facebookSammaditthi Asakuraさん投稿記事
今生きている私達は、数え切れない偶然と無数の先祖の出会いによって生を受けて誕生したのです。そしていろんな人生経験を積んであなたがあるのです。
有り得ないような、奇跡によって誕生した尊い命と人との出会いに感謝しましょう。
「人の生を享(う)くるは難く やがて死すべきもの 今いのちあるは 有り難し」仏陀の言葉より
facebook加藤隆行さん投稿記事 「今ここ」って何ですか?
【じゃないとこにいるだけ】
昨年、雲黒斎さんとコラボセミナーをさせていただいてからこれまでスピリチュアル系のことを学んできた、という方がたくさん訪れてくださるようになりました。
よくスピリチュアルでも仏教でも「今ここ」という言葉が使われます。
で、「今ここ」ってのが結局よくわからない、という方がいっぱいいます。
わからない、というか「今ここ」を、なんだか神聖なものと思ってしまい、覚醒体験した人だけがわかる崇高な境地だと考えてたりします。
でも、んなことは全然なくて「今ここ」とは「今ここ」そのままのことです。
多くの人が何千年も「今ここ」と言い続けてくださっているのは みんながみんな、人類みな「今ここ」にいないから。
「今ここ」にいないのならどこにいるのかというと「過去か未来のどこかにいる、のですよね。
過去か未来ってどこかと言うと、「思考の中」(「妄想の中」)ってことです。
本当は、今ここ、この瞬間に生きているのに過去への後悔将来への不安ここに意識が飛んじゃっていて足元がおろそかになっている。
だから「今ここ」に戻ってこいや!(高田延彦風に)と言っているだけなのです。
例えばなんか不安になるようなことがあってオロオロしている人がいる。
そしたら横に関西のおばちゃんがやってきて「アンタ、ちょっとしっかりしいや!」とバシッと肩を叩いた。そしたら「ハッ!」と目が覚めますよね。これが「今ここ」です。
不安の思考にぐるぐるっと巻き取られて未来や過去のことばかり。それで足元ふわふわして
どこかに行っちゃってる。
だから喝を入れて目を覚まさせて「今ここ」に戻した。この瞬間を「気づき」って言います。
これもスピ界隈でよく使われる言葉ですよね。
でこの不安だった人はおばちゃんにハタかれたことで「ああ、しっかりしなきゃ」と現実がよく見えるようになり目の前のことに取り組むことができるようになる。
みんながみんなこの不安や後悔に絡め取られて「今ここ」にいないのです。
特に不安でないという人でも過去の経験・記憶から現実にフィルターかけて見て、現実をそのまま見ていない。ゆがんだ見方をしている。
勝手に「今ここ」に余計な意味をつけて 怒ったり悲しんだり不安になったりしている。
誰もが全然「今ここ」にいなくて 現実がまったく見えていないのです。
「今ここ」に戻ってきて 気づいているときは思考に巻き込まれない。
だからちゃんと目を覚まして正気に戻りましょう、ってことを言っている。
その目を覚ました状態の究極で純粋な状態が「悟り」とか言われるものだったりします。
でもそれ、誰にでもある訳です ちょっと過去や未来にお出かけしているだけなので。
これが「今ここ」の意味。簡単でしょ。
「今ここ」に戻ってきて気づいているときは思考に巻き込まれない。
思考に巻き込まれず(操られず)に思考を使う、ことができる。
思考を使うためには足元がしっかりしている必要があるのです。
みんなも関西のおばちゃんを横に常備しておくと「今ここ」をいつでも体験できまっせ!
(^ω^)
で、この「今ここ」にいて「気づいて」いられるようになりましょーっていうのが瞑想とか坐禅の本質なのです。
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