http://moon21.music.coocan.jp/ronbun06.html 【日本神道について】より
1 はじめに
イタリア国アンドレア市にあるキャッスル・デル・モンテという由緒ある世界遺産の城において行われた天河大弁財天社の柿坂神酒之祐宮司による神道の儀式のあとに、日本神道についての講演ができることを大変光栄に思っております。21世紀の始まりの時に、また日本ではイタリア年の記念すべき年に、このようなすばらしい意義ある機会を与えてくださった主催者の方々を始めとして、関係者の皆様に心よりの敬意と感謝を捧げます。
さて、「日本神道とは何か」という問いに対して、わたしは「日本神道とは、ユーラシア大陸の東の果てにある日本列島の風土の中で自然発生的に生れ、外来思想や外来文化の影響を受けながら歴史的に形成され、洗練されてきた日本列島民の信仰と生活の作法・流儀である。それは日本語で『カミ・神』と呼ばれてきた聖なる存在に対する畏怖・畏敬の念に基づく祈りと祭りの信仰体系であり、生活体系である」と答えたいと思います。そしてさらに、「神道とは、日本人がこの宇宙・万物の偉大さ・大いさ・尊厳を感じ取り、それに感応してきた道の伝統である」と付け加えたいと思います。それは、日本人の宇宙の感じ方であり、万物への祈り方なのです。
神道は日本を離れて存在しません。もちろん、この宇宙というものがなければ、銀河系も太陽系もなく、その中に水の惑星であるこの地球もないわけですから、当然日本もないわけで、究極的には宇宙なくして神道はないといえますが、その神道が具体的にこのような形態・形式・内容を持つに至ったのは、日本という風土と歴史があったからです。
そこで、ここではまず最初に、日本の風土的・歴史的特質を話し、続いて日本人がカミとして崇めてきた存在がどのようなものなのかを描写し、神道として伝えられてきた信仰と制度の内実を仏教や修験道との関係において概観し、最後に天河大弁財天社の特質を述べてみたいと思います。
2 日本の風土的特質
日本は四方を海に囲まれた島嶼列島です。今からおよそ1万2000年程前に現在のような日本列島が出来上がりました。氷河期が終わり、北極圏の氷床が溶け出し、水位が上がると、それまでユーラシア大陸とつながっていた半島は、完全に四方を海に囲まれた島嶼となり、列島となったのです。
そして、そのころから世界でもっとも古い土器文化といわれる縄文時代が始まり、独自の列島の風土と文化の形成が始まりました。天河大弁財天社の信仰には、その縄文時代からの日本列島民の信仰と宇宙観が伝承されているとわたしは考えています。
日本の風土の特徴は、まず第1に、先に述べたように、四方を海に囲まれた島々であるということ。つまり、島国という風土であるということ。第2に、その島々は火山列島であったということ。太平洋プレート、北米プレート、ユーラシアプレート、フィリッピンプレートの4つのプレートがぶつかる地質学的にも珍しい地帯にある日本列島は、そのために火山の噴火活動が活発で、地震も多く、列島自体が揺らぎの中にあると言っても過言ではありません。第3に、火山活動やプレートのぶつかり合いによる褶曲運動のため、急峻な山々が多く、山岳や森林が国土の70%を占め、それゆえに清流の流れる河川や沢や沼地が多く、そのことがやがて天河大弁財天社をはじめ、数多くの水の信仰と独自の水の文化を生み出していきました。
このように、日本は海の水と川の水の両方の豊富な水に取り囲まれた水の列島だったのです。そのために、のちに大陸から農耕文明がもたらされた時、日本の名称を「豊葦原の瑞穂 (水穂)の国」(豊かな葦の生い茂る水と稲穂に恵まれた国という意味)と称えて呼ぶようになったのです。ちなみに、紀元後8世紀初頭に記された日本最初の文献である『古事記』には、日本の古い呼び名として、「大八島国」(大きな八つの島のある国)と「豊葦原の瑞穂の国」という2つの呼び名が出てきます。それに対して、その少しあとにまとめられた日本最初の公式文書であった『日本書紀』は、呼び名を「日の本」としての「日本」という名で統一しています。
