枯れてなほ螺線に赤ら烏瓜 五島高資

年の瀬や鏡が池のけむり立つ  高資

枯れてなほ青む芭蕉や鏡が池  高資

寒鯉の水面の雲を渡りけり  高資


facebook斉藤 一治さん投稿記事一陽来復。

生も死も、すべては一つ。幸も不幸も、すべては一つ。陰が極まれば陽になり、すべては一つ。冬至(今年は12月21日)。北半球では太陽が最も遠ざかり、つまり昼の長さが最も短い日。この日を境に、どんどん、太陽が近づき、昼の時間が長くなります。

新年。

前漢(紀元前206年~紀元前8年)までの古代中国では、冬至の月を一年の始まりとしていました。

復活祭。 

キリスト教が台頭してくる前の古代ローマでは、主神である太陽の神ミトラが冬至に死んで、その3日後の12月25日に復活すると考えていました。

ヨーロッパ大陸の先住民であったケルト人やゲルマン人たちにとっても、25日は特別な日です。

クリスマス。

日本でも、穴八幡神社や放生寺などで、一陽来復を祝う冬至祭が行われています。

太陽様は誰隔てなく、何時でも、満遍なく光を注いでくださり、私たちに命の基を授けてくださっています。

ゆず湯に入って、太陽様に心から感謝申し上げる日。ありがとうございます


facebook近藤裕子さん投稿記事

《行く河の 流れは絶えずしてしかも もとの水にあらず》-鴨長明 方丈記-

下鴨神社の神職につく筈だった 鴨長明は念願かなわず 様々な苦難を経て 出家し〈無常〉という 仏教の根本思想に辿り着きます。

京都の日野 という場所で 一丈(3m)四方の庵に住まいし そこで書き上げた境地を〈方丈記〉と名付けました。世の中を水の流れに例えて変わらないように見えても 世の中も 人も絶えず変化して やがては消えて行くという 無常観が 素晴らしい文章力で見事に 美しく書かれています。

鴨長明が 生きた時代もまた 疫病や 災害の多い時代でした。私たちが 今 居る激動の時と重なります。未曾有の河の流れに立ち往生しています。

今 心静めて 新たな展開に向き合う時です行く河の 流れは絶えずして しかも もとの水にあらず淀みに浮かぶうたかたは かつ消え かつむすびて久しくとどまることなし。。。


facebook平沼 載彦さん投稿記事【方丈記】

エネルギーの世界95%、現実5%の話♡

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方丈記は鎌倉時代に鴨長明によって書かれた随筆です。兼好法師の『徒然草』、清少納言の『枕草子』と並んで「古典日本三大随筆」と言われています。

「原文」

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわに(※1)ぞ似たりける。

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、(※2)いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

「現代語訳」

流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいて(そこを流れる水は)もとの水ではない。(河の流れの)よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では(形が)消え(てなくなり)一方では(形が)できたりして、長い間(そのままの状態で)とどまっている例はない。この世に生きている人と(その人たちが)住む場所とは、またこの(流れと泡の)ようである。

宝石を敷き詰めたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根(の高さ)を競っている、身分の高い者や、低い者の住まいは、時代が経ってもなくならないものではあるが、これは本当にそうなのかと調べてみると、昔から存在していた家というのはめったにない。あるものは昨年焼けてしまい今年造っている。あるものは大きな家だったのが落ちぶれて小さな家となっている。住む人もこれと同じである。場所は変わらず、人も多いが、(私が)過去会った(ことのある)人は、2,30人のうち、わずかに1人か2人である。朝に(人が)死に、夕方に(人が)生まれるという世の定めは、ちょうど水の泡に似ていることよ。


facebook相田 公弘さん投稿記事

今日12月17日は、相田 みつを(大正13年生まれ 雅号:貪不安ドンフアン)の命日です。

大正11年生まれの私の父とイトコで、平成3年に道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院しましたが、脳内出血と診断され、それが原因となり急逝、67歳でした。

最期まで仕事への意欲は衰えず、「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、長男・一人との最期の会話になりました。

当時私は東京で働いており、両親が葬儀に参列しました。墓は足利市浄土宗法玄寺にあります。みつをの長女と私は足利市立山辺小中で同級生で、当時みつをはPTA会長でした。

法玄寺http://www.hogenji.jp/FB和田幸信 和尚https://www.facebook.com/profile.php?id=100010198633371

相田みつをウィキペディア

https://ja.m.wikipedia.org/.../%E7%9B%B8%E7%94%B0%E3%81...

