Facebok澤村 洋二さん投稿記事·【現代社会におけるメディテーション術】④
前回は、西洋思想はロゴス(言葉)であり、東洋思想とは、身口意の身体メディテーションだとした。日本思想や文化は、ユーラシア大陸の東端の袋小路の弧状列島で、北から南から朝鮮半島から様々な文明・文化・宗教を携えた人々が流れ込み、その鎔鉱炉の中で精錬・結晶化されたと述べた。もう少し、丁寧に言うと世界宗教の一つである仏教の身口意(身体と言葉と意志)が、中国仏教の複雑巧緻な体系的な思索を経て、柔道や相撲でよく言われる心技体(魂・技・身体)という、生き様・死に様としての道にまで昇華・結晶化・あるいは単純化している。具体的な例をあげると、中国の武器は極めて多種多様だが、日本の武器は、刀・槍・弓へと絞り込まれているが、洗練の極として突き詰められ、刀剣は、殺人兵器を越えて、魂や芸術美にまで高められている。
禅とは何かを言葉だけで説明するのは、極めて難しい。禅僧に「坐禅をする・座る」ことだと説明されても、座るだけで何が分かるのか?と疑念を持つ方が、大半だろう。
長年、坐禅をしているというから、とりあえず、道元禅師の難解で現代哲学に匹敵する禅哲学の書とも賞賛される『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を読んだかと聞くと読んでないと答える人は、知的誠意性からするとどうかと思う。だが、『正法眼蔵』を愛読しているといいながら、『正法眼蔵』が禅は坐禅に尽きると断じているのに、坐禅をしていない人もいるし、チョロットしているだけで坐禅していると豪語する人もいるが、それも倫理的誠意性が疑われる。
『正法眼蔵』を読むことが坐禅だとまで言い切る人は、哲学者ハイデッガーの書『時間と存在』と『正法眼蔵』は、徹底したロゴス(論理言語)的自我意識論と徹底した身体的無我論との相違がある、似て非なるものであるのに同じ時間論だと強弁するのは、西洋コンプレックスなのか?坐禅を知的に哲学的に理解できるという勘違いしている知的スノッブも結構、多いようだが、禅を教養的アクセサリーとするなら、それはそれで結構な余裕人の趣味としての安全圏内だ。禅とは、人間を肛門から皮を逆さ剥ぎし、肉団子にすることだというから。
中国の達磨大師は、「面壁九年」という言葉を残している、壁に向かってひたすら9年、坐禅をしなければ、悟れないという意味だ。坐禅とは何か?悟りとは何か?を知るためには、「面壁九年」するべきであり、それが出来ない人間は、禅を語る資格がないという意味でもある。禅への誠意性として、命を賭して、手足が萎えた、社会生活を放棄したダルマとなるような「面壁九年」の厳格な禅修業を経ていない人は、禅の何たるかが分からず、禅の大悟から遥かに遠いという自覚を持つ必要がある。
室町時代 明応5年(1496)、禅僧でもあった雪舟が、中国の禅宗祖師図を参照しながら本作を描いたと言われている『慧可断碑図(えかだんぴず)』がある。禅宗の初祖、達磨が中国・嵩山(すうざん)の少林寺の岩窟で岩に向かい、9年もの座禅修養をしていた時、慧可が弟子入りを請うたが、許されず、冬のある日に自らの左肘(ひじ)を切り落とし、それを達磨に捧げ、弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない覚悟のほどを示し、達磨に受け入れられ、禅宗の二祖となったという逸話である。慧可の断碑は、花魁や侠客の指切りとは、桁違いの命がけ、健常者としての俗世の生を捨てるという意味だろう。先ほど、誠意性について言及したが、死を賭しての覚悟性の証だ。
『法華経』の「薬王菩薩本事品」は、薬王菩薩の「焼身供養」の功徳によるものであると述べられ、『法華霊験記』の中で法華経持経者が衆生を救済するための「焼身供養」が典型として取り上げられている。遥か昔、ベトナム戦争の際、焼身自殺する僧侶が報道されたことがあった。社会常識からすれば、極端ともクレージーとも解されがちだが、宗教的情熱の激烈さや深淵、そして、その危険性を頭の片隅に置いておくのもいいだろう。
達磨大師の大悟を理解するには、ほど遠いだろうが、自分なりに限りなく近接するのは、不可能ではないとするのが、誠意ある謙虚性だと思う立場から、深淵と高邁を恐れながらもソロソロと及ばずながらも拙い思索の蔓を伸ばしてみよう。
