http://www.dorogawaonsen.jp/sightseeing/145/ 【大峯山(山上ヶ岳)】
大峯山(標高1,719.5m)は、天智天皇の白鳳年間に役の行者(役の小角)により、我が国ではじめて信仰の山として開かれました。
古来より大和の神奈備や水の源として聖地とされていた大峯の山々では、様々な修行がおこなわれており、それらすべてが混然一体となってつくり上げられたのがわが国独自の宗教である修験道です。大峯はその修験道の発祥地でした。
修験道の修行はとても厳しく命を懸けたものであり、当時から男性のみ行うもので、その伝統が今に受け継がれ、現在でも全国で唯一の女人禁制の山となっています。
山頂には、蔵王権現が祀られた大峯山寺があり、古くは宇多天皇や藤原道長など平安の都の貴顕の登拝が盛んにおこなわれてきました。
現在でも本堂の扉が開く「戸開け」期間中は多くの参拝者でにぎわっています。
山頂付近に広がる岩場には岩壁や奇岩を巡る表行場、裏行場と呼ばれる行場があり、また「お花畑」からは稲村ヶ岳の他、南に続く大峯の峯峰の眺望が雄大です。
さらに、その峯峰の稜線を通る修行の道「大峯奥駈道」は世界遺産にも登録されており、各「靡」での行を行いながら大普賢岳・弥山・八経ヶ岳・釈迦ヶ岳と南下して熊野本宮までの1週間の修行の道のりはたいへん厳しいものです。
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【進化を求めて・競争から共生へ・恕・】
http://www.dorogawaonsen.jp/sightseeing/166/ 【龍泉寺】より
真言宗醍醐派大本山のお寺で、大峯山寺の護持院です。白鳳年間、大峯開山役行者が大峯修行のとき、麓の洞川で岩場の中からコンコンと水が湧出る泉を発見されました。現在でこそ穏やかな池ですが、役行者が発見した頃は底も見えないほど深く青く澄みきった泉だったと云われております。役行者がこの泉の辺に八大龍王尊をお祠りして、水行をしたのが、龍泉寺の始まりであると伝えられています。
水の湧き出る洞口は「竜の口」と云われ、龍王尊の住む泉と言う意味を持って、龍泉寺と名付けられました。後に修験道中興の祖である聖宝理源大師によって再興修行され、修験道の根本道場として修験者を迎える霊場となりました。
昭和21年の洞川大火により境内の建物のほとんどを消失ましたが、昭和35年に伽藍の復興がなされ滝行場である龍王の滝も整備されました。本堂にはご本尊の弥勒菩薩をはじめ、役行者、聖宝理源大師、弘法大師、不動明王が祀られています。
ありがたや 親よりうけし旅衣 洗ひきよむる 龍泉の水
龍泉寺境内の名所
竜の口
役の行者が発見したと伝えられ龍神をお祀りしている湧水の湧き口で、その水量は多く水温は常に10度℃。古来より大峯山内「一の行場」である水行場の龍泉池を経て、山上川に流れ出しています。
水行とは修験道行法のうち神道の禊を採り入れた行の一つで、罪障消滅を意味し修験者が入峯の前に必ず行って身を清める水の行です。また、竜の口より湧き出る水を口にすると病気がなおる不思議な水として、各地より、わざわざ霊水を求めて参詣する信者が多いと云われています。
八大竜王堂
役の行者が大峯山を開き、つづいて龍泉寺を草創(そうそう)したとき、大峯山一山の総鎭守の守護として祀った竜神です。嵯峨天皇の弘仁三年、弘法大師が高野山を開創する以前に竜泉寺に止住されて、この宝前にて「雨乞の修法」をなされてから名高く、古来、大峯山修験者の道中安全、家業繁栄の守護神とされ、現在では交通安全、海上安全の守り神、諸病平癒家業繁栄の神としてお参りされる方が多くおられます。
なで石
境内の本堂前の木枠の中に置かれた丸い石が「なで石」です。かわいいと言ってなでると軽く持ち上げられ、憎いと思ってたたいたりすると重くなるといわれています。元来、石による占い(石占)に用いたものらしく、願いがかなうときは軽く、かなわないときは重いと言われています。洞川の西の入り口にある地蔵の祠(ほこら)にも丸い石が納められています。
龍泉寺のモミ林
村内の低地帯から洞川周辺までモミが生育し、とくに龍泉寺境内には見事な森をつくっています。この森は県の天然記念物に1987年3月10日に指定されました。龍泉寺の裏山の標高850m〜990mにかけて発達するモミ林は、下部の照葉樹林(常緑広葉樹林)と上部の夏緑樹林(落葉広葉樹林)の中間的な位置に発達する中間温帯樹林で、太平洋側にのみ見られる極相林であります。 龍泉寺の自然林はモミを主として、ツガ・スギ・イタヤカエデ・トチノキ・イヌブナなどを交え、下層には、スズタケ・カヤ・イヌガヤ・クロモジ・アワブキなどがみられます。
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