ちる」は「死」と結び付けられて考えることも多くあります。

このことは洋の東西を問わないようで、O.ヘンリーの著作「最後の一葉」にも一枚の葉が命を暗示させるものとして出てきます。

中でも特に桜は「花は桜木、人は武士」と言われるように桜自体が「美」と「死」に関連付けて考えるられることもあります。「武士道は死ぬことと見つけたり」と『葉隠』にも書かれていますし、梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体 ( したい ) が埋まっている」と小説に書いていたりします。

「美」の作家の代表といえば、三島由紀夫や川端康成が思い浮かびますが、彼らの小説の中でも「死」は大きなテーマとして登場します。実際に三島は、割腹自殺という「死」によって「美」を完結させたといえるかもしれません。

もちろんのことながら決して死ぬこと良いことではなく、私とはも避けたいものですし、普通は忌み嫌われるものです。

しかしお釈迦様が説かれた人間の根本的な4つの苦しみの「生老病死」の一つである「死」は誰もが避けられないことであり、かつ必ずしも誰もが「平均寿命」まで生きるとは限らないのも事実です。

冒頭に挙げた、親鸞上人の言葉は桜をたとえとして、私たち人間の現実を説かれています。

明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい マハトマ・ガンジー

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか?」という疑問も沸き立つのですが、私はこう思います。

「どうせ死ぬのだから今日一日を精一杯生きる」その疑問には人それぞれに答えがあって良いと思います。

せっかくいただいた命。日々の中でを健康に気をつけ、また日々が充実したものでありたいものです。


https://ameblo.jp/ryusenin-himeji/entry-12666050156.html 【桜と愛別離苦】 より

はなにあらしのたとえもあるぞ 「サヨナラ」だけが人生だ 井伏鱒二

早くも4月に入り、当山の桜の木も満開になってしばらく経ちました。

満開の桜を見ていると、冒頭に挙げた井伏鱒二の言葉が浮かびます。

私は、この言葉を寺山修司のオリジナルだと思っていましたが、調べてみると井伏鱒二が漢詩を和訳したものでした。

唐代の、于武陵(うぶりょう)の五言絶句を井伏鱒二はユーモアあふれる翻訳をしています。

勧酒

君に勧む 金屈巵(きんくつし) 満酌 辞するを須(もち)いず

花発けば 風雨多し 人生 別離足たる

この翻訳にあたっては、井伏鱒二の前で林芙美子が語った言葉

「人生ってさよならだらけね」からインスピレーションを得たと言われていますが、それにしても何も照れくさい中には、「格好をつけた」言葉は心に残ります。

仏教の教えでも

愛別離苦(あいべつりく)という苦しみを人間は背負っています。

これは、愛する人とも必ず別れる日がやってくるという真理を表したものです。

今年の桜もやがて散る日がやってきます。

咲く花も美しいが、散る花もまた美しい。これも日本の人らしい情緒だと思います。

ちなみに、この井伏鱒二の訳詩は『厄除け詩集』という詩集に収録されています。

このコロナ禍、第4波。本を片手に静かな山寺の桜の下で「厄除読書」をしてみるのも良いかもしれません。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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