Facebook相田 公弘さん投稿記事 『活かすこと』 志賀内泰弘
(石川県金沢市の近藤真紀子さんから届いたお話を紹介しましょう。)
東京出張の帰り、乗っている特急電車が途中で止まる内容の車内放送が流れた。
急に隣り合わせた女性が不安そうに話しかけてきた。
「今、止まるって行ってましたよね。どうしてかしら?」どうやら理由の部分が聞こえなかったらしい。「いつも対向電車の待ち合わせするため、5分くらい止まるんです」「ああ、そうなの」女性は続けた。
「実は以前、強風のため一時間も止まっていたことがあって、 もしやまたと思ってね」
「そうだったんですか、大変でしたね。この辺は風当たりが強い地域ですものね」私も強風の影響を受けた体験者だ。それがきっかけとなり女性は堰を切ったようにいろいろ話し始めた。
こちらも読もうとしていた本がスーツケースの中から取り出せず、暇を持て余してたところだった。月に一度、夏目漱石の読書解説会に東京まで行っている事、千葉の友人と参加するのでとても楽しみな事、解説者に感銘を受けている事などなど。誰かに伝えたくてしょうがない気持ちが伝わってくる。
話を聞きながら、内心(もしかして学校の先生かな)と思っていると図星だった。
さらに今日は自分の誕生日で息子夫婦がお祝いの準備をして待っていてくれる事、自分の家族の事、定年前に退職し、新たに国家資格を取るため予備校に通って自分と同年代の先生に教えてもらってた事、取った国家資格で開業した事、過労死寸前で急きょ入院した事。
こちらが言葉を挟む余地もなく、(何かうれしいから、誰かにしゃべりたくてしょうがない)様子だった。明るく前向きで楽しい話だったので、時々次の停車駅を確認しながら聞いていた。エネルギーのある人は年齢を感じさせない。
無理な若づくりや、こてこてのブランド品だらけでは却って下品に見える。
しかし彼女は身だしなみも素敵で、実年齢よりぐんと若々しい。ぜひ見習いたいものだ。
たくさん語った最後は、教員時代に受けた管理者試験の話になった。厳しい最終面接で面接官からひとつだけされた質問。「管理するという言葉は、どのように置き換えられますか?」
これから管理者になって子供たちにどういう思いで接するのか、ということらしい。
私はしばらく考えて文字面でしか思い浮かばなかった。当然NGブッブー。
それは「活かすことです」とっさに口から飛び出した言葉だった。後日、面接でこんな言葉を言った人は初めてとたいそう話題になったそうだ。「思い出しはにかみ」の目が温かかった。
もし今も現役なら、きっといじめも学力不足もないんだろうなと思った。だんだん彼女が下りる駅に近づいてた。久しぶりに元気な年上の女性に会ったような気がする。
話のささやかな御礼にと買ったばかりの相田みつをのハガキを2枚差し出した。遠慮されたが余分に買ったのでと言うと喜んで受け取ってくれた。東京の土地勘が無いのであまり一人では動けないらしい。
相田みつを美術館は東京駅直結だから外に出なくても大丈夫ですと告げると、次回の勉強会帰りに友人と寄ってみるねと笑顔で電車を降りて行った。渡したハガキには大きく「ありがとう」と印刷されている。残った座席で「人を管理する」は束ねる、まとめる、上から命令するというニュアンスしか出てこなかった事が恥ずかしく思われた。
「活かすこと」たった一言にたくさんの愛が込められている。人気のある先生だっただろうなと改めて感じた。たまたま隣り合わせた人に大切なことをに気づかせていただき感謝している。めずらしく時間に余裕ができたので、いつもより一本早い電車に変更したのが良かった。
大げさだが運命に感謝!【人は鏡、万象はわが師】なんだなぁ。
Facebook相田 公弘さん投稿記事「円融便り」 昭和55.9.1発行 第33号
「弱いから」相田みつを
わたしは弱い人間だから ふつうの人といっしょにでは とても骨が折れるんです
みんなといっしょでは とてもついてゆけません わたしはのろまだから
同じことをやるにも ひと(他人)より はるかに手間がかかるんです
わたしは気が小さいから まわりのことが 非常に気になるんです
わたしは怠け屋だから いくつになっても おっかない師匠が 必要なんです
わたしが どうしようもない人間だから 安心できる 観音さまが必要なんです
いつでも どこでも どんな場合でも わたしをじっと見ていてくれる 仏さまが必要なんです
武井哲応老師随聞記 “泥水の中でも”
昔、中国に智門という和尚がいた。そこへ或僧がきて問うた。「蓮華未だ水を出でざる時如何?」智門が答えた。「レンゲ(蓮華)」するとまたその僧が尋ねた「出でて後如何?」
智門がまた答えた。「カショウ(荷葉)」〈荷葉〉とは蓮のことだ。蓮の異名だ。蓮華未だ水を出でざる時、というのは、つまり、蓮が水中にもぐっている時、ということだ。蓮というのは花の咲くまでは泥水の中にもぐっている。泥水とは人間の煩悩妄想(迷い)のことだ。この場合の蓮は自己だ。いつもいうように他人ごとじゃない、自己自身のことだ。自己が煩悩妄想の中にいる時はどうだ?ということだ。それが〈蓮が水を出でざる時〉だ。泥水につかっていようが蓮は蓮だ。泥水から出て花を咲かせた時、それは煩悩妄想(人間の迷いの世界)から脱却した世界だな。その時も蓮は蓮だ。つまり、泥水のの中につかっていようが、泥水から出て花を咲かせようが蓮はどこでも蓮だ。
