https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498748596.html 【俳句の「新しみ」~新しみは俳諧の花】より
光陰の重きを祝ぐや初句会 市橋千翔(いちはし・せんしょう)
(こういんの おもきをほぐや はつくかい)
「新しみ」ということを考えてみる。
松尾芭蕉は、新しみは俳諧の花(『三冊子』)と言っている。
つねに「新しみ」を求めなければ俳句は痩せてしまう、と言っているのである。では「新しみ」とはなんだろう。簡単に考えれば、、誰もやっていない表現となる。
しかし、ここで考えたいのは、新しみを追い求めた芭蕉も「575」を壊したり、季語を捨てたりはしなかった。俳句の「有季定型」の中で「新しみ」を求めたのである。ここは重要なポイントである。
誰もやっていない表現を「短絡的」に考えれば、「575」を壊したり、季語から解放されたほうがいいだろう。しかし、それはやはり「短絡的」なのである。「新しみ」とはそういうものではない。
芭蕉の句に、古池や蛙飛び込む水の音がある。
この句にも「新しみ」があるのだが、どこが新しいのか…、多くの人は知らない。
以前に書いたブログがあるのでそこを見ていただきたい。
名句について4 「古池」論争
https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/21641642.html
簡単に言えば、和歌の世界では「蛙」は「鳴く」ものだったが、この句の蛙は「鳴かずに飛びこんでしまった」。そこが新しい。
何が言いたいかというと、要するに「新しみ」とは、よ~~く見ないと、よ~~く考えないと見えないものなのだ。それゆえ、作る人も大事だが、それ以上に、「鑑賞する人の鑑賞力」が大いに大事なのだ。今、その「鑑賞力」が大いに停滞している。
これが「新しみ」の混乱を招いている。
安易に定型を壊したり、突拍子もない表現をしたり、あるいは「どうだ!この感覚凄いだろ~」というこれ見よがしな俳句が氾濫し、そこに「新しみ」があると勘違いしている。
これは「鑑賞力」が低下しているから、そうせざるを得ない、とも言えるのだ。
私たちは、よ~~く見てよく鑑賞して「新しみ」を見つけなければならない。
掲句を挙げたのもそういうことである。作者は90歳を超えた「河」の同人で、法曹界の重鎮である。この句の「新しみ」は何か?「光陰」を「重い」ととらえたところにある、と私は確信する。
光陰矢のごとしというように「光陰」は瞬く間に過ぎゆくものである。だから素早く軽いものであるはずだ。しかし、大いなる人生を歩んできた作者には、その「光陰」の「重み」を感じたのだ。年明けの初句会、当時は若かった作者も、集まる顔も皆、年を重ねた。
自分の、そして「座」の仲間たちと、毎年毎年積み重ねてきた「光陰」の「重み」を感じ、それを言祝ごう、と述べている。
ちなみに作者は、結婚後、一念発起し、戦後の混乱の中、乳飲み子を抱えながら中央大学へ通い、当時まだ珍しい女性弁護士となった努力の人である。
女性弁護士の草分け的存在である。その半生を思えばこの「光陰」の「重み」は納得できる。
多忙な中でも、俳句を愛し続けてきたのである。俳句はまさしく「めでたさの文学」である。
私はこういうものに「新しみ」を感じる。それは間違いであろうか。
私たちは目先の「新しさ」に惑わされず、「本物の新しみ」を見つける目を養わなければならない。芭蕉の「新しみ」への努力をもう一度考えてみるべきである。
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498733990.html 【名句について4 「古池」論争1】
古池や蛙飛こむ水のおと 芭蕉(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)
古今を通して、もっとも人口に膾炙している名句であろう。
もはや語りつくされた感のある、この「古池」の句が、最近再び熱い論議を呼んでいる。
発端は長谷川櫂(「古志」主宰)の著書『古池に蛙は飛びこんだか』(花神社)である。
長谷川さんはこの句について、なんと「古池に蛙は飛び込んでいない」と主張し、新解釈をしているのだ。
それに対し、小澤實氏が反論を展開したり、大御所の森澄雄氏まで論争に加わったりと、一部ではずいぶんとにぎやかになっている。
