絢爛たる暗号【百人一首の謎をとく】

https://blog.goo.ne.jp/t_kojima001/e/1a63d6b1e8a8f81f30d1a03e11bd06ef 【絢爛たる暗号【百人一首の謎をとく】 織田正吉】より

先日、千葉在住の友人と焼きとり屋で一杯やったときに百人一首の話題となり、彼の子供達もやっていたとのことで、友人も興味を持っていた。

「百人一首の暗号をとく推理小説があるんだぜ」と友人がいう。

「へ~、ダビンチ・コードみたいなストーリーなのかい?」と訊いた。

「う~ん…、まっそんな感じかなぁ。結構人気があるみたいだぜ。通勤中に読んでたんだ…」と。

QEDシリーズの「百人一首の呪」(高田崇史著)という推理小説のようなので更に検索してみると、どうもこの小説のベースになっているのは織田正吉氏の「絢爛たる暗号」だと行き着いた。まずは昭和53年に出版されたこの古本をネットで手に入れ、読み始めました。

まずは、百人一首の選者は藤原定家(絵左)なのか…、万葉時代から定家の時代の鎌倉初期まで、当然選ばれるべき代表的歌人が抜けていたり、選ばれた歌人でも代表作ではない駄作に近いものが選ばれているのは何故か…、と始まる。なんか面白そうなのである。

百人一首、百人秀歌の歌が何度も繰り返され、意味を持ち様々に繋がってゆく。鑑賞し驚きながら、ゆっくりと読み進むのがイイ。

風景や季節、世情や心情などを歌にしているだけではなく、巧みな言葉遊びがある。古の歌人たちがユーモアやウィットを歌に託し、それをお互いが楽しんだという教養(?)の深さが素晴らしい。

「定家は生涯の中でもっとも心に痕跡を残した高貴な男女二人_後鳥羽院(絵右)と式子内親王(絵中)_を一対の人物として(百人一首に)匿した」。織田氏の解釈を読み進うち、定家がじっと目を瞑り口を硬く結びつつも背中に全神経を集中させて隠岐の後鳥羽院を思う姿と、身分の違う内親王との秘められた恋(忍ぶる恋)のために悩ましげに月を見上げている姿等が切なく伝わり、目の前に浮かぶ。

「定家は誰に向かっても自分の心の中をうちあける方法を持たない。誰にも覗かせなることのできない心の底を、誰に向かってともなく吐き出す方法として、自分の天職である歌と、歌学者としての古典の知識を生かすことを思いついた。それは…(略)…思う心を隠す暗号を練りあげることだった」。う~んもう、ワクワクもんだよね。

この本、読了まで2週間程かかってしまったけれど、とても楽しめました。

097 来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ   権中納言定家(絵左)

089 たまの緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする 式子内親王(絵中)

099 人をもし人もうらめしあぢきなく世をおもふゆゑにもの思ふ身は  後鳥羽院 (絵右)


http://omakero.blog.fc2.com/blog-entry-563.html 【『絢爛たる暗号』織田正吉著】より

小倉百人一首の謎

『絢爛たる暗号』織田正吉著集英社520円文庫(昭和61年発刊)誰もが知っている小倉百人一首は、藤原定家の撰歌といわれていますが、他の誰かが選んだのではないかという疑問が旧来からあるようです。

その理由はあの六歌仙としてつとに有名な藤原定家が選んだ百人の百首にしては、疑問のある歌が紛れ込んでいる。

当然のごとく入っていなくてはならない額田王、山上憶良、大伴旅人、源順などが選ばれていないのは?

また歌人としては無名な人が何人か選ばれているのは何故か?

選ばれていたとしても代表的な歌が選ばれていない、あまりたいしたことのない歌が選ばれている。たとえば西行や、後鳥羽院など。

この本では藤原定家の作であることを証明した上でこれらの疑問を一つ一つ解いて見せてくれる。正しいかどうかは私には見当も付きませんが、ミステリーのようにわくわくしながら読めます。

確かに達人・天才が百首を選んだなら、解る人には解るように百首で仕掛けを隠しておくというのはありそうです。

ましてや技巧者の藤原定家なればただ百首を選択するなどあり得ない事でしょう。

子供の頃百人一首カルタでトーナメントに参加したことがあり、すべて馴染みのある和歌ばかりでした。もちろん北海道なので下の句カルタでしたが。

この本の作者は台本作家で有名な方です。この本の後も何冊か百人一首に関する本があるようです。

https://wakadokoro.com/bookradio/recommend/%E7%B5%A2%E7%88%9B%E3%81%9F%E3%82%8B%E6%9A%97%E5%8F%B7%E2%80%95%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F/  【絢爛たる暗号―百人一首の謎を解く】より

百人一首はただのカルタではなかった!

