山頭火散策 ②

http://yahantei.blogspot.com/2006/02/blog-post.html 【山頭火散策(その一~その十三)】より

(その九)

伊良湖岬  はるばるたづね来て岩鼻一人

渥美半島  まがると風が海ちかい豌豆畑

鳳来寺拝登  お山しんしんしづくする真実不虚

青蓋句屋  花ぐもりピアノのおけいこがはじまりました

浜名街道  水のまんなかの道がまつすぐ

秋葉山中  石に腰を、墓であつたか   水たたへたればおよぐ蟇

天龍川をさかのぼる  水音けふもひとり旅ゆく

九月、四国巡礼の旅へ  鴉とんでゆく水をわたらう

三年ぶりに句稿(昭和十三年七月――十四年九月)を整理して七十二句ほど拾ひあげた。

 所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守らう。(昭和十五年二月、御幸山麓一草庵にて、山頭火)

 山頭火の、この『草木塔』は、大正十四年から昭和十三年までの、それまでの私家版の七冊の句集を集大成したもので、全部で七百一句が収載されている。そして、この句集の刊行は、山頭火が亡くなる昭和十五年四月二十八日で、発行元は東京の八雲書林、部数は七百部とのことであった(石・前掲書所収『「山頭火」世捨て紀行(村上護稿)』)。そして、この句集を刊行した、その昭和十五年の十月十日に、松山市の最後の居所の「一草庵」で、亡くなっている。この『草木塔』以後の作品については、山頭火の最晩年の姿が髣髴としてくるので、その全句を掲出しておきたい。

(その十)

昭和十四年九月~十二月 (その一)

柳ちるもとの乞食になつて歩く  石に松が昔ながら散松葉

(白船居)海見れば波音ききたくちよいと下車する

めうとで水汲む青田あをあを (沿道所見) 誰やら休んだらしい秋草をしいて私も

まづしいくらしのいちじくうれてきた  秋あらき波音の日ねもすあるく

ぬれてついてほんにしづかな雨

(指月堂草房)酔ひざめの木の葉ちるなりおちるなり

宇品乗船 ひよいと四国へ晴れきつてゐる

秋晴れの島をばらまいておだやかな 一洵君と共に石手川にそうて 石を枕に雲のゆくへを

見上げて高くうごくともないうごく枝  松山――太山寺

あすはおまつりのだんじり組みあげて、雲  横峰拝登

すなほに咲いて白い花なり  山のふかくも鐘おのづから鳴るか

落ち葉しつくしたる木の実の赤く

香園寺慈母観音像 南無観世音おん手したたる水の一すぢ

秋の夜の護摩のほのほの燃えさかるなり

あすはおわかれの爪をきりつつ、秋 奥の院へ(白瀧不動)

お山しぐるる岩に口づけて飲む  一洵君に、同時に澄太君に

落葉ふみわけほどよい野糞で  木の葉ふるふる野糞する

蓼に芒を活けそへておわかれの朝(十月十五日、みゆきさんに)

