https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946762801&owner_id=7184021&org_id=1946762946 【山頭火の日記(昭和13年5月1日~、其中日記十三)】
『其中日記』(十三)
五月一日 晴――曇――雨。
早起、一風呂あびて一杯ひつかける、極楽々々! 七時のバスで帰庵。留守中に敬君や樹明君や誰かが来庵したらしい、すまなかつた、残念なことをした。何となく憂欝。――W屋主人来庵。風が出て来た、風はほんたうにさびしい、やりきれない。午後、樹明君を訪ね、いつしよに街へ出かけて飲む、敬君にも出くわし、三人で飲む、酔ふ、どろどろになつてしまつた、それでも戻ることは戻つた、つらかつた、やれやれ! 夜中に眼が覚めて、とてもさびしかつた、かなしかつた。慎しむべきは酒なりけり! 老いてはつつましかるべし!
【其中日記(十三)】
『其中日記』(十三)には、昭和13年5月1日から昭和13年5月28日までの日記が収載されています。
五月廿七日 晴――曇。
明けるより起きた。煙火は海軍記念日だから。すこしいらいらする、暮羊居から新聞を借りて来て読む、内閣改造問題で賑やかだ。今日から単衣にする、わざと定型一句――
さすらひの果はいづくぞ衣がへ
ポストまで出かける、米は買へないからうどん玉を買うてすます、あはれあはれ。父子草、母子草、ああこれもやりきれない。胡瓜苗を植ゑる(下のY老人のところには茄子苗はなかつた)、此五本が私の食膳をどんなにゆたかにすることか。旅の用意はととなうたが、さて、かんじんかなめのものが出来ない、ぢつとしてゐる、つらいね。人にはそれぞれ天分がある、私には私としての持前がある。天分に随うて天分を活かし天分を楽しむ、それが人生だ。私は安んじて句を作らう、よねんなく私の句を作らう、よい句が出来たら、――きつと出来る。
五月廿八日 曇。
緑平老、ありがたう、ありがたう、緑平老。旅、旅、やうやく旅に出かけることが出来た。――
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946762946&owner_id=7184021&org_id=1946789646 【山頭火の日記(昭和13年5月28日~、旅日記・昭和十三年)】より
『旅日記』(昭和十三年)
五月廿八日 廿九日 澄太居柊屋。
やうやく旅立つことが出来た(旅費を送つて下さつた澄太緑平の二君にここで改めてお礼を申上げる)。八時出発、朝飯が足らなかつたから餅屋に寄つて餅を食べる、それから理髪する(ずゐぶん長う伸びてゐた)。四辻駅で、折よくやつて来た汽車に乗る、繁村の松原、佐波川の流、あの山この道、思ひ出の種ならぬはない。富海下車、一杯ひつかけて歩く、椿峠を越えて湯野へ、湯野温泉は改修されて立派になつてゐる、一浴一杯、戸田駅へ急ぐ、S君の事が想ひだされてたまらなかつた。四時の汽車で徳山へ、いつもかはらぬ白船君夫妻の厚情に甦つたやうな気がした、豪雨の中を櫛ヶ浜まで歩いて、そこからまた汽車で柳井に下車したけれど適当な宿が見つからないので夜行で広島へ、三時半着、待合室で夜の明けるのを待ちかねて澄太居、いや、これからは柊屋へ押しかけた、澄太君が寝床からニコニコ起きて来た。うまい酒だつた(酒そのものも文字通りの生一本だつた)、ああ極楽々々! 午後、奥さんもいつしよに出かける、新天地でニユース映画を観る、帰途、小野さんの宅に立寄る。晩酌のよろしさ、しばらく話して、ぐつすりと寝た。
【旅日記(昭和十三年)】
『旅日記』(昭和十三年)には、昭和13年5月28日から昭和13年8月2日までの日記が収載されています。
七月廿三日 晴。
空々寂々。――花屋が来て、縞萱と桔梗とを所望して、十五銭くれた。暮羊居で米一升分けて貰ふ。初めて熊蝉が鳴く。夾竹桃の花が美しい、まさに万緑叢中紅一点。飯のうまさ。暮羊君来庵、同道して、四時の汽車で防府へ行く、令兄のところで御馳走になる、悪筆を揮ふ、十時の汽車で帰る、駅前でIさんに逢ふ、三人で飲む、近来にない愉快な一夜だつた。帰庵したのは一時頃だつたらう、蚊帳も吊らないで寝てしまつた!
