https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946644743&owner_id=7184021&org_id=1946679366 【山頭火の日記(昭和12年1月1日~、其中日記十)】より
『其中日記』(十)
自戒三則
一、物を粗末にしないこと
一、腹を立てないこと
一、愚痴をいはないこと
誓願三章
一、無理をしないこと
一、後悔しないこと
一、自己に佞らないこと
欣求三条
一、勉強すること
一、観照すること
一、句作すること
【其中日記(十)】
『其中日記』(十)には、昭和12年1月1日から昭和12年7月31日までの日記が収載されています。ここに、「自戒三則」「誓願三章」「欣求三条」があります。
一月一日 晴――曇。
明けましておめでたう。九時帰庵、独酌。賀状とりどり。午後、樹明居へ、御馳走になる、来客数人、なかなか賑やかであつたが、うるさくもあつた。留守中、敬君来庵、すみませんでした。うたた寝、覚めると暮れてゐた。酒もうまいが餅もうまい、飯もありがたいが水もありがたい。夜おそく八幡連中来庵、星城子、鏡子、井上、杉山さんの四人。豚を鋤焼して飲む、ごろ寝したのは三時を過ぎてゐたらう。
【昭和十二年元旦】
山頭火の句集『草木塔』に、「昭和十二年元旦」の前書きがあり、「今日から新らしいカレンダーの日の丸」の句があります。
一月廿五日 時雨。
水底の魚のやうに自己にひそんでゐた。――食べる物がなくなつた、――何もかも無くなつた。Kから手紙が来ないのが気にかゝる、この気持はなかなか複雑だが。空腹が私に句を作らせる、近来めづらしくも十余句! 夜、食べたくて飲みたくて街へ出かける、M屋で酒二杯、M店でまた二杯、そしてS屋でうどん二杯、おまけにうどん玉を借りて戻る。……十三夜の月があかるかつた、私はうれしかつた。
月が酒がからだいつぱいのよろこび
お酒のおかげでぐつすりと寝た。人間は生れて最初が食慾で、そして老いて最後が食慾だ。貧乏は反省をよびおこす。食べるものも無くなると、本来の自分があらはれる。
【月が酒がからだいつぱいのよろこび】
この日の日記に、「月が酒がからだいつぱいのよろこび」の句があります。山口市喜川宮の原の金光酒造駐車場と防府市協和町の協和発酵工場正門前に、この句碑があります。
二月廿日 晴、そして曇。
春寒、氷が薄く張つて小鳥が囀づる。食べる物がなくなつたので梅茶ですます、それもよからう、とかく飲みすぎ食べすぎる胃腸を浄めるためにも、また、貪りたがる心をしづめるためにも。それにしても食慾の正確さは! 胃袋の正直さは! 出かけて米を借りて戻る(樹明君に泣きつかないのは私の良心の名残だ)、すぐ炊いて食べる。ほろよひ人生か、へべれけ人生か、――私は時々泥酔しないと生きてゐられない人間だ!