なんだか小難しい話をしているな~という気もあるが、その論点が、「切れ字」や言葉の重複の問題など、俳句の本質にせまることに多く触れており、読んでみてなるほどなと思うところもある。
この句は、誰もが知っている名句だが、この句の意味は? とか、この句のどんなところがいいのか? などと問われると、なかなかうまく説明できない句であるから、こうした論議を読み、あらためて、自分なりに、この句と向き合ってみることもいいことだと思う。
長谷川さんの新解釈については後日紹介するが(まだ私もよくわかっていないので…)、今回は「古池」の句の生まれた背景を紹介しておきたい。
新解釈の根拠にもなっていることでもある。
芭蕉の弟子・各務支考の俳論書『葛の松原』(元禄五年)によれば、この句はまず「蛙飛びこむ水のおと」という下の句が最初に出来たが、その後、上五に何をつけたらよいか芭蕉は悩んでいた。
その時、その場にいた其角が「『山吹や』ではどうでしょう」と芭蕉に進言したそうである。
つまりこういう句である。
山吹や蛙飛びこむ水のおと
しかし、芭蕉は熟考したのち、其角の案をしりぞけ、上五を「古池や」とし、
古池や蛙飛びこむ水のおと
とした、というのである。
これについて支考は、「山吹や」であれば「風流にしてはなやか」な句とはなる、と其角の案に一応の理解を示しながらも、「古池や」とすることによって、この句は「質素にして実」の句となったのだ、と述べている。
其角がなぜ、「山吹や」と提案したかというと、
かはづなくゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはまし物を よみ人しらず
都人きてもをらなむ蛙なくあがたのゐどの山ぶきのはな 橘公平女
忍びかねなきて蛙の惜むをもしらずうつろふ山吹のはな よみ人しらず
澤水に蛙なくなり山吹のうつらふかげやそこにみゆらむ よみ人しらず
みがくれてすだく蛙の諸聲に騒ぎぞわたる井手のうき草 良暹法師
沼水に蛙なくなりむべしこそきしの山吹さかりなりけれ 大貳高遠
山吹の花咲きにけり蛙なく井手のさと人いまやとはまし 藤原基俊
九重に八重やまぶきをうつしては井手の蛙の心をぞくむ 二條太皇太后宮肥後
山吹の花のつまとはきかねども移ろふなべになく蛙かな 藤原清輔朝臣
かはづなくかみなびがはにかげみえていまかさくらん山ぶきの花 厚見王
あしびきの山ぶきの花ちりにけり井でのかはづはいまやなくらん 藤原興風
のように和歌において、「蛙」と「山吹」(さらに言えば京都の「井手」という土地)は「1セット」として古くから詠い継がれてきたという伝統があるからだ。
和歌には、この景物にはこう詠む、という約束事というか、慣習・伝統が多くある。
「雪」と「鶯」、「大和」と「霞」などもその例だろう。
「山吹」といえば「蛙鳴く」、これは和歌のお約束事だったわけだ。
では其角は和歌の伝統に倣って「山吹」と進言したかというと、それは違う。
其角は和歌の伝統を逆手にとって、「もどいた」のである。
山吹の花を前に、鳴くはずの蛙が、なんと、鳴かずに池に飛び込んでしまった、という意外な面白さを強調し、和歌の伝統を茶化したのである。
当時の俳句(俳諧)は、「滑稽」や「和歌へのアンチテーゼ」を主としていた。
芭蕉も、
俗語を正す
と述べているように、和歌の見向こうとしなかった世界や表現・言葉を使うことに大きな意義があったのだ。
其角の案もそれに沿って、
「あの蛙、和歌に出てくるように優雅に鳴いて見せるのかちお思ったら、鳴かずに、池に飛び込んでしまったぞ」
と言いたかったわけだ。
では、その提案を退け、「古池や」とした芭蕉の意図は何だったのだろう。
それは、今までの和歌への「もどき」やアンチテーゼとして存在した俳諧から脱却し、芸術や文芸としての俳諧としたいという思いがあったのだろう。
アンチテーゼというのは、反発する権威そのものがあって初めて成り立つものである。
それゆえ、その反発する権威のおかげで存在することができているわけだ。
当時の俳諧も、和歌や漢詩などが下地となっているものが多い。
つまり、この句は俳諧を、独立した文芸として、芸術にまで高めようとした芭蕉の新風確立を高らかに宣言したものであり、俳諧が一つの独立存在としての文芸たらんとした芭蕉の志の一句と言ってよい。
時代が去り、そうした背景や意図は消えてゆき、今はこの句だけが残ったわけであるが、芭蕉のこの気概の上に現代の俳句も存在しているわけだ。
そういう意味でこの句は画期的な一句なのである。