・花の良心
花屋老人の事
・停車場待合室
【防府の生家跡】
この日、山頭火は防府の知人を訪ねご馳走になり、酔った勢いで生家跡の周辺を徘徊したようです。このころ、次の二句があります。
ふるさとはちしもみがうまいふるさとにゐる
うまれた家はあとかたもないほうたる
山頭火は、実にしばしば故郷について詠っています。
またふるさとにかへりそばの花
ほうたるこいこいふるさとにきた
ふるさとはからたちの実となつてゐる
ふるさとの水をのみ水をあび
ふるさとの言葉のなかにすわり
海のあなたはふるさとの山に雪
ふるさとはあの山なみの雪にかがやく
年とれば故郷こひしくつくつくぼうし
【飯のうまさ】
この日の日記に、「飯のうまさ」とあります。山頭火の句に「飯のうまさ青い青い空」があります。山頭火ほど、飯についてうたった人はいません。食うために働くことをやめてしまった山頭火は、当然のことながら食うために悩む生活に入って行きました。「飯のうまさ」と「青い空」があります。それだけで、生きることは充分ではないかと山頭火はいうのです。
八月二日 晴――曇。
絶食、身心を清掃しよう! 思ひがけなく、Kからうれしい手紙、といふよりもありがたい手紙が来た、ああKよ、Kよ、私は、私は。……樹明君酔つぱらつてころげこんだ、寝せてをいて、街へ出かける、買物いろいろ、何よりも、米と酒!
樹明君と同道して暮羊居まで。
私は旅へ。――
【随筆『述懐』】
山頭火はこのころ、次の随筆『述懐』を書いています。
「――私はその日その日の生活にも困っている。食うや食わずで昨日今日を送り迎えている。多分明日も――いや、死ぬるまではそうだろう。だが私は毎日毎夜句を作っている。飲み食いしないでも句を作ることは怠らない。いいかえると腹は空いていても句は出来るのである。水の流れるように句心は湧いて溢れるのだ。私にあっては生きるとは句作することである。句作即生活だ。私の念願は二つ。ただ二つある。ほんとうの自分の句を作りあげることがその一つ。そして他の一つはころり往生である。病んでも長く苦しまないで、あれこれと厄介をかけないで、めでたい死を遂げたいのである。――私は心臓麻痺か脳溢血で無造作に往生すると信じている。
――私はいつ死んでもよい。いつ死んでも悔いない心がまえを持ちつづけている。――残念なことにはそれに対する用意が整うていないけれど。――
――無能無才。小心にして放縦。怠慢にして正直。あらゆる矛盾を蔵している私は恥ずかしいけれど、こうなるより外なかったのであろう。意志の弱さ、貪の強さ――ああこれが私の致命傷だ! 」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946789646&owner_id=7184021&org_id=1946815795 【山頭火の日記(昭和13年8月2日~、其中日記十三の続)】
『其中日記』(十三の続)
旅日記
八月二日 晴れて暑い、虹ヶ浜。
午後三時の汽車で徳山へ、白船居で北朗君を待ち合せ、同道して虹ヶ浜へ。北朗君は一家をあげて連れて来てゐる、にぎやかなことである、そしてうるさいことである(それが生活内容を形づくるのだが)。いつしよに夕潮を浴びる、海はひろびろとしてよいなあと思ふ、波に乗つて波のまにまに泳ぐのはうれしい、波のリズム、それが私のリズムとなつてゆれる。松もよい、松風はむろんよろしい、さくさく踏みありく砂もよい、自然は何でもいつでもよろしいな。遠慮がないので、また傾け過ぎた、宿のおばあさん――老マダムとでもいはうか――が酒好きで、のんべいの気持が解るのでうれしかつた、二階に一人のんびりと寝せてもらつた。海、海、波、波、子供、子供、酒、酒、夢、夢!
