捨てし田を豊葦原へ還しけり 大屋達治

https://nonsyaran1223.blog.jp/archives/84593.html 【捨てし田を豊葦原へ還しけり 大屋達治】より

作者の独自の解釈が光る句。古事記に出てくる日本の美称「豊葦原」。これは「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)」の略称で、「原には豊かに葦が生い茂り、未来永劫秋になれば沢山の瑞々しい稲穂が稔る国」というような意味。後継者が無く休耕田になっている田畑は、全国至る所で年々増えて問題となっているが、それを作者は「豊葦原へ還しけり」、つまり借りていたものを本来の「豊葦原」に、景観的にも文字通りにも返還=返しているだけなんだと言う。実際休耕田跡地が葦原になっているところは多い。日本では土地の私有が認められているが、モンゴルや中国、イスラエルなど、土地は基本国有、国民は国から土地を借りて住むというところも少なくない。日本も「豊葦原」と呼ばれた昔は、土地は基本国のものだった。どんなに頑張って耕しても、稔りの多くが税として徴収され、三代耕した後に土地を国に返さねばならないとしたら、労働意欲は否応なく落ちる。国の食糧生産高も落ちる。そこで耕し続ければ土地私有ができますよ、という労働意欲をそそる法律が作られた。今は食糧の大半を輸入に頼っている日本。不動産税を払うだけの死に地は、所有していても仕方がない。返せるものなら国に返したい、そんな声もこの句から聞こえてくる。大屋達治には他に/ころがりてほどよくとまる栄螺かな/なのはなのうへに海揺れ安房上総/大山(だいせん)に脚をかけたる竈馬かな/寒月や猫の夜会の港町/曇りのちさくらちりゆく大和かな/泳ぎ終へしわが脂浮く中の姉/海上に蔓揺れてゐる昼目覚/など。


https://www.asanoya.co.jp/kaori/2011year/11_11kaori/11-11_23kaori-May%20it%20be%20Land%20of%20Mizuho%20like%20forever.html#:~:text=%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E6%88%90%E7%AB%8B%E3%81%97%E3%81%9F,%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E5%91%BC%E3%81%B3%E5%90%8D%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%AD%E3%80%82 【香りの散歩道

いつまでも瑞穂の国でありますように 】より

熱勤労感謝の日」の今日、皆さんいかがお過ごしですか。

仕事をしながらラジオを聞いてくださっている方、お疲れさまです。ありがとうございます。

「勤労感謝の日」はもともと、宮中や神社で行われてきた新嘗祭(にいなめさい)が転じたものといわれています。

新嘗祭とは、稲や麦など五穀の収穫を祝い、感謝を込めて神様にお供えする祭典です。

昔は一般の人たちも、その年に穫れた新米は新嘗祭が終わるまでは口にしない・・・という風習があったとか。

けれど、今はもう9月の終わり頃には新米が出回っていますから、皆さんすでに味わっていらっしゃることでしょう。

そのおいしさと豊かな香りに感謝する心は、忘れたくないですね。 

日本は、みずみずしい稲穂が実る「瑞穂の国(みずほのくに)」といわれてきました。

奈良時代に成立した歴史書『日本書紀』には、「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらの ちいおあきの みずほのくに)」という記述があります。

これは、葦が豊かに生い茂り、長い年月が経っても永遠に、秋になるとみずみずしい稲穂が実る国・・・という意味で、日本のことを表しています。

美しい呼び名ですね。

豊かな実りを讃える和歌や俳句もたくさんあり、明治生まれの俳人・高浜虚子(たかはま・きょし)は「新米の 其(その)一粒の 光かな」と希望にあふれた句を詠みました。

 

この国がいつまでも瑞穂の国でありますように、先人たちの思いを受け継いでいきたいですね。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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