朝焼けのうつくしさおわかれする  秋晴るる右左さつさとおわかれ

秋空ただよふ雲の一人となる

山のけはしさ流れくる水のれいろう  しつかとお骨いだいて山また山

(某氏に) 山の高さ稲よう熟れた 墓にかこまれて家一つ

のぼりつめてすこしくだれど秋ふかき寺  水音のうらからまゐる

湧いては消えては山の高さの雲の

 一洵君と別れる 上へ下へ別れ去る坂のけはしい紅葉

お客といへば私一人の秋雨ふりしきる

秋の夜ながれくる水のまんなかを汲む  十月十六日、雲辺山をめざして

秋の水によねんなく障子を洗ふ 

山里はひたむきに柿の赤くて  のぼるほどに水は澄みてはげしく 

雨ふる栗負うて来て雑魚に代へて

 十月十七日、雨中雲辺拝登  山寺かさこそ粟を量るらしい音させて


雲がちぎれると山門ほのかに 本山寺   鐘が鳴る通りぬけてひさびさの湯へ

秋の水をさかのぼりきて五重の塔   秋ふかくまよへる犬がないてまた 

からだぽりぽり掻いて旅人 普通寺へ 塔をめあてにまつすぐまゐる 屏風ヶ浦海岸等

ぬかづけば木の香にほふや秋 牧水の歌を誦して 秋ただにふかうなるけふも旅ゆく

小豆島にて 水をよばれる少し塩気あるうまし 港はいまし落ちる日の親船小船

 南郷庵 その松の木のゆふ風ふきだした 庵主はお留守の木魚をたたく 放哉墓前

ふたたびここに、雑草供へて 墓に護摩水を、わたしもすすり 十月廿二日

 寒霞渓へ ほしうどんほしならべる陽のさゞなみ

海はなつかしい墓がならんで 青空の下けふを糞する をんなは駕で男は馬で紅葉ちらほら 

山は暮れ早い谿の猿さけぶ いただきの青空の昼月 水に聲ある山ふところでねむる

十月廿三日  風ふけばどこからともなく生きてゐててふてふ

小豆島よ、さよなら  波音かすかにどうにかならう

 西光寺 散りしくまへのしづかさで大銀杏 島はゆたかな里から里へ柿の赤さよ

なかなか死ねない彼岸花さく(改作追加)十月廿五日枇杷の花やぐみの花や早泊りして

そのかみのおもひでの海は濁りて(壇ノ浦)鳴いても山羊はつながれてひとり


(その十一)

昭和十四年九月~十二月 (その二)

十月廿五日六日 秋ふかみゆく笈もぴつたり身について 暮れると寝て明けるよりあるく山また山 かうして旅する日日の木の葉ふるふる

十月廿六日

木を伐るしきりにしぐるる しぐれて山をまた山を知らない山  からだ投げだしてしぐるる山  しぐれて道しるべその字が読めない  稲を刈るとや枯れて穂のない稲を

里ちかく茶の花のしたしくて 大窪寺(第八十八番結願所) ここや打留の水のあふれてゐる

 十月廿七日 泊めてくれない折からの月が行手に

 (廿六日夜) 暮れても宿がない百舌鳥が啼く 山柿たわわ水にうつりてさらに赤く

あかあか燃える火が、ふと泊る

 十月廿七日  秋山けぶらして炭焼く一人か

 十月廿八日  分け入るみちのすすきほほけた 空襲警報(防空訓練)秋風たちまち赤い旗にかはつた

  十月廿八日九日 野宿  まどろめばふるさとの夢の葦の葉ずれ  

枯葉しいて月をまうへに 夜露しつとりなむつてゐた 水にそうていちにちだまつてゆく 

秋もをはりの蚊がないてまつはるいつぴき(へんろ宿)

野宿 月夜あかるい舟がありその中で寝る

ついたところが城跡といふ秋の空(土佐泊渡)ふたたびはわたらない橋のながいながい風

(吉野橋)ことしの旅も、六十才と書く 誰もゐない落葉掃きよせてある昼ふかく

橋があたらしくをなごやのをんなたち 朝は晴れ夕べはくもる旅から旅へ

夜をこめておちつけない葦の葉ずれの ちかづく山の、とほざかる山の雑木紅葉の 

落葉吹きまくる風のよろよろあるく 秋の山山ひきずる地下足袋のやぶれ

お山にのぼりくだり何かをとしたやうな よい連れがあつて雑木もみぢやひよ鳥や

山みち暮れいそぐりんだう こんなに草の実どこの草の実

しぐれてぬれて旅ごろもしぼつてはゆく  しぐれて人が海を見てゐる

波音おだやかな夢のふるさと(野宿いろ/\) 秋風こんやも星空のました

落葉しいて寝るよりほかなく山のうつくしさ 生きの身のいのちかなしく月澄みわたる

わがいのちをはるもよろし(いつぞやの野宿を)

歩くほかない秋の雨ふりつのる  おほらかにおしよせて白波(室戸岬へ)

