心とは何か

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まず、ロボットと人間を比較して「心とは何か」を明らかにしましょう

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そもそも心とは何か?

「心はどこにある?」という問題を考えるためには、「そもそも心とは何か」をはっきりさせておかなければなりません。

AI(Articicial Intelligence:人工知能)の進歩とともに、この問題は重要さを増しています。

一例ですが、食品加工を行う工場で、ベルトコンベアーを流れてくる魚を分類する装置のことを考えてみましょう。この装置は、センサーの役割を果たす動画カメラと、画像情報を処理するAI、判定結果によって動くロボットの組み合わせからできています。では、この装置に心はあるでしょうか。

多くの人は、ないと考えることでしょう。

では心を持つ人間と、この装置にはどこに違いがあるのでしょうか。

人間も、視覚によって得た情報を脳によって処理し、魚の種類を記憶と経験と思考によって判定することができます。ここまでは先ほどの装置と同じです。ですから人間の知覚から判定までの働きは「心」とは呼べないと考えるのが妥当なように思われます。

しかし判定の結果、「ああ、これはイサキだ!」と感じたとき、そこには心が働いているように日常的な感覚では思われます。

同じことは、夕焼け空を見たときにも言うことができます。

空のある部分の色がオレンジ色であることを判定する機械を人工的に作ることはできるでしょうが、「ああ、夕焼けだ!」と感じることは、単にオレンジ色を判定することとは異なります。

このように、人間の知覚には独特の質感が伴っているように思われ、哲学や脳科学でこの質感には「クオリア」(Qualia)という名前が付けられています。「クオリア」(質感)を感じることが心(意識)の特徴だと多くの哲学者が考えています。

別の言い方をすれば、「ああイサキだ!」、「ああ、夕焼けだ!」というできごとは、何らかの主体がそれを意識したということがその要点であり、心とは「何かを意識する(気づく)主体」だと言うことになります。

生成AIに質問すると、私には意識(心)はありませんという答えが返ってきますし、私もそう考えています。しかし、生成AIに心があるという誤解はとても一般的であり、そこから多くの問題が生じています。

参考記事:「生成AIは危険?芭蕉の俳句についてChatGPTと真剣に議論して分かったこと」

さて以上の実例で、「心とは何か」がおおむね明らかになったことと思いますが、「心はどこにある?」ということはさらに難しい問題です。私の知る限り、この問いには結論が出ていませんので、以下では、主な説を列挙してご紹介することにします。

心とは何か(イメージ)

デカルトの心身二元論 - 心に場所はないが、松果体と深く関連している

フランスの哲学者デカルト(1596-1650)は、「心とは何か」という問いに、とてもわかりやすい説明を行っています。

デカルトの考えによれば、人間は物質からなる体と、物質ではない心の2つから構成されています。この考え方は心身二元論と呼ばれます。「二元論」とは世界が(この場合は人間が)2つの異なる要素から構成されているという意味です。脳はどうでしょうか。デカルトの考えでは、脳は物質からなる体の一部であり、物質でない心と脳とは異なります。

それでは、体と心の関係はどのようになっているでしょうか。体には、眼、耳などの感覚器官があり、感覚器官によって外界の情報を得ることができます。

外界に何かの変化があると、それが感覚器官によってとらえられて脳に届き、脳の状態に変化を起こします。さらにこの変化は心に伝えられて、心の状態に変化を起こすとされます。

これは体から心に与えられる影響ですが、心から体に与えられる影響もあります。

一例ですが、人間が何らかの意図を持って行動するとき、まずその意図は心の中で作られ、脳に伝えられて、脳の状態に変化を起こし、さらにこの変化は神経によって筋肉に伝えられて、身体が動くとされます。

心身二元論は人気がありません。というのも、物質である体と物質でない心が、どのように相互に影響を与えるかということが説明されていないし、おそらく説明できないと考えられるからです。

