https://eaje.eu/pdfdownload/pdfdownload.php?index=20-26&filename=tokubetsu-mayuzumi.pdf&p=bucharest 【HAIKU~その余白に漂うもの】 より
黛まどか俳人、文化庁「文化交流使
要旨
俳句は17音節から成る世界で一番短い詩ですが、その中に日本人の美意識、自然観、哲学、思想、情趣といったさまざまなものが込められています。一句を理解することは日本人のすべてを理解することに匹敵すると言っても過言ではありません。
また、日本独特の風土や四季の移ろいは、豊かな日本語(季語・雅語)を育みました。俳句がたった17音節で、一篇の小説にも勝るような深い世界を描くことができるのは、季語・雅語による働きが大きいのです。
そしてそれらの言葉が紡ぎだす余白に、作者の思想が余情として漂います。読者は表現されたわずかな言葉を手掛かりに余白に作者の感動を再生産しなくてはなりません。日本語の深い理解によって、俳句における感動もまた深まるのです。
俳句を通して、日本語の豊かさや日本人のこころに触れていきます。
【キーワード】俳句、季語、雅語、定型、切れ、余白の美、日本文化、自然観
俳句には「有季定型」(季語があり、五七五)という約束事があります。日本人は古来の四季の移ろいに心を寄せ、自然を愛で、型を尊重して暮らしてきました。
これは俳句に限ったことではなく、茶道でも華道でも香道でも、日本の伝統文化に共通したことです。
狭いお茶室が日本の総合芸術であるように、俳句のたった17音節に、日本のすべてがあると言ってもいいかと思います。以前、私が国語審議会の委員をしていた時に、NHKが取材に来て、「国語力とはひと言で何ですか」という質問をされました。私は、松尾芭蕉の俳句を引用しまして、「〈古池や蛙飛び込む水の音〉、この俳句をどれだけ深く鑑賞できるか、それが日本語力、国語力だと思います」と答えました。なかには、「古池に蛙が1匹飛び込みました」それ以上のものを鑑賞できない人もいると思います。しかし、日本語力によっては、そのたった一つの句から非常に深いところまで読み込むこともできます。私は、これが言葉の力だと思います。俳句という限られた世界においてのことだけではなく、日常においても、豊かな言葉を共有することで、お互いに察し 合ったり、わかり合ったりすることが、とても大事ではないかと思っています。
俳句との出会い
私が俳句を始めたのは、明治生まれで大正から昭和の初期にかけて活躍した女流俳人の杉田久女の一句、〈花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ〉に出会ったことがきっかけです。「花衣(はなごろも)」というのは、お花見に行く時の装いをいいます。昔の人は、桜を愛でるのに、「今年はどんな着物を着ていこうかしら」と、着物を新調して行ったそうです。「ぬぐやまつはる」といいますから、お花見から帰って着物を脱いでいます。すると足元に、まだ着ていた人の温みの残っているような、色とりどりの紐が、はらはらと渦をなして落ちていきます。その美しい紐の渦の芯に、今その着物を脱ぎ終えたばかりの女性がすっと立っている。そして、外は満開の花の夜という非常に美しい句です。
しかし、久女がこの句の余白で最も言いたかったことは、当時の女性たちの置かれていた状況への嘆きです。久女は非常に才能がありながら、生前1冊の句集も出すことができずに亡くなりました。当時は、「女ごときが俳句なんぞにうつつを抜かして」と言われる時代でした。世間から批判され、家庭内でもうまくいかなくなる。最終的には、精神病院で亡くなりました。ですから、「紐いろいろ」というのは、当時の女性たちを縛っていた、たくさんの枷のことなのです。「どうして私がこんなに頑張っているのに、世間は認めてくれないんだ」というような、久女の、あるいは当時の女性たちの心の叫び、嘆きを詠った句なのです。しかし、俳句は直接的に気持ちは述べず、美しい紐に託します。
苦しいことを詠っているのに、こんなにも美しい世界に昇華されている。俳句とは、素晴らしいと大変感銘を受けました。今、世界的に、とても饒舌な時代になっていますが、そんな中で、かくも研ぎ澄まされ、省略され、単純化された詩形がある、それが日本固有の文化、文学として存在することに、大変感動を覚え、私自身も俳句を始めました。
俳句の誕生
