https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946707951&owner_id=7184021&org_id=1946735665 【山頭火の日記(昭和13年1月1日~、其中日記十二)】 より
『其中日記』(十二)
知足安分。
他ノ短ヲ語ル勿レ。
己ノ長ヲ説ク勿レ。
応無所住而生其心。
独慎、俯仰天地に愧ぢず。
色即是空、空即是色。
誠ハ天ノ道ナリ、コレヲ誠ニスルハ人ノ道ナリ。
一月一日 晴――曇、時雨。
午前中は晴れてあたたかだつたが、午後は曇つて、時雨が枯草に冷たい音を立てたりした。
――別事なし、つつましくおだやかな元日であつた(それが私にはふさはしい)。賀状いろいろ、今年は少い、緑平老よ、ありがたう、独酌のよろしさ(鰯の頭をしやぶりながら!)。餅もある、餅のうまさが酒のうまさを凌がうとする。終日、独坐無言。――
【其中日記(十二)】
『其中日記』(十二)には、昭和13年1月1日から昭和13年3月11日までの日記が収載されています。
三月六日 曇、をりをり雨。
地久節。亡母四十七年忌、かなしい、さびしい供養、彼女は定めて、(月並の文句でいへば)草葉の蔭で、私のために泣いてゐるだらう! 今日は仏前に供へたうどんを頂戴したけれど、絶食四日で、さすがの私も少々ひよろひよろする、独坐にたへかね横臥して読書思索。万葉集を味ひ、井月句集を読む、おお井月よ。家のまはりで空気銃の音が絶えない、若者たちよ、無益の殺生をしなさるなよ。どうしたのか、今朝は新聞が来ない、今日そのものが来ないやうな気がする。ほんたうに好い季節、障子を開け放つて眺める。蜘蛛が這ふ、蚊が飛ぶ、あまり温かいので。裏山で最初の笹鳴を聴いた。夜は雨風になつた、さびしかつた、寝苦しかつた。いよいよアブラが切れてしまつた! いつとなく、ぐつすり睡つた。
(序詩)
天、我を殺さずして詩を作らしむ
我生きて詩を作らむ
まことの詩、我みづからの詩
天そのものの詩を作らむ――作らざるべからず
(逍遙遊)
ほんたうの人間は行きつまる
行きつまつたところに
新らしい世界がひらける
なげくな、さわぐな、おぼるるな
(旅で拾ふ)
のんびり生きたい
ゆつくり歩かう
おいしさうな草の実
一ついただくよ、ありがたう
【亡母四十七年忌】
この日の日記に、山頭火は「今日は仏前に供へたうどんを頂戴したけれど、絶食四日で、さすがの私も少々ひよろひよろする、独坐にたへかね横臥して読書思索」云々とあります。また句集『草木塔』に、「うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする」があります。山頭火の一生は、愛に縁のない一生でした。父は妾を何人もつくって何日も家をあけ母との関係は悪くなるばかり、ついに母は家の井戸に身を投げるという最悪の結果になりました。幼い山頭火にはどれだけの心痛を与えたでしょう。それどころか山頭火はその痛みを生涯引きずり、自分でも愛情豊かな家庭を築けないまま放浪することになってしまいます。いかに幼少期の経験が人の一生を左右する、それどころか山頭火はその痛みを生涯引きずり、自分でも愛情豊かな家庭を築けないまま放浪することになってしまいます。
山頭火は一時期、川棚温泉に身を落ち着けようと試みますが諸処の事情でかなわなくなります。話がなくなってしまう前に、かつての妻・咲野から小包が山頭火のもとに届きます。その中に母の位牌があり、供えるものを探してみたものの行乞の身にはなにもなく、やっとみつけたうどん一束をみつけ、煮て位牌の前に置く山頭火、母へ、咲野へ、懺悔と感謝の複雑な感情を胸に秘めています。
【俳人・井月】
また日記に、「万葉集を味ひ、井月句集を読む、おお井月よ」とあります。山頭火日記の「昭和5年8月2日」の項に、次のようにあります。
