心を鎮めること
Facebook智慧と唯識 - 安寧人生への手引き - ·東賢性 さん投稿記事
仏教を学ぶ意味は何か?
仏法の方法で修習(瞑想)について話す時、仏法はかなり具体的なことを話しています。
瞑想は評判が高く、多くの人がリラクゼーションなどの補助として、瞑想を利用しているからですが、実際に瞑想を実践するとなると、ほとんどの人は「何をすればいいのか分からない」と感じることがよくあり、座って静かにすることは大切ですが、それからどうするのでしょうか?
呼吸に集中するだけでなく、心を整えるために他にも方法があるのです。
サンスクリット語の「瞑想」という言葉には、・何かを実際に現実にする
という意味があり、チベット人はそれを、・ある習慣を身につけるという意味の言葉に翻訳し、「習慣を身につける」ということは、・何かを自分の一部にすることで、瞑想でまさに「何かを自分の一部にする」ことをやろうとしているのであり、自分自身に「有益な変化をもたらしたい」のです。
先ず、問うべきことは、・なぜ変化を望むのか?ということで、通常「変化を望む」は自分の
・生活の仕方・感じ方・他の人や仕事との関わり方に満足していないからで、挙げればきりがありませんが、ほとんどの人が目指すのは「生活を向上させること」です。
しかし仏法の方向性は「問題から逃げる」のではなく、「問題に対処する」ことです。
「問題に対処する」ことは重要な要点で、問題を対処して私たちは変わり、向上したいのですから、瞑想を通して空想の世界に逃げることではありません。
空想の世界に逃げたいのなら薬物やアルコールなど、現実逃避のために使える方法は、他にもたくさんありますし、一日中音楽を聴いて何も考えなくて済むようにすることもできますが、現実逃避のために使うツールの影響下にある時というのは、あなたの問題がそれほど深刻でなく、現実的ではない様に思えることがよくあります。
しかし本当の問題は常に戻ってくるし、戻って来るのは私たちが
・実際に問題に対処する方法を、学んでいないから
で、問題の解決のために瞑想を「薬物」の様に使う人はたくさんいますが、それは長続きする助けにはなりません。
鐘やシンギングボール、ティンシャをチャンチャカ鳴らしたり、太鼓をたたいたりすることはできますが、それは仏法のディズニーランドの様にしているだけで、実際に私たちの中に「変化」をもたらすことは、何もありませんし、ただの逃避です。
しかし、仏教の伝統に則って瞑想を実践する場合は
・問題から逃げるのではなく、問題に対処して克服する
ことになりますから、仏法の瞑想は実際には非常に勇気のいることであり、容易なことではないため、多大な努力が必要であり、必ずしも楽しいとは限らないことを覚悟しておく必要があり、これは「身体的なトレーニング」に例えることができ、身体的なトレーニングはきつく、筋肉が痛くなりますが、より強く健康になるために、この困難に耐える覚悟が必要です。
瞑想をする時も同じですが、身体ではなく「心」を鍛えます。
仏法には、武術の様に瞑想と身体の鍛錬を組み合わせた形式もありますが、チベット仏法の伝統ではそうではありません。
もちろん身体を鍛えることには何の問題もありませんし、実際に非常に有益ですが、ここでの主な焦点は「心」であり、知性だけでなく「感情と心」なのです。
偉大な仏法の師たちは、仏法の修行を始める時に、最も基本的なことは
・心を鎮めることだ
と強調し、私たちの行動、振る舞い、他者とのコミュニケーションは全て、私たちの「心の状態」によって左右されるからです。
Facebook池内 秀暢さん投稿記事
イージーな瞑想法・・・マインドフルネス
心と身体は。脳を介して自律神経や内分泌にて影響し合っています。
■身体で感じたことは脳に伝達される。結果意識にも影響を及ぼす
■意識活動の質が、脳のシステムを介して免疫や内臓・血管やリンパ管・筋肉などに具体的影響を与える。
これはココロとカラダの法則だとお考えください。身体にどのような刺激を与えるか・・・・
意識活動をどのような質にて使ってやるか・・・
これが病気から脱出するために 時として重要な、治癒を働かせるポイントとなることは、多くの慢性的疾患にストレスが関係していることを考えれば、容易に理解できると思います。
意識のうち、「思考」は、「言葉」という言語を用いながら、様々な思考を行っていますので、自分で認識しやすく 主に左脳という器官を介在して、思考を巡らせています。
ところが・・・この思考は、大なり小なりの感情をともないながら、実際は論理的・知性的思考と、右脳の介入による感情による感性とが、ミックスしながら まじりあって行われています。
「言語である思考」と「感性の一部である感情」は、主に人間が持っている大脳新皮質にて表面化しているように考えます。(顕在意識) この思考と感情のベクトルが、ネガティブな方向にいつも向いてしまうと、大脳新皮質の内側に埋もれている「大脳辺縁系」にて、
健康を阻害しがちなシステムを取ってしまいます。(潜在意識の領域) これを私はストレス脳と呼んでいます。
命が関わっているガンのような疾患には、ついつい思考と感情がネガティブな方向にいきやすいようにお察しいたします。 命の存続や病気に対する不安・恐怖心などに襲われることは多々ある事でしょう・・・・・
人類が発達させてきた大脳新皮質の左脳と右脳があるがゆえに、皮肉にも意識をネガティブな方向に導いているのです。
そこで、この意識から「思考と感情」を追い出すと、何が自己認識できるでしょうか?
