古事記は火山の遙かなる記憶なのか?

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/208069 【「古事記」は火山巨大噴火の記録だった?】より

 日本最古の歴史書として、和銅5年(712年)に編纂された古事記。その内容は、国産みや高天原での岩戸隠れなど、さまざまな神話にあふれているが、これらを日本列島における火山活動と結びつけて考察しているのが蒲池明弘著「火山で読み解く古事記の謎」(文藝春秋 920円+税)である。

 今から7300年前、九州本島南端の沖合で「鬼界カルデラ噴火」と呼ばれる巨大噴火が起きた。本書では、この噴火の記憶が、皇室の祖神であるアマテラスと弟スサノオの物語に投影されているとしている。

 姉の領国である高天原で大暴れをする弟の行いを苦に、岩の洞窟に隠れてしまう姉。その結果、世界に「常夜」が訪れる―――アマテラスの「岩戸隠れ」と呼ばれるエピソードだ。

 この永遠に続く暗闇は、一般的に日食あるいは冬至の表現と考えられてきた。しかし本書では、戦前の物理学者で東京帝国大学地震研究所所員だった寺田寅彦の論考などを基に、火山噴火に伴う噴煙・火山灰により空が覆われた、という説を提示している。古事記では、常夜にうろたえた神々が会議を開き、鏡や勾玉を作り、さまざまな祭祀が執り行われる。数分で終わる日食では、神々があらゆる方策を講じる時間もなく、冬至では神々をうろたえさせるほどの暗闇は訪れないだろう。

 また、スサノオが高天原で大暴れする際には、川と海の水を飲んで号泣し、干ばつを起こし、樹木は萎え、邪悪な神がハエのように大地を蠢き……などの描写がある。水が荒れ狂うさまから津波や台風を連想するところだが、これも巨大噴火の影響とみることができる。何しろ、鬼界カルデラ噴火の際に放出されたマグマの総量は、東京ドーム10万杯といわれている。これだけのマグマが噴出すれば、川や海は埋め立てられ、火山灰や火砕流が大地を焼き焦がすことは明白。スサノオの暴挙と一致するわけだ。

 著者は、本書が学会の主流から外れた“トンデモ”の部類であるとも述べている。しかし、古代の人々にとって巨大噴火は神のなせる業であり、そこに思考が生じて神話が誕生するきっかけとなっても何ら不思議はない。近年、多くの自然災害に見舞われてきた日本人にとってもしっくりくる、新しい古事記の読み解き方だ。


https://meshi-atsu.com/?p=868 【古事記は火山の遙かなる記憶なのか?】より

弟のスサノオのあまりの乱暴狼藉をかばいきれなくなり、腹を立てたアマテラスは、岩戸に引きこもり、そうして世界は闇に包まれた。

古事記に登場する天の岩戸伝説はなにを意味するのか?折口信夫はそれを、冬に衰退する太陽の光の復活を祈る冬至の祭祀に由来すると考えた。いや、そうではなく、あれは日蝕に由来したものだという説もある。……と、ここまでは聞いたことがあるという人も多いと思う。でも、どうなんだろう。冬至の祭祀にしても、日蝕にしても、世界が闇に包まれて、困惑した八百万の神々が岩戸の前に集まって、あの手この手で岩戸を開けようとしたという神話のスケール感とは、なんとなくあわない。いかに冬の太陽が衰退するといっても世界が闇に包まれるイメージとは、ほど遠いし、日蝕だって、太陽が隠れてる時間はわずか数分のことでしかない。そもそも、天の岩戸伝説はアマテラスとスサノオという、いわゆる三貴子の中の2人という古事記の最重要キャストであり、その2人が仲たがいして岩戸騒ぎが起こってスサノオは高天原がら追放されて、そこからヤマタノオロチ退治などのスサノオの冒険譚へとつながっていく。つまり古事記のストーリーの中でもかなりエポックな場面なのだ。そのように古事記の文脈の中で考えると、冬至の祭祀説や日蝕説がいよいよスケール的にそぐわないように思えてくるのだ。

そうではなく、あれは縄文人の火山の記憶なのではないか。最初にそれをいったのが物理学者の寺田寅彦だった。寺田はスサノオを火山のメタファーであると説いた。そして、その寺田のスサノオ火山説をさらに本格的に論として展開したのがロシアからの亡命者だったアレクサンドル・ワノフスキーだった。

かつて……、といっても今から七千年も前のことだけれども、九州の現在でいえば鹿児島の沖合で、すさまじいほどの超巨大噴火があった。現代のシュミレーションによるなら、噴煙は成層圏にまで達して、時速百キロのスピードで火砕流が鹿児島全域はもちろん九州のほぼ半分を火砕流で埋め尽くした。縄文人を含めた九州広範のの動植物が死滅したであろうことが、容易に想像できる。じつはこれ、縄文初期の遺跡や遺物が東北にしかないということと大きく関連している。つまり、この大噴火によって九州の縄文文化は断絶したということだ。

