『忘れ得ぬ俳人と秀句』坂口昌弘

https://tokyoshiki.co.jp/books/wasureenuhaijintoshuku-sakaguchi/ 【『忘れ得ぬ俳人と秀句』坂口昌弘】より

四六判・並製カバー・216ページ・2200円(本体2000円+税10%) 

2024年5月15日発行/ISBN978-4-8129-1133-4

装幀・高林昭太

『忘れ得ぬ俳人と秀句』坂口昌弘

【評論の使命は秀句の発見なり】

芸術は長く、人生は短し。されど多くの俳人と俳句は、死後に忘れられてゆく。

評論の究極の使命は優れた俳人・作品を後世に伝えることである。

本書で亡き人の秀句をよみがえらせたい。

(帯文から)

【忘れ得ぬ俳人たち40人】

榎本星布/村上鬼城/松瀬青々/渡辺水巴/前田普羅/富安風生/阿部みどり女/

長谷川かな女/後藤夜半/横山白虹/右城暮石/中村汀女/福田蓼汀/鈴木真砂女/安住敦/相馬遷子/中島斌雄/三谷昭/齋藤玄/林翔/文挾夫佐恵/平松小いとゞ/皆川盤水/

鈴木六林男/草間時彦/成田千空/村越化石/森田峠/星野麥丘人/長谷川秋子/石牟礼道子/川崎展宏/神蔵器/岡本眸/今井杏太郎/綾部仁喜/斎藤夏風/大牧広/上田五千石/

遠藤若狭男


https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12611062644.html 【『俳句四季』7月号を読む(3)「忘れ得ぬ俳人と秀句16 高橋睦郎」(坂口昌宏)】より

『NHK俳句テキスト』に「わが師を語る」という連載がありますが、『俳句四季』には「忘れ得ぬ俳人と秀句」という連載があるようです。

7月号はその16【高橋睦郎】さんでした。筆者は坂口昌宏さん。

※坂口昌宏さん=俳句評論家。著書『句品の輝き──同時代俳人論』『ライバル俳句史──俳句の精神史』『平成俳句の好敵手──俳句精神の今』『文人たちの俳句』『ヴァーサス日本文化精神史──日本文学の背景』。第5回俳句界評論賞、第12回加藤郁乎賞、第10回文學の森大賞受賞。現在、加藤郁乎記念賞、日本詩歌句協会大賞評論随筆の部の選考委員。平成30年に『毎日が辞世の句』(東京四季出版)を刊行された。

※高橋睦郎さん=1937年福岡県生まれ。82歳。新聞配達と奨学金で高校に通い、家庭教師のアルバイトをしつつ大学(福岡教育大学教育学部国語科)に学んだ。大学卒業半年前に肺結核と診断され、生活保護を受けて結核療養所に入り、2年間の療養生活を送った。1962年上京しアルバイトなどをし、40歳代半ばまでコピーライターとして広告会社に勤務した。「毎日中学生新聞」や「現代詩手帖」に作文・詩・短歌・俳句などをを投稿、在学中、処女詩集『ミノ・あたしの雄牛』を自費出版。1974年、学生時代の俳句をまとめた句集『舊句帖』を出版。安東次男に師事。現代詩、短歌、オペラ、能なども平行して制作。1982年『王国の構造』で藤村記念歴程賞、1988年『稽古飲食』で読売文学賞、1988年『兎の庭』で高見順賞、1993年『旅の絵』で現代詩花椿賞、1996年『姉の島』で詩歌文学館賞、2000年 紫綬褒章、2007年 織部賞、2007年『遊行』で日本詩歌句協会賞、2010年『永遠まで』で現代詩人賞、2014年『和音羅読―詩人が読むラテン文学』で鮎川信夫賞詩論集部門、2015年『稽古飲食』などの業績で現代俳句大賞、2017年『十年』で蛇笏賞、俳句四季大賞、2017年 文化功労者など数多くを受賞。著書はものすごい量でここに書ききれません。

以下、本文を要約編集したもの。

句集『十年』の「餘」の中で、「時代錯誤の遊俳の遊餘に過ぎない」「これら貧しき限りの総てを、裕明居士をはじめ、この間幽明境を異にした師友知己諸靈に献げたい」と述 べているように、句集には追悼句が少なくない。

▪️みの蟲の羽化登仙か三津之助(前書「坂東みの蟲改め三津之助急逝五十一歳 二句」)

▪️櫻咲く待たずぽとりと椿落つ(〃)

▪️汝が眠り鎮めん花か散りつづく(前書「悼 安達瞳子」)

▪️八十三年楽しかつたと夏の空(前書「花太郎保坂桂一 納骨」)

▪️冬麗の墓を濡らして遊びけり(前書「菊池貞三詩兄 長逝」)

▪️人死ぬやこゑ萬緑に溺れつつ(前書「掃苔 多田智満子墓」)

▪️はつ夏の雪をんなこそ苔雫(前書「悼 加藤郁乎」)

▪️彼も彼も酒に死にけり年の果(前書「悼 眞鍋吳夫」)

