https://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/negainojitugenn.htm 【願いの実現】
Facebook加藤隆行さん投稿記事【すべて叶っている】
なぜみんなが悩み苦しんでいるかをものすごく簡単にご説明するとこの世界を「恐い・危険・厳しい」なところだと思っているのか「安心・優しい・ステキ」なところだと思っているのかその違いだけです。ひとつの例を出します。
「今の米不足騒動」についてこの世を「恐いところ」だと思っている人は「米が買い占められてしまう!」「自分も急いで買いに行かねば」「1合でも多く!」「大変だヤバいヤバい」と思います。
この世を「優しいところ」だと思っている人は「米が不足してるって?」「まあそのうち
すぐに補給されるっしょ だって日本の流通だし」「別にしばらくおかずだけでも いいよね。ダイエットにもなる」「食べ盛りの子がいるお家や 本当に必要な人たちの手に 渡りますように」って思います。
たとえばもうひとつの例。
先日、うちの最寄りの駅で、人身事故が起きしばらく電車が止まり、騒ぎになりました。
この世を「恐い・危険・厳しい」と思っている人は「なんだよ急いでるのに 電車止めやがって」「○ぬなら人に迷惑かけずに○ねよ」「あー、あー、都会で生きてると 人間おかしくもなるわ。」「いやだいやだもう最悪だ」と思います。
この世を「安心・優しい・ステキ」と思っている人は「いろいろあって きっと大変だったんだね」「目の前の電車に飛び込んじゃうほど 苦しかったんだね」「あの世では幸せになれるといいね」「駅員さんも、大変な仕事だよね。 おつかれさま。えらいよね。」って思います。
月曜の朝からすみません。結構なシンドイ例を上げました。これを読んでいるみなさんがどう感じたかわかりませんがどちらもボクの周囲で聴こえたリアルな声です。
目の前では同じことが起こっていても感じ方や捉え方は天と地ほどの差があります。
「それって性格の違いでしょ?」と思った人、違います。これは性格の違いというよりも「世界に対する前提」の違いです。
世界を「危険・恐い・つらい・厳しい」と思っている人は自分のことしか見えなくなります。
いつも自分を守らねばと必死なのです。本当はそんなことしたくないのに他人のことなんて蹴落としてもいいとまで思ったりしてしまいます。
でも「危険で恐い」んだから だって「厳しくてつらい」んだから。それもしょうがないですよね。「優しい・ステキ」と思っている人はシンドイ状況においても良い面を見ることができます。良くあろうと望むことができます。その人が「悪い」んじゃないんです。
「恐い」「つらい」ってカンチガイしているからこう世界を捉えてそう振る舞ってしまうのです。じゃあ、この世は「恐い」「つらい」って思ってしまったのはなぜでしょう。
「この恐い世界から 自分を守らねばならない」と決心したのは、いつから 誰から、どんな環境から影響を受けたからでしょうか。
生物として「自分を守る」のはあたりまえです。だから「悪い」んじゃないんです。全部、思い込みでカンチガイなんです。
これは世界中で起こっている戦争や紛争の仕組みも実はみんな同じなんです。
世界を「恐いところ」だと思ってしまったら誰かに “思わされて” しまったらこうなってしまうのです。自分のこと(自分たちのこと)ばかりしか考えられなくなり、他者への優しい思いは消えていってしまいます。これが人という生き物の性(さが)。
だから、誰もがこの仕組みを知っておく必要があります。そうしないと簡単に民衆は操られてしまいます。
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もちろん恐い、優しいの「中間」かなという人もいると思います。むしろ「中間」な人の方が多くて、時によりココロが揺れるという方もいると思います。
「中間」な人が、なぜ揺れてしまうのかそれは「自分のココロに余裕があるか」「自分が自分を大切にできているか 優しくしているか」そこに、日々かかっています。
だから「自分を大切にしてください」「自分に優しくしてください」「自分を喜ばせ 満たしてあげてください」そしてこのカンチガイの仕組を「知って」ください。
この世界は「あなたが思った通りの世界」になります。どちらを選ぶかもアナタが決めることができます。ボクはある時からお人好しとか甘いとか言われても「優しい世界」で生きることに決めたらパラレルシフトしましたよ。これが現実創造の仕組みです。
ちょっとスピっぽくも書いてみましたがあなたは何を信じて生きていきますか?
生きていきたいですか?(^ω^)
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【不安を不安のままにする】
不安な人はいまここで、「不安でいい」と口に出して言ってみてください。
「不安なものは不安だよね」「不安で当然」とつぶやいてみるとどんな感じがするでしょう。
不安は未来に起こりうる脅威に備えるための感情。だから不安はあって当たり前。
というかむしろ不安を上手に使いこなすことで文明を発展させてきたことが人間が人間である所以です。でも「不安」は嫌われ者です。不快で嫌な感じがするからです。
だからみんなが「不安」を消そうとやっきになっています。
押さえつけたり無視したり、いっときの興奮や快楽で見えなくしたりとみんな必死に、不安を避けようとします。でも、不安は消えないのです。
だってあって当たり前だから。
不安を消そうとする人は不安が全然消えてくれないから、よけい不安になる、という永久機関を自分の中につくりあげていきます。
ずーっとずーっと追っかけてくる不安に酒を煽って対処しようとしても 死ぬほど仕事して成果をあげても まったく効果はありません。実は対処法は真逆。不安なのは当たり前なので
不安を不安のままにして「不安だね」と受け入れてあげると安心するという、不思議な現象が
起こってきます。まあ不思議でもなんでもない不安を嫌うこと自体が動物として不自然なのです。だから「不安でいい」「不安で当然」「不安なものは不安だよね」と言ってみて。
さあ、不安なままで安心しよう。不安と安心が手を取ったときすごい力と可能性があなたに生まれてきますよ。レッツ不安!(^ω^)
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