https://www.city.kagoshima.med.or.jp/ihou/557/557-4.bak 【エジプト再訪と古代エジプトの医学・医療】より
西区・武岡支部 松下 敏夫
わが国の縄文時代、BC3200年頃に中央集権的統一国家が形成され、BC31年にプトレマイオス朝が滅亡してローマ帝国の支配下に入るまでの古代エジプトでは、ヒエログリフ(象形文字)が使われ、ツタンカーメンの黄金のマスクに代表される絢爛たる文化が華開いていた。
北京オリンピック開催の2008年4月、「神秘のエジプト・ナイル川クルーズ10日間」というツアーに参加して、エジプトを再訪した。
前回は1981年9月に第20回国際労働衛生会議(ICOH)がカイロで開催された折で、時間的制約のため、古代エジプトの息吹きに触れる機会は、残念ながら、カイロのエジプト考古学博物館やギザのスフィンクス・ピラミッドの見学しかなかった。
今回の訪問では、日程の制約はあったものの、カイロ・ギザ、アレキサンドリア、ルクソールなどで世界遺産登録の多数の古代エジプトの遺跡見学を始め、ナイルエキスプレス(寝台列車)やナイル川クルーズなど極めて刺激的な旅を満喫することが出来た。
ここでは、この旅行に関連して、古代ギリシャ医学にも大きな影響を与えたといわれる古代エジプトの医学・医療に関する事項を中心に若干紹介してみたい。
訪れたエジプトの印象
前回、四半世紀前の1981年に訪れた折に衝撃的だったのは、この学会で名誉総裁を務め、開会式で歓迎演説を行った当時のサダト大統領夫人が、学会終了直後の10月6日、イスラム過激派による暗殺事件で未亡人となったことである。こうした社会状況を反映して、夜半に到着したカイロ空港は、自動小銃を持った多数の髭面の兵士が警備に当っており、何とも不気味な雰囲気であった。加えて、カイロ市内の標識はほとんどアラビア文字で記されていて全く理解できず、強烈なカルチャーショックを覚えた。別送品を送るために訪れた中央郵便局でも英語がなかなか通じず、手続きの場所の確認や長い待ち時間でいらいらして、終了するのに2時間を要した。
今回の訪問では、前回みられなかった多くの高層建築が建ち、トヨタや中国の車を含む自動車が増加して交通渋滞が酷くなり、宿泊したホテルの別館は大型ショッピングモールとなっており、市内にはスーパーマーケットも多数あるとのことであった。各種の標識や店の看板もアラビア語以外で記されているものが多くみられた。
また、近接のパレスチナ紛争の影響はあるものの、国内は、前回に比べるとかなり落ち着いた雰囲気のように見受けられた。
なお、カイロ大学日本語学科を卒業したという現地ガイドの話では、エジプト人は日本が大好きという。その理由は、子供の頃から可愛い日本人形に触れ、日本車や洗濯機などは高いが性能がよくて人気があり、また、日露戦争で小国日本が大国ロシアに勝ったことが評価されているという。近年、日本企業の進出も著しく、日本とエジプト間に直行便もできて日本人観光客も大変多くなっている。しかし、エジプト人が日本へ行くためにビザを取得するのは大変制約があって難しいと嘆いていた。
コム・オンボ神殿と医療器具等のレリーフ
①コム・オンボ神殿
②出産と医療器具のレリーフ
③パピルスに描かれた医療器具
④サッカラの階段状ピラミッド
クルーズ船でルクソールの南約170km、アスワンから北約50kmにあるナイル東岸のコム・オンボ(Kom Ombo)(アラビア語でオリンポスの丘という意味)に到着し、徒歩数分の小高い丘にあるコム・オンボ神殿を訪れた。
この神殿は、塔門の入口も至聖所も左右対称に設計され、入口から左側はナイル上流域の神、ハヤブサの神ハロエリス(ホルス神の別名)、右側は本来のコム・オンボの神であるワニの姿をした水神(ソベク神)の二つの神を祭る珍しい二重構造の建物になっている(写真①)。
