https://ameblo.jp/afumi-5328/entry-12513067474.html【唐崎】 より
2月24日 なぎさ公園を後に、国道161号を北上しました。
途中、唐崎神社に立ち寄りました。
唐崎神社は日吉大社の摂社で、ご祭神は女神さま、女別当命(わけすきひめのみこと)です。
古くより女人の信仰が篤く、殊に婦人病にはご霊徳が授けられるそうです。
また、びわ湖から難波まで淀川水系を辿る「七瀬之祓」初発の地で、王朝の大事に際して祓を行う霊場でした。
かの「蜻蛉日記」の作者、道綱母は兼家の訪れが途絶えた折りに、祓を求めて、この唐崎に出向きました。
かくながら廿よ日になりぬる心地、せん方しらずあやしくをきどころなきを、
いかですヾしき方もやあると、心ものべがてら浜づらの方に祓へもせんと思ひて、
唐崎へとてものす。(蜻蛉日記より)
この後、日記には唐崎までの旅と祓の様子が描かれています。
この唐崎神社の境内には近江八景のひとつである「唐崎夜雨」の霊松が拡がっています。
現在の松は先代の実生の3代目で、芭蕉が訪れた頃の大きさとほぼ同規模とのことです。
樹齢は約200年で樹勢はまだありますが、絶やさない為に3代目の種が育てられているそうです。
唐崎の松は花より朧にて 芭蕉
さざ波の志賀の唐崎さきくあれど大宮人の船まちかねつ 柿本人麻呂
崎は唐崎。みほが崎。 (枕草子)
https://plaza.rakuten.co.jp/beautifulgoddess/diary/20080510/ 【琵琶湖西岸 二つの唐崎神社 その1】 より
琵琶湖の西岸には、二つの唐崎神社があります。
一つは、大津市の唐崎神社で、もうひとつは、高島市の唐崎神社です。
どちらも祓所として有名で、特に婦人病に対する御利益があることから、祓祭のときには京や大阪などの遠方からも、たくさんの人々がやって来て大いに賑わったそうです。
今回は、大津市の唐崎神社を御紹介いたしましょう。
唐崎神社の歴史は日吉大社の社伝によれば、舒明天皇6年(633年)琴御館宇志丸宿禰(ことのみたちうしまろのすくね)がこの地に居住し「唐崎」と名附けたことに始まります。
創建は天智7年(668年)、近江京遷都の翌年大津京鎮護のため大和国三輪山大神神社より、御祭神の大己貴神(おおなむちのかみ)を坂本の日吉大社へ勧請する道中、この地にあった松の木に神様が乗り移ったので、松を正面に社殿を建立したのが始まりであると伝えられています。
日吉大社の摂社で、朝廷が琵琶湖唐崎から淀川までの「七瀬之祓」の第一処として、国家安泰の祓所に定められました。
御祭神は、女別當命(わけすきひめのみこと)
この女神様は、琴御館宇志丸宿禰の奥さんなのです。
かつては「女別当社」と呼ばれていました。
代表的な祓祭が、毎年7月28日と29日に営まれる「夏越の祓」の御手洗祭(みたらしまつり)です。
罪や穢れを払い、暑い夏を健康で乗り越えられる様に、紙の人形(ひとがた)に息を吹きかけ、茅の輪をくぐって身を清める神事が行われます。
通常の茅の輪くぐりは、ただ輪をくぐるだけですが、唐崎神社では参拝者が人形や、願い串に自分の名前を書いて奉納します。
それを日吉大社の神官が、藁苞(わらづと)に入れて茅の輪をくぐり、湖中に立てられた朱塗りのの山王鳥居に向かって藁苞を投げるという古式にのった大祓の神事が行なわれています。
七瀬之祓の唐崎で、人々は無病息災を願い、罪穢(ざいえ)を琵琶湖に流し去るのです。
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唐崎は、古来より近江八景の景勝地としても有名で、多くの万葉歌人や文人墨客が、この地で詩歌を詠まれてきました。
さざ波の志賀の辛崎幸(さき)くあれど大宮人の船待ちかねつ 柿本人麻呂
(さざなみの志賀の辛崎は、その名のとおり変わらずあるのに、大宮人を乗せた船はいつまで待っても帰って来ない)
この詩は、壬申の乱で近江朝廷が滅びた20年後、柿本人麻呂がこの地に訪れたときに、天智天皇を偲び詠まれたものです。
辛崎の松は扇の要にて 漕ぎゆく船は墨絵なりけり 紀貫之
辛崎の松は花より朧(おぼろ)にて 松尾芭蕉
唐崎の「霊松」も有名です。
現在の松で三代目になるそうです。
金沢の兼六園にある「唐崎の松」も、この地から分けられたものです。
古より多くの人々に愛されてきた唐崎です。
しかし、唐崎神社の御祭神は、どうして琴御館宇志丸宿禰の奥さんの女別當命なのでしょうか?
