軽やかに

facebok近藤裕子さん投稿記事  ☘️風流に生きる🍀

「雅人深致」 がじんしんち

「雅人」は世俗を離れた風流な人、また、高尚な志の人で 風雅を理解できる才知のある人のこと。「致」はおもむき、風趣の意です。つまり、「雅人深致」とは風流な人の奥深く風情のあるおもむきを現す言葉です。

一所懸命に生きているだけでは到底至れない境地かもしれませんが

文字の表現は近づけたかと思います😊


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12813450825.html 【俳句の「軽み」と「安み」】より

上品な言葉を使ったって志の低いものは低い。翁(※芭蕉のこと)は「わが俳諧は草(そう)なり」といわれた。一茶さんのもまさにそれで、軽みの中に何かがある。

世俗は卑語(ひご)を使えば軽みだと思っているが、これは軽みではなく浮き調子というもの、また一茶さんのは、目にしたものを即座にいい出したようですが、普通の人がそれをやったら、軽みにならず、安みになってしまう。ー『ひねくれ一茶』(著・田辺聖子)—

今日はまいった…。スマホをネットで買い替えたが、データだの、アプリだのの移行作業で、えらい時間がかかってしまった。しかもまだ終わっていない。

句会で、或る人が「知人はしょっちゅう携帯会社を変えている。ポイントが付いて、スマホも滅茶苦茶安く買えてとても経済的」と言っていた。

また先日の高校の友人との飲み会で、なにげなく携帯料金の話になったら、私が一番高い料金を払っていた。で…、今回、携帯会社は変えないが機種変更をしてみたのだ。

しかし、こんなに手間がかかるなら、買い替えする必要があったのかどうか…。

「金」を選ぶか、「時間」を選ぶか…。今の私には「時間」のほうが大切。こんなことに時間を潰すのは実に不本意だ。

さて、上記の言葉は田辺聖子の小説『ひねくれ一茶』で印象に残った言葉。一茶に向って対竹(たいちく)が語った言葉である。対竹とは田川鳳朗(たがわ・ほうろう)のこと。

宝暦12年(1762)、熊本の人で、のち江戸へ出て、鈴木道彦(すずき・みちひこ)に俳諧を学んだ。鈴木道彦は当時、日本一の勢力を誇った俳諧師で、そこで才を認められ、のちに「天保三大家」の一人として活躍した。

芭蕉を慕い、蕉風俳諧復活を提唱し、弘化2年(1845)に江戸で没した。一茶は1763年から1828年の人であるから、同時代の人である。この場面は対竹が一茶と初対面した時、一茶を誉めていったセリフ。

『ひねくれ一茶』は小説であるから、対竹が本当に言ったものではなく、田辺聖子さんが創作したものだ。俳句の「軽み」については何回か書いているが、なかなか難しい。

『「かるみ」とは』

梅が香にのつと日の出る山路かな     松尾芭蕉(むねがかに のっとひのでる やまじかな)たとえば芭蕉の句にこんな句がある。猿を聞人捨子に秋の風いかに(さるを…


『宝井其角が拒否した、芭蕉の「かるみ」』

(神奈川県横須賀市馬堀海岸) 水うてや蝉も雀も濡るる程    宝井 其角(たからい・きかく)(みずうてや せみもすずめも ぬるるほど) 今日は句集の注文を処…


現代においても、お年を召された俳人が多く「かるみ」を志向している。しかし「宝井其角が拒否した、芭蕉の『かるみ』」でも書いたが、(正確にはドナルド・キーン氏が指摘しているが…)「かるみ」というのはある意味「諸刃の剣」で、勘違いすると「駄句の洪水」を生み出しかねない。…というか、ほぼ、そうなるし、実際、著名な俳人でさえそのようになってしまっている人も多い。

そして、勘違いした本人だけが「かるみに入った…」と悦に入っている、わけのわからない事態に陥っている。まったく俳句の発展に寄与していないし、むしろ俳句の停滞を生み出している。上記の言葉はそのことを語っている。