デカルトは、この相互作用は脳内にある分泌腺である松果体(松果腺)で起こるとしていましたが、その具体的なメカニズムを説明していません。

また、体は他の物質と同じように広がり(延長)を持ちある場所に存在するが、心には広がりもないし、特定の場所に存在するようなものではないとデカルトは考えました。

脳の解剖学的構造

脳の解剖学的構造(松果体と脳下垂体の位置)

物理主義-心とは、体の情報ネットワークの機能なので、全身に、特に脳に存在する

物理主義(physicalism)とは、机や石のようなものだけでなく、動物や人間の感情や知識や意志なども、素粒子や電磁波などの物理的要素の集まりや活動であると考える立場です。

ですから、心は体の中に、主には脳に存在することになります。

物理主義をより極端にした唯物論(materialism)という考え方があります。それは、宇宙に存在するのは素粒子や電磁波などだけであり、すべてのものは、その組み合わせや活動として説明できるという説です。

宇宙がひとつの要素だけから構成されていると考える唯物論は、「一元論」の一種です。

物理主義の人は必ずしも唯物論ではありませんが、唯物論を信奉する人は、物理主義にならざるを得ません。

20世紀は、世界中の多くの人たちの生活が、産業技術によって豊かになった時代であり、産業技術を支えていたのは主にハード・サイエンス(物理学と化学)であったため、物理主義や唯物論は今でも多くの分野に強い影響力を持っています。

物理主義は、分かりやすく統一された世界についての見方ですが、決定的な欠陥があります。それは、人間や動物の意識、特に人間の自由意志がどのように生じているかを説明できないことです。

物理学は完成が近い学問であるとされることがありますが、この点から見ると、世界や人間についての納得のいく説明を完成させるためには、さらに根本的な飛躍が必要とされるように思われます。また、意識は決して説明ができないと考える哲学の立場もあります。

人体についての近年の研究によって、人の心についての物理主義の考え方にも、大きな変化が起こりました。

NHKのテレビ番組「人体」の「神秘の巨大ネットワーク」という番組でノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥さんが話していたのですが、彼が学校で医学を学んだ頃は、人の体の生理的な働きは、全体としては脳が中心になってコントロールされていて、他の臓器は脳の命令に従っているという考えが主流だったのだそうです。

ところが、最新の研究によれば、脳、心臓、腎臓、肝臓、血管などは、すべてが、まるで感情と意志を持っているかのようにメッセージを発信しています。

そして、全体として情報のネットワークが作り上げられていて、臓器間の相互作用によって、その働きが保たれているということでした。

ですから、最近の物理主義では、心とは全身の情報のネットワークが持つ機能であると考えられているようです。

唯心論-世界全体は心の中にある、もしくは心と同一である

次は唯心論(idealism)をご紹介します。「イデアリズム」という英語には、理想主義、観念論という訳語もあり、この3つは密接に関連しています。

さて今、私の左前方の、体から50センチほど離れた場所にはコーヒーカップが置かれています。それを私は眼で見て情報を得ているわけですが、その情報は、コーヒーカップとは何かという観念と結びついて、私の心の中の像(感覚表象)になっています。

このコーヒーカップに手で触ったとしても、視覚による感覚表象に触覚による感覚表象が加わるだけで、コーヒーカップが心の中の対象であるということに、変わりはありません。

このように考えると、私たちが五感でとらえているものすべては、心の中にあることになります。

さらに考えを進めましょう、世界について考えるとき、私たちは、自分が知っている世界や自分が想像している世界について考えざるを得ません。そのいずれもが、心の中の像、観念、想像、記憶などにあたりますので、世界全体は自分の心の中にあります。

言い方を変えれば、唯心論は、世界に存在するのは心の要素だけだと考えます。これは、先ほどの唯物論とは逆の極端にある一元論です。

しかし、歴史的に見れば唯心論は特殊な説ではありません。一例ですが、興福寺と薬師寺が本山である法相宗で教えられている唯識説は、唯心論に分類されています(そうでないという説もあります)。

唯識説では、「識」(認識と体験)だけが世界に存在し、物と心の2つは凡夫(世界の真実を見ることがまだできない人たち)が、この「識」から考え出した妄想のような観念だとされます。たとえば「心内の影像を心外の実境と見るな」(それが人生の苦の主因である)という言葉が残されています。