俳句の起源は室町時代です。15 世紀末に、山崎宗鑑という、足利将軍に仕えた連歌師が、俳諧の連歌を独立させます。その後、17 世紀に、松尾芭蕉が、連歌の最初の五七五(発句)を独立させて、芸術性を高めました。さらに明治に入り正岡子規が、発句を俳句という呼称に変え、現在に至っています。
今では、世界中でたくさんの方が俳句に親しんでいます。つい最近ですが、ファンロンパイ EU 大統領が、句集を出版されました。私のいるフランスでは、シラク前大統領やドヴィルパン元首相も非常に俳句に親しんでいると聞いています。
季語
どの国にも固有の自然と自然観があると思いますが、日本にも固有の自然観があります。それは、自己と自然を一体化するという自然観です。これが季語の育まれた土壌です。
万葉集にこんな一首があります。〈春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける〉これは、山部赤人の歌です。宮廷歌人であった赤人が、当時は食用でもあったといわれているすみれを摘みに春の野にやってきます。すると、あまりにその春の野が美しく懐かしいので、去り難くなって一夜を明かしてしまったという歌です。まるで、そのすみれに添い寝をするかのように、赤人がそこにすみれと一体となって、あるいは春野と一体となって、一夜を明かしている風景を思い浮かべることができます。小さなすみれと同じ身の丈になって、すみれを観賞する、そういう自然観が日本人にはあると思います。
また、俳句の季語には、四季折々の山の様子を表現したものがあります。春の山を「山笑ふ」といいます。芽吹きが始まり花が咲いて、鳥がさえずり、明るくなってほわほ わっとした、明るい春の山を、まるで山が笑っているようなので「山笑ふ」といいます。夏の山は、緑が濃くなります。全山が万緑になって、緑が溢れ出るかのような、滴るかのような、そんな夏の山を「山滴る」といいます。秋の紅葉した美しい、まるでお洒落をしたような秋の山を「山粧ふ」といいます。そして、木々が葉を落として枯れ山になり、動物たちが冬眠して、静まりかえった冬の山を「山眠る」と表現しますが、ここにも人間と自然が一体化して
いるということが、よく表れていると思います。寒い冬を耐えて、ようやく春が来た。その喜びを、山と人が分かち合っているかのようです。
ですから、季語は、単に意味を表すだけではありません。その季語の背景にある、風土とか環境とか美意識とか、さらに古来から詠み継がれてきた、日本の伝統的な詩情といったものまでをも、季語はその概念に含んでいるわけです。俳句がたった17音節で深遠な世界を表現することができるゆえんがここにあります。
また、季語や雅語は、自然や命の移ろうすべてのさまに、心を寄せて暮らしてきた、日本人のアナログ的な美意識が育んだ、非常にアナログ的な言葉です。例えば、月をめぐる季語について紹介します。陰暦の 8 月 15 日の月を「中秋の名月」と呼びますが、月もさまざまな呼び方があります。今から十数年前に北京に仕事で行った時、ちょうど明日が中秋の名月という日でした。通訳でコーディネータの方が、「いや、黛さん、いい時にいらっしゃいましたよ。明日は中秋の名月です。中国では、月餅を食べて中秋の名月をみんなで祝います」とおっしゃいました。中国では、真ん丸な満月の十五夜だけを宴をしてお祝いするそうです。しかし、日本では、満月の前日を「待宵(まつよい)の月」、満月の次の日を「十六夜(いざよい)」、そのあとの十七夜は「立待月(たちまちづき)」、さらには、1か月後の十三夜を「後の月(のちのつき)」と呼びます。月がでていなくても、「無月(むげつ)」「雨月(うげつ)」といって、見えない月を心で愛でます。中秋の名月の起源は中国ですが、日本に伝播した中で、その前後のややに欠けた月も愛でるようになった。わずかな差を細やかに細やかに愛でていく。満たないもの、不揃いのもの、ややに欠けたもの、そういうものの余白に美を見出す、これが日本の伝統的な美意識だと思います。
このように自然に対する細やかな観察眼が、たくさんの自然と関わる美しい季語や雅語を育んできました。例えば、雨の名前や風の名前に、美しい言葉がたくさんあります。
