言語芸術

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09013/ 【俳句──懐の深い17音の芸術】より

夢を見る蛸(たこ)、花見から戻り部屋で着物を脱ぐ女性、たそがれ時にこの世のものとは思えない声で鳴く鴨(かも)──。この3つの共通点は、どれも世界一短い詩、俳句に詠まれた情景ということだ。

蛸壺(つぼ)やはかなき夢を夏の月

Octopus pots—  brief dreams beneath the summer moon

花衣ぬぐやまつはる紐(ひも)いろいろ

I slip off my  flowery kimono, unwind  he ribbons and laces

海くれて鴨のこゑほのかに白し

The sea  grows  dark,  the wild ducks’  cries are  faintly  white

1つ目の句は、最も優れた俳人と称される松尾芭蕉(1644~94)が詠んだもの。「蛸壺」とは、狭い場所を好む蛸の習性を利用した陶製の壺で、漁師は日中、空の壺を海に沈め、夜明け前に引き揚げる。芭蕉は、海底の暗いつぼの中で無邪気に夢を見る蛸の姿を想像したのだろう。夏の夜は短く、明け方に壺が引き揚げられた瞬間に蛸の短い夢も終わる。私たちの一生も蛸の一生も、しょせんひと夜の夢のようなもの。その夢を、悟りと永遠の象徴である月が照らしている。

2つ目の句は、20世紀の著名な俳人の一人、杉田久女(1890~1946)の作品。花見から帰宅した女性が、春らしい花柄の着物を脱ぐ姿を描いている。着物はファスナーやボタンがないため、紐で固定する。着物の下には長じゅばん、さらにその下には肌着を着けるので、着物を着ると、素材も色も形も異なるたくさんの紐に巻きつけることになる。衣服というよりはまるで包装のようだ。その着物をゆっくりと脱いでいくうち、ほどかれた色とりどりの紐が床の上に広がっていく。

3つ目も芭蕉の句だ。日が暮れた海で、呼び合う鴨の声がぼんやりと形と色彩を伴い、暗がりの中で残光と混じり合う。こうした共感覚(一つの感覚が別の感覚を引き起こすこと)は、芭蕉の他の句でも数多く用いられている(俳句の英訳は全て著者による。多くの俳句は、本来は1行であるが、毛筆では改行されることもある)。

他者の人生を知る

これら3つの句は、日常的な事柄を描いていながら、どこか非現実的な印象を与える。もちろん、次にみられるような地に足の着いたトーンの俳句もある。

夏河を越すうれしさよ手に草履

O the pleasure  of crossing a summer stream  sandals in hand

雪とけて 村一ぱいの 子どもかな

Snow thawed,  suddenly the village  fills with children

夏草に鶏一羽かくれけり

A chicken  hid itself away  in the summer grass

私は時々こんなふうに考える。「遠く離れた銀河のどこかで、何者かが空を見上げていると、突然新惑星が視界に入ってくる。その表面は、宇宙の風に吹かれている紙片で覆われている。そして私たちには想像もつかないようなテクノロジーで、彼らがその紙片に書かれた俳句を再現することができたならば、それらは財産として大切に受け継がれていくだろう。そして将来、自分たちとは異なる世界や時代が宇宙には存在していた、という貴重な証拠になるかもしれない」

上の3つの句はそれぞれ、芭蕉以降の最も優れた俳人である与謝蕪村(1716~1784)、多くの人々に愛された近世の俳人、小林一茶(1763~1828)、そして知名度はそれほど高くないが正岡子規(1867~1902)の下で学んだ近代の俳人、福田把栗(1865~1944)の作品である。これらの句から、空を見上げていた何者かは地球での暮らしの一端をうかがい知るのかもしれない。涼しげな夏の川、雪解けとともに戸外に飛び出す子どもたち、飼い主から姿を隠す恥ずかしがり屋のニワトリ──。彼らは遠い昔に自分たちの祖先だったかもしれない地球の住人の感覚に近づいていくように感じるだろう。生きることの実感が込もったこれらの句に、私たちは他者の人生を感じ、自分自身の人生を投影するのだ。