「八月二日 樹明兄が借して下さつた『井月全集』を読む、よい本だつた、今までに読んでゐなければならない本だった、井月の墓は好きだ、書はほんとうにうまい。」
山頭火は、昭和14年5月3日に井月の墓に参拝しています。
三月十一日 晴――曇。
今日は出立するつもりだつたが、天候もはつきりしないし、胃腸のぐあいもよくないので静養した。旅、旅、旅、――私を救ふものは旅だ、旅の外にはない、旅をしてゐると、人間、詩、自然がよく解る。さびしくもうれしい旅、かなしくも生きてゐる私! 旅の仕度もすつかり出来た。――(旅へ)
太陽。
空と水。
米と味噌。
炭と油。
本と酒。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946735665&owner_id=7184021&org_id=1946762801 【山頭火の日記(昭和13年3月12日~、道中記)】より
『道中記』
三月十二日 晴、春寒、笹鳴、そして出立――八幡。
昨夜は夜通し眠れなかつた、出立前に、アメリカ同人の贈物ポピーを播いてをく! 今朝の誓願、今後は焼酎を飲むまいぞ、総じて火酒は私に向かない、火酒を飲んでロクな事があつたタメシがない、火酒は地獄の使だ! やつとこさで、九時の汽車に乗れた、やれやれ、今日の新聞は車内で読ませて貰つた。十一時、関門海峡を渡る。――急いで、日本銀行支店の岔水君を訪ふ、岔水君は若い江戸ッ児のよさだけを私にあらはしてくれる、ありがたいことである。黎々火君は出張不在、軽い失望、帰途の希望がある。――一杯また一杯、安い酒、酔はない酒、淋しい酒! 門司駅の待合室で岔水君を待つ、四時、同道して小倉まで。大朝支社参観、深切に案内して下さつた、近代風景を断片的に鑑賞することが出来た、或るおでんやで飲んで話して、別れた。電車で、ほろよひ気分で、暮れ方の鏡子居へとびこむ、客来で、私一人で御馳走になる、さすがにをなごやだけあつて賑やかだ、時々主人公と世間話をしながら、腹いつぱい飲んで食べた、早々ほろほろになつてぐつたりと寝た、感謝々々。好い日であつたが、やつぱり私のその日その日は覚めきらない悪夢の断片といはなければなるない。
朝のひかりへ播いてをいて旅立つ(アメリカポピー会同人に)
食べるもの食べつくしたる旅に出る(自分自身に!)
再録
春風のどこでも死ねるからだであるく(これも自嘲の一句)
述懐、冬去春来
かつえずこごえず冬もほぐれた(別)
戦ひはこれからの大地芽吹きだした
野中の一本いちはやく芽吹いてゐる
梅はさかりの、軍需工業のけむり
たちまち曇り、すぐ晴れて海峡の鴎
門司駅待合室所見
仲よく読んでゐるよこからいやな顔がのぞいて
――綿織物よりも絹織物を! これも非常時の国産奨励。
改作追加一句、峠にて或る日のルンペンと共に
草の上におべんたう分けて食べて右左
【道中記】
『道中記』には、昭和13年3月12日から昭和13年4月30日までの日記が収載されています。
三月十三日 曇、時雨、若松。
朝早く起きてはならないので困つた(夜ふかしの朝寝があたりまへの社会だから)、こつそり抜けだして散歩、時局柄で朝湯もないので、コツプ酒でも呷る外ない、……不用人間の不用時間を持て余した。……身辺整理、アメリカ行の小包をこしらへ手紙を書く。八幡の印象、――中心は何といつても製鉄所の煙突、そして飲食店、職工、何もかもごたごたしてゐる。新聞記事で動かされたもの二つ、――モルガンお雪の帰国と岡田博の母を嘆く言葉。午後、鏡子君に連れられて、徳訪問、よい湯を頂戴した、そして酒と金との功徳も頂戴した。四時頃出立(鏡子君の温情に改めて感謝する)、警察署に星城子君を訪ねたが不在、雲平居は帰途立寄ることにして、電車で戸畑へ。多々桜居で、奥さんのなげきを聴く(多々桜君の病状について)、同情に堪へない、すぐ若松病院へ行く。