https://note.com/daitamesue/n/nf6c9eed09d03 【見立てる力はどのように育まれるのか】より
私はクリエイティブと言われる能力は「見立てる力」に支えられていると考えています。何かになぞらえる、そうだとしてみるというものが見立てることだと私は整理しています。
例えばある形の雲を見て「キリンのようだ」と思うのも見立てです。新しいテクノロジーを「まるまるのようなものではないか」とするのも見立てです。
都市部の生活は基本的に誰かが作った人工物に囲まれて生きるということですが、それは誰かの「意図」に促されて生きていることに他なりません。椅子は座るように促し、道はそちらに歩くように促し、スマホはそう注意を向けるように促します。
それは大変効率が良いことでもあります。そうなるようにデザインが誘導しているわけですから。しかし、意地悪な見方をするとただただそのように誘導されて生きているだけとも考えられます。実際のところそれほど頭を使わなくても都市部の生活は成り立つようにデザインし尽くされています。
いや、見立ての技術としてフレームワークがあるではないかと言われるかもしれません。もちろんそうとも言えますが、誰もが同じ枠組みに入れるので、出てくるアウトプットもまた画一的になりがちです。
私は見立てを「子供の心で、大人の知識を用いて見ること」だと考えています。そうなると見立てる力の獲得には
・幅広い情報
・多様な体験
の二つが影響します。情報が広ければ、違う見方で捉え直せる確率が上がる。これは本が一番良いです。
また体験も大事です。特に自然体験は切り株を椅子に見立てたり、キッチンに見立てたりし続けますから。
https://note.com/daitamesue/n/n26c831407c4f 【見立てる力と創造力】より
創造性を考えるとき「見立てる力」に着目することはできないでしょうか。例えば雲を見てきりんに似ていると想像するのは、雲をきりんに見立てているとも言えます。世の中にある人間が生み出した多くのものは用途を目的としています。言い換えれば「そう使うように」私たちに迫っているわけです。アフォーダンスです。
しかし、必ずしもそう使わなければならないわけではありません。違う用途で使うこともできる。それは、ものが持ち合わせている要素や名前に囚われず違う見方をすることで可能になっていると思います。
雲が雲でしかないのならきりんには見立てられません。
すべての言語が比喩的であることを踏まえれば、実は言葉そのものが見立ての力によって成り立っていると言えます。例えば世界という言葉がありますが、世界そのものを情報量にすれば膨大なので(平面的な情報ですらグーグルアースなみになる)これを圧縮して、世界という単語にしています。
世界そのものの情報を、世界という単語に見立てているとも言えます。一旦言葉をそう見立てると、今度はその言葉を他にも応用することができます。世界は全体感という語感を持ちますから「あの人の世界」みたいな表現方法も可能になります。
見立てることにより抽象度が上がり、抽象度が上がることにより応用可能になる一例かと思います。
「見立てる力」が創造力に影響するなら、創造力は積み重ねるよりも、偏見を取り払いあるがままに見ることに支えられ、違う方向から見なおすことで成立していると思われます。
世界の多くのものはある用途に向けてデザインされています。黙示的でありながら、こうしてほしいという方向があります。
「見立てる」とは、一瞬でいいのでこちらに向かってくる「こうしてほしい」という情報を止め、こちらから世界を構築し直す行為なのではないかと思っています。
はせくらみゆき FB 投稿記事 【見立ての力とイマジネーション、そして―祈り】
映画館で「はたらく細胞」を見てきました。もともとアニメであったようですが、疎い私は全く知らず…。体内の免疫のしくみについての理解が深まるとのことで、見に行ったのですが、なるほどなぁと感動したのは、免疫たちを擬人化し、体内の部位を日常の光景へと落とし込む、見立ての巧みさでした。
「見立ての力」―「見立て力」は、日本人が得意とするところです。
岩と白砂で自然の象形や宇宙を表す枯山水から、卵黄を満月、卵白を月にかかる雲に見立てる「月見」そばまで、直接表すのではなく、何かを介して見立てることで、より深く、味わいをもって、そのものが持つ本質に迫っていくことが出来ます。
また、見立てを通して、対象となるものに思いを寄せることから、情感や情緒を伴って、対象を思いやることも出来ます。
とりわけ「擬人化」して表す場合は、より親しみがわくでしょうから、今回の映画のように、私たちの体の中にあるミクロコスモスを、擬人化した世界で表すという試みは、日本人らしい繊細さと、イマジネーション(想像力)という、私たち人間に与えられた素晴らしき力を、
上手に発揮している例だと感じました。
巷ではインフルエンザなども流行っていますが、外の世界同様、体の中が戦闘状態にならないような「平和な社会」であるよう、自衛していきたいと思います。
生活リズムや睡眠、発酵食、そして何よりも、ストレスを溜めないことが大切になりますよね。まずは、すぐできることとして、日本人が古来より得意な「見立ての力」を使って、自分にとって、最強だと思うパワフルなものをイメージし、それと自分を重ね合わせてみる、というのもいいかもしれません。