坂東みの蟲は羽化登仙したと詠み、諧謔的である。

鎮魂句を捧げた人たちがみな「酒に死にけり」というわけではないだろうが、若いころから酒を共に飲んだ記憶をもつのであろう。仲が悪かったといわれる加藤郁乎の追悼句も詠んでいる。

▪️ついり穴この國の死に病ひ見よ ▪️三島忌や腐りやすきは國も亦

▪️汚染列島黴雨北上けぶりつつ

この国が、「死の病」に侵されていること、腐りやすいこと、汚染されていることに対しての批判精神が詠まれている。睦郎には、

▪️いつかヒト滅び世界も滅ぶればわが言葉いまを輝き滅べ  という短歌もある。

▪️子を殺すうなじ白くて寒からん(前書「世情」)

▪️少年等易く殺しぬ草茂る  子を殺す親や少年が少年を殺す世情への批判である。

▪️百物語怖ろしきより懐しく       ▪️あらたまの魑魅魍魎や分入れば

▪️縁下につづく他界の春の草      ▪️天神は雷靈水靈大夕立

作者にとって百物語の幽霊は怖くはなく、むしろ懐かしいようだ。百物語がすでに読まれなくなった世情を嫌い、幽霊は怖ろしいものではなく懐かしい存在である、と。作者は魑魅魍魎とも親しく、縁の下の草に他界を見る。天神は雷神であり雨をもたらす水神でもある、と詠む。

▪️啓蟄のけふ持上がれ墓の蓋    ▪️冬の墓一つ心にかたまれる

(前書「金福寺 蕪村一門墓所」)

啓蟄の頃には「墓の蓋」も持ちあがって、死者の霊が墓から出てくるかのようだ。芭蕉の「塚も動け我泣く声は秋の風」を連想させる。金福寺には蕪村一門が芭蕉を敬慕して再興した芭蕉庵があり遺言通り蕪村の墓がある。芭蕉と蕪村の俳句魂があの世で一つになったと詠む。

▪️花疲れとは人よりも花に先づ

▪️吸ふよりも吐く大切や息眞白

▪️さみどりを吐きやまずけり深綠

▪️はりはりと氷融けゆく世界かな ▪️氷を結ぶ響ききしきし夜の何處も

多くの人に見られ続けている花のほうが疲れているという逆転の発想。人よりも自然を中心とした無為の思いである。

作者は息をする時には、吸うのも吐くのも自然の営みであるが、吐くことを重視する。植物が酸素を吐くのは自然の不思議。

氷が融ける時は「はりはり」、凍る時は「きしきし」と聞こえない音を聞いている。人が知らないところで密かに自然現象が発生していることを発見している。

造化について人間はいまだ解明していない。地震も津波も忘れたころにやってくるがその発生は誰もわからないことを読者に思わせる。

▪️黄泉夜長わが母われを忘れます ▪️泳ぐ母見し唯一度夏送る

母を思う句。作者は母をテーマとした詩集を出しているが、 俳句で母を詠ことは多くはない。

▪️花めでて年寄ることを今年また ▪️わが生の短日殘るしまらくぞ

▪️老境も佳境に入りぬ春矩縫

▪️死ぬ迄を遊べと更けて時雨かな

遊ぶというのは、精神的な軽みであろう。荘子の説く「逍遥遊」に通うようである。世情への批判精神を持ちつつ、無為自然の心で造化に従う境地。


https://ooikomon.blogspot.com/2014/08/blog-post_19.html 【坂口昌弘『文人たちの俳句』・・・】より

収載された27名。必ずしもすべてが文人というわけではない。通俗的にいえば著名人というところか。このあたりの事情については、著者も「あとがきに」詳しく述べているところだ。

文人とは違うと言っても、これまで、ライバル〇〇VS××という対立的な構図で論を進める著作が評判であった坂口昌弘だが、さすがにそういういう描き方はしておらず、それぞれのエピソードを交えながら楽しめる読み物となっている。

興味ある御仁を読めばそれでもすむというのがいい。そうしたなかでは平塚らいてう(女性は実に太陽でった)、初代中村吉右衛門(弓もひくなり句も作る)、大久保橙青(今生にホ句浄土あり)、松本幸四郎(俳句は神からの贈り物)などには興味がひかれた。

  

       天地のこヽにひらきし花火かな     らいてう

       炉びらきに弓も引くなり句も作る     吉右衛門

       子規祀る虚子に仕へて生き残り      橙青

       花吹雪つつまれゆきし人想ふ       幸四郎

       打ち出して銀座は香る月の道       松たか子

ともあれ、集中の寺山修司〈目つむりいても吾を統(す)ぶ五月の鷹)〉については、かつての愚生もふくめ、いまでも若き俳人に多大の影響を与え、俳句を作る切っ掛けをもたらすなど、俳句史的にも特筆すべき俳人?であり、人気に到っては、いまだに現役俳人をしのぐほどである。

      山鳩啼く祈りわれより母ながき       修司

      麦一粒かがめば祈るごとき母よ

      誰が為の祈りぞ紫雲英(れんげ)うつむける  

      

その修司について坂口昌弘は「詩歌の旅に病んだ修司は、銀河の星の中に溺死して今輝いている」と書いている。 

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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