さまざまの事おもひ出す桜かな

http://www.haiku-matsuyama.jp/joka/200/  【さまさまの事おもひ出す桜かな(松尾)はせを】 より

明治甲午夏

 「明治甲午」は明治27年(一八九四)のこと。芭蕉没年(一六九四)から、満二百年にあたる。「はせを」は芭蕉のこと。建立者はわからないが、俳聖芭蕉の二百回忌にこの地の俳人達が建てたものであろう。

 貞享4年(一六八七)3月、芭蕉が江戸から故郷伊賀上野へ帰ったところ、旧主藤堂良忠(俳号蝉吟)の遺子良長(俳号探丸)から、下屋敷の花見の誘いを受け、二〇年ぶりで訪ねると、昔の跡はそのままで、庭前の花を見つけるに つけ、さまざまのことを思い出し、感無量の気持ちを詠んだもの。探丸は早速芭蕉のこの句に、「春の日永う筆にくれ行」と付けた。旧主蝉吟は二五歳で既に病没し、今、その子探丸は二三歳になっている。―この時芭蕉は四五歳であった。

 戦災の後、この句碑は、本殿の西側の縁の下に横倒しになっていたが、このように元の姿を現して感慨深い。この碑の傍らに貞享4年(一六八七)より阿沼美神社の神職だった大山為起(国学者・「味酒講記」の著者)の招魂碑がある。


https://blog.goo.ne.jp/kanekuti3515/e/8c0415ee6862a420ae12a443e1844be9 【〈さまざまの事思ひ出す桜かな〉】 より

昨日は、地域の会館で今年度より新しく始まる俳句教室の開講式でした。

 この地域はあまり馴染みがないのですが、2年前より〝夏休み子ども大作戦〟の一環として、小学生の俳句指導を引き受けたのがきっかけで、今年からは大人の講師もと頼まれたのでした。ちょっとドキドキ! やっぱり初めてのところは緊張しますね。

 講師紹介では、自己紹介をと言われ…、ウーン、何かないかしらと考えて、咄嗟に出てきた句、  さまざまの事思ひ出す桜かな 芭蕉の句です。今日は歳時記も電子辞書も持って来てないし…間違いはないと思うけど、 「さまざまの」のところが「さまざまに」だったかしら? もし違っていたら、恥ずかしい! …どうしようと思う間もなく順番が来てしまいました。

 ああ~言ってしまいました!

でも、やっぱりここは「さまざまの」でなくては収まらないと、確信をもって言いましたがね。

「さまざまに」だとすると、「思い出す」に掛かります。「さまざまの」にすれば、「事」です。「事」とは出来事の意味ですが、どちらの意味にとっても絶対におかしいとは言えませんから。

よく「の」と「に」のどちらの助詞を使ったらいいでしょうかと聞かれることがあります。

 一般的には、「に」という助詞を使うと説明臭くなるので避けましょうと指導するのですが、そうすると初心者の方は何でもかんでも「の」にしてしまうという傾向があります。場合によっては、「に」でなくてはいけない場合でも、「の」にしてしまうのはちょっと困りものですが…。

俳句は17文字という制限がありますので、この助詞1字がとても大きな働きをするのです。いや、少し上達すると、この助詞の使い方が句の出来不出来を決めるといっても過言ではありませんね。

 ではこの芭蕉の句はというと、「いろいろな事」を思い出して桜を眺めているという場面が相応しいでしょうから、「の」が正解なのです。

 実はこの句、芭蕉43歳の頃の作で、次のような前書があります。

 「探丸子(たんがんし)の君別墅(べっしょ)の花見催させ給ひけるに、昔の跡もさながらに」

 「探丸さまが下屋敷で花見の宴を催しになられました時、昔過ごした場所はそのまま変わらずにあるのに…」

 そんな意味です。「探丸」とは、芭蕉が金作と名乗って奉公していた、伊勢国伊賀付侍大将藤堂良忠の遺児藤堂良長のことで、俳諧の号です。

 主君の良忠は芭蕉より2歳上で、台所用人として仕えていた芭蕉の文才を認め、ともに北村季吟門として俳諧を嗜みます。その時の句が、良忠は蟬吟(せんぎん)、芭蕉は宗房(むねふさ)という号で残っています。

 そういう繋がりもあって、探丸は殊に芭蕉を敬愛し、伊賀に帰郷するたびに屋敷へ招待していたそうです。

 この句も、1688年の春、その下屋敷の花見に招かれた時の吟なのです。

 芭蕉が俳諧を「生涯のはかりごと」とするに至ったのも、この人なしには考えられないという人物。ともに励みきっと主従を超えた間柄だったのでしょう、そのよすがとした良忠は25歳という若さで亡くなります。そんな大恩人の面影を目の前の探丸に重ね、良忠と過ごした日々を思い出しながら桜を眺めているのです。

 その下屋敷の遺跡は、非公開ですが今も伊賀上野に「様々園」として存在するということですが…。

 ちなみに、この句は俳諧紀行文集『笈の小文』(おいのこぶみ)に所収されています。    

 これだけ単純明快に桜を詠み上げるのは本当に至難の業です。

 古来より「桜」というものには、日本人の〝こころ〟が宿っているのですから…

 どんな人にも桜を見れば、思い出すことの一つや二つは…いや人によってはごまんとあるかも。それをこのような一句に仕立てて、万人と思いを共有できるという俳句はやっぱりスバラシイ!

 どうですか?貴方も〝ミニ芭蕉さん〟になって、ちょっと詠んでみませんか?


http://sakuramitih31.blog.jp/archives/25189620.html 【さまざまの事おもひ出す桜かな】より

さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉(さまざまの ことおもいたす さくらかな)

詞書・・旧主の別邸に招かれて。

意味・・昔、参上したことのあるこのお邸(やしき)に咲く桜、本当に何年ぶりでございましょう。さまざまなことを思い出します。本当にこの 一本の木にどんな思いのこもっておりますことか。

誰にも桜には沢山の思い出があることでしょう。満開の桜の下に立ち、来し方を振り返る

芭蕉です。

私は毎年桜を仰ぐたびにこの句を口ずさみ、「さまざまな事」を思い出します。そして、

来年は誰と一緒に桜を愛(め)でるのだろうと思い、今より少しは成長した自分で桜に臨みたいと、念じます。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

出典・・笈の小文。


https://bashounokoto.wordpress.com/2014/09/29/samazamano/ 【さまざまの事おもひ出す桜かな】 より

さまざまの事おもひ出す桜かな

詞書きがなければ意味をなさない一句。

笈の小文にはその詞書きが無い。発句編のテキストによってそれをみる。

探丸子(たんぐわんし)のきみ別墅(べつしよ)の花みもよほさせ玉ひけるに、むかしのあともさながらにて

さまざまの事おもひ出す桜かな 桃青

頭注:

○ 『笈日記』に「おなじ年の春にや侍らむ。故主君蝉吟公の庭前にて」、『蕉翁句集』に「探丸子のきみ、別墅の花見もほさせ玉ひけるにまかりて、ふるき事抔(など)思ひ出侍る」と前書。

○ 探丸子: 芭蕉の旧主藤堂良忠(俳号蝉吟)の遺子藤堂良長(俳号探丸)。蝉吟が没したのは二十五歳の時であり、貞享五(1688)年には探丸が二十三歳となっているので、旧主の面影を偲ぶよすがとなったことと思われる。

○ 別墅: 下屋敷のこと。いまその跡が上野市玄蕃(げんば)町に残る。芭蕉の生家から一町(約108メートル)ほどの近い距離にある。

○ 探丸子の脇句は「春の日永う筆にくれ行」。

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