椿赤く酔へばますます赤し
(梅の白さよりも椿の赤いのが今の私にはほんたうだ)
曇つて寒く、山の鴉が啼く、さびしいな。街へ出かけて、白米を借りて戻る、さつそく炊いて食べる、わびしいな。六日ぶりの酒、十一日ぶりの入浴。学校に寄つて新聞を読ませてもらふ、樹明君にはわざと逢はなかつた。今日はだいぶ歩いたので、足が痛い、頭が重い。
或る友への消息に
先日来、私は足部神経痛で、多少の起居不自由を感じます、いつそ歩行不随意になればよいと思ひます、さうなれば、しぜんしようことなしに身心が落ちつきませう。……
【椿赤く酔へばますます赤し】
この日の日記に、「椿赤く酔へばますます赤し」の句があります。山頭火は椿が好きだったようで、椿の句をよく作っています。別に、「椿のおちてゐるあほげば咲いてゐる」の句などもあります。花は、人の世をどのように生きる者にも、全く分け隔てをすることはありません。山頭火は、それがうれしかったのです。
三月八日 晴――曇。
沈欝たへがたし。Nさん来訪、同道して山口へ。二人の無用人! Mさんのところで少し借り、それから飲み歩く、九州へ渡れるだけは残して。門司駅の待合室で夜明かし、岔水君を訪ねて小遣をせびり、黎坊に送られて八幡へ。
【九州への旅】
山頭火は庵中独坐に堪えかねて、3月8日から25日まで九州をあちこちと歩いています。このころに、「葦の穂風の行きたい方へ行く」の句があります。
三月十九日 雨。
雀、鶯、草、雲。……愛憎なし恩怨なし、そしてそして、――愚! 若松へ、多君を煩はして熊本へ。
逢うて別れてさくらのつぼみ
いつまた逢へるやら雀のおしやべり
熊本駅で一夜を明かす。
【逢うて別れてさくらのつぼみ】
この日の日記に、「逢うて別れてさくらのつぼみ」の句があります。前々日には、息子・建の新婚家庭を訪ねています。前々日3月17日の日記に、「初めてSに面会する、まことに異様な初対面ではあつた! 父父たらずして子子たり、悩ましいかな苦しいかな」の記述があります。新婚生活で何かと物入りの多い息子・建から、月々送金させている山頭火の不心得を強く妻・サキノに戒められています。息子・建は、秋田鉱専を出て、しばらくは日鉄二瀬に勤め、その後は満州に渡りますが、山頭火の身体の弱ったのを心配し、「月々の米塩代だけは、どんなにしても送ってあげます」と申し出て、実行してくれていました。この句と木村緑平の句「聴診器耳からはづし風の音きいてゐる」の句が裏表に刻まれた句碑が、木村緑平旧居跡の坂下にあります。
四月六日
憂欝たへがたかつた、立つても居てもたへきれないものがあつた。……Nさん来訪、いつしよに散歩、そして酒、酒、酒、みだれてあばれた。―まつたく酔狂だ、虎でなく狼だ。
【酒乱】
この日の翌日には、「身心バラバラだ、夢とも現とも何ともいへない気分だ」の言葉が日記に記されています。この前後から、山頭火の酒は乱れ始めます。もっとも、まっとうな人間から比べれば以前から乱れてはいたのですが、それがさらに乱れ始めるのです。
七月三十一日 晴。
どうやら晴れさうな、人も樹木もよろこびうごく。貧乏はつらいかな、銭がないために、人間はどんなに悩み苦しむことか。――この寂しさはどうしたのだらう! 塩と胡瓜とを味ふ、塩はありがたい、それをこしらへてくれる人に感謝する、胡瓜はうまい、それを惜しみなくめぐんでくれる自然に感謝する。モウパツサン短篇集を読む、モウパツサンはわるくないと思ふ、チヱーホフほど親しくは感じないけれど。先月はあれほど緊縮して暮らした、今月もこれほどつましく生活費を切り詰めた、しかし赤字つづきである(もつともちよいちよい一杯ひつかけるから、それが浪費といへばいへるけれど、私にあつては、酒は米につぐ生活必需品である!)。かうして生きてゐてどうなるのか、どうすればよいのか、今更のやうに、自分の無能無力が悲しかつた、腹立たしい。乞食になりきれない弱さ、働いて食べる意力のないみじめさ。
改めて書き遺すこと
丈草
性くるしみ学ぶ事を好まず、感ありて吟じ、
人ありて談じ、常はこの事打わすれたる如し。
(去来、丈草誄)
春雨やぬけ出た儘の夜着の穴
大原や蝶の出て舞ふ朧月
