雪見

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/oinokobumi/oino11.htm#ku2  【笈の小文(雪見)】より

有人の會* ためつけて雪見にまかるかみこ哉(ためつけて ゆきみにまかる かみこかな)

いざ行む雪見にころぶ所まで (いざゆかん ゆきみにころぶ ところまで)

ためつけて雪見にまかるかみこ哉

 「ためつける」とは、着物の折り目を正しく折ることを言う。雪の宴に招かれて旅の薄汚い紙子のせめて折り目だけでも正していこうかと詠んでいる。招いてくれた主人への挨拶吟。

いざ行む雪見にころぶ所まで

上の句に続いて、さあ雪見の宴に出かけましょう。雪に足を取られてすってんころりんと転ぶかもしれないけど。心浮き立つ雪の宴への期待感を楽しく詠いあげた。

 この句は、貞亨4年12月3日名古屋の門人夕道(風月堂孫助)亭での雪見の席が初案で、『真蹟懐紙』では;

  書林風月と聞きしその名もやさしく覚えて、しばし立ちりて休らふほどに、雪の降り

  出でければいざ出でむ雪見にころぶ所まで  丁卯臘月初、夕道何某に贈る

とある。これとは別に、

いざさらば雪見にころぶ所まで(花摘)があって、これが決定稿となった 。実際は、離別吟である。『笈の小文』は第2稿であるが、句の勢いから言えばこれが最も良いと思われるのだが。。。。

名古屋市 法生院(大須観音)の句碑「いざさらば雪見にころぶ所まで」

「いざ行かむ雪見にころぶ所まで」 の句碑は、全国的に八方探しましたが、有りませんでした。「いざさらば・・」の句碑は、岐阜、長野等にも有りましたが、名古屋で詠んだと伝えられるので、宝生院の句碑を選びました。(牛久市森田武さん)

 有人の 會:<あるひとのかい>と読む。これら2句は、前者が昌碧亭、後者は夕道亭での作品。11月28日。


https://mainichi.jp/articles/20161125/ddm/001/070/152000c 【いざ行(ゆか)む雪見にころぶ所まで」は…】より

「いざ行(ゆか)む雪見にころぶ所まで」は芭(ば)蕉(しょう)の句である。雪が降れば雪見へと繰り出した江戸の粋人(すいじん)だった。だがそれをからかって、「雪見には馬鹿と気のつく所まで」と詠んだ川柳子もいる

▲江戸の人が初雪を喜ぶさまを「雪見の船に歌妓(かぎ)を携え、雪の茶の湯に賓(ひん)客(きゃく)を招き……酒亭は雪を来客の嘉瑞(かずい)となす。雪の為に種々の遊楽をなす事、枚(あげて)挙(かぞえ)がたし」と記すのは越後の鈴木牧之(すずきぼくし)の「北越雪譜」だった。雪に苦しむ国に暮らす者には考えられないことという

▲雪国の暮らしと思いを伝えるこの本は江戸で評判となり、以後「初雪のたった二尺は越後なり」などという江戸川柳も生まれた。首都圏の降雪をめぐる毎度の騒ぎに北国の人々があきれているのは今も同じだろうが、それにしても今季はちょっと早すぎる初雪である

▲きのうは東京都心で観測史上初の11月の積雪があった。11月の降雪そのものが54年ぶりで、首都圏では珍しい紅葉と雪の光景である。交通機関が乱れ、足を滑らせる人も続出したのはいつも通りだ。ただその積雪が2尺ならぬ2センチだと言えば、雪国の方は耳を疑おう

▲この11月の雪、東京上空に1月上旬並みの強い寒気が入り、太平洋上を進む低気圧の湿った空気とぶつかったためという。冷気の南下は「北(ほっ)極(きょく)振動(しんどう)」という地球規模の気象現象によるもので、そういえばこの言葉、近年の世界的な厳冬や暖冬の時も聞いたことがある

▲雪見のお供が「こんな時に歩くのは俳諧師(はいかいし)か盗人だけだ」とぼやく江戸小話もある。今や東京でも通勤・通学の混乱や高齢者の歩行や雪かきの困難で、雪に心浮きたつ大人は少なくなったのかもしれない。


https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20000117,20050125&tit=%90%E1%8C%A9&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%90%E1%8C%A9%82%CC  【季語が雪見の句】 より

 いざさらば雪見にころぶ所迄

                           松尾芭蕉

雪国の方には申しわけないが、東京などに住んでいると、降雪というだけで心がざわめく。はっきり言うと、うれしくも浮き浮きしてくる。背景には、いくら降ったところでたいしたことにはならないという安心感があるからだ。せいぜい、数時間ほど交通機関が混乱するくらい。全国的にもっと降ったであろう江戸期にしても、江戸や京の町の人たちは、花見や月見のように「雪見」を遊山のひとつとして楽しんでいたようだ。やはり、うれしくなっちゃつたのである。現代では「雪見」の風習はすたれてはいる。が、昔の人と同じ心のざわめきは残っており、居酒屋などで「雪見酒」と称する遊び心の持ち合わせは失われていない。ただ、昔の人と違うのは、雪を身体で受け止められるか否かの点だろう。「雪見にころぶ」というのは、今日の私たちが誤ってスッテンコロリンとなる状態ではありえない。もっともっと深い雪のなかで「雪見」と洒落れるのには、必ず「ころぶ」ことが前提の心構えを必要とした。その「ころぶ」ことをも含めた「雪見」の楽しさであった。なるほど「いざさらば」なのである。「いざさらば」は滑稽にも通じているが、真剣にも通じている。身体ごと雪を体験した時代の人の遺言のような句だ。(清水哲男)


 死後初の雪見はじまる縁の家

                           摂津幸彦

季語は「雪見」。平城京の昔には年中行事とされていた。高貴な人たちが初雪を賞でたわけだが、時代を経るにつれて庶民のささやかな楽しみの一つに転化した。行われるのも、とくに初雪の日とは限らない。掲句の場合も、友人知己が集っての例年当季の酒盛り程度の軽い意味だろう。自分が死んだ後も、当然のように恒例となった雪見の会が開かれている。いや、開かれるはずである。当たり前といえば当たり前のことながら、そこに自分がもう出られないと予感することは淋しくもたまらない気持ちだ。明らかに、このときの作者は自分の死期が近いことに気がついている。最近「摂津幸彦論」(「俳句」2005年1・2月号)を書いた仁平勝によれば、夫人から聞いた話として「幸彦はこの時期すでに、自分が癌であることをうすうす感づいていた」ようである。しかし、このエピソードを知らなくても、十分に作者の気持ちは伝わってくる。読み解くキーは「縁(私はあえて字余りとなる「えにし」と読んでおく)」だ。誰だって通常出入りするのは「縁の家」に決まっているから、普段はことさらに「縁」を言う必要は無い。だが作者は、あえて「縁」と付けている。すなわち、生きていてこその「縁」を強く意識し、いとおしむ気持ちが激しいからこその措辞と受け取らねばならない。したがって、近い将来にその「縁」が断たれてしまう絶望的な予感のなかで、生への執着と諦念とが交錯し明滅している一句と読めるのである。『鹿々集』(1996)所収。(清水哲男)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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