Facebook・相田 公弘さん投稿記事 「無力と微力の二人の天使」
その街に二人の天使が舞い降りた。
その街に降りてから天使は十月十日眠り続けた。
目を覚ますと、天使は自分が天使であることを忘れていた。
天使が舞い降りたその街はゴミだらけの街だった。
あまりにものゴミの多さや、人の心に天使は悲しくなった。
一人の天使は自分を「無力」と呼び始めた。
一人の天使は自分を「微力」と呼び始めた。
無力の天使の口癖は「私だけがゴミを拾ってもしょうがない」
微力の天使の口癖は「私は私が出来ることをやってみるわ」
無力の天使はゴミだらけの街を見て絶望を感じて街から目をそらして、毎日空をながめていた。
微力の天使は一度は絶望を感じたものの一日一個、ゴミを拾い始めた。
一年後、無力の天使は空の素晴らしさをいっぱい知った。
朝日の美しさ、夕日の美しさ、虹がかかった時の素晴らしさ。
一年後、微力の天使は微笑んだ。街から365個のゴミが無くなった。
それから一年、さらに無力の天使は空の素晴らしさをいっぱい知った。
空や雲の変化を面白いなと見つめていた。
その頃、微力の天使は毎日「ありがとう」って言いながら毎日を過ご
していた。
それは、微力の仲間がいっぱい増えたから。
「一緒に拾うよ、私の力も微力だけど」10人の微力達が一緒に拾った。
一年たったら3650個のゴミが無くなった。
それから、一年、無力の天使は空の美しさだけでなく、街の美しさにも気づき始めた。
街がピカピカになっていた。
なんと、街では1000人がゴミを拾っていて、一年間で365000個のゴミが無くなって大変の意味が変わっていたのです。
微力の天使は言いました。
「始めはゴミを拾うのは大変でした。」「でも、今は拾うゴミを見つけるのが大変です。」
この街はある日から、ゴミを拾う人も増えたけど、ゴミを捨てない人も増えたのです。
あの人が拾っているゴミは私が捨てたゴミ。
私はゴミを拾うことは出来ないけれど、ゴミを捨てるのをやめよう。
微力の天使は誰も否定をしませんでした。
微力の天使は自分が出来ることをやっただけなのです。
無力の天使の心に変化が生まれました。無力の天使の心から絶望が消えていったのです。
そして、無力の天使も「ありがとう」を言いました。
ゴミを拾ってくれてありがとう。
お礼に無力の天使は微力の天使に空の美しさを教えてあげました。
次の日、二人の天使はゴミを拾いました。正式には、ゴミを探すために歩きました。
しかし、ゴミは見つかりませんでした。夕方になると、空がピンク色になりました。
素敵な空を見ながら、二人の天使は幸せを感じました。
ぴかぴかの街と、美しい空を見ながら二人の天使は二つのことを学びました。
自分を無力という天使は言いました。
「あなたが動いてくれたから、この街は天国になったんだ 天国は動いたら創れるんだね」
自分を微力という天使も言いました。
「私は下ばかり見ていたから空の美しさを知らなかった。でもあなたが空の美しさを教えてくれたから気づけたことがあるよ。それはすでにここは天国だということ」
今はすでに天国
そして、動けばさらに天国が増える。
二人の天使は少しだけ自分の背中に翼があることに気づけました。
あなたは天使だよ。
あなたこそ天使だよ。
みんな天使だね。
この言葉を読んでいるあなたも天使。
そう、みんな天使。
http://wp1.fuchu.jp/~zenshoji/minna.htm 【みんなちがって みんないい】 より
先年、ある講演会で、かねてより願っていた、酒井大岳老師のお話を拝聴する機会に恵まれました。酒井老師は、その中で次の詩を紹介されていました。
「 私と小鳥と鈴と 」 金子みすゞ
私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、 地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。
この詩は、鈴と小鳥と私と、それぞれの特色の中に生きているすばらしさを歌いあげています。
仏教では、修証義に「無上菩提を演説する師にあわんには、種姓を観ずることなかれ」とありますように、平等の教えを説いています。では、全く平等かというと、そうともいえません。
昔、お釈迦さまのお弟子の中に、王族の髪を結っていた床屋がいました。ある日のこと、この床屋に髪を結わせていた王族が、お釈迦さまの弟子になろうとしてやってきました。
弟子入りを許された王族は、教団に入る儀式として、先輩上席者の足をいただいて礼拝して廻りました。ところが、この王族が、以前髪を結わせていた床屋のところまで来たところ、王族は、「私は彼の主人でした。私は、彼の足だけは拝することができません」と、お釈迦さまにいいました。
お釈迦さまは、「生死を越えた求道者には、階級の差別などありはしない。出家人の儀式は、この人間平等の根底にたちながらも、古参上席者への礼として、先輩たる上席者を礼拝しなくてはいけない。驕慢の心を捨てよ」と、ついに王族の新弟子に、床屋の足を拝させたというおはなしがあります。
カースト制の身分階級の厳しかった当時のインドにおいて、カースト制の階級を越えた、お釈迦さまの仏教教団は、まさに革命的でした。しかしながら、この革新的な平等を教えるお釈迦さまは、平等の中にまた、厳然たる秩序のあることも教えておられます。
私たちは時々、一方を追求することに熱心なあまり、他方がおろそかになり、結果的に偏った物の見方をしてしまうことがあります。「仏教は中道の教え」といいますが、どれか一つのものに執着した、とらわれの心は、捨てさらねばなりません。
「鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。」
この観点を、しっかりと味わってゆきたいものです。
https://www.city.tamba.lg.jp/uploaded/attachment/31055.pdf 【第 7 回 「みんな違ってみんないい」】 より
「私と小鳥と鈴と」
私が両手を広げても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速くは走れない。
私が体をゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は、私のように、たくさんの歌は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。
この詩は、童話童謡雑誌が次々と創刊されていた大正時代末期、彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていた童謡詩人、金子みすゞさんの作品です。
みすゞさんは、明治36年、現在の山口県長門市に生まれました。20歳の頃から童謡を書き始め、作品が次々に雑誌に掲載されるという鮮烈なデビューを飾り、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、23歳で結婚したものの、夫から詩を作ることを禁じられてまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。そしてついには、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。
それから50年以上埋もれていたみすゞさんの作品は、児童文学者で、現在の金子みすゞ記念館館長、矢崎節夫さんの熱意により再び世に送り出され、今では小学校の教科書にも掲載されるようなりました。
みんなちがって、みんないい・・それは、一人一人がそれぞれに輝いているかけがえのない存在だということです。あなたはあなたでいい、そして、私は私でいいのです。
そして、もっと大切なことは、みすゞさんの「あなた」というまなざしです。出来ないことと出来ること、みんなそれぞれあるんだって気づいたのは「私」です。でも、それを気づかせてくれたのは「あなた」です。まなざしを変えなければ「みんなちがって、みんないい」にはなりません。基本はあなたがいて私がいて、どちらも大切ということです。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさに貫かれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
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