たとえ、きれいな、上品な言葉で俳句を作っても、志の低い俳人の句は浅はかさがすぐに見えてしまう。こういう俳人は今でも相当数いるだろう。

鑑賞者もレベルが低いから、その美しさに感嘆する、しかし、よくよく見てみると、新しさも深さもなく、ただきれいな言葉で飾っているだけなのがわかる。

一方、日常語、あるいはちょっとくだけた言葉で句を作れば「かるみ」だ、と勘違いしている人もいる。

しかし、それもしっかりとした志が入っていなければ「かるみ」ではなく、「浮き調子」、つまり、「軽薄」な句になる…、と「かるみ」の難しさを言っているのだ。

対竹は、一茶の句には「かるみ」があり、そこを誉めているのだ。

芭蕉が「軽み」を提唱した時、多くの弟子はそれに倣おうとしたが、一番弟子の宝井其角(たからい・きかく)はそれを全く無視した。弟子たちは大いに不満だった。

一番弟子の其角こそ率先して、師に倣うべきではないか。

当時、其角の人気は凄まじく、江戸では芭蕉を凌ぐ人気があったから、弟子たちは尚更、不快に思ったに違いない。其角はなぜ、「軽み」を無視したのか?

其角は、たとえば「軽み」がわからなかったわけではない。

(略)

しかし、其角は、もしそこに芭蕉のような天才の裏づけがないならば、「軽み」はついに平浅に陥るほかないことを看破していたのに違いないのである。

ードナルド・キーン『日本文学史 近世篇1』-

其角はさすがに切れ者で「かるみ」の「危なさ」をわかっていたし、自分には合わない、ということもわかっていたのである。

「かるみ」は危ない…。

そういう意味では、むしろ、其角こそ芭蕉を理解していたし、他の弟子の誰よりも「かるみ」を理解していた、と言っていい。

対竹(実際は田辺聖子さん)は「軽み」の失敗したもの、勘違いしているものを「安み」と評している。

実に的確な表現だ。

『ひねくれ一茶』で「安み」はもう一回登場する。

一茶の弟子が、師匠の貧窮を心配して、素人で羽振りのいい、大店の旦那衆に声をかけ、一茶の弟子にさせようとする。

弟子は「素人ですから適当に誉めてあげてくださいね」と懇願する。

うまく一茶のパトロンになってくれれば、一茶も貧窮から抜けられる、と願ったのだ。

一茶も弟子のその心遣いに大いに感謝し、そうしようとするが、結局は下記のようになる。

彼らが嬉しそうに見せた句稿におどろいてしまった。

(略)

(うるささや壁にしみ入る嚊(かか)の声)

「これは芭蕉の…」

「もちろん、もちろん、そこをねらったおかしみでございます」

(略)

「軽み、というようなのはこうもあろうかと愚考いたしまして」

――それは安みというものだ、と一茶はいつか、対竹がいった言葉をどなっていた。

当時、いや今もそうだが、「かるみ」というのは芭蕉の一つの到達点なのである。

芭蕉の努力と葛藤の果てに見い出した境地と言っていい。

素人が、そして何年も何十年も句作をしてきた俳人でさえ、そう簡単に到達出来るものではない。

われわれは安易に「かるみ」をとらえていないか?

目指すのは自由だが、安易に考えているようにおもえてならない。

くしくも「海光」最新号のエッセイで、「かるみ」の難しさについて書いたのだが、昨夜読んだ『ひねくれ一茶』でこの場面を読み、あらためて「かるみ」の難しさを考えてしまった。


https://hase-a.com/blog/%E8%8A%AD%E8%95%89-%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%8F%A5%EF%BC%8F%E8%BB%BD%E3%81%BF%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 【芭蕉 最後の一句/軽みについて】より

先日の県の森林組合の表彰式の後、審査委員長の先生から「軽み」という言葉を聞いて、芭蕉と知って読んでみた。

プロポーザルから応募資料から、「軽やか」という言葉を何度か使っていたのもあって教えて頂いた言葉かと思うけど、確かに「軽やか」だと視覚的な面が強く、かといって建築物なのでそんなに軽やかなのか?という違和感もあったし、思想面で追求したつもりでもあったので、芭蕉の「軽み」とつながるところはないか?との強い興味があったのだけど、結果的には同じところを目指していると思った。