四階の狭い病室、寝台に横はつたまゝで、附添婆さんから夕飯を食べさせてもらつてゐる多々桜君に逢ふ、顔色は予期したほど悪くないので安心した、二時間あまり話す、私一人がおしやべりしたことである。暮れたけれど月があるので、バスで蘇葉居へいそぐ、折よく在宅、しばらく話したが、何となく身心が落ちつかないので、バスでまた駅まで引返し安宿に泊つた、歩いて飲んで寝た、夜中に臨検があつた。今日は気持のよい娘を三人見た、バスガール、バアガール、そして電車の乗客。誰もが戦闘帽をかぶつてゐる、それも非常気分を反映してゐてわるくはないけれど、おなじ色に塗りつぶされたゞけの世間のすがたはあまりよくはなからう。
――あれは何でせう?(一杯機嫌の私)
――お月さんですよ!(街の若い人)
これは若松に於ける私のナンセンスである。
早春のくだもの店の日かげうつる
波止場所見として
風の中のこぼれ米拾ひあつめては母子
まんぢゆうたべたべ出船の船を見てゐる、寒い
朝の雨の石をぬらすより霽れた
若松へわたし場
ちよいと渡してもらふ早春のさざなみ
多々桜君を病院に見舞うて、病室即事
投げ しは桜のつぼみのとくひらけ
木の実かさなりあうてゆふべのしづけさ
製鉄所遠望
夜どほし燃やす火の燃えてさかる音
途上
かなしい旅だ何といふバスのゆれざまだ
【朝の雨の石をぬらすより霽れた】
この日の日記に、「朝の雨の石をぬらすより霽れた」の句があります。また山頭火の句に、「朝の雨の石をしめすほど」があります。朝の雨が石をしめらすほどに降ったことが、心を慰め、今日もまた、自分らしき生きようとする山頭火への語りかけになっています。
三月十五日 晴、中津。
今日も身辺整理、やうやく文債書債を果してほつとする。十時、お暇して、歩いて伊田へ、伊田から汽車で行橋へ、乗り替へて中津へ。汽車では七曲りの快も味へなかつた、駅でさめざめと泣いてゐた若い女をあはれと思つた。宇平居は数年前のそれだ、お嬢さんがさつそく御馳走して下さる、ありがたかつた。宇平さんは医者としても市民としても忙がしい、忙がしくて病気をする暇もないといふ、結構々々。夜、二丘老来訪、三人でのんきぶりを発揮する。寝苦しかつたが、よい月夜であつた。
中津
街は花見の売出しも近いペンキぬりたて
宇平居
石に水を、春の夜にする
あなたを待つとてまんまるい月の
【あなたを待つとてまんまるい月の】
この日の日記に、「あなたを待つとてまんまるい月の」の句があります。山頭火は何度も中津に訪れています。大分県中津市の東林寺にこの句碑があり、大分県で句碑を建てたのはこの寺が初めてだそうです。
三月十七日 日本晴、宇佐。
一片の雲影もない快さ、朝湯朝酒のうれしさ、いよいよ出発、宇平さん、二丘さん、昧々さん、ありがたう、ありがたう、ありがたう。俳諧乞食業は最初から失敗した! 途中、二三杯ひつかける、歩けなくなつて、宇佐までバス、M屋といふ安宿に泊る、よい宿であつた、深切なのが何よりもうれしい、神宮に参拝して祈願した、神宮は修理中。宇佐風景、丘、白壁、そして宇佐飴を売る店。ふんどし異変、山頭火ナンセンスの一つ、私としては飲み過ぎた祟りであり、田舎の巡査としては威張りたがる癖とでもいはう、とにかく、うるさい世の中だ、笑ひたくて笑へない出来事であつた。
自嘲
旅も春めくもぞもぞ虱がゐるやうな
春のほこりが、こんなに子供を生んでゐる
街をぬけると月がある長い橋がある
宇佐神宮
松から朝日が赤い大鳥居
春霜にあとつけて詣でる
水をへだててをとことをなごと話がつきない
道しるべが読めないかげろふもゆる
たたへて春の水としあふれる
牛をみちづれにうららかな峠一里
放たれて馬は食べる草のなんぼでも
紫雲英や菜の花やふるさとをなくしてしまつた
春風、石をくだいてこなごなにする
うらうらこどもとともにグリコがうまい