こうして、8世紀には「日の本・日本」と呼ばれるようになりますが、その太陽の国「日の本」は古く火山の国「火の国」でありました。そのことは、日本の西南部の島・九州の国々を古くは「ヒの国」と呼んだことにもその痕跡をとどめています。
こうしてみると、日本は水の国であり、火の国また日の国であったといえるでしょう。その島々や国々の呼び方の中に日本の風土的特質があますところなく表現されているのです。
日本神道の一つの伝統的考え方の中に、「火と水」と書いて「カミ」(神)と読ませる伝統がありますが、火と水の自然の生成力の中に神聖な力の顕現を見たことは神道の重要な伝統となっています。
第4に、日本の森林相には大きく北方系のブナ・ナラ林帯と南方系の照葉樹林帯の2つがありますが、どちらも保水能力に優れた森林で、その豊かな養分を含んだ水と土の成分が海の幸、山の幸、川の幸、野の幸をもたらしました。つまり、豊富な植生と食べ物を持つ生態系をもたらしたのです。
以上の4つの特質を日本の風土的特質としてあげることができます。
天河大弁財天社の名前に「天の川」という美しい名前がつけられているように、日本列島の自然風土こそ日本人の信仰生活を基礎づけてきた根本の土台です。この自然風土を離れて日本人の信仰と宇宙観は生れることはありませんでしたし、その信仰と宇宙観の表現としての神道も生れることはなかったのです。
3 カミとは何か
それでは、次に、日本人の信仰、神道の信仰の核心は何でしょうか。それは一言で言うと、「カミ」(神)という言葉に表される神聖な存在に対する畏怖・畏敬の信仰であるといえます。神々を畏れ敬う心、それが神道の信仰です。
「神道」とは「神の道」と漢字で書きます。古くは、それを「神ながらの道」と言ってきました。「神ながらの道」とは「神々の御心のままに」あるいは「神々の御業のままに」という意味です。要するに、「神の意志に従う道」という意味です。それは、「神からの道」すなわち「神々から子孫への恵みと生成発展の道」と、「神への道」すなわち「人々が神々へ感謝と信仰を捧げる祈りと祭りの道」との二つのベクトル、方向性を含んでいます。その両方の道が交差し、交わるとことに「神ながらの道」があるのです。
それでは、ここでいう「神」あるいは「神々」とはどのような存在を言うのでしょうか。神道では、神々は複数いて、その総称を「八百万の神」と言います。八百万とは文字通り、800万の神々が存在するということではなく、それほどたくさんの、ほとんど無数と言っていいほど多くの神々がいるという意味です。
その八百万の神々の中には、水の神や日の神や風の神、月の神、雷の神などの自然神もいれば、先祖の神々、すなわち祖先神や氏神もいれば、その土地の神、産土の神もいれば、熊や猪や鹿などの動物神も、天皇や武士・大名や偉人や名も無き死者などの人間神もいると言った具合で、森羅万象で神や霊ならざるものはないというところまで行き着きます。これは、宗教学や哲学や神学の用語ではアニミズムや汎神論とも言われることがありますが、万物に霊宿り、万象に神の働きを見てとる感覚と信仰と思想があるということです。
たとえば、6世紀初頭に日本に伝来してきた仏教は、このような汎神論的な神道の影響もあって、のちに「山川草木悉皆成仏」とか「草木国土悉皆成仏」とかという仏陀観を掲げるようになりました。山川草木や国土に至るまで皆ことごとく仏になると言うのですから、それは「すべてが神であり、仏である」というのもほとんど同じ意味です。
数年前に亡くなったカトリックの信仰を持つ日本の作家・遠藤周作氏は遺作『深い河』の中で、修道士の主人公の青年・大津に「神とは人間の外にあって、仰ぎみるものではないと思います。それは人間のなかにあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、あの大きな命です」と言わせていますが、これはほとんど遠藤周作氏の神観そのものだったと思います。しかしそれは、修道院のヨーロッパ人の先輩神父に「それは汎神論的な考えかたじゃないか」と徹底的に批判されます。しかし、大津はその神観を変えることができませんでした。それは彼の感性の奥深くからにじみ出てくる神のリアリティだったのです。ここにおいては、神道の神と仏教の仏とキリスト教の神の区別はさほど大きくありません。それは万物を包み込む「大きな命」ととらえられています。