日本語には、440 もの雨の名前があると聞いています。春先の菜の花が咲いている頃に降り続く長雨を「菜種梅雨(なたねづゆ)」といいますが、菜種梅雨というと、長雨ですが、菜の花の咲いている風景を想像しますので明るさを伴った雨になります。そして、桜が咲いている時に降る雨は、せっかく咲いた桜を散らしながら降るので、「花の雨」というと、美しくもせつない、儚い、そういうものを感じます。その後、若葉、青葉に降る雨を「若葉雨(わかばあめ)」、そして、その若葉から滴ってくるしずくを「青時雨(あおしぐれ)」といいます。そのあとに、卯の花が咲く頃に梅雨に入り長雨がありますが、その雨の名前を、まるで卯の花を腐らせるほど振り続く雨ということで、「卯の花腐し(うのはなくたし)」と呼びます。都会に住んでいると、なかなか卯の花を見る機会はないですが、今頃、卯の花が咲く頃だな、卯の花腐しだなと思うと、実際にはそこに咲いていなくても、雨の向こうに、野や山に咲いているだろう卯の花を思い浮かべることができます。雨の向こうに見えてくるものが増えてきます。たった1日にしか使えない雨の名前もあります。これは陰暦の 5 月 28 日に降る雨の名前で、「虎が雨(とらがあめ)」です。陰暦 5 月 28 日は、曽我十郎・五郎の命日です。父の仇を討ったあと、殺された十郎・五郎ですが、その十郎の恋人だった大磯の遊女の虎御前が、陰暦 5 月 28 日の十郎の命日になると十郎をしのんで泣くので、この日には雨が降るといわれています。実際に統計的にも、この日は今でも雨が降る確率が高いそうです。その日に雨が降ると、その言葉を知っていれば、雨の向こうに 800 年前の物語が浮かび上がる。これは言葉の力だと思います。そのほかにも、冬になってさっと 降って上がる雨を「時雨」と言いますが、時雨だけでもいろいろな言葉があります。ほんの一部分だけ降っている雨を「片時雨(かたしぐれ)」と言います。そして、同じようなことですが、自分のところだけ降っている雨を「私雨(わたくしあめ)」という言い方をします。天気予報でいえば「局地的に雨が降ります」ということなのですが、そう言わずに私雨、片時雨と言うことに、私は美しさを見出します。
日本人が、自然が移ろうすべての様を最初から最後まで、一部始終を愛でて愛でて愛で尽くしてきたということをこういった季語が証明していると思います。
定型
俳句には五七五という型があります。俳句だけに限ったことではなく、茶道や華道、柔道、あらゆるものに型があります。「俳句は短い上に季語も入れなくてはいけない。そして五七五という縛りが合って、縛りだらけでとても不自由じゃないか。」ということをよく言われます。季語に関しては、先ほど説明したように、季語が多くの情報量を持っていますので、むしろ便利なわけです。
型については、私はよく床運動にたとえます。床運動には 12 平方メートルの枠があります。その枠をめいっぱい使って、体操の演技をします。ちょっとでもあの枠から外に足が出ると減点になる。だからといって、それを恐れるあまり、真ん中だけ使っても美しくない。例えば、演技の最後に対角線を使ってバック転をしていって、最後のひと足、後ろ足がコトンと角ギリギリのところに置かれた時に、その緊張感ゆえの華やぎは、枠がないところでやるよりも、遥かに大きいわけです。俳句も同じです。型があるからこそ私たちはその型を信頼して、その中で自由に言葉と言葉を掛け合わすことができる。言葉が飛躍する。それが俳句における型の効用です。
切れ
俳句には、有季定型のほかに、もうひとつ、「切れ」を入れるというルールがあります。切れ字というのは、断絶や飛躍をもたらして余韻・余情を生むための切る働きをする言葉、「や」とか「かな」とか「けり」に代表される、助詞、助動詞です。〈古池や、蛙飛び込む水の音〉の「や」のあとに断絶が生まれ、切ったあとにできた時間的・空間的な間があります。その間の一呼吸に、作者の思いや感動が込められて、余韻となってにじみ出てくるわけです。そして、その切れによって生まれた余白に、読者はさまざまなものを想像していくということになります。
例えば、〈頂上や殊に野菊の吹かれ居り〉という原石鼎の句があります。この俳句は、この「頂上や」の「や」が非常にポイントです。情景としては、頂上に野菊が咲いていて、風が吹いてきて、いろいろな花が咲いていますが、中でも愛らしい可憐な野菊が吹かれている、ということです。「頂上に」ではなくて「頂上や」によって、ここで切れます。ですから、私たちは「頂上や」と言った時、その頂上ではなくて、普遍的なあらゆるものの頂上を一瞬そこで想像します。ルーマニアにいる今、この句にもう一度触れますと、私が思い浮かべたのは、ナディア・コマネチの姿でした。弱冠 14 歳にして、新体操の世界のトップに立つわけです。その時の彼女のプレッシャーというのは、いかばかりだったかと思います。「や」と切ることによって、非常にイメージが広がっていくわけです。ただその山に咲いてる野菊ということではなくなっていきます。「切れ」によって、言葉と言葉が足し算ではなく、掛け算の関係になっている、これが俳句です。俳句が17音節で深い世界を言えるのは、言葉と言葉が掛け算になるからです。
