https://goto.nagasaki-tabinet.com/event/62253 【最後の夕陽鑑賞会】より
さいごのゆうひかんしょうかい
五島で最後に沈む夕陽を大瀬埼灯台で鑑賞しませんか。
「九州本土で最後に夕陽が沈むところ」として、九州本土最西端に位置し、東シナ海の荒海に面しています。激しい風や波に打ちひしがれて浸食された断崖絶壁が作り出す壮大な風景は圧巻です。12月31日には、その年の最後の夕陽を見る夕陽鑑賞会が行われ、年越しそばが振る舞われます。
https://www.youtube.com/watch?v=ICkGI0ivvJw
https://ameblo.jp/toshiyuki-hiraka/entry-12687847152.html 【夕陽の瞑想】より
美しい金色の夕陽
ゆっくり夕陽を見つめる瞑想は深い安らぎで満たしてくれます。
今回の夕陽瞑想は、金色から茜色に姿を変えるまで1時間と、長めの瞑想でしたが、夕陽が沈む姿、雲や辺りの景色がゆっくり移ろう姿に意識が集中され、全ての参加者が同一觀に在ったようです。
ありがたい時間でした。光の力とは素晴らしいものですね。ひらかとしゆき
https://cuoreverde.exblog.jp/31014513/ 【瞑想の力 夕日の力、アッシジで瞑想講座】より
「ストレスいっぱいで、ささいなことにも腹を立てていては、どこに行っても何をしても満足ができず、そのいらだちが周囲に波及し、ストレスの絶えない人生になってしまうだろう一方、喜びを見出して感じられる心でいれば、幸せな人生を送ることができます。それだけわたしたちの考えること、心の力というのは大きく、世の病気の大半は、心の在り方、悩みやストレスによって生み出されるのです。
だれだって、喜びと幸せを見出しながら日々を生きていきたいのに、それができないのはなぜでしょう。腹が立って、苦しくて、考えたくないことがあるのに、どうしてもそのことを頭から追い払うことができず、その考えを追い払いたいという思いが頭から離れず、結局は穏やかな心になれずにいるということが、得てしてあるものです。」
今夜から来週水曜日まで、明日を除く5日間、アッシジ郊外で開催される瞑想への導入講座、「瞑想の力」(Il potere della meditazione)が、無料で開催されます。最近夫が通い始めた太極拳のクラスの仲間が、この講座のことを教えてくれたそうで、初日の今夜、夫と二人で、聴きに行きました。セルジョ・ペテルリーニ(Sergio Peterlini)という人を、わたしは知らなかったのですが、44年瞑想を教えていて、イタリアの他の町では会場に入りきれないほどの人が参加したとのことです。今夜も、数百人は入れるであろう大きな会場が満席だったので驚きました。今夜の講座は、冒頭に要約した言葉で始まりました。
ミジャーナの隣人は、もうずいぶん前から、義父や夫の非難にも関わらず、うちの土地に自分の車を駐車していて、それが時効取得可能な期間を過ぎてしまった上に、さらに新たな土地も我が物にしようとしてか、最近では嫌がらせのように、自分の土地ではない我が家の前にゴミ箱を置くなどという行為を繰り返し、特に夫がすっかりストレスを抱えて、隣人との軋轢も大きくなってしまいました。また、わたしは、ディーパク・チョープラの著書を読んだり、瞑想講座を受講したりして、瞑想の大切さは知っているものの、どうしても集中ができず、つい何か考えごとをしてしまうので、これはどうしたものかと思っていました。そこで、夫は心の平安を求めて、わたしは夫が少しでも心穏やかに過ごせるようになればと願いつつ、わたしもしっかりと瞑想できるにはどうすればいいかを学べるかと、この講座に参加することにしたのです。
「物の見方や考え方が、結局は自らの人生を決めてしまうのですが、何もかも不満なもの、よからぬものと思う見方をする人でも、それをやめることはできるのです。そんなふうに感じてしまうのは、単なる機械的習慣だからです。思い出は過去であり、こうであればという願望は未来ですが、たとえば美しい夕日や山からの見晴らしに感動する間は、心が満たされるのは、そのときはただ今この瞬間だけを生きているからです。」
内容の濃い話が約1時間半続き、より集中して聴こうと、今夜はメモを取らなかったので、言葉はきちんと覚えていても、その文脈や順序が違っている可能性があります。 夕日については、瞑想によって思考を追い払い、夕日を見るのと同じ心の状態を作り出すことができるという文脈で話がされたようにも思います。ディーパクや飯田史彦氏の著書などで読んだことと重なる話が多かったので、かつての読書の記憶が、今夜の講演の記憶に、干渉しているかもしれません。
「とにもかくにも、この講座を五つすべて受ければ、必ず瞑想の仕方が分かるはずで、きちんと自宅でも瞑想を続ければ、自分が、家族が変わっていき、ひいては世界もよい方向に変わっていくはずです。」と、実際に町全体がよい方向にすっかり変わった例も話していて、これからの講座の内容と、瞑想をしっかりと学べる可能性、そしてその効果に期待が持てました。
「わたしたちは皆、本来は愛や喜びを感じることができる本質を持っているので、瞑想を通して、その真の自分により近づくこと、それが大切なのです。」
ディーパクの瞑想講座や著書でも、また飯田氏の著書にも出てきた言葉なのですが、今夜の瞑想講座でも、こんなふうに語られていました。
日曜は、瞑想のための儀式のようなものを行うので、食事をせずに、持って来るように言われたものを持参して参加するようにとのことです。やはり講師が目の前にいて、しっかりと自らの経験を踏まえて自信を持って語りかけてくれると、「してみたい」、「しなければ」という願いや必要を感じる心から、実際の行動へ、習慣の確立へと動いていけるように思います。
しっかりと睡眠を取って休めば、翌朝エネルギーがわき、毒素も取り除けるように、夕日や美しい自然には、そういう毒素を取り除いて癒す力があると、今夜言っていたように思います。
とにもかくにも、息を飲むほど美しい夕日には、心から毒素を追い払い、喜びで満たす力があるという話は、確かに今夜ありましたので、今日の写真は、日曜に見たトラジメーノ湖の夕景です。先日の記事では、カンムリカイツブリが互いに近づき合う写真1枚だけを紹介していたので、今回は、日が傾き始めると共に、2羽の間の距離が縮まり、やがて2羽が並んで同じ方向へと進んで行ったことが分かるように、新たな写真を4枚選んでみました。日曜の夕焼けの湖の記事は、これで三つ目です。それぞれが完結しているものの、まだ他にも書くつもりでいますので、あしからず。
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