facebook髙橋 眞人さん投稿記事
おはようございます。【今日の名言】アメリカ・インディアンの教え
悩まず、悔やまず、こだわらず、毎日を生きる。心が曇ったら、夜空の星を眺めてみる。
自分の幸せに気がついていないことが、何よりも不幸なのだ。
あなたがこの世に存在すること、それだけで美しいことだ。昨日のことで今日を消耗させてはならない。
泣くことを恐れるな。泣くことは悲しみに溢れたおまえの心を解き放つ。
かんしゃくを起こすと、友人を失う。嘘をつくと、自分自身を失う。真っすぐに話せば、光線のように心に届く真実を語るのに多くの言葉はいらない。
沈黙には多くの意味がある。親切とは言葉をつつしみ、人を傷つけないように心がけることだ。
慎ましく食べ、慎んでしゃべる。そして誰も傷つけない。感謝する理由が見つからなければ、落ち度はおまえ自身にある。怒りとは自分自身に盛る毒である。
目で判断せず、心で判断しろ。長年会っていなかった兄弟のように人と向かいあおう。
素晴らしい夢を見よ。そして、それを行動に移せ。
笑顔が神聖なものであり、みんなと分け合うべきものであることをいかなるときも忘れてはならない。
困難にぶつかったら、まず深呼吸してみる。
弱い自分を認めることができるというのは、本当は強い人間ということ。
与えれば与えるほど、良き事がおまえに訪れる。毎日を真剣に生きている人は姿勢がいい。
あぶく銭は怠け者をつくる。悩んでいる人は大抵、食生活が乱れている。
師は教えることでまた学ぶ。子どもは親のものではない。神さまからの授かりものなのだ。
褒められて育った子は、いつも感謝することを知る。
過ちを見てそれを正そうとしなければ、過ちを犯した者と同罪だ。
インディアンに文字はいらない。誠を伝える言葉は心の奥深くまで沈んでそこに留まる。人は絶対にその言葉を忘れたりしない。
自分の家族との間に和を保つことができれば、それこそが成功というものである。
人生は常に選択だ。本物になるか、偽者になるかの選択である。
子供や老人の発想から学べ。知恵を子供に与えてあげれば、その知恵を子供は一生涯にわたって使うことができる。
大きな仕事をしているからといって、威張ってはいけない。小さな仕事をしているからといって、引け目を感じることはない。
よく噛んで食べれば、食欲が収まる。食事の前には食べ物に感謝する時間をわずかでも必ずとりなさい。命あるものすべてをいたわれ。
生きとし生けるものに敬意を示せば、彼らは敬意を持って答えてくれる。
草木は兄弟であり、姉妹だ。皆、私たちに語りかけてくる。耳をすませば、声が聴こえる。
自分より偉大なものには、つねに畏敬の念を持て。
私たちや私たちを取り巻く環境は、すべて自然界の一部である。すべてが命のつながりの中で生きていて、互いが互いを必要としている。
地球は親から与えられたものではない。祖先からの授かりものでもない。子ども達から借りているのだ。地球人として、宇宙人として生きよ。宇宙は我々一人ひとりの中にある。
祈りとは、自然との会話である。
木の枝がなければ、花は咲かない。木があってこそ森になり、その美しさも生まれる。それなのに、なぜ木を切ったり、森を破壊したりするのだろう。
どんなことも七世代先まで考えて決めなければならない。
人々の心に真の平和が宿るまで、国と国との間に平和はやってこない。
互いの考えを敬うことを教えなさい。子供でも親でも家族でも、共同体でも、政府においても、あらゆるレベルにおいて正直さを尊重しなさい。みなで平和を作り上げたとき、私たちは幸福になれるだろう。
人生とは何か?夜に点滅するホタルの光だ。バッファローが冬に吐く息だ。草原を走り、夕暮れとともに自ら消える小さな影だ。
生まれた時、きみは泣き、世界が笑った。だから死ぬときは、きみは笑い、世界が泣く人生を生きなさい。
死は存在しない。自分が生きる世界が変わるだけだ。
※11月第4木曜日は、アメリカンインディアン全米追悼の日です。
こんばんは。
【今日の名言】ピタゴラス(古代ギリシャの数学者、哲学者)
多くの言葉で少しを語るのではなく、少しの言葉で多くを語りなさい。
朝起きてすぐ、その日に為すべき行為を順にリストアップせよ。
