さみだるる(五月雨るる)

https://hanamomo25.exblog.jp/31509770/ 【さみだるる(五月雨るる)】より

カーテンを開けるとしとしとと雨が降っていた。昨日の暑さはどこに行ったのかと思うほど涼しい朝だった。盛りを過ぎたエゴの花には今朝も名残惜しそうにマルハナバチが来て蜜を吸っていた。もうあの甘い香りは微かにしかしない。

気が付けば木の下の蕗の葉の上には白い星のような花が沢山散っていた。

五月雨は旧暦の5月ごろに降る長雨の事だそうだ。つまり五月雨は梅雨の事なのだろう。

5月と書くがそれは旧暦の事、今の6月から7月に当たるのだと思う。

皐月(さつき)の水垂レが五月雨の語源。だらだらと降る雨なので「さみだれ式に‥‥」などという。夏の季語である『五月雨』、明日から6月が始まる。

カーテンを開く朝や五月雨るる  わかやぎすずめ

母が昔の事を思い出したと話し出した。

笹の葉が出てくる頃、母の生家ではもち米の粉を使った餅を作ったそうだ。

中に自家製の漉し餡が入ったお餅で、木の型を使って作ったそうだ。

その木型は近所に住んでいた方に注文して作ってもらったそうだ。

その方はお勤めの傍ら副業でお菓子の型を作っていたそうだ。

とても手の器用な方で、母の家では花の形の型を使って道明寺で作るなると餅も作っていたそうだ。これは以前角館で買って食べた黄色いなると餅と黒砂糖の味が美味しいえびす餅。

私がこどもの頃は笹の葉に丸いお餅を2つのせて蒸した『笹餅』を母が作っていた。

今年は笹を採ってきたら、母に聞きながら笹餅を作ってみようと思っている。

思い出話をするときの母の表情はとても生き生きとして楽しそうだ。


https://note.com/one_thread_19/n/n2b06885eb801【あうたりわかれたりさみだるる】より

結城一縷

五月雨式に申し訳ございませんが、とメールを書き出すとき、未だにいつも少しだけ、社会人になったなあという気持ちが顔を覗かせるが、その度にこいつは碌な社会人ではないと反省することになる。

社会人なりたての頃、五月雨式に申し訳ございませんが、から始まる先輩のメールを見て、わざわざ意味を調べた。

五月頃に降りがちな雨の、降ったり止んだりする様子になぞらえた表現。ビジネス用語として「五月雨式で申し訳ございません」という表現があるが、1度だけで連絡が終わらず、何度も追加して細かく連絡をすること詫びる意味。

Weblio辞書「五月雨式」より

使うべきでないのにこんなに使いたくなる言葉があるとは、と思った。乾燥したビジネスメールの中に降って湧いたように現れる叙情は、まさにオアシスのようで、私自身も度々メールに長雨を降らせているうちに、気づけば3年目、本物の長雨が降り出さんとする季節になっていた。

そもそも五月雨、という言葉はなんだか奥ゆかしさを感じさせられる。他に月の名を冠している雨はないし、小学1年生に立ち返れば、間違っても五月雨は「さみだれ」と読みそうにない。熟字訓というものは往々にして漢字と読みが乖離しがちなので仕方ないが、それでは「さみだれ」とは一体何なのか。

さみだれの「さ」は、「皐月(さつき)」や「早苗(さなえ)」などと同様に、耕作を意味する古語「さ」。

「みだれ」は、「水垂れ(みだれ)」である。

古くは、動詞で「五月雨る(さみだる)」と使われており、五月雨はその名詞形にあたる。

「五月雨る(さみだる)」は、和歌で「乱る」の意味にかけて用いることが多い。

語源由来辞典「五月雨」より

さ・水垂れ。キリマ・ンジャロほどではないが、そこで切れるのかと驚いた。耕作の季節に降る雨は、そのまた昔は恵みの雨だったのだろう(雨量にもよるが)。今や五月雨はコンクリートから跳ね返ってスーツの裾を濡らし、人々の眉間にじんわりと皺を寄せている。