【其中日記(十三の続)】
『其中日記』(十三の続)には、昭和13年8月2日から昭和13年12月22日までの日記が収載されています。
九月九日 曇、一時晴。
しづかに――しづかで。――Nさんから短冊代を頂戴した、ありがたう。散歩、買物いろいろ、やつぱり飲みすぎた、胃は何よりも正直だ! 駅で、出征の山口兵を見送る、万歳々々、みんな朗らかで元気で、心強く感じた、万歳々々。殆んど一ヶ月ぶりに温浴、垢を洗ひ落したが、また、垢がたまつた。不在中にNさんが来庵されたらしい、すまなかつた。寝苦しかつた。徳安爆撃行、陸の荒鷲、久保編隊長の感嘆。――
秋晴れや爆煙散つて敵はなし
【随筆『物を大切にする心』】
このころ、次の山頭火の随筆『物を大切にする心』があります。
「物を大切にする心はいのちをはぐくみそだてる温床である。それはおのずから、神と偕(とも)にある世界、仏に融け入る境地へみちびく。先年、四国霊場を行乞巡拝したとき、私はゆくりなくHという老遍路さんと道づれになった。彼はいわゆる苦労人で、職業遍路(信心遍路に対して斯く呼ばれる)としては身心共に卑しくなかった。いかなる動機でそういう境涯に落ちたかは彼自身も語らなかったし私からも訊ねなかった。彼は数回目の巡拝で、四国の地理にも事情にも詳しかった。もらいの多少、行程の緩急、宿の善悪、いろいろの点で私は教えられた。二人は毎日あとになりさきになって歩いた。毎夜おなじ宿に泊って膳を共にし床を並べて親しんだ。阿波――土佐――伊予路を辿りつつあった或る日、私たちは路傍の石に腰かけて休んだ。彼も私も煙草入を取り出して世間話に連日の疲労も忘れていたが、ふと気づくと、彼はやたらにマッチを摺っている。一服一本二本或は五本六本である!
――ずいぶんマッチを使いますね。
――ええ、マッチばかり貰って、たまってしようがない。売ったっていくらにもならないし、こうして減らすんです。
彼の返事を聞いて私は嫌な気がした。彼の信心がほんものでないことを知り、同行に値いしないことが解り、彼に対して厭悪と憤懣との感情が湧き立ったけれど、私はそれをぐっと抑えつけて黙っていた。詰(なじ)ったとて聞き入れるような彼ではなかったし、私としても説法するほどの自信を持っていなかった。それから数日間、気まずい思いを抱きながら連れ立っていたが、どうにもこうにも堪えきれなくなり、それとなく離ればなれになってしまったのである。その後、彼はどうなったであろうか、まだ生きているだろうか、それとも死んでしまったろうか、私は何かにつけて彼を想い出し彼の幸福を祈っているが、彼が悔い改めないかぎり、彼の末路の不幸は疑えないのである。マッチ一本を大切にする心は太陽の恩恵を味解する。日光のありがたさを味解する人は一本のマッチでも粗末にはしない。
S夫人はインテリ女性であった。社交もうまく家政もまずくなかった。一見して申分のないマダムであったけれど、惜むらくは貧乏の洗礼を受けていなかった。とあるゆうべ、私はその家庭で意外な光景を見せつけられた。――洗濯か何かする女中が水道の栓をあけっぱなしにしているのである。水はとうとうとして溢れ流れる。文字通りの浪費である。それを知らぬ顔で夫人は澄ましこんでいるのである。――女中の無智は憐むべし、夫人の横着は憎むべし、水の尊さ、勿体なさ……気の弱い私は何ともいえないでその場を立ち去った。彼女もまた罰あたりである。彼女は物のねうちを知らない。貨幣価値しか知らない。大粒のダイアモンドといえども握飯一つに如(し)かない場合があることを知らない。