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498733991.html 【名句について4 「古池」論争2】より
古池や蛙飛びこむ水のおと 芭蕉
さて次に長谷川櫂さんのこの句に対する新説を紹介しよう。
長谷川櫂さんは著書『古池に蛙は飛びこんだか』で、
蛙は古池に飛び込まなかった
と述べているのだ。
驚きである。
では、この「古池」は何なのかといえば、「蛙が水に跳びこむ音から、芭蕉の心に浮かんだイメージなのだ」と長谷川さんは主張しているのだ。
また驚きである。
芭蕉はまるで戦後俳句のような観念句を詠んでいたというのであろうか。
もちろん、昨日紹介したように、芭蕉は「蛙飛び込む水の音」というフレーズをまず考え出し、その後に「古池や」と付けた過程は知っている。
だから、この句が見たままの写生句ではなく、芭蕉の創作句であるのもわかっている。
しかし、それでも創作は創作として、芭蕉は、古池に蛙が跳びこんだ、という景を詠っているのだと思っていた。
あるいは過去に見た風景を思い出して詠った、と思っていたのだが、長谷川さんはそうではないという。
そもそも長谷川さんの疑問は、「古池」と「水」という言葉の重複にあったようだ。
長谷川さんは、この句が、古池に蛙が飛び込んだ、という意味であれば、「水の音」の「水」をなぜ芭蕉がわざわざつけたのか、と考えたらしい。
「古池」と出ているのだが、「蛙跳びこむ音」は当然「水の音」である。
「水」と言わなくてもわかる。
芭蕉ほどの達人が、そんな言葉のダメ押しのようなヘマをするだろうか?と考えたのだ。
そこで長谷川さんは、蛙が水に跳びこむ音を聞いた芭蕉が、その時、頭の中に幻の「古池」が浮かび、それを「古池や」と詠嘆した、と考えたのである。
長谷川さんの説明であれば、その古池には、寂れたイメージとしての古池があるだけで、そこに蛙はいないし、まして飛び込んでもいない、ということになる。
「俳句界」一月号の「俳句時評」で、林桂さんが、「なぜ蛙は池に飛び込まないのか」という文章を執筆しているので、引用させてもらう。
「古池や蛙飛び込む水の音」、この句は「蛙が水に飛び込む音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」という意であると説く。
蛙はなんと古池に飛び込まなかった、というのである。
従来、蛙を主体とした一物仕立て(※一句の中に一つの景物を詠ったもの…この場合は「蛙」)と考えられてきた句を、「古池や」という「心の世界」と「蛙飛び込む水の音」という「現実の世界」との取り合わせとして重視するべきことを挙げている。
加えて、俳論『葛の松原』に支考が記録している成立事情も挙げる。
芭蕉は、最初、「蛙飛び込む水の音」と詠み、上五を思案した。
その場に居合わせた其角が「山吹や」と勧めたことから、この句が取り合わせであるという説を長谷川氏は立てている。
(引用了)
(※は筆者注)
『葛の松原』のくだりは、昨日のブログを参照していただきたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/21641642.html
ここで、述べているのは、「山吹」と「蛙飛び込む水の音」とは本来何のつながりもない二つの事物であるから、其角は、二物仕立て(二つの事物を組み合わせているもの…この場合は「山吹」と「蛙」)の句として「山吹」と提案したわけである。
このことから、長谷川さんは「古池」と「蛙」との関係も二物仕立が十分に成り立ち、この句は「取り合わせ」の形式をとっている句なのだ、と言っているのである。
確かに長谷川さんの言うように、切れ字「や」は本来、一句の中の断絶を意味するものである。
例えば、
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
などがそうである。
「雪」と「明治は遠くなった」という感懐は本来は全く別の物であるから、これは二物仕立て、「取り合わせ」の一句といえる。
長谷川さんは「古池」の句も同様だ、と主張しているのだ。
長谷川さんは、
実際に聞いた音と、心の中の風景。
次元の異なる二つを取り合わせて、豊かなイメージを生み出す。
芭蕉は実にダイナミックな手法を編み出していたのです。
と述べ、それこそが「蕉風開眼」だと述べている。
自分でも書いているうちにこんがらがってくるのだが、要するに、長谷川さんは切れ字「や」を重視し、切れ字による一句の「断絶」を深く考えたのであろう。