参考記事:『陰陽思想と一元論について』

参考記事:『陰陽思想と一元論について』

以上のように、唯心論では、世界全体が心の中にある、もしくは心と同一であると考えます。

汎心論-心は、潜在的には世界のいたるところに存在する

汎神論(panpsychism)は、ギリシャ語の「パン」(pan:すべて)と「プシュケ」(psyche:魂または心)が結びついた言葉で、元々は「すべてのものには心」があるということを意味していました。

東洋と西洋の哲学の両方に、古くから存在している考え方ですが、物理主義と二元論の中間に位置する有力な説として近年脚光を浴びています。

さまざまなバージョンがありますが、現代のある汎神論では、世界に存在するのは物質的なものだけであるが、しかし物質は「外側から」と「内側から」という2つの観点からとらえることができると考えます。外側からとらえた物質は物理学的な挙動を示し、内側からとらえた物質は、さまざまな種類の意識によって構成されているとされます。

参考図書:『意識-最後のフロンティア』(季刊雑誌『バラのこころ』No.175の冒頭記事)

現代の汎神論の哲学者には、ホワイトヘッド(Whitehead)、ハーツホーン(Hartshorne)、スプリッジ(Sprigge)などがいます。

バラ十字会の汎神論-心はサイキック中枢(松果体、視床下部、心臓など)によって現れる

バラ十字会の人間の心についての説明は、汎神論の一種だと一般に考えられています。

人間の意識の4層構造

人間の意識の4層構造

この説では、上図のように人間の心が4つの層の意識に分類されています。

客観的意識とは五感によって外界を認識する部分、主観的意識とは、思考、記憶、想像、意志にかかわる部分、下意識とは、生理活動などの不随意運動にかかわる部分です。

宇宙意識は、宇宙のいたるところに、顕在的もしくは潜在的に存在する心であり、人間の心の中では、インスピレーション、新しい発想、道徳意識の源泉としての役割を果たしています。

そして、脳脊髄神経系、自律神経系、サイキック中枢(psychic center)がそれぞれの層を中継する役割を果たしています。

「サイキック中枢」は、多くの人にとって耳慣れない言葉だと思います。当会の通信講座で詳しく学習する内容であり、ここでは概略しかお伝えできませんが、人体には主に7つの中枢があります。サイキック中枢は、ヨガでチャクラと呼ばれているものにやや似た性質を持っています。

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白色光がプリズムに入ると7色に分かれるように、潜在的な心である宇宙意識が、7つのサイキック中枢の働きにより、人間の心の中に実際の意識として現れるとされます。

「心」という漢字はもともと心臓の象形文字でした。心臓はサイキック中枢の一つであり、世界中で生命力の象徴であるとともに、愛の意識の象徴とされているのは興味深いことです。

心臓の解剖学的構造は「心」という漢字に似ている

心臓の解剖学的構造は「心」という漢字に似ている

サイキック中枢の中でも、脳内にあり、特に重要だとされているものに松果体と脳下垂体があります。

デカルトは、先ほど話題にしたように体と心をつないでいるのが松果体だとしましたが、このことは彼が、当時のバラ十字哲学の一部をよく知っていた証拠だとされています。

「人の心はどこにあるか」という問いは、「人に魂は存在するか」、「人の魂はどこにあるか」という問いに関わっており、バラ十字会の神秘学でも重要な話題のひとつです。

当会のフランス本部代表のセルジュ・ツーサンが、自身の人気のブログに、このことについての記事を書いていますので、その翻訳をご紹介させていただきます。

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バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事:『魂(ソウル)について』