鶯や茶の木畠の朝月夜
白雨に走り下るや竹の蟻
時鳥啼くや湖水のささ濁り
行秋や梢にかかる鉋屑
蜻蛉の来ては蠅とる笠の中(旅中)
虫の音の中に咳き出す寝覚かな
幾人か時雨かけぬく瀬田の橋
ほこほこと朝日さしこむ火燵かな
水底の岩に落つく木の葉かな
物かけて寝よとや裾のきりぎりす
連のある処へ掃くぞ蟋蟀
淋しさの底ぬけて降る霙哉
交は紙衣のきれを譲りけり(貧交)
はせを翁の病床に侍りて
うづくまる薬の下の寒さかな
朝霜や茶湯の後のくすり鍋(無名庵)
宗長、三井寺にて
夕月夜うみ少しある木の間かな
俳諧勧進帳 奉加乞食路通
いねいねと人にいはれつ年の暮
草臥て烏行くなり雪ぐもり
草枕虻を押へて寝覚めけり
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946679366&owner_id=7184021&org_id=1946707951 【山頭火の日記(昭和12年8月1日~、其中日記十一)】 より
『其中日記』(十一)
自省自戒
節度ある生活、省みて疚しくない生活、悔のない生活。
孤独に落ちつけ。――
物事を考へるはよろしい、考へなければならない、しかしクヨクヨするなかれ。
貧乏に敗けるな。――
物を粗末にしないことは尊い、しかも、ケチケチすることはみじめである、卑しくなるな。
酒を味へ。――
うまいと思ふかぎりは飲め、酔ひたいと思うて飲むのは嘘である。
水の流れるやうに、雲の行くやうに、咲いて枯れる雑草のやうに。
自然観賞、人生観照、時代認識、自己把握、沈潜思索、読書鑑賞。
句作、作つた句でなくして生れた句、空の句。
『身に反みて誠あれば楽これより大なるはなし』(孟子)
八月一日 晴。
早起して散歩した、夏山の朝のよろしさ。省みて恥多く悔多し。借金ほど嫌なものはない、その嫌なものから、私はいつまでも離れることが出来ない。午後また散歩、W店でまた一杯。暑い暑い、うまいうまい、ありがたいありがたい。モウパツサンを読む、彼の不幸を思ふ。
【其中日記(十一)】
『其中日記』(十一)には、昭和12年8月1日から昭和12年12月31日までの日記が収載されています。
【第五句集『柿の葉』刊行】
山頭火は、昭和12年8月5日に第五句集『柿の葉』を刊行しています。冒頭に、「天われを殺さずして詩を作らしむ われ生きて詩を作らむ われみづからのまことなる詩を」とあります。歩くことが行ずること、と歩き、歩くなかからこぼれる言葉が詩となりました。
九月十一日 曇。
身辺整理。人間を再認識すべく市井の中へ飛びこむ覚悟を固める、恐らくは私の最後のあがきであらう。五時の汽車で、樹明君と共に下関へ、――嬉しいやうな、悲しいやうな、淋しいやうな、切ない気持だつた。七時すぎ下関着、雨が降るのでタクシーで、N家へ行く、ここで私は人間を観やうとするのである。老主人といつしよに飲む、第一印象はよくもなかつたがわるくもなかつた。私は急転直下した、山から市井へ、草の中から人間の巷へ。……樹明君と枕をならべて寝る、君は間もなく寝入つたが、私はいつまでも眠れなかつた、万感交々至るとは今夜の私の胸中だ。
【山頭火が就職】
この日の日記に、「人間を再認識すべく市井の中へ飛びこむ覚悟を固める、恐らくは私の最後のあがきであらう」とあります。法衣を捨てて、菜っ葉服にゴム長の労働者へと転身します。
九月十二日 曇。
朝早く起きる、新生活の第一日である。三人同道して彦島へ渡る、材木の受渡方計算法を教へて貰ふ、それから門司へ渡つてM会社のU氏に紹介される、何もかも昨日と今日とは正反対だ。夜、樹明君を駅に見送る、当分逢へまい、切ない別離だつた(樹明君も同様だつたらしい)。
【就職の翌日】
この日の日記に、「三人同道して彦島へ渡る、材木の受渡方計算法を教へて貰ふ、それから門司へ渡つてM会社のU氏に紹介される」とあります。
九月十三日 晴。
主人について彦島へ行き、材木の陸揚を手伝ふ。算盤の響だ、まつたく六十の手習! 嫌な家庭だ(家庭とはいへない家庭だ)、夫、妻、子、孫、みんなラツフでエゴイストで、見聞するにたへない場面の連続だ。街を歩いてゐたら、ヅケを見せつけられた、あそこまで落ちてしまつたら、どんなに人間もラクな動物だらう。いたるところ戦時気分がただようてゐる。月がよかつた。