大乗的見地からいえば、一切は不増不減であり、不生不滅である。浪費も節約もなく、有用も無駄もない。だが、人間として浪費は許されない。人間社会に於ては無駄を無くしなければならない。物の価値を尊び人の勤労を敬まわなければならないのである。常時非常時に拘らず、貴賤貧富を問わず、私たちの生活態度は斯くあるべきであり斯くあらざるを得ない。物そのもののねうち、それを味うことが生きることである。物そのものがその徳性を発揮するところ、そこが仏性現前の境地である。物の徳性を高揚せしめること、そのことが人間のつとめである。私は臆面もなくH老人を責めS夫人を責めて饒舌であり過ぎた。それはすべて私自身に向って説いて聞かせる言葉に外ならない。」
十月廿六日 晴。
昨日の事が夢のようだ、今日はぼんやりしている。漢口が陥落したらしい、万歳!――私は何かに憑かれてゐる、そんな気がしてならない。待つてゐる、待つてゐる、来ない、来ない。日向ぼこしながら読書、これやこの極楽々々。――天が下にはかくれ家もなし、まつたくね!待つ身はつらき木の葉ちるかな、だ。足どめされて、待ちぼけくはされて、ほんに腹が立つ。裏山をあるく、野も山も秋がにじみ出てゐる。やりきれない、さびしいなあ! Fのおばあさんがお墓まゐりのさびしいすがたを見よ。人間のみじめさ! 私自身のみじめさはいはずもがな。独り者は怒りつぽいよ、それが解らないS君でもあるまいに、絶交に値するぞ!すこし曇つたが、また持ち直した、腹を立ててゐる私へ鶲が宥めるやうに啼いて来た(百舌鳥は私を焚きつけるやうに絶叫するが)。癪にさわるといへば、生きてゐることそのことが癪だ! メボが出来るらしい、腎臓病らしいぞ。とにかく、おいしい夕御飯だつた。腹立まぎれに五十余句作つた、駄作ばかりだ。案外にもよく眠れた。
【風来庵】
この日の日記を最後に、以下白紙24枚の空白があります。昭和13年11月頃、6年間を過ごした其中庵を去り、山口県湯田温泉にある仮住居(四畳半一間)を「風来庵」と名付けて、移り住んでいます。この時期に、「一羽来て啼かない鳥である」の句があります。これまで其中庵の自然に囲まれてゆったりと暮らしていたのとは異なり、ごみごみとした裏町の一軒である風来居は、山頭火にとってはまことに困惑した環境でした。その中で、ふっと得た静けさの中で見かけたのが、一羽の鳥でした。山頭火はその鳥に自分の老いてゆく孤独な姿をみた、という解釈もありますが、果たしてそうでしょうか。その姿は、山頭火にもう一度自分を見つめ直せ、という仏の化身だったのかもしれません。啼かない鳥は、山頭火自身なのです。
【湯田温泉】
小郡から湯田温泉までは約3里、温泉好きの山頭火は、小郡に住んでいたころから湯田温泉に入っていたといいます。
十二月廿二日 曇、時雨、晴。
早起。――窓の風景、風にもまるる枯木、ぽつねんとして待つてゐる老人。……ずゐぶんあたたかだつたが、風が出て冷えてくる。――冬至、短日の短日。時局の波動が、あるときはひしひしと、あるときはしみじみと、私のやうなものにも響く、私は、ああ私は。――白菜の新漬のおいしさ。久しぶりに山口の街へ出かける、Sさんから読物を借り、S君を見舞ふ、S君よ、ガンバリタマヘ! 寥君のたより、元君のたより、どちらも私を悲しませる。もつたいないけれど、宵からコタツで読書。今日も酒なし(煙草もとぼしくなつた)、ガソリンが切れると、ひとしほ寂しい。
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