以前、長谷川さんは、
切れとは断崖のようなものである
と書いていたことがあり、私も深く共感したことが、今回の新説には、良くも悪くも長谷川さんの「切れ字」に対する執着のほどがうかがえる。
この新説を支持するかしないかは、この句の切れ字「や」がそこまで深い「断崖の切れ」であるかどうかであろう。
私は、そこまでの断絶はなく、この「や」はやはり「古池」と「蛙飛びこむ水の音」をつないでいると考え。
もし古池と蛙が関係ないのだとしたら、蛙はどこに飛び込んだのであろうか。
川でもいいし、新しいできたばかりの池でも成り立つのであろうか。
長谷川さんはおそらく、どこに飛び込んだとしても一句の余韻や叙情は生まれる、と考えているのだろうが、私はやはり古池に飛び込んでこそふさわしいと思う。
そのあたりを小澤實さんが反論として具体的に挙げていたので、次回は小澤さんの反論を紹介してみたい。
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498733993.html 【名句について4 「古池」論争3】より
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
今回は小澤實さんの反論を紹介したい。
小澤さんの見解は、今までわれわれがなんとなく理解している「古池」の句の意に沿うもので、その解釈を理論的に述べている。
小澤さんは、古池の句は「古池」と「蛙」との二物仕立ての句である、という長谷川さんの論拠としている「や」の切れ字について以下のように反論している。
(引用)
芭蕉の「や」には、「口あひ」(語呂あわせ)の「や」もあり、すべてが散文脈を強く切るものではない。
長谷川もそのことに言及しているが、この句の場合、「口あひ」ではなく、深く切る「や」と断定している。
ぼくにはそうは思えない。
この句の「や」はやはり句の響きを良くするためのそれ、「口あひ」の「や」なのではないか。
(引用了)
ここで述べているのは、「古池や」の「や」が意味の断絶を示しているかどうかという問題だ。
断絶していれば「古池」と「蛙飛びこむ水のおと」は別々の事物となり、長谷川説が正しいことになる。
しかし、小澤さんはこの「や」は語呂合わせ、余情を深める為の「や」であり、断絶ではなく、「古池」と「蛙飛びこむ水のおと」はひとつの風景である、と主張する。
(引用)
また、長谷川は「山吹や」の取り合わせが可能であることが、すなわち「蛙飛びこみ水のおと」の部分の完結性をあらわすとするが、それは正しいのか。
「水」には、さまざまな場面がある。
川、湖、水路、洗い場。
芭蕉は「水」という語のイメージの不安定性に気付いていたから、「山吹や」ではなく「古池や」を選んで、結局は一物俳句へと改作したのではないか。
(引用了)
この「山吹」についての説明は昨日、一昨日のブログで説明しているので省く。
長谷川さんは「蛙飛びこむ水のおと」で言葉の意味が完結しており、だから二物仕立ての句として成り立つ、と主張しているが、小澤さんは池に飛び込むか、川か、湖か、でイメージが違ってくるから、完結していない。
だから芭蕉は「古池や」と付け、一物仕立ての句にして、読み手にわざわざどこに飛び込んだかを提示しているのだ、と述べているのである。
小澤さんはさらに長谷川さんのいう「古池」が心の中で浮かんだイメージとしての「古池」では、この句の持つ「泥の手触りや匂いも失せてしまう」と言う。
結論として、
ぼくは、この句においては、何でもない小動物の生の一瞬が描き出された、そこに価値を見いだすだけで、十分と思うのである。
と述べている。
おそらく多くの人が小澤さんの意見に賛成の意を示すだろう。
もっとも何度も言うように、この意見は小澤さん独自の意見ではなく、昔からの意見をわかりやすく説明しているのだから、どうしても新説を出している長谷川さんの方が旗色が悪いのもある程度仕方の無いことだろう。
しかし、「俳句α」(毎日新聞社)のシンポジウムにおいて長谷川さんがこの説を紹介した時、錚々たる俳人達の誰も反論をせず、むしろ賛意を示したということが、林桂さんの文章で紹介されており、またまた驚いた。
いったいどういうことなのだろうか。
それだけ俳句が沈滞して、刺激的な論を期待しているということなのであろうか。
なんだかいろいろなことがよくわからなくなってくる。
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