水もころころ山から海へ(ごろごろ浜)  夜のからだをぽりぽり掻いてゐる

わだつみをまへにわがおべんたうまづしけれども(室戸)あらなみの石蕗の花ざかり

われいまここに海の青さのかぎりなし 落葉あたたかく噛みしめる御飯のひかり

こんやはひとり波音につつまれて(野宿さま/゛\)

食べて寝て月がさしいる岩穴  枯草ぬくう寝るとすると蝿もきてゐる

月夜あかるく舟があつてその中で寝る  泊まるところがないどかりと暮れた

すすき原まつぱだかになつて虱をとる かうまでよりすがる蝿をうたうとするか 

ぼうぼううちよせてわれをうつ(太平洋に面して) うちぬけて秋ふかい山の波音(東寺)

 松の木松の木としぐれてくる(土佐海岸) ここらで泊らう草の実払ふ

ついてくる犬よおまへも宿なしか(途上即事)

梅干あざやかな飯粒ひかる  あなもたいなやお手手のお米こぼれます(行乞即事)

お手てこぼれるその一粒一粒をいたゞく  まぶしくもわが入る山に日も入つた

ひなたまぶしく飯ばかりの飯を  まぶしくしらみとりつくせない

道べり腰をおろして知らない顔ばかり  旅のほこりをうちはらふ草のげつそり枯れた

秋の旅路の何となくいそぐ  石ころそのまま墓にしてある松のよろしさ

旅で果てることもほんに秋空  ほろほろほろびゆくわたくしの秋 

一握の米をいただきいただいてまいにちの旅  木の実おちてゐる拾ふべし

短日暮れかかる笈のおもさよ  脚のいたさも海の空は日本晴

秋もをはりの蝿となりはひあるく  朝の橋をわたるより乞ひはじめる 

わが手わが足われにあたたかく寝る(野宿) 旅の長さ夜どほし犬にほえられて

寝ても覚めても夜が長い瀬の音  山のするどさそこに昼月をおく 

びつしり唐黍ほしならべゆたかなかまへ  岩ばしる水がたたへて青さ禊する

山のしづけさはわが息くさく  なんとまつかにもみづりて何の木

ほんに小春のあたたかいてふてふ 朝まゐりはわたくし一人の銀杏ちりしく

(大宝寺)秋風あるいてもあるいても なんとあたたかなしらみをとる

供へまつる柿よ林檎よさんらんたり(戦死せる高市茂夫氏の遺骨にぬかづいて)

なむあみだぶつなむあみだぶつみあかしまたたく

ひなたぢつとして生きぬいてきたといつたやうな(或る老人)


(その十二)

昭和十四年十二月~昭和十五年 (その一)

昭和十四年朧月十五日、松山知勇の厚情に甘え、縁に随うて、当分、或は一生、滞在することになった。

一洵君におんぶされて(もとより身内のことではない)道後の宿より御幸山の新居に移る。新居は高台にありて閑静、山もよく砂もきよく水もうまく、人もわるくないらしい、老漂泊者の私には分に過ぎた栖家である。よすぎるけれど、すなほに入れていただく。松山の風来居は山口のそれよりうつくしく、そしてあたたかである。

  一洵君に おちついてしねさうな草枯るる

(死ぬることは生まれることよりもむつかしいと、老来しみじみ感じないではゐられない)