今日の日をおさめて山のくつきりと高く
朝月落ちかかる山の芽ぶいて来た
噴水を見てゐる顔ののどかにも
春のおとづれ大鼓たたいて何を売る
ひとり山越えてまた山
【俳諧乞食】
この日の日記に、「俳諧乞食業は最初から失敗した!」とあります。山頭火は、自らを「俳諧乞食」と書いていますが、「ホイトウ(乞食)と呼ばれる村のしぐれかな」の句もあります。行乞の先々でも、しばしば犬に吠えられたり、子供たちから「ホイトウ(乞食)、ホイトウ」とはやしたてられた経験を書いています。しかし、山頭火はそうしたことにそれほど動ずる気配を見せませんでした。服装や持ち物、家の構えや名前の肩書きと、さまざまなもので自分を飾り、自分を自分以上に印象付ける懸命な大方の人間の中で、この点でも、山頭火は不思議なほどの強さを持った人間でした。こうした経験を何度も潜り抜けて、山頭火はしだいに「最も低い姿勢の修禅者、文学者、行乞者」としての実りを収めることができた、といえます。
【たたへて春の水としあふれる】
またこの日の日記に、「たたへて春の水としあふれる」の句があります。山頭火は水が好きでした。酒がなにより好きでしたが、水も、それに劣らぬくらい好きになったと書き、やがては、「酒より水が好きにならねば・・・」とも書いています。
【宇佐神宮】
さらに、「宇佐神宮」とあり「松から朝日が赤い大鳥居」「春霜にあとつけて詣でる」の2句があります。宇佐神宮にこの句碑(御影石製)があり、山頭火の後ろ姿のレリーフが刻まれています。漂白の俳人といわれる種田山頭火は昭和4年阿蘇内の牧で句会を催した後亡母の供養を思い立ち、九州三十三観音巡礼の旅へ出ました。まず阿蘇山に登り、一番札所の英彦山霊泉寺に参り、山国川を下り二番札所三光村長谷寺、三番宇佐の清水寺、四番大楽寺へと歩き、11月24日には宇佐神宮に参拝しています。このときに俳友松垣昩々(まつがきまいまい)や師匠荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)への手紙に句を残しています。
四月廿一日 曇。
沈欝。――散歩、SのSを訪ねる、逢うてよかつたと思ふ、やつぱり血は水よりも濃い! 暮れて戻る、途中またW店に寄つて飲む、酔ひしれてF屋に出かけ、たうとうそこに寝込んでしまつた!
【妹の家】
山頭火はこの時期、妹の家に泊まっています。このころの作品に、「泊まることにしてふるさとの葱坊主」「たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて」の二句があります。
四月卅日 晴。
転一歩。――好晴、好季節、幸にして海のあなたからの好意で湯田へ行くことが出来た、久しぶりにのんびり熱い湯に浸つた、そしてぞんぶんに飲んだ(正味一升は飲んだらしい!)、くたびれてS屋に泊つた。まことによい一日一夜であつた、Kさんにあつくお礼を申上げる。――幸福とは幸福と思ふことそのこと、不幸とは不幸と思ふことそのことであるともいへるが、幸福と思はせ、不幸と思はせるものは何か、さういふ心そのものは何であるか。
無我無心の境地
「万葉集から」
初心者のために
○自由律俳句入門
俳句性研究として
○句作雑感
山頭火通信
○其中消息
乞食井月
事実と真実――
ことしもけふぎりの米五升
自然と芸術――
誰を待つとてゆふべは萩のしきりにこぼれ
「孤寒抄」 ┌銃後風景
│逍遙遊
「天青地白」 └旅で拾ふ
私に出来る事はたつた二つしかない、酒を飲むこと、句を作ること、飲んでは苦しみ、苦しんでは飲む、食ふや食はずで句作する、まことに阿呆らしさのかぎりだ、業、業、業。
遺骨を迎へて
ぽろぽろ流れる汗が白い函に
馬も召されておぢいさんおばあさん
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