余白の美
俳句は「沈黙の文学」と言われています。これは、単に俳句が短いからということだけではなくて、俳句は物に思いを語らせる「物の文学」だからです。それに対して、短歌は「事の文学」といいますが、短歌はあとの七七があるので、思いを述べることができる。しかし、俳句では思いは、物に託します。思いは述べませんから、「沈黙の文学」と言われます。日本人独特の、多くを語らずして察し合える、究極の「お察しの文化」が、俳句ではないかと思います。
物を言わないことで、省略して省略して削っていくことで生まれるのが余白美です。この余白美というのも、俳句に限らず、日本文化全般に言えることです。例えば、能とか日本料理、華道すべてそうですが、能はあの省略の限りを尽くした、わずかな動作だからこそ、舞台の余白に高質な余情が生まれるわけです。そして、それを見ている側が、今あの動作で何を言いたいのか、何を伝えたいのかということを感受していくわけです。
日本料理でも同じことが言えます。フランスで何年も修行をした日本料理の料理人が、「フランス料理が十で表現するとしたら、日本料理は五分(ごぶ)で止めます」と言いました。あとの五分は味つけをしないわけでなく、隠し味として何日もかけて細やかな準備をし味付けをしている。それを全面的にアピールするのではなくて、隠れたところで存在させている。そして、あとの五分は食べる人に探ってもらうわけです。
生け花でも同じようなことが言えます。ある華道家の方の言葉がとても印象的でした。「花を生ける時に、私は花を見ていません。花を生ける時に、私は空間を見ている。」それも先ほどの日本料理の話と通ずることだと思います。そして、俳句にも通ずることです。俳句は、私は、実際には17音の言葉を紡いでいるのと同時に、余白を紡いでいるという感覚が常にあります。そして、その余白にいろいろなことを暗示していく。この暗示性というものも俳句の特徴です。
ですから、読者というのは自分の経験と照らし合わせて、その俳句の余白にあるものを読み取っていかなくてはいけません。俳句は身の丈を超えない、とよく言いますが、読者の俳句における鑑賞もまた身の丈を超えない。子供には子供の解釈、そして、人生経験を積んだ人はより深い解釈ができるということです。
以上のように、俳句が世界最短の詩形でありながら、深遠で壮大な内容を表すことができるのは、型や季語、切れの存在があるからです。そして、季語や雅語は、その一言一言がもうすでに多くの情報量を持っている、情趣を持っている、余情を抱えている。さらに、その切れと型によって、言葉と言葉が掛け算になっていくことで、俳句は非常に大きなことが言えるわけです。
松尾芭蕉は、〈謂ひおほせて何かある〉と言いました。言い尽したからって、じゃあ何があるんだということです。言い尽さないからこそ、イメージが広がり余白に滲み出るものがあるんじゃないかということです。
俳句は挨拶
俳句は挨拶とよくいいます。たまたまこの同じ時代に生まれて生きて、同じ場所で すれ違った他者、人も含めて花鳥風月、さまざまな命に対して、「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」と言うのが俳句です。ですから、桜を詠むことは桜に対する挨拶です。桜は間もなく散っていきますが、その桜に、「長い冬を耐えて美しく咲いて、私たちを楽しませてくれてありがとう」という思いを込めて詠むわけです。そうすると、その桜は俳句という器の中で永遠にそのみずみずしい命を宿していくことになります。ですから、芭蕉が 300 年前に詠んだ桜は、俳句という器の中で今もみずみずしく咲いている。そして、挨拶をすることによって、自然が一方的にこちらを楽しませてくれるだけではなくて、双方向の関係になっていく。命と命の交歓、歓びを交わし合うことになっていく。これが俳句です。
言葉の力