「円融便り」とは相田みつをが未だ世に出ず無名だったころ、世話人として1976年から1990年まで師匠である曹洞宗高福寺・武井哲應和尚の講話や自分の作品などを載せて発行したものです。

「円融便り」昭和54.12.20発行第29号【のにとぐちのない生活・本心を生きる】   

「のに」相田みつを

あんなに世話を してやったのに ろくなあいさつもない

あんなに親切に してあげたのに あんなに一生けんめい つくしたのに

のに・・・・・のに・・・・・のに・・・・・〈のに〉が出たときには愚痴

こっちに〈のに〉がつくとむこうは「恩に着せやがって--」と 思う

庭の水仙が咲き始めました 水仙は人に見せようと思って 咲くわけじゃないんだなあ

ただ咲くだけ ただひたすら・・・・・ 人が見ようが見まいがそんなことおかまいなし

ただ いのちいっぱいに 自分の花を咲かすだけ 自分の花を-- 花は ただ咲くんです

それをとやかく言うのは人間 ただ ただ ただ-- それで全部 それでおしまい

それッきり 人間のように 〈のに〉なんて愚痴は 一ッも 言わない だから 純粋で

美しいんです。

「受けてくれなければ」

 「お布施というのは一体どのくらい包めばいいんですか?」

或る時、お茶のみ話のついでにわたしは遠慮のないことを武井老師に聞きました。すると老師はニコニコしながら「そりゃあな相田君、多いほうがいい」とずばり答えられました。そして続けて次のような話をしてくれました。以下はそのあらまし。

 「先ず、布施という意味だがね、ま、ひとくちにいうとね、相手になくて自分に有るものを分け与えて、お互いに、よかったよかった、と喜び合うことだ。与えた方も貰った方も共に感謝し合うことだ。それが布施だ。そこで大事なことはね、布施が行われるための条件だな、それは次の三ッだ。

 一、与える人・・・これを施者という

 二、与える物・・・これを施物という

 三、受けてくれる人・・・これを受者という

 いいかな、よく考えてごらん。この三ッのうち一ッでも欠けたら布施にはならないんだな。我々の常識ではね、与える者さえいれば何時でも布施ができると思うだろう、そうじゃないんだな、いくら与えようとしてもね、受けてくれる人がいなければ与えることはできないな、

「折角だが私は要らない」

と断られたらどうだろう?布施にはならないな。このお茶だってそうだ、相田君が飲んでくれなければこのお茶むだになっちゃうな。相田君が飲まなければこのお茶どうなる?冷たくなって捨てるだけだな。例え一杯のお茶でも相手が受けてくれなければ布施はできない、そうだな。第一、折角出したお茶、飲んでくれなければ、出したこッちが気持ちがわるいな、「ああおいしかった」と飲んでくれれば、相手の喜んだ顔見て、こッちもいい気持ちになるな。お互いがいい気持ちになること、それが布施だ。するとね、ここで大事なことはね、布施では受けてくれる人も与える人と同じに大切だと言うこと。つまりね、与える方が上で、貰う方が下だ、なんて差別はない、て、ことだ。そこのところが一番大事。そこをしっかり押さえること。

 それからその反対、いくら欲しいと言ってもね、与えてくれる者がいなければこれも布施にはならないな。それからもう一ッの場合。与える人も受ける人も両方そろっていても、与える物がなければ、これも布施にはならんな、「無い袖はふれない」なんて言ってね、要するにね、布施には以上の三ッの条件がそろっていなければダメだということ。そこが根底。

「むりもダメ・ケチもだめ

むりもケチも執着」

 そこで初めの話に戻るけれどお布施の額の話だな、多いほうがいいと言ったけれどね、決してむりをしてはいけない。なぜか?むりは長つづきしないから。だからとといってケチでもダメ。要するにね、無理をしない範囲内で精いっぱい出す、これが原則。例えばね、一万円出そうと思うな、その時、そんなに出しちゃもったいないな、と心の中で思ったら九千円に減らしてみるんだな。それでもまだもったいない、七千円にする。こうして次々に減らしていって五千円になった。もう少しも惜しいという気持ちがなくなる。その時、さらりと出せばいい。