建設は今から約2250年前のプトレマイオス朝時代で、ローマのアウグストゥス時代に完成した神殿で、内部は典型的なグレコ・ローマン時代の様式である。「エジプトはナイルの賜物」といわれるように、ナイル川の恩恵を受け、輝かしい文明を築いた。構内には、ナイル川の水位上昇による氾濫を事前に予測し、当年の豊かさを評価して課税にも用いたという水位計(ナイロメーター)などもある。
神殿の列柱の柱頭には、さまざまな様式が用いられ、外壁や天井は崩れているが塔門や列柱、内壁などには彩色がかなりはっきり残ったさまざまな美しいレリーフがあり、ヒエログリフで描かれた最古のカレンダー(太陽暦)には日付と共にその日の捧げ物が刻されているという。
この神殿は、ローマ時代に病院としても利用されていたとのことで、医学の神と崇められたイムホテプ(Imhotep、後述)へ捧げ物(医療器具)をしているレリーフ、出産や医療器具のレリーフとされるもの(写真②)など変わったレリーフも刻まれている。
ちなみに、古代エジプト時代の出産は座ったまま行われ、床においたレンガの上にしゃがんで産み、そのレンガは『誕生のレンガ』といい、お産の神メスケネトの化身とされていた由である。[図説]ヒエログリフ事典(吉村作治監修)によると、出産する女性のヒエログリフは、女性の下に赤ん坊の頭と両手が出ている形となっており、この壁に描かれていたのは、「異型」(?)なのかもしれない。
医療器具のレリーフには、ナイフ、ドリル、鋸、鉗子、ハサミ、スプーン、メジャー(目盛り)など、今日使用されているものに酷似したものが刻されていた。しかし、残念ながら、狭い通路で押し競饅頭状態の見物客に押されてこのレリーフは上手にカメラに収められなかったので、購入したパピルスに描かれたもので代用することとした(写真③)。
古代エジプトの医神イムホテプ
古代ギリシャのヒポクラテス(Hippocrates, BC460-377)やガレノス(Galen,AD130-216)は、その著作で、メンフィスのイムホテップ神殿で研究されたエジプトの著作から得た情報に感謝の意を表しており、彼らの業績は、古代エジプトの医学・医療から大きな影響を受けているようである。したがって、医学の父はギリシャ人(アスクレピオス)ではなくエジプト人(イムホテプ)だとも評されている。
カイロの南約25kmに位置するサッカラ(Saqqara)は、エジプト古代王朝の発祥地メンフィス(Memphis)のネクロポリス(死者を葬るための「死者の町」)であったところで、ここには多くの墳墓や遺跡がある。
なかでも、古王国第3王朝時代のジェセル王(Djozer, 在位:BC2667-2648)に仕えた宰相イムホテプ(Imtehop, BC2650-2600?)が設計した高さ約60m、基底部140×128mのエジプト初の階段状ピラミッド(写真④)は、後のピラミッド建設の原型となった。
イムホテプは宰相であるとともに神官、書記、建築家、占星術師、詩人、医師などとして優れた才能を発揮した人物と伝えられ、ファラオ以外で唯一の神とされた人である。
古代エジプトでは、医学のシンボルは人間に鳥(トキ)の頭を持った神トトで、トトは、ヘルメス、トリス、メギストス「三重の知恵者」で、医術・錬金術・芸術を生み出した神とされ、イムホテプは、このトト神の知恵を受け継いだ人物とされ、ギリシャ人は、イムホテプをギリシャ神話に登場する名医アスクレピオスとも同一視したという。
階段ピラミッドの近くには、2006年9月に開館したイムホテプ博物館があったが、時間の制約で残念ながら見学できなかった。
古代エジプトの医学・医療の記録
BC3000年以後の古代エジプトの医学・医療に関する現存の古文書は17種類あるそうだが、代表的な重要なものは、所有者の名前を付したエドウィン・スミス・パピルスとエーベルス・パピルスとされている。
【エドウィン・スミス・パピルス】
Edwin Smith(1822-1906)はアメリカ人で、カイロでの探検家・金貸し人・商人とされ、ヒエログリフで書かれたこのパピルスを1862年にルクソールで購入し、彼の死後、娘がニューヨーク歴史協会へ寄付し、現在はニューヨーク科学アカデミーが所蔵している。