さて、薄暗がりの岩窟の中での達磨の「面壁九年」における心境とはいかなるものであろうか?それを伺い知る好例がある。若年の頃、見るという事は何か?生まれついての全盲の人は、赤い花だと言っても、赤い色をイメージできるのだろうか?色盲の人は、赤い花を見ても赤いとは感じることが出来ないだろう。赤色は、光の電磁波長の一部だが、それなら、赤い色は、人間の内部にあるのか?内部にあるのか?もっと言えば、美が心の内部にあるのか?外部にあるのか?まあ、こんな具合に、疑念にゴロゴロ出て来て、どうしようもなくなった私は、図書館に通い詰め、万巻の書を訪ね歩く日々を過ごした。
そこで、めぐり合ったのが、米海軍のる感覚遮断タンク実験の記事だった。円筒状のタンクを横にし、タンクの中に人間と同じ比重、体温と同温の液体を半ば入れ、その液体に人間が浮かび、タンクを閉めると、視聴覚から触覚から温度感覚まで、全ての感覚受容器の刺激を遮断することができる。
そんな感覚遮断状態にすると、人間はどうなるかという実験だ。間隔遮断タンクの中の被実験者は、眼を開いても閉じても真っ暗な暗闇の状態であり、眠ってしまうだけと想像するのが、一般的な答えだろう。
しかし、被実験者は、暗闇の中で色鮮やかな熱帯魚を見たとの報告があったと短い記事で述べられていた。つまり、目覚めて居ながら、夢を見ているような状態に陥いり、内観の視覚像が外観の視覚像へと転移したのだ。
この時は知らなかったが、これが、ジョン・C・リリーが、1954年に感覚遮断の研究のためにタンクを考案し、アメリカ海軍もそれを採用し、潜水艦の乗務員のためだろうが、感覚遮断タンクの実験をしていた記事だったのであろう。1980年代には、リリー博士をモデルとした映画『アルタード・ステーツ』を機にアイソレーション・タンク(感覚遮断タンク)一般にも流布し、流行した。1981年、タンクがはじめて日本に輸入された時、ジャーナリストの立花隆は『週刊文春』に体験談を掲載したが、その時には、眠たくなるだけで幻視体験はなかったと述べている。その後、立花隆は1994年に『臨死体験』表しているが、臨死体験も感覚遮断タンク実験と相似した覚醒夢体験かもしれない。
その後、リリーは幻覚剤、LSDを用いた感覚遮断実験を行い、リリーが「ガイド」と呼ぶ高次の生命体に、宇宙の進化を見せられたと述べ、イルカとのコミュニケーションを試みる研究へと移り、一時流行現象とはなったが、幅広い社会的認知にはいたらなかったのは、長い宗教伝統では、幻覚剤を用いるメディテーションは、邪道として捨てられた経緯がある。その理由は、幻覚剤を用いれば、神仏へ跳躍する超意識も活性化するが、欲望の怪物が蠢く潜在無意識も活性化し、制御不能に陥るからだろう。
世界的な宗教学者ミルチャ・エリアーデ(1907- 1986)は、論文「神秘的な光の体験」で、神秘的な光の体験は、世界の諸宗教に通底してみられるものであると述べている。この神秘的な光の体験とは、何の光源もないのに、光に包まれることであり、また、人が発行体となって、光を発する事でもある。
仏像に金箔(きんぱく)が貼られ、光背があるが、キリスト教の宗教画も金箔が貼られたものがあり、聖人の頭は光りの輪に飾られている。古今東西の神仏や聖人が神秘的な光を発することを示しているのかも知れない。
仏教の『華厳経』で菩薩修行の階位である52位の中、「十地品」(じゅうじぼん)」は、第41~50位までの初歩的段階を示し、上から法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜の十地を説明している。
50位の歓喜地は、聖性を得て歓喜し、衆生を救済しようとの立願を起こす境地とされている。49位の離垢地(りくじ)は穢れなき境地である。48位の発光地(はっこうじ)は、精進の結果、その功徳として光を放ち十種の法明門を行うとされている。それより、上位は、煩瑣になるので省くが、菩薩修行者は発光すると書かれている。
日本仏教の最大宗派『浄土真宗』の開祖親鸞の生涯の師であり、浄土宗の開祖法然は、日記に仏や浄土を観想する『観無量寿経』の行法を実践したことを記している。そこで、法然が観想した仏の視覚像が他の人にも見えたと記している。しかし、一般大衆が行うには、難し過ぎるので、観想念仏(仏のイメージを念じること)を捨て、阿弥陀仏の名前を唱えるだけの称名念仏を選択したと述べている。
