http://inkyodanshi21.com/lifestyle/4470/ 【松尾芭蕉も現代を生きる上であまりにも参考になるので、誰にも教えたくない。】 より
「BS歴史館 シリーズ 江戸のスーパー変革者(1) 松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」を観て、自分なりにどうしても書き残しておきたいことを箇条書きでご紹介していこうと思います。
歴史の中に、自らを位置づける。
王朝の人々が達成したものと遜色ないものを追求したい。現世の素晴らしさ、俗の素晴らしさを。「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ。」
歴史の中に自らを位置づける。そこには責任性がある。ミッションや使命がある。千年にわたる財産を正しく継承し、後世に伝えなければならない。
新しい美をつくりあげようとした。芭蕉は美を自分の目で作ることを決めた変革者だった。それまでの美意識をガラッと変えてしまった。
雅と俗を掛け合わせる。どちらか一方だけではダメ。コントラストをはっきりさせる。読み手が王朝のコードを知っている事が大事。
「蛙飛び込む 水の音」心の世界としての古池。
「いかに死ぬか」から「いかに生きるか」
深川に隠棲して、新たな生き方を模索した。
時代は、憂世から浮世へ変わっていた。「いかに死ぬか」ではなく、「いかに生きるか」にパラダイムシフトし始めていた時代。芭蕉もその可能性を探っていた。
立身出世を願ったこともあった、僧侶を目指そうとしたこともあった。そして芭蕉は遂に俳諧一筋となった。
身分制度が固まった時代、立身出世を願っても所詮は枠の中のこと、芭蕉はその価値観の転換をはかった。
全てを捨てる暮らし。身分を超えた生き方。芭蕉は、捨てることで人生の豊かさ、楽しさを見出そうとした。
100年の平和。かつては古典が金科玉条。芭蕉は「いかに生きるか」を模索する中で、「新しい価値観」を現実や俗世界、自然世界の中に求めようとした。
芭蕉にとって旅とは?
中世における旅とは、現世から立ち去る全てを捨てた人の姿。世捨て人、西行や兼好法師等。無一物が良いという生き方。
芭蕉にとっての旅は、世の中が嫌いなわけではなく、世の中と一線を引くための旅。
1人で作る俳句は明治以降のもの。俳諧はもともと仲間と一緒に句を作る言葉遊び(連句)だった。芭蕉はほとんどを連句として捉えている。
物事を言い尽くしてしまえばあとに何が残るのか、言い切らない、語りきらないということが想像力をかきたてて、芸術的な奥行きを創りだすと考えていた。
旅先では身分関係なくその地の人々と共に、連句をして楽しんだ。
結果として、都会だけではなく地方でも俳句が非常に盛んになり、深まっていく。明治以降の文化のあり方として影響を与えた。
芭蕉の行いは、一極集中ではない、日本の古来の文化の根強さと多様性を思い出させてくれる。
楽しく生きる。いいことと悪いことの境目が見えない。しかし必ず「環(たまき)」のように苦楽がワンセットなのが人生。
黙っていたほうが気持ちが伝わるという日本人の感性。俳句は更にそれを助長させた。
沈黙を重んじる文芸があるというのが日本らしい。グローバルの中からみると、非常にわかりにくい。しかしそれが良さでもある。
最後に毎度予防線の様に書いていおりますが、今回もまた、松尾芭蕉という人物を一ミリも理解できていないと思います。でも面白いんだから仕方ない。書き残しておきたいんだから仕方ない。それにしても、この「BS歴史館」という番組、本当にクオリティ高いです。
昔は「プロフェッショナル仕事の流儀」などドキュメンタリー番組とかの方を見漁っていましたが、最近はこっちの方が断然面白い。
YouTubeよりニコ動より、Huluより、NHKオンデマンド派です。
興味ある方はぜひ観てみてください!
