facebook相田 公弘さん投稿記事
「耳」からはいってくる他人の評価が、自分の「心」になってしまうのが「恥」。
自分をありのまま「公」にすれば「聡」明に生きられる。
僕らは真っ「白」な状態で生まれます。辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと、
いろんな経験を重ねることで「羽」が生えてきます。それが「習う」という字です。
これから先どんなちっぽけなことでも、体験したことのすべてはあなたの羽の一部になる。
そしてあなたの「羽」はたくさんの「異なる」人と出会うことで「翼」に変わります。
「辛」いに「一」を足すと「幸せ」になる。「幸せ」の土台は「辛い」、そして「辛い」という字は「+」の上に「立っている」。辛いから幸せになれるんだよ漢字はそう教えてくれている。 ひすいこたろう
片柳弘史@hiroshisj
誰にも頼らず、一人で生きられる人はいません。「自立する」とは、誰かのお世話にならなければ生きられないことに気づき、その人たちに感謝できるようになるということ。誰かに支えられながら、他の誰かを支えられるようになるということです。今晩も皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
和みハーブ𓂃◌𓈒𓐍@nagomu_toki
季節の空気を感じ 平凡な日々にこそ 感じる幸せを噛み締め通り過ぎる優しさに気付き
支えられ生かされている…キミは言う。何もできない自分は笑顔と感謝で返すしかないと 𓇢𓆸
心の中の安定で見える世界が変わったね
その想いどうか消えずに自らの…誰かの…光となり続けますよう✨
一匹狼 Lonely Wolf@lonelywolf0008
ツラくて泣きたくなった時心痛く弱音を吐きたい時皆此処で思い切り吐けばいい
たくさん心優しい人が居るのだから僕はたくさんの友に支えられ今がある
だから僕自身も誰かの心にそっと寄り添ってあげられるようなそんな言葉を皆ひとりじゃないよ 僕は皆と此処にいるからさ
作家しりこだま(しりこ)@shiriko1971
誰かの愛によって、人は愛を知るのだろう。自分ひとりでは見出せないのかも。誰かに支えられて、助けられて、優しくされて、自分の中にも愛が芽生える。やがて人は、愛を与えられる側から、愛を捧げる側に変わる。でも捧げる愛と押し付ける愛は違う。相手に伝わってこそ愛だから。いさぎよく、いつも。
facebook岡本 よりたかさん投稿記事
「生きる支え」
母が亡くなって以来、父は極端に弱気になった。
今は帰れなくなった自分の家を見て、うっすらと涙を浮かべていた。
父はなんでも一人でこなせる人だった。病気がちの母に変わって、何かを注文する時も、数多くある支払いの処理も、料理や掃除や整理も、全部自分でやっていた。
夜になるとビールと日本酒を飲みながら、食事中喋り続けた。母は、相槌を打つのが精一杯だった。
父がある時、母にこう言ったらしい。
「俺が先に死ぬと、お前は施設に入るしかない。だけど、俺は一人でもやっていける。息子や娘は、何もしてくれないやろうけど、助けなんてなくても大丈夫や」 と。
しかし、母はこう言った。
「お父さんは、私みたいな話し相手がいなくなったら、すぐに弱ってしまうやろな。でも、息子も娘も面倒みてくれると思う」
父は不満そうだった。
それから数年して、母は他界した。
母の言う通り、話し相手がいなくなった父は、家で一人で生活し続けるのは無理だった。心臓が弱り、すぐに入院となってしまった。
病院では、ケアする看護師などが多かったので話し相手はいたが、体と心はすっかり弱ってしまった様子だった。
見かねた僕と姉は、現在、ケア施設に入った父をサポートしている。
母の言う通りだった。
母は、とても冷静に物事を見ている人だったから、自分が亡き後の父の姿は、手に取るように分かっていたのだろう。
僕は思う…。
人は、誰かに頼って生きている。
一人で生きていると見せかけながら、必ず近くに支える人がいる。その支えは、背中にあるものだから、普段は気づかない。
だが、その支えを失った途端に、立っていられなくなるほどに衰弱するものなのだ。
周りを見渡して欲しい。貴方を支えている誰かがいる。その誰かを、自分以上に大切にしなければならない。
支えが亡くなってから気づいたのでは遅いのである。
今すぐ、貴方を支えてくれている人に感謝の言葉をかけてみよう。いつまで生きているか、分からないのだから。
その言葉が、今度は、その支えてくれている人の支えにもなるのだと思う。
#つまらない独り言に最後まで付き合ってくれてありがとう。
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【人間が病むということから連想すること。~その2】
③関係の障害
人という字は互いに支えあう象形文字と言われ 人の間と書いて人間と読む存在は キルケゴールが「自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。」と表現したように 適切な自分との関係、他者との関係、世界との関係なしには生かされることもない存在と言えます。
④環境
人体は壮大なオーケストラと言われ 臓器は固有の周波数を持ち、痛みや疾患も 電氣信号として 同様に周波数を持つと言われます。
スイスの科学者ハンス・イェーニー博士は人体の細胞には独自の周波数特性があり、すべての臓器がその細胞の周波数と倍音の関係にあると言っています。
世界にはさまざまな波動が満ちています。
人体は世界に満ちる波動と干渉し、共鳴し存在します。
自分の置かれる環境が 人体の奏でる和音を損なうものであれば人体は独自の周波数特性を保つことが不可能になります。
⑤無意味感
「和多志は誰?」「なんのために生きるの?」「死んだ後 どうなるの?」
「人間に生まれ、人間として生きるとは どんな意味?」
「毎日繰り返される 命の営みの意味は?」
人間誰しもが抱える問いではないでしょうか?
