市立伊丹ミュージアム

https://www.city.itami.lg.jp/SOSIKI/TOSHIKATSURYOKU/BUNKA/27592.html 【市立伊丹ミュージアムの名誉館長について】より

市立伊丹ミュージアム(宮ノ前2)の運営の充実及び発展のための助言や歴史・文化・芸術に関する活動についてご協力いただくため、伊丹大使で俳人の坪内稔典氏を名誉館長に委嘱しました。

<名誉館長>

坪内稔典(ねんてん) 氏

<委嘱期間>

令和4年4月1日~令和7年3月31日(任期3年)

<委嘱理由>

江戸時代に伊丹で開かれていた俳諧塾にちなんだ俳句講座「也雲軒(やうんけん)俳句塾」の塾頭を務め、伊丹市内の各学校から俳句を募集し表彰する「鬼貫顕彰俳句」に精力的に取り組むなど、俳諧・俳句を通じた伊丹市における文化芸術の発展・普及に尽力。また、平成20年からは伊丹大使として伊丹のシティプロモーションにご協力いただいている。同氏は文化芸術につき豊かな経験と知識をもち、伊丹市における活動は、伊丹ミュージアムの設置目的である市民の教養の向上、文化及び芸術の振興に沿うものであることから就任を依頼。

坪内稔典さん

伊丹大使で俳人の坪内稔典さん

<坪内稔典さんメッセージ>

江戸時代に酒どころとして繁栄した伊丹は文人墨客が訪れる文化の薫り高いまちでした。そんな伊丹に新たに生まれるミュージアムは、美術館、博物館という枠組みを越え、美術・工芸・俳諧・歴史と多様な分野が融合した施設になるとのこと。私の専門は日本近代文学であり俳句ですが、ここに来れば、何かに出会える。そんなワクワクの詰まったミュージアムになればと期待しています。

<現職>

平成2年4月京都教育大学教授

平成23年11月公益財団法人柿衞文庫理事

平成30年7月公益財団法人柿衞文庫代表理事

<受賞歴>

平成12年京都府文化賞功労賞

平成13年第9句集『月光の音』で第7回中新田俳句大賞スウェーデン賞

平成16年京都市文化功労者

平成18年ナメコロジー大賞

平成22年『モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び』で第13回桑原武夫学芸賞

令和2年兵庫県文化賞


https://www.artagenda.jp/museum/detail/213 【市立伊丹ミュージアム  Itami City Museum of Art, History and Culture】より

市立伊丹ミュージアムについて

ABOUT Itami City Museum of Art, History and Culture

兵庫県の南東部に位置する伊丹市は、神戸市から約20km、大阪市から約10kmの圏域にあり、江戸時代には酒のまちとして繁栄し、文人墨客が訪れる文化の香り高いまちとして喧伝されてきました。昭和59(1984)年、その中心市街地である宮ノ前地区に柿衞文庫が開館し、建物を増築するかたちで昭和62(1987)年に伊丹市立美術館が、平成元(1989)年に伊丹市立工芸センターが開館し、さらに平成13(2001)年には江戸時代に建てられた旧岡田家住宅と旧石橋家住宅からなる伊丹市立伊丹郷町館が加わり、これら4つの施設が集う文化ゾーンは「みやのまえ文化の郷」として親しまれてきました。

令和4(2022)年4月、ここに博物館機能を移転して、柿衞文庫、伊丹市立美術館、伊丹市立工芸センター、伊丹市立伊丹郷町館、そして伊丹市立博物館を統合し、歴史・文化・芸術の総合的な発信拠点「市立伊丹ミュージアム」が開館しました。

本ミュージアムは、美術・工芸・俳諧・歴史の各分野におよぶ資料の収集保存と活用、幅広い世代が楽しめる様々な展覧会をはじめ、講座やイベントなどの教育普及活動、伊丹の酒造りを伝える旧岡田家住宅・酒蔵(国指定重要文化財)と旧石橋家住宅(県指定有形文化財)の継承と公開など、多彩な芸術文化を市内外に広く発信いたします。そして、伊丹の、私の、みんなのミュージアムとして親しまれることを目指して付けられた「I/M(アイム)」という略称のもと、芸術文化を通して「人」と「まち」をつなげる活動を行ってまいります。

利用案内

INFORMATION

市立伊丹ミュージアム 公式サイトURL  https://itami-im.jp/


https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/9034 【柿衞文庫ゆかりの俳人 稲畑汀子と宇多喜代子 女性の時代の俳句】より

この展覧会について  ABOUT THIS EXHIBITION

「ホトトギス」を拠点に伝統俳句を主導した稲畑汀子(いなはたていこ 1931-2022)と現代俳句協会の名誉顧問である宇多喜代子(うだきよこ 1935-)の俳句と生涯を資料でたどる展覧会を開催します。

稲畑汀子は、祖父高浜虚子、父高浜年尾の影響により、俳句は幼少期から身近な存在でした。虚子が提唱した有季定型や客観写生、花鳥諷詠の俳句理念を守り、昭和62年に日本伝統俳句協会を設立。平成12年には虚子記念文学館を開館。創刊125年の歴史を持つ「ホトトギス」を令和4年2月に亡くなるまで支え続けました。そのほか俳句指導にも力を入れ、「ホトトギス」若手作家の育成の場である「野分会」の発足や甲南中学校での非常勤講師を20年以上続け、また『自然と語りあうやさしい俳句』のドイツ語版の刊行やバチカン大使館公邸で句会をするなど海外での活動も多く認められました。汀子は、子育てや俳句活動で多忙な日々をおくる一方、ゴルフや車の運転など趣味を楽しむ時間を作り、明るく生気に満ち溢れた活動を続けました。

宇多喜代子は、昭和28年、18歳の時に遠山麦浪(「獅林」主宰)より俳句を学び、麦浪没後は、「獅林」を経て、同45年に桂信子が主宰する「草苑」に入会しました。同57年第一句集『りらの木』で現代俳句協会賞受賞、平成13年に第五句集『象』で俳壇最高の賞と評価されている蛇笏賞を受賞。また、平成20年に旭日小綬章を、同28年に日本芸術院賞を受賞し、令和元年に文化功労者となりました。喜代子は、「日本には四季があり、四季にしたがって衣食住がある。」と話し、『歳時記』を刊行するだけでなく、旬を味わう日本の食卓を伝え、さらに日本人の主食である米を追究するため、稲の発祥地といわれる中国の雲南省を何度も訪れました。

稲畑汀子に関わる資料展示では、「ホトトギス」主宰の稲畑廣太郎氏の多大なる協力により、汀子の最晩年の俳句手帳やカレンダー、硯、筆、手鏡、腕時計など愛用の品々を公開します。また、宇多喜代子の展示資料では、愛用の包丁、中国雲南省でのスケッチブック、父から母へ宛てた軍事郵便、片山桃史の研究資料、そして柿衞文庫で開催した桂信子賞の関連資料なども合わせて紹介します。

女性の活躍が難しかった時代に模索を重ね、俳壇を代表する俳人となった両人の道程をたどるとともに、(公財)柿衞文庫における活動も紹介します。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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