この文書は、文法や語彙の証拠から、非常に古く、多分、BC3000年から2500年間のものが何度もコピーされてBC1600年頃に筆記者によって再コピーされたもので、情報の多くは、BC2640頃イムホテプの教えによって書かれたものによるという。パピルスは4.68m×33cmで22列からなり、表面は17頁(377行)、裏面は5頁(92行)と後述のエーベルス・パピルスより短い。内容的には、世界初の外科的論文とされ、頭部外傷、脊椎骨や顎部などの骨折、脱臼など神経外科及び整形外科の48症例が取り扱われ、各々、系統的に詳細な診断、治療、転帰に分けて記載している。
【エーベルス・パピルス】
エーベルス・パピルスは、ドイツのエジプト学者で作家のGeorg Ebers(1837-1898)が1862年にエドウィン・スミスの所有となっていたものを1872年に購入したもので、古都テーベ(現在のルクソール付近)の共同墓地に埋葬されていたミイラの股間部から見つかったもので、現在は、ライプチヒ大学図書館が所蔵しているという。これは、ツタンカーメンも在位した第18王朝の紀元前1550年頃に編集された最も完全な世界最古の医学書の一つとされる。ヒエログリフで書かれたこのパピルスの巻物は、幅30cm、長さ20.23m、109章のパラグラフで構成され、総行数2289行で、各々が特異な疾患に対応したブロックで整理されているという。
内容的には、腸疾患、蠕虫病、眼科、皮膚科、産科、婦人科、歯科などの傷病の診断、治療が記され、800種の処方と700種の薬剤がとりあげられ、最後に病魔退散の呪文や魔術療法が記載されている。また、驚くほど正確な全身の血管や血液供給を中心とした心臓機能の存在に関する記述(ウィリアム・ハーヴェーが血液循環説を提唱するより4000年以上も昔!!)を始め、ワニの咬傷、産児制限、糖尿病、喘息、トラホーム、鉤虫、フィラリア症、関節炎の型、うつ病などの処方も記載されているという。
【古代エジプトの医学・医療と医師】
古代エジプトにおける医学・医療の基本的な考え方は、経験と観察に基づいた合理的なもので、皮膚や目など観察しやすい部分は医師が合理的な治療を行い、体内組織の病気については聖職者でもある魔術師の祈祷が中心であったという。現存するパピルスによると、当時は900種近い処方がつくられていた由である。
医師の業務は、ミイラ作りから外科や解剖による治療にわたり、医師には、聖職者と魔術師との区別はなかったという。また、当時の記録では、獣医を含む医師、外科医、眼科医、歯科医、婦人科医、その他の専門家についても言及しており、著しい専門分化が行われていたようである。しかし、BC500年のギリシャの歴史家ヘロドトスによれば、古代エジプトでは歯科は重視されていたが外科のレベルは低かったという。
おわりに
古代エジプトにおける衛生状態や医療に関しては、BC1900年頃建設の都市の遺跡からは排水溝が、BC1400年頃の遺跡からは浴室跡やトイレ用の椅子なども発見され、BC1000年頃からは、現在の病院に相当するサナトリウムも設けられていた。他方、ピラミッドなどの建設では多くの人命が失われ、黄金のマスクやクレオパトラが愛用したエメラルド装飾など絢爛豪華な文明を支えた職人たちは、さまざまな職業病にも悩まされ、ミイラの解剖や神殿のヒエログリフなどからは、炭肺を始め、痘瘡、住血吸虫症、象皮病、クル病、小人症、虫歯、肥満など、さまざまな疾病で古代エジプト人が悩まされていたことがうかがわれる。今後の遺跡の発掘や研究によって、さらに、さまざまな興味ある事実が明らかにされることが期待される。
なお、エドウィン・スミス・パピルスやエーベルス・パピルスに関しては、その一端を資料で知り得たのみなので、今後、その全訳文を読み、古代エジプト人の英知に触れてみたいものである。
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古代エジプト人は宇宙が数学的に構築されたことを知っており、それを私たちに教えようとしたのです。 🧵