抜けたら抜けたまま歯がない口で  山裾やすらかに歯のないくらしも 空には風が出る凧あがるあがる  凧をあげると春風らしい子供の群

或る老人 日向ぼこして生きぬいてきたといつたような顔で

 道後温泉湯瀧  朝湯のよろしさもくもくとして順番を待つ

大霜の人声のあたたかな日ざし 護国神社 霜のきびしさ霜をふんでまうでる

 葉  牛が大きくよこたはり師走風ふく  寒空とほく夢がちぎれてとぶやうに

 机上水仙花 あすはお正月の一りんひらく  あすは元旦の爪でもきらう

 卓上の水仙花  一りん咲けばまた一りんのお正月

一人正月の餅も酒もありてそして ひとり焼く焼き餅ひとりでにふくれたる

   このあかつき ――元旦、護国神社に参拝して――

このあかつき御手洗水のあふるるを掌に このあかつきの大いなる日の丸へんぽん

正月二日あたらしい肥桶かついで

 石手川三句

をんなを岩にピント合してゐる若さ  正月三日お寺の方へぶらぶら歩く

しぐるるや郵便やさん遠くへ来てくれた かへりはひとりの月があるいつぽんみち

ほどよう御飯が炊けて夕焼ける 行乞途上

干せば乾けばふんどししめてまた歩く

 山口へ―九州へ  こんやはここにて雨ふる春雨

何の草ともなく咲いてゐるふるさとは 遠ざかるうしろ姿の夕焼けて ほほけすすきがまいにちの旅 たばこやにたばこがない寒の雨ふる ふるさとへ冬の海すこしはゆれて

帰居 こしかたゆくすえ雪あかりする ほつかり覚めて雪

転一歩 身のまはりかたづけて遠く山なみの雪 春が来たわたくしのくりやゆたかにも

いま何時ともわからない春雨らしう降る ひとりで酔えば啼くは鶲よ 酔うて闇夜の蟇踏むまいぞ  月の一枝ぬすませてもらふ 或る月の一草庵は 雨をためてバケツ一杯の今日は事足る

枯れて濡れて草のうつくしさ、朝 寝ころべば枯草の春匂ふ 酒はしづかに身ぬちをめぐる夜の一人 なんときびしい寒の水涸れた 一人で事足る鶲啼く 塵かと吹けば生きてゐて飛ぶ 街頭所見千人力 つぎつぎに力をこめて力と書く  墓地をとなりによい春が来た

 追懐 目刺あぶればあたまもしつぽもなつかしや

おとなりもをとこやもめのかさこそ寒い 純一居二句 ほんに仲よく寄せ鍋をあたたかく

お日さま山からのぞいてお早う 龍隠寺境内の孝子桜 咲いて一りんほんに一りん

膝に酒のこぼるるに逢ひたうなる  たまたま人が春に来て大いに笑ふ 

春の山から惜しみなく伐りだしてくる 春の山から伐りだして長い長い木 

わが髯をうたふ 伸ばせば伸びる髯はごましほ

干物干して蕾はまだまだかたい  水もらひのゆきかへり花咲いて赤く

 道後湯町、宝厳寺 をなごまちのどかなつきあたりは山門

早春のおとなりから芹のおひたしを一皿

 自嘲四句

春寒ねむれない夜のほころびを縫ふ   縫糸なかなか通らないのでちよいと一服

やつと糸が通つたところでまた一服  糸のもつれのほぐるるにほどに更けて春寒

ふりかへる枯野ぼうぼううごくものなく

老遍路 鈴をふりふりお四国の土になるべく 雪もよひたうとう雪になつてしつとり

 雪あかりのまぶしくも御飯がふく 春寒く疵がそのままあかぎりとなり

ゆふべかたすみ消えのこる雪のほのかにも 聞いてしづかに、ぽとりと落ちた

だんだん似てくる癖の、父はもうゐない 逢へておわかれの大根もらうてもどる

水もぬるんだやうなどんこもをりさうな 墓二つ三つ芽ぶかうとしてゐる大樹

(その十三)

昭和十四年十二月~昭和十五年 (その二)

