神武東征の話〔古事記の暗号9〕 73世武内宿禰・竹内睦泰氏の話より

https://ameblo.jp/sinkomaki123/entry-12645050649.html 【神武東征の話〔古事記の暗号9〕 73世武内宿禰・竹内睦泰氏の話より】より

今日は73世武内宿禰の竹内睦泰さんのビデオ〔古事記の暗号9〕を見ていたんですが、気になることを言ってたので備忘録に残しておこうと思います。

神武東征の話で、大阪湾〔和泉の茅渟・チヌの海原=チヌは血の沼、つまり五瀬命・イツセノミコトが死んだから〕で長髄彦〔ナガスネヒコ〕に負けて和歌山のほうに回り込む話があります。

そこで高倉下〔タカクラジ〕っていう人から剣をもらって、その剣・布都御魂〔フツノミタマ〕の剣でもって熊野の神を抑えたという神話があります。

その高倉下・タカクラジって言う人が誰なのか?という話です。

以前の動画か著作かで見たんですが、饒速日〔ニギハヤヒ〕の2人の息子の1人、天香語山・アマノカグヤマ〔尾張氏の祖先〕だというんです。ちなみに、もう1人の息子は宇麻志麻遅・ウマシマジ〔物部氏の祖先〕です。

そして和歌山で神武天皇を助けた人はもう1人いて、八咫烏・ヤタガラスです。

この八咫烏は、以前から何度も秘密は明かされていて、大国主命・オオクニヌシ〔ナムジ=オオナムジ・偉大なナムジって意味でしょう。=大黒様〕と宗像〔ムナカタ〕三女神の長女のタギリ姫〔大和族〕との息子、アジスキタカヒコネ命〔=ツノミ=武角身命・タケツノミ・ツノミ将軍って意味でしょう〕です。

え?出雲系の大国主命の息子の八咫烏〔武角身・タケツノミ〕が、大和族の神武天皇に手を貸したの❓と思いますが、まあまだこれは納得できる理由があるのです。

なぜなら大国主命は一時期ヤマト族に捕虜のようになっていたらしく、その時にスサノオと天照大御神との間にできた娘のタギリ姫=大和族と夫婦になって、ツノミを産んでいます。

だからツノミ〔=武角身・タケツノミ=八咫烏=アジスキタカヒコネ命〕は九州の日向に住んでいて、ヤマト族の神武天皇に味方してもおかしくないのです。

話は変わりますが、実は竹内睦泰さんは、『ナムヂ』安彦良和・作品という漫画を勧めていて、これはガンダムを描いた人の有名な作品らしいんですが、それが良く描けているというんですね。

で、僕もそれを買って読んだんですが、確かにフワッとした古事記の神話が、現実味を持ったストーリーで描かれているのでとても面白いんです。爆笑

そして、竹内睦泰さんの話を聞くと、ほとんど合っているんですね。その漫画のストーリーは❗️

唯一違っているのは、天照大御神・アマテラスオオミカミと素戔嗚・スサノオの神話の時代設定を卑弥呼の時代としてる事くらいでしょうか。

紀元後AD200年くらいとしてるんですね。卑弥呼の時代ですから😊

でも僕は、恐らくBC100年くらいの話だと思うんです。 

何故なら竹内睦泰さんによると、卑弥呼は倭迹迹日百襲姫・ヤマトトトヒモモソヒメで、側近のミマキが第10代崇神天皇、もう1人の側近のイクメが第11代垂仁天皇という話なんです。〔初耳の人は衝撃の事実だと思いますが❗️爆笑〕

だから、天照大御神と須佐男の誓約〔うけい〕の神話の天照大御神を、卑弥呼〔日巫女〕としてしまうと時代が大幅にズレてしまいます。

だからこれだけは、決定的な間違いなんですね。

でも、それ以外は恐ろしく当たっています、驚異的に❗️

大国主命と出雲国を作った少名毘古那神・スクナビコナが、須佐男・スサノオの兄というところまで❗️

ちなみに天照大御神とは、一種の巫女の代表のような職種名で1人ではありません。

よって卑弥呼〔日巫女〕も、後の時代の天照大御神です。

饒速日命〔ニギハヤヒ=大物主=天火明命・アメノホアカリ=大年命・オオドシ〕も天照大御神です。

で、今回のDVDでは高倉下〔タカクラジ〕についてまた別のことを言っていて、布都御魂・フツノミタマの剣とは、出雲国譲りで大国主命に出雲を大和族に譲るように迫ったフツヒコ〔=武甕雷・タケミカヅチ〕だと言うんですね。

そもそも、出雲国譲り神話では2柱の神が大国主命に迫ります。1人は武甕雷・タケミカヅチの神。もう1人が天迦久神・アメノカクノカミです。

で、神話では天照大御神と高木神・タカギノカミに葦原中国・アシハラナカツクニを治めてきなさいと言われて、武甕雷・タケミカヅチは、布都・フツの神を高倉下・タカクラジの倉に放り込みます。