何よりも重要なのは、あなた自身を敬うこと。意味のない言葉より沈黙のほうがよい。
肉体の強さより、精神の強さを求めなさい。人を動かすものは、情熱と魂だ。
自らを制し得ないものは自由ではいられない。
あなたが望むあらゆるものは、意志の力によって引き寄せられる。
愛とは「理解すること」の別名である。万物の根源は「数」である。
子供たちを教育することによって、人間を罰する必要はなくなっていくであろう。
怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる。
沈黙することを学びなさい。静まった心に耳をすませ、吸収させなさい。
人間の心は、知性、理性、情熱の三領域に分けられる。知性と情熱は他の動物にも備わっているが、理性は人間にのみ備わる。
君には君の魂以外に真の所有者はないことを、肝に銘じなさい。断固として、最上の生活形態を選ぶこと。
期待できないことに希望をつなぐな。
自分はよくできたと満足して休みなさい。そして、人が君についてあれこれ何と言おうと、言わせておけばよい。人は必要に迫られるとすぐに実力を発揮する。
最も古くて最も短い言葉である「イエス」と「ノー」は、最も熟慮を要する言葉である。
道理は不滅である。ほかのすべては、死をまぬがれない。
その日、何が上手くできたか、何が失敗したか、何をまだしていないのかを振り返るまでは、
目を閉じて眠りに就いてはならぬ。
己のベッドを、己のための寺院とせねばならない。
光があれば闇がある、寒さには熱、高さには深さ、固体には液体、硬さには柔らかさ、粗さには滑らかさ、凪には嵐、繁栄には災難、そして生には死がある。
こんばんは。
【今日の名言】伊集院 静(作家)
私は知っている、不運な人生などない。
幸せだけの人生などない。
人は自分だけのために生きているのではない。
人生にも仕事にも、先が見えない時がある。目の前に闇しか広がっていないように映るものだ。でもそれは誰しも同じなのだ。
人間というのは哀しいかな、辛酸を味わう時に真の姿が見えることが多い。
己以外の、誰かの、何かのために懸命に、生き抜くことだ。そうすれば君に見えてくる。世の中が、人間の生が、いかに哀しみであふれていることか。それらの哀しみを平然と受けとめ、どんな時にも、君は、そこに、スクッとたっている人であって欲しい。
君には夢があるだろう。それにむかって進むのもいい。まだなければ夢を探す機会にすればいい。その決心に言っておきたいことがある。その夢は自分だけが幸せになろうとしていないか、お金を得ることにこだわってないか。そういうものは卑しいんだ
相手を思いやり、あなたが幸せであればそれだけで私はうれしいと感じることが恋愛だ。
今も作家面しているのは、ただ運が良かっただけ。
大切な感情を最初に学べる場所が恋愛。
人生というのは、あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、ちょっと涙したり、こっちでずるずると倒れたり、そういう遠回しになるような人生の方が豊かだ。
世の中の肌触りを覚えるには、理不尽と出逢うのがいい。
大人とは一人できちんと歩き、自分と自分以外の人にちゃんと目を向け、いつでも他人に手を差しのべられる力と愛情を持つ人だ。
誰しもが辛い時間と遭遇しているのが人生だ。
前妻(夏目雅子)は27歳の若さでこの世を去りました。医師から「明日死んでもおかしくない」と言われ、209日間の入院でしたが、その間、私は仕事を休み、妻の傍らに寄り添いました。何で俺だけこんなふうになるんだろうなと思いました。
(夏目雅子さんの死後)それからの一年は飲むだけ飲んで、博打を打つだけ打った。
最悪の人を亡くして絶望の淵にいても、時間はいつかその気持ちを和らげ、新しい光さえ見せてくれる。
いつまでも俺が不運だ。不幸だと思っていたら、死んでいった人の人生まで否定することになってしまう。
人が生きるという営みを繰り返す中で、別離ほど切なく苦しいものはない。
逆境は、自分だけにあるものではないと思うことが大事。
懸命に生きるという姿勢が素晴らしい。
苦しみ、哀しみを体験した人たちの身体の中には、別離した人々がいつまでも生きていて、その人の人生の力になっています。だからこそ懸命に生きねばならないのです。私は今、さよならが与えてくれた力を信じています。