雨は嫌いではない。むしろ好きだったかもしれない。高校生の頃、雨の中自転車で学校まで立ち漕ぎしていったことが何度もあった。もう冷たくはない水を全身に浴びながら、仄かな雨の匂いを嗅いでいた。教室に着いたら、びしょ濡れの制服から体操着に着替え、靴下を脱いで、そのままの格好で1日を過ごした。公衆においても制服を着なくてよいと、雨が免罪符をくれた。

五月雨が間もなくやって来る。傘が歩道を覆い尽くす中、私は傘も差さずに立ち尽くす。髪をセットしているジェルはとうに水で落ちていて、ぺたんこになった頭頂部に、通り過ぎる傘の先端から雫がいくつも滴り落ちる。しばらく止んだかと思えば、五月雨式にごめんなさいね、とばかりにまた降り始める。周囲から奇異なものを見るような視線を浴びせられても、大して気になるものではなかった。私は私を耕すのに集中しているから。

そして雨雲が入道雲になると、私はスーツを脱ぎ、靴下を脱ぎ、お気に入りのTシャツとサルエルパンツに着替える。革靴も脱ぎ飛ばして、やっぱり表向きに着地したのを見届けてから、サンダルに履き替える。これでいい。ここまでが免罪符の範疇だから、あとは自分で歩き始められる。

…なんて想像しながら、私はオフィスの傘置きの横に折り畳み傘を立てかけ、少し湿った革靴を履きながら勤務するのだろう。雨はいつまで続くんだろうな。もう水無月、6月になっているけれど、旧暦は1か月ほど後ろにずれているので、実際の「皐月」は6/28に終わるらしい。その頃にはきっと、紫陽花は向日葵に覇権を明け渡していて、ああ、今年もゆっくり紫陽花を眺める機会はなかったなあ、と少しだけ後悔するのだろう。そう思うくらいなら、

…はい? あ、たしかにあれだと誤解を招きますよね。わかりました、先方には追ってメールをお送りするようにします。大変失礼いたしました、やっぱり碌な社会人じゃなくてすみません。

https://kigosai.sub.jp/001/archives/2042 【五月雨(さみだれ) 仲夏】より

【子季語】

さつき雨、さみだる、五月雨雲

【解説】

陰暦五月に降る雨。梅雨期に降り続く雨のこと。梅雨は時候を表し、五月雨は雨を表す。「さつきあめ」または「さみだるる」と詠まれる。農作物の生育には大事な雨も、長雨は続くと交通を遮断させたり水害を起こすこともある。  

【例句】

五月雨をあつめて早し最上川     芭蕉「奥のほそ道」

五月雨の降残してや光堂       芭蕉「奥のほそ道」

さみだれの空吹おとせ大井川     芭蕉「真蹟懐紙」

五月雨に御物遠や月の顔       芭蕉「続山の井」

五月雨も瀬ぶみ尋ぬ見馴河      芭蕉「大和巡礼」

五月の雨岩ひばの緑いつまでぞ    芭蕉「向之岡」

五月雨や龍頭揚る番太郎       芭蕉「江戸新道」

五月雨に鶴の足みじかくなれり    芭蕉「東日記」

髪はえて容顔蒼し五月雨       芭蕉「続虚栗」

五月雨や桶の輪切る夜の声       芭蕉「一字幽蘭集」

五月雨にかくれぬものや瀬田の橋    芭蕉「曠野」

五月雨は滝降うづむみかさ哉      芭蕉「荵摺」

五月雨や色紙へぎたる壁の跡      芭蕉「嵯峨日記」

日の道や葵傾くさ月あめ        芭蕉「猿蓑」

五月雨や蠶(かいこ)煩ふ桑の畑    芭蕉「続猿蓑」

さみだれやとなりへ懸る丸木橋     素龍「炭俵」

さみだれや大河を前に家二軒      蕪村「蕪村句集」

五月雨や魚とる人の流るべう      高浜虚子「五百句」

さみだれや青柴積める軒の下      芥川龍之介「澄江堂句集」

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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