唐崎に社殿を建立した理由は、三輪山の大神神社の御祭神である大己貴神が、唐崎の松の木に乗り移ったからでした。
それならば、御祭神は日吉大社西本宮と同じ、大己貴神ではないのでしょうか?
それなのに、なぜ女別當命なのでしょうか?
それはおそらく、女別當命が巫女だったからでしょう。
巫女として、大己貴神を祭ったのだと思います。
大己貴神=大物主命=大国主命=大歳神=天照大神(あまてるおおかみ)なのです。
海上よりやってきた光の神様です。
その光(日)の神様を迎える巫女に憑っていたのが、水の女神・祓いの女神の瀬織津姫だったと考えられます。
琵琶湖西岸にある、もう一つの唐崎神社の御祭神は、この瀬織津姫をはじめとする祓戸の大神三神なのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/beautifulgoddess/diary/20080511/ 【琵琶湖西岸 二つの唐崎神社 その2】 より
今回は、琵琶湖北部の高島市マキノ町にある唐崎神社をご紹介いたします。
京都駅から湖西線の新快速電車に乗って1時間あまりでマキノ駅に到着します。
遠くに竹生島を望む琵琶湖の湖水と、田園風景の美しいところです。
琵琶湖畔の知内浜より見る竹生島 竹生島は、宮島・江ノ島と共に、日本三大弁天の一つとされています
唐崎神社は、マキノ駅から琵琶湖の畔に出て、知内川を渡った場所にありました。
徒歩10分くらいで行ける、とても風光明媚なところです。
唐崎神社は、知内川・生来川・百瀬川の3つの川が琵琶湖に流れ込むところにあって、古より祓戸の神々の鎮座地として、禊祓の祭祀を行なう古代の川社(かわやしろ)でした。
創建は不詳ですが、周囲に集落のできるはるか以前のことで、天智天皇の御代には既に鎮座していたと伝えられています。
川裾信仰の聖地として、「川すそさん」として親しまれてきました。
大津の唐崎神社と同様に、特に婦人病にご利益があるとされたため、「夏越の祓」の「川すそまつり」のときなどは、琵琶湖の対岸からもたくさんの人々が船に乗って訪れ、大変な賑わいになったそうです。
御祭神は、祓戸の大神三神です。
・瀬織津姫神 (せおりつひめのかみ) 水を司る最高の神 水神であり川神で自然界の浄化の神
・速開津姫神 (はやあきつひめのかみ) 水戸(水と水、流れと流れが出会うところ)のお祓の神
・速佐須良姫神 (はやさすらひめのかみ) 根の国、底の国の浄化の神
中臣大祓詞(なかとみおおはらいのことば)では、速開津姫神は海の神とされていますが、こちらでは流れと流れが出会うところのお祓の神になっています。
また、風・息吹の神である気吹戸主尊(いぶきどぬしのみこと)が含まれていませんが、この唐崎神社は琵琶湖の対岸に伊吹山を望み、季節によっては伊吹山から昇る朝日を拝むことができるそうです。
社伝によると、かつての社名は、大川神社だったそうです。
文徳天皇仁壽元年より「辛埼」とも称し、享保の頃より唐埼神社と号するようになったといいます。
境内社として、大川神社が残っているので、大川神社と唐崎神社は別の社であったとも考えられます。
大川神社の御祭神は、大宮女神です。
唐崎神社と号する以前に、辛崎と称されていたということは、大津の辛崎(唐崎)との関係を表していると思われます。
祓所として、また婦人病に対するご利益なども、大津の唐崎神社との共通点が多いからです。
大津から瀬田川を下った大石の佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)は、大津京鎮護のために創建された社ですが、祓所として祓戸の大神四神を祭っています。
この様に見ていくと、大津の唐崎神社も御祭神は、瀬織津姫をはじめとする祓戸の大神たちであった可能性が高い様に思います。
神殿の扉には、御神紋として日と月が彫られています。
唐崎神社には、古来より、日・月・星の三光紋が伝わっています。
そのため、三光神社とも称されることもあったそうです。
この三光紋を現在の御祭神に当てはめてみますと、以下の様になります。
・日 速開津姫神 海の浄化の女神
・月 瀬織津姫神 川の浄化の女神
・星 速佐須良姫神 霊界の浄化の女神
月と星は、これでも良いのですが、日は海というだけでは無理がありそうです。
やはり日には、海から昇る日神が相応しいと思います。
唐崎神社のあるマキノ町は、JR湖西線の開通までは開発から取り残された様なところだったといいます。
しかし、古より清らかな自然と共に、人々が暮らしていました。
漢字にすることのできないアイヌ語の地名も、まだ多く残っていると聞きました。
「川すそさん」と呼ばれ親しまれている唐崎神社の歴史も、そうとう古いものである様です。
古代の川社として、穢れを祓い、また日の神に仕える巫女が衣を織って、川を上って来る神を待っていたことでしょう。
その巫女に憑っていた女神が、瀬織津姫なのです。
古の時代、日神の天照大神(あまてるおおかみ)と月神・水の神の瀬織津姫は、一対神として祭られていたのです。
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