【材木の陸揚を手伝う】
この日の日記には、「主人について彦島へ行き、材木の陸揚を手伝ふ。算盤の響だ、まつたく六十の手習!」とあります。それにしてもこんな不向きな仕事を、樹明はなぜ斡旋したのでしょうか。考えてみれば、山頭火をまともに雇う会社はありません。かつて樹明も勤めたことがあった職場だから顔をきかしたようです。それにしても、どこからみても無理があります。それでもあえてことを実行した裏には、山頭火を支える側の樹明にも窮乏生活があったと思われます。それに加え、押し寄せてくる戦時下の精神的圧迫感に堪えかねて、就職を一時避難の場所にしたのではないでしょうか。
九月十五日 晴。
未明起床、主人仲仕連中といつしよに本船へ出かける、北海道松を受取るのである、慣れない船上徃来には閉口した。菜葉服にゴム靴、自分ながら苦笑しないではゐられない。昨日も今日も樹明君の友情に感泣する、それはありがたいともありがたい手紙であつた。酒を飲まないでよく睡ることが出来た。
【職場を放棄】
この日の日記に、「慣れない船上徃来には閉口した。菜葉服にゴム靴、自分ながら苦笑しないではゐられない」とあり、さらに翌日の日記に、「夕方たうとうカンシヤクバクハツ、サヨナラをする、サツパリした」とあります。山頭火は、職場を放棄して逃げ出しています。
十月廿二日 晴れきつて雲のかけらもない、午後は少し曇つたが。
――戦争は、私のやうなものにも、心理的にまた経済的にこたえる、私は所詮、無能無力で、積極的に生産的に働くことは出来ないから、せめて消極的にでも、自己を正しうし、愚を守らう、酒も出来るだけ慎んで、精一杯詩作しよう、――それが私の奉公である。ぢつとしてはをれないほどの好天気である、そこらをぶらぶら歩いて、学校に寄り新聞を読んで戻つた。戦争の記事はいたましくもいさましい、私は読んで興奮するよりも、読んでゐるうちに涙ぐましくなり遣りきれなくなる。……O主人が頼んで置いた松茸を持つて来て下さつた、早速、二包に荷造りして発送する、一つは緑平老へ、一つは澄太君へ(両君も喜んでくれるだらうが私も嬉しい)。裏山逍遙、秋いよいよいよ深し。松茸を焼いて食べ煮て食べる、うまいな、うまいな。夜、久しぶりに暮羊君来庵、餅を焼き渋茶を沸かして暫らく話す、近々一杯やらうといふ相談がまとまる。今夜もよい月夜だつた、しづかに読みしづかに寝る。
【其中庵を捨てるきっかけ】
この日の日記に、「戦争は、私のやうなものにも、心理的にまた経済的にこたえる、私は所詮、無能無力で、積極的に生産的に働くことは出来ないから、せめて消極的にでも、自己を正しうし、愚を守らう、酒も出来るだけ慎んで、精一杯詩作しよう、――それが私の奉公である。ぢつとしてはをれないほどの好天気である、そこらをぶらぶら歩いて、学校に寄り新聞を読んで戻つた。戦争の記事はいたましくもいさましい、私は読んで興奮するよりも、読んでゐるうちに涙ぐましくなり遣りきれなくなる」とあります。緊迫する戦局下で、山頭火は山頭火なりに悩んでいました。それがやがては、其中庵を捨てるきっかけとなります。いすれにしても、草庵の生活は時局にそぐわない、いや目立ちすぎたのです。山頭火は、山中深く入って独死するか、市井に紛れて隠者として暮らすか、の二者択一にせまられます。
十一月廿日 晴。
空も私もしぐれる。――茶の実を採る、アメリカの友に贈るべく。――私は躓いた、傷いた、そして、しかも、新らしい歩みを踏み出したのである(その歩みが溌剌颯爽たるものでないことはあたりまへだ)。――読書、私には読書が何よりもうれしくよろしい、趣味としても、また教養としても、私は読書におちつかう。信濃の松郎君から頂戴した蕎麦粉を掻いて味ふ、信濃の風物がほうふつとしてうかんでくる。午後、ポストまで散歩、このごろの散歩は楽しい。寝苦しかつた。
自問自答(一)
――自殺について――
死ねるか。
死ねる。
いつでも死ねるか。
いつでも。――
死にたいか。
死にたいといふよりも生きてゐたくないと思ふ。
どうして?