 その反対にね、一万円出そうと思って用意していた。するとそこへBさんがやってきた。「Bさん、あんたいくら出す」と聞く。Bさんは「わたしは五千円」という。「そうか、それなら私も五千円だ」折角包んだ一万円を五千円と入れ替える。こういうのをケチという。むりもダメだがケチもだめ。

 なぜか?むりもケチも執着だから出したお金がきれいでない。他人に比べてむりもしない、ケチもしない、さらりと出して、出したら忘れる、そうすればそこには人間の欲という執着がない。執着のない金、それを浄財という。浄財とはきよらか(浄)な財のこと。つまり、よごれていない財物のことだ。ここで汚れる、て、ことは、どういうことかというと、人間の欲に汚れることだ。人間の執着で汚れることだ。人間の執着で汚れたものを仏教では不浄という。だから布施は不浄であってはいけない。常に浄財でなければダメ。

むりすると「のに」がつき「ぐち」が出る

 断っておくがね、布施はカネのことばかりじゃない。それは布施の中の一部の話だ。毎日の人間関係の中にだって布施はいっぱいある。例えばね、仕事でも人の世話でもいい、幅広く考えればみんな布施だ。ま、何か一生けんめいの人の世話をしたとするな、それも大事な布施だ。ところが相手がその割に感謝をしない。ろくなお礼も言ってくれない場合があるな、そんな時、人間はどう思う?

「あんなに世話をしてやったのに・・・」

「あんなにつくしてやったのに・・・」

と思う。そしてその後はぐち(愚痴)が出る。こうなると、世話になった方にも言い分けがある。

「少しぐらい世話をしたからといって恩に着せるんならしてくれないほうがいい」

なんてことになる。人間関係がまずくなるのは大体に於いて、この「のに」と「ぐち」の出る時だ。「のに」と「ぐち」が出るともう面白くない。

 「のち」と「ぐち」が出ないようにするためにはどうしたらいいか?前に言った一万円から五千円のように仕事(世話)の量を減らすことだ。「のに」や「ぐち」のでない範囲内に仕事でも人の世話でも、その量を減らしてみることだ。その代わり、「のに」や「ぐち」の出ない範囲内は精いっぱいに生き生きとやることだ。仕事でも世話でも喜びを持ってやることだ。やることそのものに自分自身の喜びがあるんだから、その上、人からお礼を言われなくても感謝されなくてもいいはずだ。そんなことを当てにしてやるのは本当の布施じゃない。当てにするから外れて「のに」がつく。なんでもやる以上は「ぐち」を言わない、「ぐち」を言うならやらぬこと。それがさわやかな生き方。世話をさせてくれる相手がいなければ世話はできない、という根本を押さえることが大事。

「ケチでは自分のいのちが

ちぢんでしまう」

 「のに」がつかない程度に仕事の量を減らすといってね、減らしすぎてケチでもダメなんだな。出し惜しみばかりしていると、いのちがちぢんじゃうな、テレビのの相撲なんか見ていると解説者がよく言う

「いまの勝負は自分の力を充分に出しきっていない。負けてもいいから自分の力を出し切って欲しい。自分の力を出しきった相撲は勝ち負けに関係なく見ていて気持ちがいい」

なんてね、ケチだと自分の力を出しきれないわけだ。自分の力を出しきれなければいのちがちぢんでしまう。いのちがちぢんでは生き生きとしない。のびのびはつらつというわけにはゆかない。

 だから気持ちのいい生き方というのは、人間関係の中で正しい布施が行われている時だな。正しい布施というのは「むり」もしない「ケチ」もしない、ごくあたりまえに、ごく自然に、少しも意識されずに布施が行われることだ。

「本心を生きる」

 「むり」でもない「ケチ」でもないということは、言葉を代えていえば、常に自己が自己の本心を生きる、ということだ。世間体や他人の思惑などに一切左右されず、自分が自分の本音を生きる、ということだ。自己が自己のいのちを本心で生きる、本音で生きる、本腰で生き--その時、最も自己のいのちが充実する。いま、ここ、を充実したいのちを生きる--それが仏法。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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