人間という存在の2つの要素

魂(soul)と呼ばれるものが存在すると考える人と、そうでない人がいます。

何らかの宗教を信奉している人や、神秘学の探究を行っている人の大部分は、魂が存在すると考えていることでしょう。

人は物質の体だけから構成されているのではなく、魂を所有し、そのおかげで心という働きが生じているとバラ十字会員の多くが考えています。

バラ十字という古くからある象徴は、キリスト教の十字とは異なり宗教的な意味合いを含んでいないのですが、まさにこの哲学的な立場を表わしています。

つまり、すべての人は肉体(十字)と魂(バラ)であるということ、別の言い方をすれば、人間は、性質の異なる2つの要素からなるということを象徴しています。

人体の構成(筋肉、骨格、神経系、循環系、内臓)

人体の構成(筋肉、骨格、神経系、循環系、内臓)

魂(ソウル)は何から構成されているか

魂が存在すると考えることと、それがどのようなものであるかを知るのは別のことです。

バラ十字会の存在論(ontology)によれば、それは非物質的なエネルギーのようなものであり、体のすべての細胞を満たしています。

それはちょうど、家の部屋のあらゆる場所を空気が満たしているのと同じことです。

ちなみにバラ十字会の哲学では、魂こそが生気の源である、つまり、私たち生物に命を与えているのは魂であると考えています。

もちろん、人体が生理的な活動によって保たれていること、つまり、呼吸する空気と、取り入れる飲食物などによって保たれているということは確かです。

しかし、魂そのものから生じる非物質的なエネルギーが、生理活動のもっとも根本的な部分を支えていると考えています。

「意識」はソウルだけが持つ性質である

魂は、私たちの体に命を与えるだけでなく、私たちに意識も与えてくれています。

意識は魂が持つ性質であり、脳だけによって作り出されているのではありません。

脳は、外界の知覚、随意活動のコントロール、精神作用全般に基本的な役割を果たしていますので、その重要性を過小評価することはできません。

しかし、私たちの心の奥には深層(潜在)意識があり、この意識は単なる脳の活動を超越しています。

このことから、昏睡状態もしくは植物状態にあった人が、何かを聞いていたり、時には見たり考えたりしていたということが説明されます。

宇宙の魂(普遍的ソウル)

魂の源は、いったい何なのだろうかという疑問が生じるかもしれません。

バラ十字会の哲学では、個々の魂が〈宇宙の魂〉(Universal Soul:普遍的ソウル)から発していると考えています。

宇宙の魂は性質として完全であり、その名が示している通り、宇宙のすべての場所に行き渡っていて、宇宙に住むあらゆる存在に生気を与えています。

宇宙意識(イメージ)

地球上では、宇宙の魂が自然界のすべての種類の生物に命を与えています。

生物が進化すればするほど、宇宙の魂はその生物を通して、それ自体の機能、能力、性質をより良く表わすことができるようになります。

ですから、たとえばミミズよりもチンパンジーの方が、はるかに鋭い知性や繊細な感覚を持っています。

地球上の進化という一連の過程において、チンパンジーの方がミミズより進んでいるからです。

英知の状態

宇宙の魂は性質として完全なので、そこから発している全ての人の魂も完全です。

では、なぜ人間の行ないは、時としてあまりにも愚かなのかと、いぶかしく思われる方がいらっしゃるかもしれません。

このことには、2つの理由があります。

第1の理由は、人間が自身に秘められている完全さに気づいていないからです。

第2の理由は、人間には自由意志があるので、自身の完璧な性質に背いて有害な行ないや悪事をなすことができるからです。

ではなぜ、人間には自由意志があるのでしょう。

それは、私たちが自身の内部にある完全さに、よりはっきりと気づき、それを、自分の思考、発言、行動を通して表わすことができるように練習をすることが、私たちが地上に生きている目的であるからだと考えることができます。

別の言い方をすれば、人生の目的は、宇宙の魂から受け取る促しのもとに、内面を進歩させることだと考えることができます。

そして、私たち一人一人の魂は、この内面の進歩の結果として、いわゆる「英知」(Wisdom)の状態に達します。

人はこの状態に達すると、もはやそれ以上は生まれ変わりを繰り返すことが必要ではなくなるとされています。

バラ十字会AMORCフランス本部代表

セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

本稿はそのブログからの一記事。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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