性格破産の苦悩に堪へきれないのだ。
古くさいな!
古い新らしいは問題ぢやない、ウソかホントウか、それが問題だ。
それもよからう。
……ウソがホントウになり、ホントウがウソになる。
私の生活はメチヤクチヤだ。
それで。――
生活難ぢやない、生存難だ、いや、存在難だ! 生きる死ぬるの問題以前の
問題だ。
【自問自答(一)】
この日の日記に、「自問自答(一)――自殺について――」があります。
十一月廿四日 曇。
寝苦しかつた夜が明けて陰欝な日が来た。身心整理。――みそさざいが寒さうに啼く、その声は私の声ではあるまいか、私の句はその声のやうなものだらう。裏山逍遙、ああ山は美しいと讃嘆しないではゐられなかつた、山はほんたうに美しく装ひしてゐる。此頃は毎朝、有明の月がさやかである、その月を仰いで、私は昨夜見た夢を恥づかしく思つた。
自問自答(二)
――(生死について)――
『生死を超越したる生死』
――所詮、無能無力、そして我がまま気まま、これでは苦しむのがあたりまへでせう、みんな身から出た錆で、どうしようもありません、人生は苦悩の連続ですね。――
緑平、澄太、比古君に――
――辛うじて非国民非人間の泥沼から立ちあがることが出来ました、前 後截断、余生をつつましくうつくしく生きぬく覚悟であります、既徃重々の悪業、改めて謝罪いたします。
百舌鳥するどく
酔ひざめの身ぬちをつらぬく
【自問自答(二)】
この日の日記に、「自問自答(二)――生死について――」があります。
十二月卅一日 曇。
名残の雪でも降りだしさうな。街へ、すぐ戻つた。蕎麦を食べ、一本傾けた。
昭和十二年を送る
ことしもここにけふぎりの米五升
ことしもをはりの虫がまつくろ
自己を省みて
新古今集より
窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねのゆめ
式子内親王朗詠――風生竹夜窓間臥
道のべに清水流るる柳蔭しばしとてこそ立ちとまりつれ 西行法師
夕づく日さすや庵りの柴の戸に寂しくもあるかひぐらしの声 前大納言忠良
さびしさに堪へたる人の又もあれないほりならべむ冬の山里 西行法師
かりそめの別れと今日を思へども今やまことの旅にもあるらむ 俊恵法師
あけばまた越ゆべき山の峯なれや空ゆく月の末の白雲 藤原家隆
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさよの中山 西行法師
遙かなる岩のはざまにひとりゐて人目おもはで物思はばや 〃
ながめわびそれとはなしに物ぞ思ふ雲のはたての夕ぐれの空 藤原通光
鈴鹿山うきことよそにふりすてていかになりゆくわが身なるらむ 西行法師
風に靡く富士のけぶりの空に消えてゆくへも知らぬ我が思ひかな 〃
苦しい節季であり、寂しい正月であつたが、今年はトンビを着ることが出来た、Iさんの温情を、Kが活かしてくれたのである、ありがたいことである。
柿の葉の広告文として、層雲に発表した感想――
句作三十年、俳句はほんたうにむつかしいと思ふ。俳句は自然のままがよい、自己をいつはらないことである、よくてもわるくても、自分をあるじとする句でなければならない。私はこの境地におちついて、かへりみてやましくない句を作りたい。私の句集は、私にあつては、私自身で積みかさねる墓標に外ならない。
子に与へる句集
父らしくない父が子らしい子に与へる句集
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