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さて、ここでまた天の岩戸伝説へと戻ってみよう。アマテラスが岩度に隠れて世界は闇に包まれた。つまりそれは火山の噴煙によって太陽の光が遮断されたことを伝えているのではないか?破局噴火と呼ばれるこのような超巨大噴火が起こると太陽の光は年単位に渡って遮断される。数分レベルの日蝕とは比較にならない。しかし神話のスケールで物語られる“世界が闇に包まれる”というイメージは、そういうことでなないだろうか。火山のメタファーのスサノオの乱暴狼藉によって、太陽神のアマテラスが岩戸に隠れて世界は闇に包まれる。すなわち、それは、成層圏にまで達した地球レベルの噴煙が太陽の光を遮断したことであると、スサノオ火山説を説くワノフスキーはいうのである。

そもそもスサノオは、父イザナギからおまえは海を治めるようにと命じられたとき、泣きわめいて抵抗した。これもまた、古事記の中で謎に満ちたところである。古事記の記述では、このスサノオの大泣きが山をことごとく枯山にして、海や川の水を干上がらせたという。

どうだろう?荒ぶる神が大泣きしたのならば、普通に考えれば大洪水なのではないだろうか。ところが山を枯れさせ、海の水も川の水も干上がらせたのだというのだ。だからこそ、ワノフスキーはこう解釈する。スサノオが火山神であればその涙は燃えたぎるマグマなのである。それならば山を枯らし水を干上がらせるという、古事記の記述に、なんの矛盾はないのだと。

寺田寅彦やワノフスキーが古事記と火山の関係を説いた、その時代には、この説はあたかもトンデモ説のように、学会ではあまり相手にされなかった。しかし、当時の古事記は国文学や考古学の範疇のものだった。スサノオ火山説なんちゅう門外漢の“思いつき”みたいなものを認めてしまえば、それまで築いてきた“古事記論”がガランガランと音を立てて崩れてしまうのだ、……ということだ。

でも、古事記は、後半こそ天皇たちの物語であっても、前半はれっきとした神話なのである。われわれはどこからきたのか?われわれはなぜこんな世界に生きているのか?われわれとは何者なのか?世界のあらゆる神話と同じように、まだ、書き言葉を持っていない、気の遠くなるような何代にも渡る後世に民が、自分たちの物語を後世に伝えるための古代人共通のフォーマット、それが神話ではなかったか。ことに日本は世界有数の火山大国であり、日本の各地に見られる古い巨石信仰は火山と無関係ではない。それらの巨石はすべて火山の“賜物”なのである。その火山を神として語る神話がなかったことは考えにくい。

すべて紹介するとキリがないけれども、ワノフスキーのスサノオ火山説はもっともっと幅広く奥深い。ぼくがそういう古事記論があるのを知ったのは、蒲池明弘さんの「火山で読み解く古事記の謎」(文春新書)を読んでだった。それがとっても“目からウロコ”だったので、読み終えてすぐさまワノフスキーの「火山と日本の神話」を買って読んだ。

たしかに古事記をこれまでのように、大和民族と先住民との攻防みたいな文脈だけで解釈すると、奥行きが感じられない。とはいえ古事記が編纂された動機を思えば、大和民族と先住民との攻防を正当化するということが重要だったとは思う。でもそんなものだったのだろうか。古事記(とくに前半)はよくギリシャ神話との類似点があげられるように、もっと人類の普遍的なものを物語っているように思えてならないのですね。

縄文時代を襲った(しかも九州の縄文文化を壊滅させたほどの)超巨大噴火は、すでに、当時の世界の中で高度な文明を築いていた縄文時代のことなのである。脳科学的にも縄文人の脳は、ほぼわれわれと同じなのだとされているわけで、後世にまで長きに渡って語り継がれなかったわけがない。そう思いませんか?

いろいろと謎が多い古事記論。でも、そこに“地質学”という壮大なスケール(なんてったって地球の歴史46億年なのだから!)の視点が加わることで、思いもよらなかった新しい発見があるのかもしれない。かつてギリシャ神話のトロイアを発掘したシュリーマンのような大発見が。いや、あるのかもしれないではなく、あってほしい。いやいや、かなりある気がするのですねぇ。


https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4173 【スサノヲ神話は火山現象?…寺田虎彦の地球科学的な解釈 神話の「世界観」~日本と世界(5)寺田寅彦の日本神話解釈】

物理学者・寺田寅彦はかつて「地球物理学的にわが国の神話を見ていくと、日本の国土にふさわしい自然現象が随所に見られる」と述べた。それはどういうことなのか。話は彼が指摘する日本神話の具体的解釈へと進んでいく。(全8話中第5話)