思考と感情をゼロにしてやれば、おのずと身体の感覚が意識に登ります。
現代人は、この身体感覚にきわめて疎い方が多いのです。
これは・・・・雑誌やテレビなどのメディアに触れる機会が多い中、さらに仕事でパソコン・・・・空いた時間にスマホ・・・・
身体に意識を巡らせる時間よりもはるかに思考に意識を巡らせる時間が圧倒的に多い生活環境に原因を見出すことが出来ます。
現代人は・・・いつも思考と感情を働かせて一日を生きている方が多く、身体感覚に意識を向けてやる機会が少ないことが理解できると思います。
意識や感情を使えば使うほど、大脳は疲弊するようです。 これが無意識のストレスを生じさせる原因の一つとなります。 身体への感覚を意識に浮かべるには、先ほど申しました「思考と感情を鎮める」と、いう事でしたが、身体感覚は、身体から脳に入ってくる神経ルートによって自覚できます。
この身体感覚に集中的に意識を向けてやることで、ストレス脳をつくりだしている要因である「思考と感情」から、解放される、もっとも自己療法として合理的にできる意識の療法となりえます。
気功の体操や太極拳・ヨガなどの本来の効果は・・・また健康法ではありませんが、合気道などの武術は、この「身体感覚に意識集中する」という事があげられます。 それにより脳の環境をネガティブ脳からポジティブ脳に変化させることが出来、治癒力を働かせるために一役買うわけです。
ですから、これらの身体を動かす療法は・・・あまり思考を働かせず感覚に意識をシフトし集中しないと、意識の療法の観点から見ると、単なる運動的療法となってしまうわけです。 理屈の意識を極力なくして、感覚の意識を使う・・・・これが重要です。
簡易的瞑想法・・・マインドフルネスは、意識を感覚に集中させることで、ストレス脳を生理的に変化させることが出来、素晴らしい効果を発揮すると・・・経験にて思います。
先だって難病の方お二人に、このミニ講義を行い、簡易型瞑想法のワークを行った直後、頸部と頭部の状態を確認したところ、ストレス脳から脱却している兆候が、著しく察知されました。
心の状態は脳の状態でもあるのです。 その脳の状態が神経系や内分泌系・はたまたエネルギー系を通して、肉体に影響を及ぼしているわけですから、意識がどのような状態にあるか・・・非常に重要なことだと考えます。
ガンの方は・・・玄米にするか・・・・白米にするかと・・・いう選択より、どのような意識にするか・・・という事の方が、大変重要だと思います。
長くなりましたので、池内式簡易瞑想法・・・マインドフルネスのやり方は、次の機会にご紹介させていただきますのでご参考にしていただくとともに、心の健康は大事と言われつつも、あまり具体的に療法提案や実践していらっしゃる方が少ないと感じられます。
漠然としているからでしょうか・・・・とても大切な事のように思いますが…
長文となり失礼いたしました。
Facebook石川 真樹夫さん投稿記事
般若心経は「ギャーティ、ギャーティ、ハーラギャティ、ハラソウギャティ、ボウジソワカ」の真言で終わります。
逝ける者よ、逝ける者よ、彼岸に全く逝ける者よ、悟りよ、幸あれ。
ここに、智慧の完成の心が終わった。
「さあさあ、みんなで揃って幸福になる道を歩みましょう。自我を捨て、一人残らず全員が揃って幸福になる無我の世界を歩みましょう」とも理解できます。
万象帰一
Facebook宮原 名奈弓さん投稿記事
気持ち良く、癒されるので、毎日のように、実は、聴いております。
般若心経も、こんなふうに、音楽的に、なるとは、、。すばらしい!
流れゆく、夢の世界のようですばらしいです。
心が、静かに、なり、安らいでとても、やわらかな不思議な、世界に、浸れます.
https://www.youtube.com/watch?v=GgfmLuUGETc
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