Wikipediaは 「このような問に 真正面から対面し、探求し、健全な解決へと向けて、絶え間なく働きかけることをスピリチュアルケアと呼びフィジカルケア、メンタルケアに勝る人間の究極的ケアとも言われる」と紹介しています。
「その基本方針は人生のあらゆる事象に意味や価値を見出すすことができるような適切な思考法や有益な情報を効果的に伝えることによって、対象者が自分自身で、「心の免疫力」や「心の自己治癒力」を高めていくよう導くことである」とも紹介しています。
人生への意味や価値を見失えば「心の免疫力」や「心の自然治癒力」が弱まると言えます。
facebook相田 公弘さん投稿記事□「生きてゆく力がなくなる時」
※林覚乗(はやしかくじょう)和尚の心に響く言葉より…
新聞記事に載っていた話です。主婦A子さん(二十九)の夫は、機械リース会社に勤務するごく普通のサラリーマンだったのですが、あるとき商品相場に手を出し会社や金融業者から借りたお金が約2000万円。これに、家のローンや勝負ごとの負けも加わってついにマイカーごと蒸発。その日以来、A子さんは毎日夕方になると三歳の長女を連れて自宅近くの陸橋へ出かけるのが日課になりました。
毎日、毎日、きょうこそ夫が帰ってくるのではないかという期待を胸に陸橋の上にたたずむ日が続きました。しかし、一ヶ月が過ぎても夫は帰らず、連絡すらもありません。
借金の督促は厳しく、帰るあてのない夫を待つことに疲れ果てたA子さんは、何度も死ぬことを考えたといいます。
そんな四月の雨の日、一台の車が陸橋の下で止まり、A子さんと同じ年恰好の女性が降りてきて、二人に声をかけました。
「間違ったらごめんなさい。いつもそこにいるけど、身投げなんかしないでね」
この女性は日頃、陸橋の下を通り二人を見ていたんですね。
A子さんは、思わず心の中を見すかされたような気持ちになりました。
A子さんが返す言葉もないままでいると、その女性は小銭入れを渡したそうです。
中には小さく折った一万円札が二枚とメモ用紙が入っていました。
(いつも気になって、あなたのことを見ていました。人生って死んで何もかも終わりだと思うけど、お子さんだけは道連れにしないでね)と記されています。
さらにもう一つ、小さなカエルのマスコットが入っていました。
A子さんには、このカエルが「帰る」という言葉に結びつき何かの暗示のように思われ、その場で娘を抱きしめながらあふれる涙を抑えることができなかったそうです。
「勇気がわいてきて、立ち直れそうな気持ちになりました」。その後、北陸の旧家のA子さんの実家では夫と縁を切るという条件でお金の始末をつけてくれることになり、A子さんも里帰りして出直すことになりました。
立ち直ったA子さんはその姿を見てもらおうと何度か陸橋に出かけたのですが、なぜかあの女性の車は通らなかったそうです。
A子さんが命の恩人を探している、ということで新聞の記事は締めくくられています。
『心ゆたかに生きる』林覚乗・西日本新聞社より抜粋転載
日本では、年間の自殺者は10年連続で3万人を超えているという。
これは、交通事故の死者の数の5倍以上だ。(ベトナム戦争の米兵の死者が3万人だそうです。)
自殺未遂はその10倍はいるといわれ、それを計算すると、一日1000人の人たちが自殺を図っていることになる。この数(自殺率)は、先進国でも群を抜いて多く、日本はフランスやアメリカの2倍で、イタリアやイギリスの、実に4倍だ。
坂村真民さんの詩に…
死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある そんな時お寺を訪ね
わたしはひとり 仏陀の前に座ってくる 力わき明日を思う心が 出てくるまで座ってくる
『生きてゆく力がなくなる時』柏樹社
全ての夢が破れ、絶望したとき人は死を考える。まわりから責められ、孤立無援となり、望みが絶たれる。そんなとき、ちょっとひとこと声をかける人がいるだけで、死なずにすむことがある。心に深い悩みを抱え、絶望しているときは、どうしようもない孤独感に苛(さいな)まされているときだ。
孤独をいやしてくれるのは、温かい言葉や、挨拶や、笑顔や、まなざし。
生きてゆく力がなくなる時、少しでも力を与えられるような人になりたい。
facebook花以想の記投稿記事
人生には不幸を通ってくる幸せがあるように、落葉のかなたには春の芽生えが待っている。
宮城道雄 随筆『落ち葉をふんで』より
筝曲「春の海」で知られる宮城道雄は、幼少期に失明したことが機となり、音楽の道を志します。
この詩を眼にしたとき、私は落葉に不幸を重ねたことはないな、と思った一方、道雄には秋の落葉の音がどのように伝わっていたのだろうと思いを馳せました。
きっと目の不自由は、他の五感を研ぎ澄まし、匂いや音や触感を体全体で感じ取る力を与え、道雄に類まれなる才能を授けたに違いありません。
ゲーテは「暑さ寒さに苦しんだ者でなければ、人間の値打ちなんかわかりようがない。」と書きました。
苦しみや不幸を通らない、幸せな人生の方がいいと思います。しかし不幸せな体験をしたことで育まれる感性、人の気持ちに気づけたり優しくなれることも、きっとあるでしょう。
不幸せな経験が幸せに転換できるとしたら、それは人の気持ちに気づけるようになること、人に寄りそう人生が歩めるようになることではないかしら。
もし弱さが導いた不幸だったとしても、その経験のおかげで人の気持ちに気づけたり、また分っていないことに気づけることは、先々の自分に幸せを導くと、他人にとっても支えになれる、かならず強みになると私は思います。
話を膨らませてしまいましたが「落葉のかなたには春の芽生えが待っている」って素敵な言葉だな、と胸に響いたので。
今日もいちりんあなたにどうぞ。 ユキワリソウ 花言葉「期待」
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