竹内睦泰氏は、これらが全て同一人物であると言うのです。

しかし、これだと少し恐ろしいことになります。。。ガーンガーン

何故なら、高倉下〔タカクラジ〕=武甕雷・タケミカヅチ=布都主・フツヌシ=天香語山〔アマノカグヤマ=饒速日の息子=尾張氏の祖先〕=天迦久神・アマノカクノカミ=天尾羽張神・アメノオハバリの子?という図式が成り立ってしまいます。

確かに言われてみれば、饒速日命の息子の天香語山・アマノカグヤマ=尾張氏の祖先と、天迦久神・アマノカクノカミ=天尾羽張神・アメノオハバリは見事に対応しています❗️

しかしこうなると、ストーリーは複雑になります。

一度まとめます。

出雲系のトップの饒速日〔ニギハヤヒ〕とは、近畿地方を最初に治めた神であり、本名は大年〔オオドシ〕=天火明・アメノホアカリ〔これは邇邇芸ニニギの兄弟と古事記に書かれていますが嘘です。実はスサノオの4男のニギハヤヒの事です。つまり、ニニギが九州の統治者となり、ニギハヤヒが近畿の最初の統治者となった事実を、古事記では歪めて天火明〔ニギハヤヒ〕を長男、ニニギを次男としているのです。〕=天照国照彦天火明櫛玉饒速日命・アマテラスクニテラスヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコトです。

〔※国照大神とはスサノオのことです。つまり天照は大和族で、国照は出雲族なので、この名前は大和族と出雲族の和合の結果、両方の一族のトップに立ったのがニギハヤヒだった、ということを意味しているのです。〕

ニギハヤヒは出雲系で近畿地方を治めた何代目かの天照大御神アマテラスオオミカミでもあります。

で、恐らく神武東征では古事記の記述とは違って、実際は神武天皇の大和族とは闘って抵抗した、あるいはその時は高齢で病気になっていた又は亡くなっていたと思われるニギハヤヒ、その息子の天香久山〔アマノカグヤマ=尾張氏の祖先〕が、神武天皇に熊野で手を貸したと言うことになります❗️

饒速日・ニギハヤヒ=大物主は、須佐男・スサノオの4男で出雲系であり、多分ヤマト族と出雲族の協議の末、大和族を押さえて最初の近畿地方の統治者となった人です。

大国主命・オオクニヌシ=ナムヂも出雲の女王であるスセリ姫と夫婦で出雲の王ですから、当然出雲系です。

問題は、次世代になり神武東征の際に、出雲系でありながら大和族に寝返ったと思われる武甕雷タケミカヅチ〔=天香久山アマノカグヤマ=饒速日ニギハヤヒの息子で尾張氏の祖先〕がいたということなんです。

しかも、これだと出雲国譲りで大国主命に迫った武甕雷タケミカヅチは、饒速日ニギハヤヒの息子の天香久山アマノカグヤマということになってしまいます。

神話では、武甕雷タケミカヅチは、大国主命の息子である建御名方・タケミナカタと闘い諏訪の国〔長野県〕まで追っていき、両腕を折り諏訪の国から出ないことを約束させます。それが同族の出雲系の饒速日ニギハヤヒの息子である天香久山命・アマノカグヤマという事になってしまいます。ガーン

出雲系の大国主命〔=ナムジ〕の息子である八咫烏〔=武角身・タケツノミ=アジスキタカヒコネ命=母親は大和族のタギリ姫〕も神武天皇に手を貸して出雲族から離れていますし、事代主・コトシロヌシ〔大国主命・ナムジの息子。=恵比寿様。何故か出雲国の風土記には名前が無い❗️そうです。なぜ名前が無いのか❓大和族に簡単に屈したから❓それとも本名ではないから❓〕も簡単に大和族に出雲を譲ってしまってます。

さらにニギハヤヒの息子の天香久山命・アマノカグヤマまで大和族に加担したとなっては、出雲族で最後まで大和族と闘ったのは建御名方・タケミナカタただ1人という事になってしまいます。

ちなみに饒速日・ニギハヤヒの息子はもう1人いて、宇麻志麻遅・ウマシマジ〔物部氏の祖先〕です。

それにしても、この結論は、出雲の血を引き物部氏にシンパシーを感じていた僕としては、非常に辛い話です。。ショボーン

ちなみに物部氏を祀る神社は⛩奈良県天理市の石上神宮・イソノカミジンクウで、確か布都御魂の剣を祀っていたはずです。

一度お詣りしたいと前々から思っていた神社⛩です。

しかし、あまりに衝撃的事実が発覚してしまいました。。キョロキョロ

まるで足利尊氏の時の、観応の擾乱〔かんのうのじょうらん〕のような。。敵と味方が入り混じる。。ガーン

てっきり今までは、布都フツとは出雲族の武力の証であり、出雲と言えばタタラ製鉄=鉄剣であって、出雲族の物部氏〔大和朝廷の軍事担当で宝物管理担当でもありました。石上神宮は元々は他部族を平定して手に入れた宝物を納める倉だったそうです。〕はモノノフとも読み、武士をモノノフと読む由来となった誇り高い一族と信じてたのですが。照れ

史実は本当のところ、どうなんでしょうね❓❓

謎は深まります照れ

https://www.youtube.com/watch?v=9uycqoY3WbE

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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