『浄土宗』『浄土真宗』の所与の経典である浄土三部経の一つである『観無量寿経典』は、浄土を観想すれば、浄土に居ると同じ事だと説いている。しかし、法然は難行ゆえに、否定し、易行である称名念仏(阿弥陀仏の名を唱えること。南無(なむ)=帰依、あみだぶつ)を一般大衆に勧めた。だが、親鸞は、観想修業を説く『観無量寿経典』の仏土は、化仏土として否定するに至ったのは、ひたすら阿弥陀仏の苦悩する衆生を救うという誓願を地獄に落ちても信じ切るという徹底からである。
しかし、親鸞の主著『教行信証』に「難思の弘誓は 難度の海を 度する大船無碍の光明は 無明の闇を破する慧日なり」と述べている。(阿弥陀仏の衆生を悟りの彼岸に導くという誓いは、信じがたいが、辛い人生を歩む人にとっての救いの大船であり、融通無碍な自由自在の仏の光は、痴愚迷妄の闇を破り、悟りの智慧(ちえ)が一切の煩悩や罪障を除く日の光だ。)
親鸞は、自力本願である仏道修行を全て捨て去り、称名念仏だけを勧め、阿弥陀仏の誓願を信じきる他力本願を唱道した。その親鸞が、仏や浄土を観想(実物以上のリアリティーで幻視する)行という自力修業を否定するのは当然だろうが、それでも、『教行信証』では、仏の光を賛仰しているのは、聖なる光を実体験しているからかも知れない。
親鸞聖人は29歳のときに比叡山(天台宗)を下り、観音菩薩を祀る六角堂に百日間参籠された。そして95日目の暁、夢に聖徳太子の示現の文を得られたと伝えられている。その暗い六角堂の堂内で、現実以上のリアリティーで聖徳太子の示現を得たとは、天台宗比叡山の常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)で行われる、命がけの、臨死体験スレスレの常行三昧行を髣髴とさせる。
常行三昧行とは、中心に阿弥陀如来を安置した方形の常行三昧堂で、90日間、横になって眠らず、食事も立ったままで取り、休むことなく、阿弥陀如来の周囲を念仏を唱え、心に神仏や光溢れる浄土を観想(イメージを想いうかべる)しながら歩くという千日回峰行よりも過酷な死を覚悟しての行だ。或る修行者は、いきなり、巨大な不動明王の脚が眼前に屹立し、すね毛がありありと見えたという。もっとも、現在は、一週間程の修業とされ、幻像の出現は稀だとされる。
禅僧である雪舟が描いた『慧可断碑図』は、色彩や煌びやかな光を押さえた厳粛な黒・白・グレーの水墨画であり、浄土教の絵図に見られる、華やかな色彩、光が溢れた絵画ではない。つまり、浄土教的のあの世は、浄土は、色彩と光に溢れているが、華厳経的の本尊は、宇宙の光の仏、毘盧遮那仏であり、金箔が張られた奈良の大仏であり、東大寺の天井は、色彩が光に転化するギラギラの様相を描いている。飛鳥・奈良時代の仏教美術の美は、中国大陸や朝鮮半島からの超一流品の直輸入だ。平安時代になって、唐が疲弊し、遣唐使の派遣が取りやめになり、王朝貴族による国風文化が花開く。鎌倉時代になると武家が精神的柱として禅宗が勃興し、室町時代になると、武家文化と貴族文化が融合し、そのなかから所謂、日本美の原点の一つともいわれる「ワビ・サビ」美学が生まれる。一般的に、「侘び」とは、つつましく、質素なものにこそ趣があると感じる心のことと言い、「寂び」とは時間の経過によって表れる、劣化の美しさを指すとされている。この禅美学の影響を受けた「ワビ・サビ」美学を歌として完成したのは、俳人の松尾芭蕉だとされている。
芭蕉の名句「閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声」の蝉は、歌人の斎藤茂吉はアブラゼミであると断定したが、それに反論して、ニイニイゼミだという論争が巻き起こったというが、どちらでもいい話だ。
蝉の声は、どちらにせよ、耳をつんざくほど五月蠅い、騒音だ。
蝉は長い場合は、十年も幼虫のまま土の中で過ごし、穴から這い出て、地上で蝉として羽化するが、けたたましく鳴いて、雌雄が出会い、交配し、葉っぱに卵を産み付け、わずか、1、2週間でその生を終える。「岩にしみ入る蝉の声」とは、蝉の大合唱が生々流転する生命そのものが、永遠の現在に似た岩の閑けさに同化していく様を芭蕉が実感したことを描いているのかもしれない。このように禅宗の開祖達磨大師が弟子の慧可に与えた言葉は、芭蕉の俳句「閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声」に似ているような気がする。