身の回りにあるものを詠む

そろそろ遠くの世界から戻って、私たちが暮らす地球の過去をさかのぼってみよう。

俳句は昔から今のような形式だったわけではない。現在の俳句の多くは、「俳諧の連歌」の発句(連歌の最初の句)部分だ。17世紀に芭蕉とその門人が、傍流だった俳諧の連歌を芸術として完成させ、江戸時代後期に大流行する。ところが人気を博したことで逆に芸術性が失われ、さらに明治初期に西洋文化が流行したことで、俳諧はもとより、すでに俳諧から半ば独立していた発句もまた、衰退の危機に陥る。そんな状況を変えたのが、情熱と決意と才能とを持ち合わせた俳人、正岡子規だ。子規は理論と実践を通じて、現代的な俳句を誕生させた。

病床で記した日記『墨汁一滴』の中で、子規は俳句に夢中になったきっかけをシンプルかつユーモラスにつづっている。大学時代、寮を出て一人暮らしを始めたが、俳句に熱中するあまり落第したこと、机の上はいつも俳句の本でいっぱいだったが、試験が近づくと本を片付けてノートを広げていたこと…。「試験があるといつでも俳句がたくさんにできるといふ事になつた。これほど俳魔に魅入られたらもう助かりやうはない。明治25(1892)年の学年試験には落第した。(中略)これぎり余は学校をやめてしまふた」

俳句に魅了された子規は、やがて独自の方法論を築き、門人に教えるようになる。そうした方法論の中で最も重要だったのが、「身の回りにあるものをひたすら観察すること」だった。随筆『随問随答』(1899年)の中で、子規は俳句の初心者に向けて、身の回りにあるものを題材にするよう説いている。タンポポを見たらタンポポについて詠み、霧が立ち込めていたら霧について詠め、と。子規いわく、俳句の題材は身の回りにいくらでも存在するのだ。

この方法論は「写生説」と呼ばれ、徹底した観察を重んじている。瞑想(めいそう)によってストレスを軽減させる今でいう「マインドフルネス」に似ている。1つの作業に集中すると、人の心は静かな創造の喜びに満たされる。子規が『俳諧反古籠』の中で述べたように、詠み手は自然から題材を得、それに磨きをかけ、自分の一部にする。その意味で、詠み手は第二の創造主と言えるのだ。

俳句の広がりと懐の深さ

マインドフルネスは俳句のようなミニマルな形式の芸術に適した概念だ。そして逆説的だが、ミニマルなものはさまざまに解釈できる。しかもそれぞれの解釈は互いを否定しない。だから一時的にせよ、まるで宇宙そのものが寛大であるように感じられる──と言ったら過言だろうか。俳句は通常17音以下と非常に短いが、実に懐の深い詩なのである。

例えば、最初に紹介した芭蕉の句「蛸壺やはかなき夢を夏の月」の私の解釈は、かなり個人的なものだ。

子どもの頃、私は米コネティカット州にある小さな港町に住んでいた。家の前の海ではいつもロブスター捕りの漁師がわなを仕掛けていた。漁師はわが家の私道に車を止め、代わりにはさみがなくて売り物にならないロブスターを分けてくれたものだ。長じて後、初めて芭蕉のこの句を読んだ時、私は「蛸壺」という言葉からロブスターを捕まえるわなを思い浮かべた(蛸壺は見たことがなかった)。以来、この句を読むたびに、私は自分が育った町を思い出すのだ。

芭蕉の句は、何百年も前に瀬戸内の海にいたであろう蛸に始まり、月や悟りや永遠、さらには私や私の子どもの頃の家といった事象にまで、やすやすと広がっていく。観察した一点にとどまるのではなく、言葉が時代や場所から切り離され、広がりと寛容さを感じさせるのだ。

芭蕉が詠んだ蛸と私たちは何か違うのだろうか?いや、何も違いはしない。芭蕉の句の中で、私たちは蛸に出会い、私たち自身に出会うのだ。

(原文英語。俳句の英訳全て©ジャニーン・バイチマン、2022年)

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