※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)

神話 寺田寅彦 神々 自然 地球物理学

≪全文≫

●わが国の神話は日本の風土に則ったもの

鎌田 少し話が横道に逸れて、生命の不老不死の起源の話になりましたが、話を元に戻します。寺田寅彦の「スカンジナヴィア神話と日本神話の間の対比」ですが、彼は日本のことをどう言っているか。寺田寅彦の「神話と地球物理学」の1節では、こう言っています。

「それで、わが国の神話伝説中にも、そういう目で見ると、いかにも日本の国土にふさわしいような自然現象が記述的あるいは象徴的に至るところにちりばめられているのを発見する。

 まず第一に、この国が島国であることが神代史の第一ページにおいてすでにきわめて明瞭に表現されている。また、日本海海岸には目立たなくて太平洋岸に顕著な潮汐の現象を表象する記事もある。

 島が生まれるという記事(国産み神話のこと)なども、地球物理学的に解釈すると、海底火山の噴出、あるいは地震による海底の隆起によって海中に島が現れ、あるいは暗礁が露出する現象、あるいはまた河口における三角州の出現などを連想させるものがある」

 日本という島国ができていく地球科学的な生成の過程は、例えばプレートテクトニクスという理論によって、今は科学的にほぼ解明されています。そのような観点で神話の物語を見ていくと、火の神の物語とは火山の噴火であるとか、あるいは神々が日本という国を生んでいく物語は海底火山の隆起であるなどと解釈できる、と言っています。

 そして、スサノヲ神話についてこう述べています。

「なかんずく速須佐之男命に関する記事の中には、火山現象を如実に連想させるものがはなはだ多い」

 つまり、スサノヲ神話とは火山現象であるというのです。

―― なるほど。

鎌田 例えば、「その泣きたもうさま」について、『古事記』の中には小さいときからひげが胸先まで伸びるまで泣き叫んでいたという記述があるのですが、このように言うわけです。

「『その泣きたもうさまは、青山を枯山なす泣き枯らし、河海はことごとに泣き乾(ほ)しき』というのは、何より適切に噴火のために草木が枯死し、河海が降灰のために埋められることを連想させる。噴火を地神の慟哭と見るのは適切な譬喩であると言わなければなるまい」。

 それから、スサノヲノミコトがアマテラスオオミカミに会いに行くときに周りに地響きがするといったことや、自分がウケヒに勝って乱暴狼藉を働いたときに田んぼの溝を埋めたり、大嘗殿に糞をしたりする記述があるのですが、これらを寺田寅彦は、「噴火による降砂降灰(降ってきた火山灰)の災害を暗示する」ようだとしている。

 そして、スサノヲノミコトが天の斑馬を逆剥ぎに剥いで、血だらけになったその馬を、機織り女が機を織っているところに投げ入れ、驚いた機織り女が機織りの樋(針)でほとを突いて死ぬ。このあまりの痛ましさ、傍若無人にアマテラスが怒り悲しんで、天岩戸に押し籠もった――このような話になるわけですが、その投げ入れたさまを「火口から噴出された石塊が屋をうがって人を殺したということを暗示する」としています。

 数年前に木曽御嶽山が突然噴火して、登山している人々が数十人亡くなるという悲劇がありました。これに近いことが実際にあったという解釈ですね。

―― 興味深い解釈ですね。

鎌田 日本の風土に則った解釈ということになります。

●日蝕でなく火山鳴動――真に迫った寺田寅彦の解釈

鎌田 そしてその後、「高天原がみな暗く、葦原中国がことごとく暗かったというのも、噴煙降灰による暗さである」としています。

 これについては日蝕神話だという解釈もあります。日蝕になり、太陽と地球の間に月が入ることによって、太陽と月の大きさがほぼ同じであるために真っ暗になってしまい、周りの太陽フレアだけがわずかに見える。アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れたのは、そのような日蝕現象だというのが1つの神話解釈としてあるのですが、寺田寅彦は「それは少し違うだろう」と言います。

 なぜ違うかというと、日蝕は短時間の暗黒状態でしかないからです。

―― 比較的すぐ明るくなってきますよね。

鎌田 これを見て、神々が鏡を作ったり、玉を作ったりして、いろいろと相談して方策を講じるということですが、その間にかなりいろんな災いが起こってきたりするということは、それほど短時間ではないだろうというわけです。短時間に神事を行う相談をし、お膳立てして、祭のパフォーマンスを行うことなど絶対にできない。神々の時間がどのようなものか、分かりませんけれど。

 そこで寺田寅彦は、これは日蝕だと解釈するのではなく、火山鳴動の後、噴煙、降灰現象によって空に暗雲が漂って暗くなり、そのような状態が相当長い時間、...

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