まず「俳句」って日本人ならそれなりに習って誦じてきたけど、一体何だったのか?と聞かれると答えられる人も少ないだろうけど、本書で寺田寅彦から引いていたものを、重要なので長いけど、、「俳句の詩形が極度に短くなったために、もし直接的な主観を盛ろうとすると、そのために象徴的な景物の入れ場がなくなってしまうので、そのほうは割愛して象徴的なものに席を譲るようになり、従って作者の人間は象徴の中に押し込まれ自然と有機的に結合した姿で表現されるより他に仕方なくなる。その結果として諷詠者としての作者は、むしろ読者と同水準に立って、その象徴の中に含まれた作者自身を高所から眺めるようになる」そうだ。

名句と言われるものからは、今の僕達でも感じられる深い何かはあるにせよ、でも基本的にはもっと昔からある西行の句や、そう言ったものの広くて深い教養があることで初めて感ぜられる、だからこそ深く学ぶ価値があり、芭蕉の門下に多くの人々が集まったのだろうけど、芭蕉曰くは、和歌も絵画(雪舟などの)や茶道も、俳諧と同じく「風雅」の道であり「あはれ」を見出すものであり、「変化流行してやまない造化の働きの中で、絶えず心新たにして万物に接していけば、眼に映ずるところ、心に思うところ、『花』や『月でないものはない、、、真に人間らしい人間になるためには『造化にしたがひ、造化にかへれ』と」そしてそれは「不易流行」ということでもあると。

そして「軽み」というのは最初から至った境地ではなく晩年に生まれてきたようだけど、「まず作意を捨て去って『軽くやすらかに、ふだんの言葉ばかり』で読むようにと『軽み』をいう。そうなれば、今まで和歌などには取り上げられなかったいろいろなものに詩情を見出していくことにもなる」「『高く悟りて俗にかへれ』と言う言葉は、まさに『軽み』の思想を端的に一言で表現したもの」であり「禅では悟りを得たならば、俗に帰り、日常の中に風光が現成するものでなければならないと言われ」有名な?「十牛図」でもそのように描かれていると指摘する。

また具体的には「軽み」は「重み」恣意的な、意図的なものなどを取り去った先にあるものであって、「優れた句は一見何でもなく見えるが、何遍も見てよく味わうと、その深みが見えてくるようになる」と言うように、初めて見て印象深いもの(は見飽きる)ではなく、ずっと前にも触れた吉田鉄郎の「みていやでない建築」に通じるような派手さは皆無だが毎日眼にしているといつの間にか良さが滲みてくる、ようなあり方なのだと思う。

タイトルの「最後の一句」については、芭蕉の最後の一句は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と一般的に考えられているが実は以前の俳句を改めさせた「清滝や波に散り込む青松葉」が死の間際に芭蕉が示したものであり、「青松葉」には松尾芭蕉の音などが全て入っていて、またそれが「散り込む」とはサブタイトルの「生命の流れに還る」と言う意味での辞世の句でもあり、人間も含めた生命の本質を示した言葉であり、芭蕉が最後に伝えたかったことではないか?と言うのが本書の主張である。

と、俳句に何も詳しくないのにつぎはぎで書いてきたけれど、自分なりには大きな学びや気づきとなったと思うし、ここしばらくの建築への向き合い方に間違いはなかったと思うけど、芭蕉の時もそうだったように、もっと面白おかしい「川柳」のようなものに人々は飛びつき、芭蕉がいなくなると、その強い思いも忘れかけられたように、やっぱり、俳句でも建築でも、何かを「作る」においては、ついつい直接的なわかりやすさや評価を求めて、「軽み」からは遠ざかってしまうからこそ、しっかりと「高く悟りて」から始めなければいけないのだろう。

最後に、森林組合の建物だけでなく最近作るものにはそれを込めているつもりだが、木造において材が無駄に太かったり、構造体が無駄に主張をしたり、集成材によって木材の本来の美しさが殺されていたり、木造だからと仕方なく壁に穴を開けたような窓だったり、それらは「重み」だと思っていて、それを取り除いた先にあるものを求めてきた、という意味で「軽み」を目指している、と言う感じです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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