わたし個人が現代日本人作家の中で最も尊敬しているのはこの遠藤周作氏ですが、それは彼が幼い時からの自分の感性と神観を生涯ごまかさないで、カトリックの信仰との矛盾や葛藤や対決の中でその神の信仰を確かめ、深め、練り上げていった誠実さに心打たれるからであります。遠藤文学は日本人のカトリック文学であり、神道的カトリック文学といっても決しておかしくはないとわたしは思っています。
日本語の古語において、神の神格や神威を表す言葉はたくさんありました。たとえば、「チ・ミ・ヒ・モノ・タマ・オニ・ミコト」などの言葉は、古代日本人がとらえた神々の位格や威力を表す言葉でした。一つだけ、例にとりましょう。
古語で神を形容する言葉に「ちはやぶる」という言葉がありましたが、それは霊や風や血液や母乳や道などの多義的意味を持つ「チ」がものすごい速さと力で運動するさまを表しています。その意味で「チ」は神性や霊性から身体性や物質性までを貫き、動かす力と命の源泉でした。そもそも「命」とは「生きたチ、息をするチ」を意味する言葉です。
とすれば、神とは万物を万物たらしめ、それに命を吹き込む力の源、生命力と創造性の根源とその諸相を指す言葉です。『古事記』という日本の神話と歴史を記した日本最古の文献には冒頭部に宇宙開闢神話が語られていますが、神々の中で2番目と3番目の神の名に「むすび」(産巣日、産霊)という語がつけられています。これは万物の生成力や自然成長力を表した言葉でした。つまり、宇宙や自然の生成力・創造力に対する畏怖・畏敬の念や信仰が「むすびの神々」の神話や信仰となって伝わっているのです。
その自然の生成力を寿ぎ称え、感謝し、喜び合って、神々と人々が一緒になって交わり遊ぶところに神道の祭りがあります。「むすび」にも自然の生成力と結合の2つの意味があり、それは多産・豊穣を称える言葉でもありました。神道の祭りは季節ごとに自然の恵みを祈り感謝する祭りであり、神々と祭りは人々の日々の生活に直結していました。
このように、神道の神とは、命の根源、存在の根拠、万物を万物たらしめる力とそのあらわれなのです。
4 神道と仏教
日本人の宗教や信仰という時、多くの人はまず仏教のことを思い浮かべるでしょう。 確かに奈良や京都には、法隆寺や東大寺や比叡山延暦寺を始め、世界遺産にも指定されているたくさんの仏教寺院があり、それは日本を代表する文化遺産とも考えられています。日本にはお寺も仏像もたくさんのものがありますが、その仏教が中国や朝鮮半島から伝来してくる前から「神」と呼ばれる聖なる存在に対する信仰がありました。そしてそれは、素朴ではありましたが、敬虔な日々の祈りや、季節ごとの祭りとして伝えられてきました。
この神信仰、すなわち神道は、仏教のような教えの宗教や哲学ではなく、日本列島に根付いてきた神祈りと神祭りの伝承文化だったのです。それは神話と儀礼と日々の暮らしに溶け込んだ祈りによって支えられ、伝えられてきた先祖伝来の祈りの道だったのです。
明治時代に日本に来て、西洋人として初めて出雲大社を昇殿参拝したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、いろいろな事象の中に神を見出す神道の神感覚を次のように表現しています。「この大気そのものの中に何かが在る――うっすらと霞む山並みや怪しく青い湖面に降りそそぐ明るく澄んだ光の中に、何か神々しいもの感じられる――これが神道の感覚というものだろうか」と。
空気の中にも、太陽の光の中にも、水や海や山や森や風の中にも「神々しい何か」の存在を感じとるのが「神道の感覚」というのです。そして続けて、ハーンは神道には教祖も教団も教義も教典も仏教のような大哲学も大文学もないが、まさにそのないことによって西洋思想の侵略にも屈することのない独自の文化を保持しつづけたのだと述べています。