古代エジプト人は宇宙を数学的なものとして捉えていました。古代エジプトの画像はすべて非常に正確に構築されています。最良の方法で言えば、悪魔は細部に宿ります。
「エジプト人は神聖な言葉を信じていました。イシスが偉大な神ラーをだまして秘密の魔法の言葉を暴露させたという話があります。ヘブライ人は神の名には偉大な力があると信じていました。キリスト教の祈りがアーメンという言葉で終わるのは皮肉なことです」 . アーメンとは「隠された者」を意味します。かつてはアーメン・ラーとして知られるようになったラーの名前でした。私たちの父には、エジプトの死者の書やアニのパピルスに似た側面があります。フリーメーソンはゴールデン・トライアングルを使用しており、キリスト教会も同様です。」
ピタゴラス、古代のマハトマ、そしてエジプトの知恵の蛇は、「すべては数字の中に隠されている」と知っていました。
「インドの神秘、そしてフリーメーソンの間では、頂点が一番上にある神秘的な三角形は、底面が上になっている男根の三尊柱を象徴しており、解剖学者にヴェネリス山、デルタ、あるいは出入りする扉として知られているものの典型である。すべてがこの世に生まれるのです。」
哲学数学の真の鍵は、誤ってユークリッドの著作とされているピタゴラスの第 47 命題です。ユークリッドの第 47 定理では、次のように述べられています。直角三角形では、斜辺に記述される正方形は、他の 2 つの辺に記述される平方和に等しいです。
この長方形の三角形では、垂直の辺は 3、底辺は 4、斜辺は辺 5 を含む他の 2 つに等しいと想像されます。垂線は男性性、底辺は女性性、斜辺は男性性を表すように設計されています。子孫。
最初の面はオシリスまたは原動力を表し、二番目のイシスまたは受容力を表し、最後の面はホルスまたは他の 2 つの共通の効果を表します。 THREE は偶数と奇数の両方で構成される 1 番目の数字であり、FOUR は偶数の 2 と等しい辺を持つ正方形です。
さて、FIVE は TWO と THREE の積であり、共通の親に関しては両方に対して同等の関係があると言えます。
斜辺、ホルスは、基部と垂線、オシリスとイシスの性的結合から考案されました。
顕教的には、三面はエジプトの三位一体を表していました。オシリスは錬金術の三大プライムを表していました。イシスは 4 つの要素、ホルスは生命の発展の 5 つの区分です。
密教的には、三面は神の秘密の名前、ヨド、ヘー、ヴァヴに適用されました。
アタナシウス・キルヒャーは次のように書いています。「最も単純な線や図形から、物質的な性質の秘密が現れます。円の三位一体(中心、半径、円周)が神の三位一体を示すように、神の三位一体の創造的な作品は、3:4:5の三角形の三位一体の中に現れます。円は、それ自体がすでに完成しており、無限の辺から構成されている場合には何も生まれません。それはすべての多角形の中で最大であるため、孤独な三位一体です。しかし、三角形はすべての世代の始まりであり、他のすべての多角形の祖先です。次に、地球と大空の象徴である二等辺三角形が続きます。次に直角不等辺角は、遺伝的性質の謎全体を示しています。この三角形は、1 つの直角と 2 つの鋭角を持つ不等辺の直角三角形です。直角は、自然法則の一定かつ不変の働きを意味します。他の 2 つのうち、大きい方は動きの増加を意味し、3 番目は減少率を意味します。辺はそれぞれ 3、4、5 です。これで 3 + 4 +5 = 12 となります。これが十二面体の性質です。 「したがって、数字が数字の中に暗黙のうちに含まれているように、線には線が、数字には数字の中に含まれているように、すべてはすべての中に含まれており、これがここでオカルト的に表現されています。」
キルヒャーはさらに、直角不等辺角からすべてのありふれた物体と全宇宙の起源が進むと付け加えた。