「外、諸縁を息(や)め、内心、喘ぐこと無く 心、墻壁(しょうへき):石・煉瓦・土などで築いた壁)の如くにして 以て道に入るべし。」つまり、禅の悟り、最終結論として、「心、墻壁(しょうへき)の如くにして 以て道に入るべし。」だ。
「永遠の現在」という言葉に触発する視覚映像として、1888年、ゴッホがアルルにゴーギャンを迎えるための愛用のパイプを置いた農民用の粗末な椅子『黄色い椅子』に勝る作品は無いような気がする。この絵の絵葉書は、世界で最も売れているというのも分かるような気がする。しかし、何というか、胸が締め付けられるような悲劇的な絵にも見える。
私事で恐縮だが、精神病の発作を起こした知人を見舞いに行ったことがある。知人は、鉄格子の窓の外の景色を見て、美しいと賛嘆していた。その知人が、達磨大師や芭蕉やゴッホのように、過去、現在、未来というように過ぎ去る時間の一瞬の内に「永遠の現在」を実見したとは、思わないが、川端康成がいうように末期の眼には、それに似た光景を見ることができるのかもしれない。
「外、諸縁を息(や)め」とは、心が対象物を認識する六識の働きを辞めることだ。しかし、心が外界の対象物を認識する働きを、息を止めるがごとく、辞めるということだ。
仏教では、心が外的な対象を統合的認識するために諸縁が働くとされる。
諸縁とは、六識(ろくしき、人間の6種の心のはたらきのこと)のことで、感覚受容器や言語的認識を指し、眼識<げんしき>(視覚)、耳識<にしき>(聴覚)、鼻識<びしき>(嗅覚)、舌識<ぜっしき>(味覚)、身識<しんしき>(触覚)、意識<いしき;外と内というように区別する心の働き、言語は世界を文節化する働きを持つ。>(知覚)の6つからなる。
修験道で六根清浄という文言を合唱しながら、聖山に登るのは、この六識が、穢れているので清浄化する必要があるからだ。
もう少し、解り易くいうと、人間は生存本能や、快楽を貪り、人より抜きんでる事や賞賛を浴びる本能に突き動かされる貪欲な心を持った存在だ。人の眼は無意識に旨そうな食物に視線を走らせ、生殖本能に促された人の目は、自動的に好ましき異性に視線を走らせる。このような無意識的指向性が、六識である感覚受容器や言語的意識にも備わっているとしている。
この六識と、似ているのは、天台宗に『天台止観』という禅定の行法だ。
「貪・瞋・癡」(欲・怒り・愚か)の三つを厳しく戒めるが、一番はじめに「欲」を戒めるが、欲を構成するのは、色・声・香・味・触の五欲だとしている。解り易い例をあげると、美女の視覚認識・美声・香り・味・肌の柔らかさへの欲望である。(美男の例は、煩瑣になるので省くが、美味な料理でもいい)
この五欲が、少しでもあれば、いくら修業しても火に薪を投げ入れるようなもので、煩悩をあおり、燃えたぎらせるだけだと、戒めている。五欲から逃れられるためには、一心一意(ひたすら)にそれを修行して数息観(呼吸を数える行法)して禅定に入るしかないと教えている。
止観とは、心を外界や乱れから動かされず静止させる〈止〉と、それによって正しい智慧をおこし対象を観察する〈観〉とを併せて止観といい、戒定慧(かいじょうえ)の〈定(禅定)〉と〈慧(仏の教え・智慧)〉に相当するとされる。
これらのことから、達磨大師の禅とは、天台止観の五欲とよく似ていることが解るが、仏教の六識の方がより近いと思われる。
心を外界の乱れから動かず静止させるためには、六識では、全ての感覚受容器が貪欲に突き動かされ、引き起こす五欲(色・声・香・味・触)の擾乱を鎮め、停止しなければならないだけではなく、言葉が生み出す物事の文節化・区別意識をも停止しなければならないからだ。
生物学とは、分類と区別の学問である。全ての生物は、総合的な体系の元に分類され、位置づけられている。象は、哺乳形類に属する脊椎動物の一群であり、象をも大群で殺す蟻は、無脊椎動物、節足動物、昆虫類、ハチ目ハチ亜目有剣ハチ下目アリ上科アリ科だ。
現代社会人にとって、この言語の作用による区別、分類の能力は、大学の偏差値と等価とされ、官界や財界・学界などの社会のエリートになるための第一関門となっている。
(政界を外したのは、権力闘争には、また、別のカリスマ要素が必要?)