雅語をめぐるエピソードを一つ紹介したいと思います。私が初めて韓国に行った十数年前、私が日本人だとわかった途端に、ユンさんというある韓国人の中年男性が、いきなり私に訊いてきました。「あなたは『遣らずの雨』という言葉を知っていますか。」お客さんが帰る頃になって降りだす雨を、まるでそのお客さんを帰さないかのように降りだす雨ということで、「遣らずの雨」といいます。よく私の祖母が、お客さんが帰る頃に雨が降りだすと、「ああ、遣らずの雨ですよ。もう一杯お茶を飲んでいってくださいよ」と言うのを聞いて育ちましたので、「知っています。『遣らずの雨』というのはこういうことですよね」と言いましたら、そのユンさんが大変喜ばれて、「久しぶりに遣らずの雨を知っている日本の若い人に会いました」と言われました。そしてユンさんのことを語ってくださいました。
ユンさんは、反日教育を受けた世代の方で、日本と日本人が大嫌いだった。ある日、どうしても行かなければならない用事ができて、仕方なく日本に出張しました。仕事をして韓国への帰国日に、日本側の担当者がユンさんを空港まで車で送ってくれたそうです。その途中で雨が降ってきました。その時にその日本側の担当者が、「ああ、ユンさん、遣らずの雨ですよ。日本人はこういう時に、ユンさんを帰したくなくて雨が降り出したって思うんですよ」とおっしゃったそうです。
その言葉を聞いてユンさんは、「ああ、こんなに美しくてポエティックな詩情溢れる言葉を育んできた民族が、自分が教わってきたような、残酷でひどい民族であるはずがない。言葉が証明している」とその時に、「遣らずの雨」という一言で、それまでの反日感情が溶けて、すっかり日本贔屓になったとおっしゃいました。
それ以後は、ユンさんの前で日本の悪口を言う人がいると、必ず「遣らずの雨」の話を持ち出して、「日本にはこんなに美しい言葉があるんだよ。こんなに繊細な言葉を育んできた民族がそんなに悪い民族であるはずがないじゃないか」と必ず言うのだとおっしゃいました。私はこれこそまさに文化力、文化外交力だと思います。
国語研究所の元所長の甲斐睦朗先生が、日本語を海にたとえました。海というのは表層水、中層水、深層水とあります。表層水のところは、若者言葉とか流行語です。そこは波立っている。波立っているからこそ海は循環するのだから、そういうものがあってもそんなに憂うることはないんだと甲斐先生はおっしゃいました。
甲斐先生の言葉に倣って言えば、中層水は日常語に相当する部分だと思います。そして、季語とか雅語という言葉は、深層水のところにある言葉だと思います。私たちが普通に暮らしていく中では、中層水から上の言葉を知っていれば、十分に何不自由なく生活はしていけます。別に、「遣らずの雨」とか「私雨」とか、そういった言葉を知らなくても、日常では何一つ困ることはありません。ただ、この深層水の言葉を知ることで、実際にないものが見えてくる。これが、言葉の力だと思います。見えてくるものが増えると発見が増え、感性が豊かになります。そして、その豊かになった感性が、さらに美しい言葉を紡がせます。私たちは、たくさんの豊かな言葉を持っている、とても幸せな民族だと思います。
松尾芭蕉は、俳句のことを「夏炉冬扇」と言いました。「夏炉」は夏の囲炉裏、「冬扇」は冬の扇です。暑い夏に囲炉裏は要らないですし、寒い冬に扇は要りません。つまり、俳句なんて、日常の生活には何の役にも立たない、実用でないものだと言っています。しかし、その言葉の裏側には、人がより豊かな人生を送るために、俳句は大切なものであるということを言っています。俳句も、そして季語も雅語も日常生活には必要ありませんが、人としてより豊かな人生を生きるために、非常に大切なものだと思います。
俳句や季語、雅語は、合理性の対極にあります。しかし、合理性・効率性を追求するあまりに、現代社会は、多くのものを失い、非常に病んでいます。だからこそ、こういう現代社会において、俳句のようなものが改めて見直されるべきではないかと思います。言葉の周辺にあるもの、背後にあるものを感受してお互いに察し合う。自然と自己を一体化して、一本(ひともと)の小さなすみれと同じ身の丈になって、自然や他の命に対して挨拶をしていく。他者を尊んでいく。こういう俳句の精神や俳句理念は、紛争問題や環境問題といった、今、世界が抱えている諸問題の解決の糸口になり得るものだと私は確信しております。
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