ここを押さえることが先ず一番大事。自己が煩悩妄想の世界を迷っていようが、そこから抜け出して悟りの世界にいようが自己はいつでも自己だ。そこを一つしっかり押さえる。
“そこで安心してはいけない” すると、人間て、いうものはすぐこう思う。
「ああ、そうか、泥水の中にいようが、そこから抜け出そうが、自己そのものには少しも変わりがないのか。そんなら何もアクセク骨折ることはない。と安易に考えてすぐそこへ腰を落着けてしまう。安心してしまう。また、その反対に、なんとか泥水から抜け出そうと、アセリにアセッていらいらしたり、欲求不満を起こしたりする。人間というのは、この二つのうちのどちらかに大体片寄る。レンゲは人間のようにそんなみっともないまねはしない。
レンゲは泥水の中にいる時も、水から出て花を咲かせる時も、いつでもどこでも、その時その時を、いのちいっぱいに、レンゲのいのちを生きている。
泥水の中にいる時は泥水の中で、いのちいっぱいに生きている。そして、時がくれば水から出て美しい花を咲かせる。
時がくればということは、つまり、時節因縁だ。時節因縁がくれば泥水の中の蓮が水から外へ出て花を咲かす。そして、時節因縁がくれば、やがてまた枯れて水の中にもぐる。それが蓮のいのちだ。蓮のいきざまだ。
そこまでまた、時節因縁というと、人間はすぐ「そうか」と安心する。時節因縁がくれば俺も花が咲く-なんて腰を落ち着けてしまう。時節因縁のいうのはそんなもんじゃない。泥水の中に腰を落ち着けることも、水から抜け出ようとアセリにアセルことも一切を放下して、自己が自己として、その時その時を、一所懸命に、いのちいっぱいに生きてゆくことだ。それが智門のレンゲだ。
ま、いま、〈智門の蓮華〉という有名な公案を採り上げて、コタコタ説明したけれど、そんな説明は本当はなんにもしなくてもいいのだ。
「蓮華未だ水を出でざる時如何」「レンゲ(蓮華)」「出でて後如何」「カショウ(荷葉)」
すっきりとこう言えばいい。
Facebook田中 宏明さん投稿記事
今回のトークライブで幹さんが僕を紹介してくださった中に恥ずかしながら「元ヤンキー」というくだりがありました^ ^ それを嫁さんに言うと「どこがヤンキーじゃい ただのへっぽこやろが」という温かい言葉をいただきました^ ^返す言葉も全くなく ただ頷くばかりです
僕は当時の友達と いわゆる暴走族をつくりましたが結果は惨めも大惨め たくさんの強面の仲間や 先輩に囲まれて 自分が強くなったつもりで いきがっていましたが いざ蓋を開ければ ただ自分の弱さを 痛感する体験でした^ ^
正直に言うと めっちゃ怖かったんです 暴走してパトカーに 追いかけられる時も
先輩を怒らせて 包丁を額に突きつけられて 土下座していた時も 弱味を見せたら
舐められると強い自分 を演じていた時も 本当はただただ怖かったのを覚えています
振り返ると誇らしい ものは一つもありません 人をいじめた事もあれば人にいじめられた事もあります いっときも気が抜けないし 抜いた奴がいたら その相手にはヘタレの烙印を
容赦なく押していかに自分が立場を維持して安全にうまく立ち回ることだけを考えていました
たくさんの人を下に見たり上に見たりどっちが偉くてどっちが下かを常に判断してそのための虚勢をはるためにここには書けないようなこともしました^ ^
そうしなければ自分に価値がないと思っていたからです でも、残ったのはただただ弱い自分でした その後素敵な人に出会うことが出来ましたが 僕は完全に精神を病んでしまいました 毎日浮かぶのは 人に刺される妄想ばかり今でもそんな夢を見ます^ ^
朝から酒と睡眠薬を飲んで 常にラリった状態で毎日を 生きていました
一日中襲いかかる 不安と脅迫観念に苛まれて 死ぬ勇気はなかったので 強そうな奴を見つけては喧嘩をふっかけました
まぁ、本当はどうしようもない自分を誰かにぶっ殺して欲しかったんですな^ ^
ある時酒場で気を失うまで顔面を蹴り回された時も周りにいた友達はみんな死んだと思ったらしいのですが 顎を断裂骨折しただけで生きていました
「早く死にたい」僕の頭にいつも鳴り響く言葉はそれだけでした 信じてもらえない と思いますが 僕は20歳から親父が死んだ 26歳までの記憶がありません 断片的には覚えている のですが何歳の時に 何をしていたかという時系列が全くないのです^ ^
どうやら人はあまりにも 苦しいと記憶を飛ばす ようです
はっきりとした 記憶があるのは 親父が死んで四国遍路に行った時からです
あの旅は僕を本当に生き帰らせてくれました ただひたすらに汗をかいて歩き続けるだけで
人は正気に戻れます 身体を動かすってやっぱり大事ですな
それからたくさんの 人に助けられて今の僕があります^ ^
不幸自慢に聞こえるかも しれませんが それはお好きに解釈してください
ただ苦しみにいる人の気持ちは本当によくわかります 僕が今あるのはあの地獄の季節のおかげです
人が生きる上で 本当に必要なものは安心感です
誰が何と言おうとも 安心こそが 一番尊いものだと思っています
これから先は本当の安心と平和の時代にしたいですね^ ^
これからも愛を生きられますように✨皆さまの幸せな日々を陰ながら祈っておりまっくす✨🌈😆ワハハ^ ^らぶ💓
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