人生を懸命に生き、そこで経験した苦しみや悲惨なものは、たとえ学問や教育を受けておらずとも、家族が生き抜く哲学、歴史観を作る。
この世の中に楽な仕事は何一つありません。
苦しいこと、切ないこと、辛いことを経験していなかったら、申し訳ないけど一人前になりませんよ。
この国に誇れるものがあるとすれば哀しみを抱いて歩き出す人々の慈愛、不屈の精神である。
金が儲かるなら何をしてもいいと嘯く輩がいる。金がすべてなら君達が子供の時に読んだり、聞いたりした絵本や、詩や、音楽は世の中にはいらなくなる。
大人って何だ?大人とは、一人できちんと歩き、自分と自分以外の人にちゃんと目を向け、いつでも他人に手を差しのべられる力と愛情を持つ人だ。
いつも何かを模索し、何かを求め、手を差し伸べておかないと運は降りてこない。
人生を懸命に生き、そこで経験した苦しみや悲惨なものは、たとえ学問や教育を受けておらずとも、家族が生き抜く哲学、歴史観を作る。
最愛の人を亡くして絶望の淵にいても、時間はいつかその気持ちを和らげ、新しい光さえ見せてくれる。
生きている限り、許せないものに出逢ってしまう、許せないものに出逢うのが生きること。
無念を抱いて生きている男女は大勢いる。
生きるということは必ず苦いものと悲しいものを伴う。
生きている限り、許せないものに出逢ってしまう。許せないものに出逢うのが生きること。許してあげられない自分を嫌いになる必要もない。
自分に消すことができない感情があることを個性だと捉えた方が人生にも仕事にも、先が見えない時がある。目の前に闇しか広がっていないように映るものだ。でもそれは誰しも同じなのだ。
五感で目の前の世界を読み、判断し、何をすべきかを決定していくことだ。
許せないものをわざわざ目の前に引っ張り出して凝視しないこと。
苦しみ、哀しみを体験した人たちの身体の中には、別離した人々が、いつまでも生きていて、その人の人生の力になっています。だからこそ懸命に生きねばならないのです。私は今、さよならが与えてくれた力を信じています。
人間は別れることで何かを得る生き物なのかもしれない。
お金で買えないものは山ほどある。お金で買えないものほど貴重なものはない。
今日は必ず自分にとって大事な1日になるぞということを、あえて思うようにしている。
人から笑われてる人の背中を叩いてあげる気持ちが大事。
信条や志が欠落した人間は、いざというときに踏ん張れない。
受験は合格できても、失業や病気、家庭の問題、大事な人との別れといった様々な苦難に耐えられなくなる。
おかしいと思わないか。哀しみと歩くために私たちは生まれてきたのではないはずだ。どうして人をいじめたり、平気で苦しめたりする者がいるのか。それはボクたちの身体の中に何ものにもかえられない素晴らしいものがあるのを忘れているからだ。
金というものも、その時は少し目を丸くするが過ぎてしまえば何ということはない。飯が食えて、酒が少し飲めて、雨漏りしないところで寝てられりゃ、それでいい。
価値ある生き方をしている大人はいるのか。誇るべき生き方はあるのか。私は断言する。そういう生き方をしている大人はいるし、生き方はある。今の君たちの目に見えないだけだ。その人たちも、君と同じ年頃、見えない明日を懸命に探り、一人で歩いていたんだ。
愉しみなさい。人生はアッという間に過ぎてしまうから。でも焦っちゃダメだ。ゆっくりと急げばいい。
若い夫婦が子供を連れ、プラットホームに降り立つ。彼等に歩み寄る老夫婦の笑顔には、人間の至福の表情がある。
親は無条件で己のことよりも子供の幸せを考える。そのことが子供の頃、私にはわからなかった。
自分以外の人、生きているものの痛みを分かる子どもにすれば、教育の半分はできたと考えなさい。
人から受けた恩は、その人には返せないのが世の中の常らしい。親孝行ひとつを取ってみてもそれはわかる。
親の最後の最大の教えは、親が亡くなることで子どもが人生を学ぶことでもあるという。
どう生きるかはどう死ぬかと重ならざるを得ない。
※伊集院静さんは昨年11月24日、管内胆管がんのため73歳で死去しました。
0コメント