古代エジプトの宗教全体は、神聖な 3:4:5 の三角形、つまり a²+b²=c² の知識に基づいていました。
https://www.surugabank.co.jp/d-bank/event/report/170523md.html 【世界の文字の二大源流を探る】より
―古代エジプトの聖刻文字と中国の漢字を巡る文字論の世界―
世界で使用されている文字の多くは、古代エジプトの聖刻文字(ヒエログリフ)もしくは中国の漢字のどちらかに起源を持っている。そして、聖刻文字と漢字は時代と地域を超えて普及した人類の遺産であり、多くの共通点がある。両者とも象形という原理により文字が作られており、また複数の書体を用途に応じて使い分けていた。さらに、文字を生み出したエジプトと中国はそれぞれ柔らかい書字材料(パピルスと紙)を発明し、それを専売特許としたという点でも文化が共通している。本セミナーは世界の文字体系について俯瞰したのち、聖刻文字と漢字のあり方について考える機会となった。
漢字も聖刻文字も元々は象形文字だった
この日の講師は言語学、文字論を専門とする永井正勝氏。アルファベットのもととなった古代エジプトの聖刻文字と我々日本人も日常使っている中国の漢字、歴史的に見て世界の文字の二大源流と言えるこの2つの文字の特徴や変遷などについて解説していただいた。
ヒエログリフと呼ばれる聖刻文字と漢字、その共通点はどちらも元は象形文字であったということ。たとえば、水ならば川を表わす三本線、山なら平坦な底辺の上に凹凸をつけ、日=太陽であれば点や円を二重にする。古代の人々はそういった絵文字からスタートして現在へと至る文字をつくりあげていった。中国ではこうした象形文字は、亀の甲などに書いて占いに使ったため甲骨(こうこつ)文字と呼ばれ、それが最古の漢字とされている。
「ここで知っておきたいことは、漢字は意味だけではなく音を表わす表語文字であるという点。漢字が持つ豊富な世界は、音を表わすことで広がっていきました」
言葉には同じ発音で別の意味を示すものがある。中国なら「こう」という音には「作る」、「赤」、「川」という意味がある。そこで人々はもともとあった「工(作る)」という文字の左側に別の偏をつけることで「紅(赤)」や「江(川)」という文字を創り出した。こうした「左側に意味を持ち、右側に音を持つ」文字を「形声文字」と呼ぶ。そして実に漢字の7割はこの形声文字だという。 音を持ち意味もある漢字。日本人が本来中国語を表記するためにある漢字を使うことができるのは、実はここに理由がある。
「山と書けば日本語では『やま』。漢字はこういう意味を表わすものとしてだけでなく、最初に日本に入ってきたときは音を表わす当て字=仮借としても使われていました」
永井氏が一例として挙げたのは『万葉集』にある大伴家持の
「宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比<登>里志於母倍 婆(うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思えば)」
という歌。この歌は「照」と「春日」と「情悲」の3つを除けばすべて仮借(万葉仮名)で詠まれている。実はこうした仮借は現代でも使われている。
「例えば壁のいたずら書きなどに見られる『夜露死苦(=よろしく)』の四文字。これなどは現代版の万葉仮名ですね」
インドへ、ギリシャへ、世界に広がった聖刻文字
漢字が渡来すると、日本人はその意味に合わせて自分たちの言葉をその漢字に当てはめた。「山」は中国語では「さん」だが、日本語では「やま」。ここから生まれたのが音読みと訓読みだ。「富士山に登山しよう」という一言だけでも、「山」と「登山」は中国語発祥の音読み、残りの「富士」「に」「しよう」が日本語で構成されている。
「これは書家である京都精華大学の石川九楊先生がおっしゃっていたことですが、こうやって見ると日本語は二重言語だといえます」