「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」

これは百人一首にとられた西行の歌であるが、「かこち顔」のイメージがしづらいためか風情を感じにくく、なんでこんな歌を定家が選定したのかと疑問に思っていたのだが、この本を読むと一首一首の選定の理由が分かるのである。

そこには定家が綿密に仕組んだ暗号が秘められていたのだ!

絢爛たる暗号―百人一首の謎を解く

織田 正吉 (著)

令和和歌所ではメーリングリストで歌の交流(セッション)を繰り広げています。現代の「和歌」の楽しさをぜひ味わってみてください。初心者の方のご参加も大歓迎です


https://note.com/xiyou/n/n3f3282157967 【百人一首の謎を解く。『絢爛たる暗号』織田正吉】 より

私の実家は雪国。子供の頃はゲームもスマホもなかったので、冬休みはコタツでかるたやトランプばかり。祖母や母が根気よくつきあってくれた。とくに、母親は、百人一首の歌のいろんな背景を教えてくれた。

たとえば、「心あてに…」の歌の菊の花と雪(霜)の情景。小式部内侍が「大江山…」と歌ったのは母の和泉式部が有名な歌詠みで、それをあてこすられたときの切り返しだとか。「君がため春の野にいでて…」と天皇が詠んでも、それは実際に自分で若菜を摘んだわけじゃなく、召使い(?)に摘ませたんだとか。

百人一首かるたが得意だったので、高校時代の古典は楽勝だったし、国士舘大の国文から来た教育実習生に読み方も教えてもらったので、本格的に読むといろんな場所で受けた。そんな高校時代に読んだのが織田さんの『絢爛たる暗号』。

『絢爛たる暗号』は、百人一首かるたになぜ似たような歌が多いのか、駄作といわれる作品も収録されているのかを推理した、謎解き風の読み物。選者の藤原定家と、彼の生い立ちや和歌選定時の状況、それから百首選ばれた歌の作者たちと歌の意味などなど。高校時代の私は、確かわくわくしながら読んだ気がする。

ただ、必ずしも、歴史的事実を踏まえた推理ばかりではないので、国文の専門家の間では「トンデモ本」の一つらしい。田辺聖子さんも「読み物として」おもしろかったので(意訳:専門書ではないけれど)、「この本をきっかけに百人一首の研究が進むことをのぞむ…」って書いている。うまい表現。

中学生になった娘は、宿題に出された百人一首の暗記を意味もわからずにやっていたので、最初は私が母に教えてもらった逸話なんかを説明していたけど、途中から面倒くさくなって、この『絢爛たる暗号』を紹介した。そしたら『うた恋。』も好きな娘のこと。『絢爛たる暗号』をかなり真剣に読んで「切ないなあ…」なんて言っている。きっと、ビジュアルは全て杉田圭さんの画で脳内再生されたに違いない。読み終わったら後も、実際に百人一首のかるたを並べて、あーでもない、こーでもないと本の内容をトレースしている。親としては作者様に感謝の限り。

http://norenjapan.jp/pick_up/hyakunin-isshu-2/ 【本当はミステリアス!?伝統文化「百人一首」の謎】 より

百人一首(小倉山荘色紙和歌)の謎

漫画「ちはやふる」の人気から、若い世代にも百人一首のブームがおこっています。百人一首は約千年前に当時の歌壇の大御所、藤原定家(ふじわらさだいえ/ていか)が選出した名歌集といわれています。飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、およそ六百年間に詠まれた百人の歌がほぼ年代順に並んでいます。しかし、この百人一首には不思議なことがあります。歌や歌人の選びかたがどうも変だと昔から言われてきたのです。たしかに百人一首は名歌、秀歌の集まりですが、中にはなぜこんな歌が選ばれたのか?と首をかしげたくなる歌や、同じ作者の歌ならもっと良い歌があるのに、どうしてわざわざこの歌を選んだのか?と疑問を持たれるケースがありました。

このような、百人一首に関する謎、

〇駄歌、凡歌が入っている

〇似たような語句の歌が多い

〇有名な歌人が入っておらず、無名の歌人が入っている

・・・これらの疑問に最初に取り組んだ本が、織田正吉著の『絢爛たる暗号:百人一首の謎を解く』です。(昭和53年出版)