キリスト教も仏教も偉大な神学・哲学・文学を生み出しました。しかし神道にはそのような偉大な神学も哲学も文学もありません。けれども、そのないことがいろいろなものを包含し、包み込み、育み、変容させる母胎や触媒のような役目を果たしたのです。
神道は、世界宗教あるいは普遍宗教である仏教ともキリスト教ともまったく違う日本人の歴史と文化の中で発生してきた民族宗教です。神道は神々として畏れ崇められてきた存在を畏怖・畏敬する祈りと祭りの道ですが、仏教は悟りを開いて仏陀になる信仰と実践の体系です。その神道と仏教の原理的違いを次のような3つの対比によって浮かび上がらせることができます。
第1に、神は在るものであるのに対して、仏は成るものという違い。つまり、神は存在そのものの威力であるのに対して、仏は人間が悟りを開いて成ったものであるという違い。第2に、神は来るものであるのに対して、仏は往くものという違い。神は人間の祈りや祭りに感応してその場に立ち現われて来るものであるのに対して、仏は迷いと苦悩の俗世間すなわち此岸を離れて、悟りの世界である彼岸へ往くものであるという違い。第3に、神は立つものであるのに対して、仏は坐るものという違い。日本語で神々を数える数詞は「柱」と言いますが、仏を数える数詞は「座」と言います。つまり、神々は柱のように立ちあらわれるものであるのに対して、仏は悟りを開くために坐禅をし瞑想をして坐るものであるという違い。
このような原理的違いを持つ神と仏が、また神道と仏教が、日本では神仏習合という宗教複合、宗教融合をとげたのです。どうしてそのようなことが可能になったのか。それは、神も仏も共に自然の中に、また万物の中に神性や霊性や仏性を持って存在しているという自然認識や存在認識が生れたからです。神と仏を共に存在せしめる何ものかの存在性と力を神道も仏教も共に認めることができたからであります。そしてそれが、多様な姿・形で現われ出ることに対する共通の感覚と認識を持ちえたからであります。そうした過程で、「神道曼陀羅」と呼ばれるようになる神仏習合的宇宙図が描かれるようになります。有名なものとしては、日本一大きな滝を御神体として崇拝する那智曼陀羅や水の神を龍神として描いた天河秘曼陀羅があります。いずれにせよ、神と仏、神道と仏教を結びつけたのは日本の風土・自然だったのです。
このようにして、日本の仏教は神道と相互に影響し合い、ある部分は融合したりしながら共存してきました。そうした中で、修験道という日本独自の宗教が発達してきます。修験道は古来の山岳信仰と神道と仏教がミックスした修行的宗教で、天河大弁財天社はその修験道の中心地の一つとなりました。
5 天河大弁財天社の信仰と歴史の特質
最後に、日本の宗教史における天河大弁財天社の位置と意味と意義について述べたいと思います。天河大弁財天社は日本神道の典型的な神社であると同時に、神仏習合および修験道の代表的な道場でもあります。
天河信仰の根幹には、深い自然崇拝があります。天河神社の奥宮は「弥山」という標高1895メートルの山の頂上にあり、そこは修験道の修行のルートの重要地点となります。弥山は須弥山、すなわち世界の中心をなす聖山といわれる古代インドのシュメール山信仰にちなんで名づけられた山であり、その地方で2番目に高い、四方に分水嶺を持つ水源・水分の霊山です。要するに、その地方一帯に水を供給する命の根源を司る水山なのです。
そこに、水の女神が祀られているのですが、その水の女神は神道では市寸島姫命、仏教では弁才天女と呼ばれ、その異なる素性の二神が習合して天河弁才天と呼ばれるようになりました。このように、いのちの根源の水を司る女神を祭った神社であり、お寺でもあったところが現在の天河大弁財天社です。日本の中世には、弁才天の女神を祀る3つの大きな神社やお寺が人々の信仰を集め、その中で天河弁才天は筆頭にあげられているほど有名でした。
天河大弁財天社の第1の特質は、いうまでもなくその自然信仰ですが、それには水の信仰と森の信仰の2つの要素があります。多雨地帯である弥山周辺にはその地方でも有数のブナ林帯があり、その森林が保水能力に優れ、ミネラルを多く含んだ豊かな清水を蓄え、それが天ノ川と呼ばれ、やがては太平洋に注ぎ込んでいきます。天の川は日本では銀河の意味も持ちます。まさしく天河とは夜空に輝く銀河のように美しい天津清水を湛えた川合いの地なのです。それは、日本の水信仰のメッカであり、典型だといえます。