たとえば…、自分をピッカピカの太陽だと思うとか、かっこいいホワイトライオンになっちゃうとか、あるいは外出時には、イメージで体の周りにシールドはって、歩く結界(笑)みたいにするとか⁉
お金も時間もかからず、いつでもとりくめる健康法かも。
さて、11日(土)夜7時からは、新春講演会(オンライン)が開催されます。
「進化と飛躍をもたらす2025年の波乗り法」
https://www.hasekuramiyuki.com/2025shinsyun
今、ちょうど、50枚近くあるパワポ資料の最終チェックを終えたところです。
そこではワークをしたり、様々な角度からの考察をしたりなど、
2025年の時空を、逞しくしなやかに超えていくためのヒントを、精一杯お伝えできたらと思っております。
一年を通して使える印刷可能な資料などもあるので、よければ参加くださいませ。
最後に…、現在、海の向こう―LAでの山火事が、まだ鎮静化に至っておらず、胸を痛めております。どうか、どうか早くおさまりますよう、祈っております。
掲載するのを少し迷ったのですが、やっぱり綴りたいと思います。短い祝詞のシェアです。
祈りの時空が届きますように…。
「祓い給い 清め給え かんながら 守り給い 幸え給え」
それでは皆様、どうぞお体に気を付けて、お元気でお過ごしくださいませ。ではまたね。
https://www.hasekuramiyuki.com/2025-shinshun-yoakedori 【時は今 あけぼの告げる夜明け鳥とぶ よあけどり】より
2025年 新春アート
瑞穂の国の かんながら 夜明けを告げる 霊鳥は ひかりふる世の よあけどり
あけぼの開けて 日を照らす
皆様、こんにちは。画家・作家のはせくらみゆきです。
このたび、展覧会のみで展示させていただいていた50号の絵画「よあけどり」を、2025年の始まりに相応しいアートとして、版画化させていただくことになりました。
この絵画は、2017年に描いたものですが、実はこの絵画の下には、異なる絵画を数種類描いたものでした。
といいますのは、私たちが進むべく未来の姿をみせてほしい…と心の奥で念じ、瞑想を通して感じ取った風景を順に描き、重ねていったのです。
最初は、星々がまたたく大宇宙の絵で、次の絵が七色が揺らめき輝く世界でした。
その次には、海原と大地が現われ、その大地から色とりどりの花が咲きました。
さらにその真下から大木が現われて、画面いっぱいにひろがりました。
次にたわわな実を描き、これで完成かと思うと、世界が再び虹に覆われ、やがて黄金の色でいっぱいになったのです。
その後、画面の向こうから空を突き破るように、尾の長い光る鳥が現われ、天空からスーッと急降下し、尾羽をはためかせながら、舞い降ります。
このようにして、6枚の異なる絵を描いて(油絵なので消せるのです)、最後に書いた7枚目の絵が、「よあけどり」となりました。
というわけで、最終的にどのようになるかは、私自身、わからなかった、というのが正直なところです。
ただ、わかったことは、「未来は明るい!」という確信でした。
その圧倒的な明るさ、強さを感じながら、絵筆を進めていったのです。
( みゆきアートを描いている時の様子です )
ですので、この絵画は私の中でも特別な思い入れのある作品です。
驚くべくは、「よあけどり」を最初に展示した、上野の美術館で、展示初日に異変が起きたことです。
なんと、羽の真下に、突然、まるで本当に羽ばたいた跡であるかのように、スーッと一筋の裂け目が、絵画の中に表出したのです。
(もちろん、通常は、ありえないことなのですが)。
というわけで、美術館より連絡を受けた私は、すぐに絵具で修復して事なきを得ましたが、関係者も私も、頭をかしげる「珍事件」が起こりました。
その日の夜、私は夢を見ました。出てきたのは、絵画に描いた「よあけどり」。
夢の中では、まぶしい太陽に包まれた「火の鳥」のようなイメージでしたが、天からまっすぐに降りてきた鳥はいいました。
「我は飛んだのであるぞ」と。そしてさらにこう告げたのです。
「時は満つ。おのが内から 夜明けの鐘を 鳴らしませ」と。
そうして、まるで天岩戸開き神話のなかで、太陽の神アマテラスが、岩戸から出ていくようなイメージが現われて、世界がまばゆい光に覆われました。
その強烈な光で目が覚めた、というなんとも不思議な夢を見ました。
そこから9年を経た、令和七年新春。いよいよこの「時は満つ」のタイミングが来ていることを感じます。
天なる想いと内なる想いが重なり合い、天地(あめつち)の応援を受けて、人の想いが具現化する時代が、始まろうとしているのでしょう。
このようなプロセスを経て、このたび限定発売することとなった、「よあけどり」の版画です。
本アートを通して、あなたとあなたのまわり、世界が、ますます喜びと幸せに包まれ、さらなる豊かさに導かれますことを、作家としてお手伝いが出来ましたら、光栄でございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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