達磨大師は、果てしない修業の末、自他を区別する意識を越え、自己と墻壁を区別する言葉の壁を乗り越え、自己と墻壁を二つながら、永遠の現在と観じる眼を獲得しえたのかも知れない。自他の区別、内界と外界の相違を認識しないとは、一種の認知症、痴呆現象だと解することもできるかも知れないが、もっと、言えば、自他の区別、内界と外界の区別に執着しない、拘泥しないということなのかもしれない。
先述したハイデッガーは、人間とは世界内存在だと規定するが、達磨大師に言わせれば、欲望を限りなく支配した人間は外界としての自然や社会と円融し、超越している存在だと規定するのかもしれない。
次に、そのことが、なるほどと、思わせる答えがある。「内心、喘ぐこと無く」と述べられている。
喘(あえ)ぐとは、苦しそうに、せわしく呼吸する。息を切らすことであり、重圧や貧困などに苦しみ悩むことまでを含んだ言葉だ。
つまり、せわしく呼吸するような燃え盛る欲望に突き動かされるような身心の状態に陥る事がないようにすると述べている。
それに加えて、呼吸の重要さを述べているのだ。
『天台止観』では、呼吸を数える数息観を教えている。呼吸を数えながら、呼吸すると、深く、ゆっくりとした呼吸に自然になる。
自律神経は、その名前の通り、体が自律的に働く神経とされ、意思とは関係なく、呼吸や体温、血圧、心拍、消化、代謝、排尿・排便など、生きていく上で欠かせない生命活動を維持するために24時間365日、休むことなく働き続けている。
自律神経は全身に隈なく張り巡らされており、その中枢は脳の視床下部にある。自律神経はあらゆる臓器の働きを制御し、ストレスや環境の変化などに応じて体を微調整しながら、全身を最適な状態に保っている。
自律神経の中枢は脳の視床下部(額にある第三の眼の奥)にあり、全ての欲望神経系が束ねられている。ヨーガ、坐禅、瞑想の多くは、呼吸を操作して、自律神経をコントロールすることを可能とする。
鼻で大きく息を吸い込み、口を細めて、ゆっくり、長く、空気を吐き出すと、副交感神経が働き、筋肉が弛緩し、リラックスする。
体温や血圧の一時的な上げ下げ程度のことは、呼吸法を使えば、簡単に操作できる。体温や血圧を下げたければ、ゆっくり長く、息を吐き出せばいい。反対に血圧を挙げたければ、鼻から激しく、何度も息を吸い込めばいい。
常行三昧行は、一種の臨死体験の幻視とも、「永遠の現在」を引き起こす方法である。呼吸法からみれば、常にナミアムダブツを唱え続け、阿弥陀仏の周りを不眠不休でグルグル回るのは、酸素欠乏の状態に脳が陥り、呼吸が停止した臨死体験の状態の脳と相似した状態に人為的に持って行く技法だといえる。
〇雪舟『慧可断碑図』国宝
紙本墨画淡彩 縦199.9cm 横113.6cm室町時代 明応5年(1496)
〇フィンセント・ファン・ゴッホ『黄色い椅子』
1888年11月 油彩 92 cm × 73 cm
ナショナル・ギャラリー、ロンドン
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