加えて、天河大弁財天社の社殿の下には巨大な磐座があり、その大きな岩には何時とは知れない昔から自然に穴が開いていて地下水に続いています。このように、天と地を、銀河と地球を水と川を通して結びつける媒介者が天河大弁財天社なのです。中世の『金峰山秘密記』という修験道の神秘文献には「天河円水、天摂万相、水生万物」という言葉が記されています。つまり、「天河」とは円のような完全性を表わす水で、天は万象を包み、水は万物を生み出すということが記されているのです。ということは、天河が命の根源を司る水の信仰をその核心としていることです。
天河大弁財天社の信仰の第2の特質は、おそらく縄文時代から続いている自然信仰に加えて、深い山岳で自然と一体となりさまざまな神秘的能力を獲得しようとした修験道が加わった点にあるといえます。きわめて女性的な水の女神信仰の上に、その対極にあるかのような、きわめて男性的な修験道が加わることによって、天河の信仰と修行は大変ダイナミックな力強いものになっていきました。
7世紀に修験道を開いた役行者は、山中で修行している時、最初に弁才天女に感応し、その弁才天を天河にお祀りしたと伝えられています。わたしはそれをこの水源の山の主であった最も古い神が登場してきた物語であると解釈しています。要するに、天河の神は水を通して自然と生命を司る日本の根源神であるといえます。そこで、初代天皇である神武天皇や、中興の天皇である天武天皇、また後醍醐天皇は、天河を訪れ、世界平和と国家安泰を祈ったと伝えられています。さらには、役行者だけでなく、日本の密教の開祖空海もこの地で修行したと伝えられています。
このように、もっとも根源的な神道の信仰ともっとも神秘的な仏教の信仰、とりわけ密教の信仰がミックスし、さらに修験道の信仰と修行が加わった、きわめて日本的で、きわめて宇宙的な信仰の歴史と文化を持つ神社が天河大弁財天社であるといえます。また、天河神社は能楽の発展にも大きな役割を果たしました。
かつて、天河の柿坂神酒之祐宮司は玉鎮めの祭りの祝詞の中で、「神社は宇宙ステーションなり」と言われたことがありますが、キリストの教会がキリストという至高の存在に向かう通路であり媒体としての宇宙ステーションであるとするならば、神社は日本人がとらえた神聖なる宇宙や他界に向かう通路であり媒体としての宇宙ステーションでありました。それは21世紀の自然や宇宙と人間と社会と文化との関係を再構築していくで大きなサジェスチョンや示唆を与える、今なおダイナミックに息づいている文化遺産であると思います。
神道は日本の歴史と文化の中で多様で力強い展開を見せてきました。近代には日本の帝国主義的植民地支配に利用されたいわゆる国家神道時代の問題も抱えております。ここで詳しく述べる時間的余裕はありませんが、過去の歴史的な問題点は厳しく認識し反省するとしても、神道という民族宗教が人類の未来に向けて発信できる21世紀的可能性もあるのだと確信します。たとえば、自然に対する繊細な感性、自然も生命もすべて循環し共生的に存在するというエコロジカルな考え方、八百万の多様なものを包含しうる寛容な精神性が宗教対立する人々の仲立ちをする役割を果たし得る可能性があること、すなわち他宗教との対話と相互理解と共存をはかる精神的かつ文化的基盤と蓄積を持っていることを21世紀的問題解決への可能性としてあげることができるとわたしは確信しています。
その日本神道の古く力強い伝統を伝える天河大弁財天社の祈りと祭りを、世界遺産にも指定されているキャッスル・デル・モンテで行うことができたことを、21世紀の世界平和と共生文化の確立のための重要なステップだとわたしは考えます。その礎を築いてくださったこの催しの関係者の皆様に心からの尊敬と感謝を捧げます。 ほんとうにありがとうございました。
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