百人一首とは、定家が息子である為家の妻の父親である宇都宮蓮生に《広間の襖に貼るための和歌の色紙を書いて欲しい》と頼まれ、応じたものです。しかし、織田正吉氏の説によると、「百人一首とは、歌を用いた一種の秘密の暗号、クロスワードではないか。百首で用いられた語句によって、すべての歌が縦横に連鎖する構造を持ち、それは承久の乱(1221年)に敗れ、隠岐の島に流された後鳥羽院鎮魂のための撰歌(せんか)である。」というものです。驚くような大胆で面白い仮説で、その後類似書も数々出版されました。

百人一首の駄歌は、、

批判の多い歌の例として、真っ先に思い浮かぶのは文屋康秀(ふんやのやすひで)のこの歌でしょうか。

第22首「吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐と言ふらん」

(訳:山風が荒々しく吹きおろすと、たちまち秋の草木がしおれてしまう。なるほど荒々しいからそれで「あらし」、また山から吹く風なので文字通り「嵐」というのだろうか。)

文屋康秀

文屋康秀(ふんや の やすひで)

この歌はただの言葉遊びなのですが、覚えやすく妙に人気があります。重苦しい歌の多い中では、箸休めのような気安さがあるのでしょう。織田氏の説によれば、この「風」「嵐」というキーワードがパズルに必要だったのではないかとの事です。

百人一首とは、実は護符(お守り)?

百人一首に異様に多い風の歌は、隠岐から京都に向かって吹く後鳥羽院の呪詛(じゅそ)を意味すると考えられます。又、海、船出、濡れる、月など孤島 配流(はいる)を思わせる言葉が多いのも、注目すべき点です。

※呪詛(じゅそ):呪うこと

※配流(はいる):島流し、追放刑

定家は後鳥羽院の命により『新古今和歌集』の撰出にかかわる。しかし歌をめぐる確執から後鳥羽院と対立し、職業歌人としての生命を断たれるに至る。二人の運命の明暗を分けたのは、その直後に起きた承久の乱(じょうきゅうのらん)であった。鎌倉幕府との戦闘に敗れた後鳥羽院は隠岐(おき)へ流され、一方定家は職業歌人としては破格の地位の昇進をする。悲運の運命をたどった後鳥羽院を見捨て、親幕派となり出世をとげた定家は、隠岐の島の後鳥羽院の怨念に怯え、身を守る護符(ごふ)を必要としたのではないか。その護符こそが、百の歌で構成される、クロスワードパズルとしての百人一首である。

※護符(ごふ):神仏の加護のこもっているという札。お守り。

なぜこの歌人の、この歌を?

百人一首の不思議のひとつ、同じ歌人の歌の中でも評判の高いものを選んでいないケースがしばしばあります。この疑問も、このクロスワード説を知ると納得できるかも知れません。

例えば、歌人として人気の高い西行法師。西行ファンなら、美しい歌の数々の中からなぜこの歌を?と誰でも首をかしげます。

第86首「なげけとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな」

(訳:月が私を悲しませようとでもしているのか、いやそんなはずはないのだが、そうとでも思いたくなるほど、月にかこつけるようにして涙が流れてしまうのだ。)

西行の代表作の一部としては下記の歌でしょうか。

「吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき」

「道の辺に清水ながるる柳蔭しばしとてこそ立ちとまりつれ」

「心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮」

定家自身の歌においても、評価の高い有名な歌が取られていません。

第97首「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ」

(訳:待っても来ない人を待つ私は、松帆の浦の浜辺で焼いている藻塩の煙がなびいているが、この身も恋の思いにこがれていく、そんな気持ちなのだ。)

藤原定家の代表作

「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空」

「大空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春の夜の月」

「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮」

後鳥羽院においてもやはり、有名な歌が取られていません。

第99首「人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は」

(訳:ある時は人々を愛しく思い、またある時は恨めしいとも思う。この世はどうにかならないものだろうが、それゆえに物思いをする私であるよ。)

後鳥羽院の代表作

「ほのぼのと春こそ空にきにけらし天のかぐ山霞たなびく」

「見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけん」

(番外)

「我こそは新島守よ隠岐の海のあらき波風心して吹け」

(後鳥羽上皇が、隠岐島に流された際に詠んだ歌です。百人一首は勅撰和歌集からのみ選んでいるので、この歌は百人一首には入るはずのない歌です。)

後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

確かに定家は、名歌、秀歌だけを選出したのではないことは、上記の歌から、また有名歌人を百首に入れていない場合があることでも想像できます。

百人一首の秘密を探っていくと際限がありません。定家と式子内親王の秘めた恋も内包されているとも言われています。定家の残した秘密の暗号を探りながら、百人一首をもう一度読み直すのも興味深いかも知れません。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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