母の第四十九回忌  たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと

春の水ゆたかに流るるものを拾ふ  春のよるのみほとけのひかり

 路傍の乞食 貰ひ足りて地べたべつたり寝てゐるいびき

孫がまた生まれたとて 生まれてうれしく掌を握つたりひらいたり

満州の孫をおもふ この髯、ひつぱらせたいお手手がある 

けふはよいたよりがありさうな障子あけとく

松山城 生えてなずなとして咲いてつつましく ふと触れてなづな華ちる

おちついて死ねさうな草萌ゆる てふてふちらちら風に乗つた来た

さむざむ降る雨のひとりに籠る 干物ひろげる枝から枝のつぼみ

春はたまたま客のある日の酒がある 与へるもののよろこびの餅をいただく 

春風のちよいと茶店が出来ました 食べものあたたかく手から手へ

 無縁墓碑整理さる てふてふひらひらひらかうとしてゐる春蘭

今日いちにちのおだやかに落ちる日

うらうらほろほろ花がちる 青麦のなかの街街のなかの青麦

春の水の流るるものを追つかけてゆく なければないで、さくら咲きさくら散る

ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ  名もない草のいのちはやく咲いてむらさき

蝿があるいてゐる蝿取紙のふちを   降つたり霽たりおのれにかへる

しばらく歩かない脚の爪伸びてゐるかな あらしのあとの空のしづもるふかさ

空腹を蚊にくはれてゐる   むなしさに堪へて草ふむ草青し

草のたくましさは炎天さらにきびしく   外米も内米もふつくらふいた

誰にも逢はない道がでこぼこ  おもひだしては降るよな雨の涼しうなる 

どこからとなく涼しい風がおはぐろとんぼ  かたすみの朝風に播いてをく

活けて雑草のやすけさにをる  蛙になりきつて跳ぶ

述懐 この一すぢをみなかみへさかのぼりつつ  天の川のあざやかさもひえびえ風ふく

月夜の水に明日の外米浸けて寝る  ぽとりとおほらかにおちる花

破戒 もくもく蚊帳のうちひとり飯喰ふ  雑草礼賛 生えよ伸びよ咲いてゆたかな風のすずしく  日ざかりの赤い花のいよいよ赤く  雷遠く雨をこぼしてゐる草の葉

一草庵裡山頭火の盆は トマトを掌に、みほとけのまへにちちははのまへに

盆の月夜の更けてからまゐる足音 をりをり顔をみせる月のまんまる 

よい水音の朝がひろがる 朝霧こぼるる畑のものどつさりもろた

絶食の日 月のひかりのすき腹ふかくしみとほるなり

日ざかりの空腹は鳴る 食べるものがなければないで涼しい水

かなかなかなかなやうやく米買ひに  御飯のうまさほろほろこぼれ

ゆう焼けしづかなお釜を磨く   夕立やお地蔵さんわたしもずぶぬれ

蚊帳の中まで夕焼の一人寝てゐる   夕焼雲のうつくしければ人の恋しき

椰のみどりの青空のふかさ渡る鳥 禁酒したいが 蝉しぐれの、飲むな飲むなと熊蝉さけぶ

とんぼとまつたふたりのあひだに  濁れる水の流れつつ澄む

朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし  掃くほどに散る葉のしづか 

こころさびしくひとりまた火を焚く  芋粥のあつさうまさも秋となつた 

炎天おもきものを蟻がひきずる  待つといふほどでもないゆふべとなりつくつくぼうし 

打つても打つても蝿がくる蚊もくる蜂もきて  月から吹きおろす風のすゞしさに

 仲秋名月 酒はない月しみ/゛\観てをり 酒のうまさのとろとろ虫鳴く 抱

壷君の訃報に接して たへがたくなり踏みあるく草の咲いてゐる

貰うて食べ秋ふかく拾ふて喫ふ  銭がない物がない歯がない一人

祈りて仏にたてまつるお花もひがん  朝月のあるぎんなん拾ふ

皆懺悔その爪を切るひややかな  いつ死ぬる木の実は播いておく

水がとんぼがわたしも流れゆく  風にみがかれみがかれ澄みわたる月は

子規忌ちかく  紫苑しみじみ咲きつゞく今日のこのごろとなり

けふは仲秋すゝきや団子もお酒もちよつぴり 供へまつるお彼岸のお彼岸花のよろしさ 

夕焼うつくしく今日一日はつつましく ふとふりかへる山から月がのぞいたところ

おたたも或る日は来てくれる山の秋ふかく しんじつ一人として雨を観るひとり

おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて 朝は澄むきつておだやかなながれ一すじ 

晴れて風が身ぬち吹きぬけて澄む  もらうて食べるおいしい有りがたさ

生える草の枯れゆく草のとき移る

三日月おちかかる城山の城  先夜今夜の犬猫事件に微苦笑しつゝ一句

十月五日夜 秋の夜や犬から貰つたり猫に与へたり 焼かれる虫の香ひかんばしく

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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