NHKオンデマンド | BS歴史館 シリーズ 江戸のスーパー変革者(1) 松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~
それでは今日はこのへんで。
https://blog.goo.ne.jp/snclimb/e/d997df9983d8dc7f0898f66a72ed587b 【命二つの中に生きたる桜かな」 “お互いに今までよく生きてきたものだ。】 より
※滋賀・水口の満開の桜の下で20年ぶりに同郷の旧友・服部土芳と再会した時の句。
江戸のスーパー変革者(1)「松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」
もし松尾芭蕉がいなかったら日本語は違った発展を遂げていたかもしれない? 芭蕉の生きた江戸時代まで文学と言えば京都の王朝文化が一千年育んできた雅なもの。
多くのルールや、厳格な言葉遣いに縛られていた。ところが芭蕉はそれらを破壊。 「鶯や餅に糞する縁の先」と、「糞」までを詠み込んでみせる。身近な風景や何気ない庶民の営みにも美が宿り、感動があることを表現したのだ。
日本人の感性に影響を与えた芭蕉の改革に迫る。 芭蕉が生涯に詠んだ句は約900句。紀行文はすべて死後に刊行された。 “侘び・さび・細み”の精神、“匂ひ・うつり・響き”といった嗅覚・視覚・聴覚を駆使した文章表現、 そして「不易流行」「軽み」。
この芭蕉の感性は多くの俳人を虜にし、いつしか『俳聖』と呼ばれるようになった。最期の句は死の4日前の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」
“旅先で死の床に伏しながら、私はなおも夢の中で見知らぬ枯野を駆け回っている”。 芭蕉が敬慕してやまない偉大な先人たち、西行、李白、杜甫らと同様に、彼も旅の途中で果てたのだった。
「命二つの中に生きたる桜かな」“お互いに今までよく生きてきたものだ。2人の生命の証のように、満開の桜が咲き香っているよ”
※滋賀・水口の満開の桜の下で20年ぶりに同郷の旧友・服部土芳と再会した時の句。
https://blog.goo.ne.jp/snclimb/e/bcd032d4abfb46479938e9cd541190f8 【松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~】より
もし松尾芭蕉がいなかったら日本語は違った発展を遂げていたかもしれない?
『おくのほそ道』
夏草や兵どもが夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと):岩手県平泉町
閑さや岩にしみ入る蝉の声 (しずかさや いわにしみいる せみのこえ):山形県・立石寺
五月雨をあつめて早し最上川 (さみだれを あつめてはやし もがみがわ):山形県大石田町
荒海や佐渡によこたふ天河 (あらうみや さどによこたう あまのがわ):新潟県出雲崎町
古池や蛙飛びこむ水の音 (ふるいけや かはづとびこむ みずのおと) 『蛙合』
芭蕉の生きた江戸時代まで文学と言えば京都の王朝文化が一千年育んできた雅なもの。多くのルールや、厳格な言葉遣いに縛られていた。ところが芭蕉はそれらを破壊。
「鶯や餅に糞する縁の先」と、「糞」までを詠み込んでみせる。身近な風景や何気ない庶民の営みにも美が宿り、感動があることを表現したのだ。
日本人の感性に影響を与えた芭蕉の改革に迫る。芭蕉が生涯に詠んだ句は約900句。紀行文はすべて死後に刊行された。
“侘び・さび・細み”の精神、“匂ひ・うつり・響き”といった嗅覚・視覚・聴覚を駆使した文章表現、そして「不易流行」「軽み」。
この芭蕉の感性は多くの俳人を虜にし、いつしか『俳聖』と呼ばれるようになった。最期の句は死の4日前の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」
“旅先で死の床に伏しながら、私はなおも夢の中で見知らぬ枯野を駆け回っている”。芭蕉が敬慕してやまない偉大な先人たち、西行、李白、杜甫らと同様に、彼も旅の途中で果てたのだった。
さまざまのことを思い出す桜かな(芭蕉)遺言は「私を木曽義仲公の側に葬って欲しい」
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