日本人にとってはあまりに当たり前で違和感のない日本語の二重言語的性格。だが、これがもし英語であればどうなっていただろう。
「〈富士山に登山しよう〉は〈マウント富士にクライムしよう〉。隣がアメリカだったら今頃日本人はみんなルー大柴さんみたいな言葉遣いになっていたでしょうね」
では、一方のエジプトでは文字はどのようにして生まれていったか。「実はまったく同じことをしていた」という。意味を表わすことを目的として発明されたエジプト語の聖刻文字は、やはり形声の原理で単語を表記していった。その割合は漢字とほぼ同じ7割程度だという。
「もっとも、同じところばかりかというとそうでもなくて、漢字とエジプト語では大きな違いがあります」
漢字は「一単語を一文字で表わす」。それに対し聖刻文字は「ひとつの子音に一文字を当てる」。その特徴は母音を示す文字がないことだ。「サン」と読むにはローマ字のアルファベットなら「SAN」と「A」を真ん中に置くが、エジプトではこれを「SN」と書いて「サン」と読ませる。ピラミッドを表わす「メル」は「MR」。外国の人間にはこれだけでは音の全貌が見えづらくトリッキーに感じてしまう。それでも古代の人々はこのエジプトの聖刻文字を日本人が漢字を訓読みしたように自分たちの言語で読んで自国の文字としていった。やがてこれがフェニキア文字となり、インドやギリシャに伝わった。インドでは母音符号をつけることで子音文字の骨格を守りつづけ、一方のギリシャは母音文字を作ってアルファベットを生み出した。外国の文字というと日本人が思い浮かべるのはアルファベットだが、世界的にはむしろ逆。実は世界の国々で使用されている文字は、子音と母音符号からなる前者のタイプが多く存在するという。
現代の日本に残る漢の時代の印篆、隷書
形声という原理によって厚みを増した漢字と聖刻文字。もうひとつ共通しているのはどちらもほどなくしてダイグラフィア社会(同じ言葉に対し2つ以上の文字を持つこと)となったところだ。エジプトでは王家や宗教界は石材や木など硬質の材料に聖刻文字を刻み、役人たちはパピルス(紙)にインクで筆記体である神官文字(ヒエラティック)を書いた。中国の秦の時代に、皇帝は甲骨文字の名残りを残す篆書(てんしょ)で文書を発布し、役人たちは現代の文字に近い形の隷書(れいしょ)で文書を書いたという。
こうして象形文字から始まった文字は現代の文字へと変化していったわけだが、けっしてそれは「一直線」ではなかった。
「中国では隷書のあとにそれを大きく崩した草書ができました。だけどちょっと崩し過ぎたということでできたのが行書や楷書(かいしょ)。こうしたことを何千年もかけて繰り返してきた。そこには無数の試行錯誤があったと思われます」
こうした漢字のダイグラフィアは、当然ながら日本にも伝播した。一万円札一枚を見ても、そこには本家の中国ではとうの昔に捨て去られた漢の時代の印篆や隷書が使われている。パスポートにしても然りだ。
「ダイグラフィア社会では、書体に社会的役割が与えられることがあります。権威のあるものにはフォーマルな書体を、一般的なものにはカジュアルな書体を使う。企業などもそれを意識して自社のロゴにさまざまな書体を用いています」
永井氏の「夢」は「見えているものの背後にある見えないものを探して解明し、それを伝えていくこと」。
「考えてみると、私のやっている研究そのものがそうなんですね」
講師紹介
永井 正勝(ながい まさかつ)
永井 正勝(ながい まさかつ)
東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL)特任研究員
1970年生まれ。専門は言語学、文字論、デジタル・ヒューマニティーズ。言語学博士。日本オリエント学会奨励賞、情報処理学会山下記念研究賞を受賞。著書に『必携入門ヒエログリフ』(アケト)、『描こう世界の古代文字』(マール社)[共著]、『西アジア文明学への招待』(悠書館)[共著]などがある。
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