https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12771325782.html 【「富士と鳴門の仕組みの謎を解説」】
Facebookあい しらはまさん投稿記事 ●【つぶやきです】
【渦】が起きる現象には 何があるのか?
ニニ(ふじ)と申すのは 天照大神様の十種の神宝に【・チョン】を入れる仕組み これが1厘の仕組み ニニ これが富士の仕組み 七から八に成り成りて十となる仕組み 成り成りあまるナルトの仕組み 鳴門とは【渦(ウズ)】
ウズは 世の元から 未来永劫変わらぬ 大宇宙の法 絶対的な神の真理 大神の神的属性が回転🍥ウズと成り【力】としての現れである
※十種の神宝とは 古代の祭祀において物部系の神道に秘儀として伝えられていたもので死者をも 蘇らせるほどの力の靈力があるとされている
Facebook奥土居 帥心さん投稿記事
皆さんは、『乳海攪拌(にゅうかいかくはん)』をご存知だろうか?
このお話は天地創造のインドの神話に遡る。
簡単に要約すると不老不死の霊薬アムリタを生み出す為に、海を掻き回し、太陽など様々ものを生み出したお話だ。
これは、密教の閼伽水(仏前などに供養される水)の加持に取り入れられている。
ランバン加持という。金龍さんはお水が大好き。毎日、お供えする時にランバン加持をしてお供えできるように今回、金龍を授与した方に、ランバン加持(所要時間は1分)の秘法を伝授いたします。
https://blog.goo.ne.jp/guapo007/e/f4018d7135da3c63e15f4c6482a87270?fbclid=IwAR1zA8anrGotNrfEnL7ogFKGrYcycwnmjLO5EC97X8b_NWDlKlfdEs0X1RE 【富士と鳴門の神(火水)仕組み!地球の呼吸調節、神一厘のシナリオ「一二三神示」】より
「日月神示」(一二三)は宗教ではなく、神から直々に啓示された「道」である!
日本の未来の預言書、聖書 ☆『一二三神示』(ひふみ)
「太陽は十の星を従えるぞ。原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ。人民の学問や智では分からん事であるから、早く改心第一ぞ。
二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝にレを入れる事であるぞ。これが一厘の仕組み。二二となるであろう。これが富士の仕組み。七から八から鳴り鳴りて十となる仕組み。
なりなりあまるナルトの仕組み。富士(不二)と鳴門(成答)の仕組み愈々ぞ。これが分かったならばどんな臣民でも腰を抜かすぞ。
一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終わりは全(まっと)う出来ん。
九分九厘でリンドマリぞ。神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな。
卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな。
助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと。
気付けておくぞ。なりなりなって十とひらき、二十二となるぞ。富士(普字)晴れるぞ。
大真理世に出るぞ。新しき太陽が生まれるのであるぞ。」
『至恩之巻』16
「ナルの仕組とは成十(七@十)の経綸(しくみ)であるぞ、八が十になる仕組、
岩戸(言答)開く仕組、今までは中々に判らなんだのであるが、時節が来て、岩戸が開けて来たから見当つくであろう、富士(二二)と鳴門(七十)の仕組、結構致しくれよ。」
『星座の巻』02
「鳴門」何かが成熟して十になり満ち満ちて行く。 成十(ナルトウ)=神に満たされた世の中に成る。
「岩戸」言答:神の呼びかけに対し、その声に答える。
「動かん富士の仕組、開けて渦巻く鳴門ぢゃ。新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸開きて二度とないコト(九十)で開く仕組」
『星座の巻』11
新しい世界は霊界と現界の両面をもつ所。この岩戸開いて、「二度とない九十(光透)・コトで開く仕組」「富士を開くとは心に神を満たす事ぞ」
『上つ巻』05
火(霊)を噴く→霊性浄化の洗礼
富士-鳴門は直線距離で約360km(ミロク)
淡路島-琵琶湖は約100km
ア(天)は中心から外へ左回り(男神で日の精霊)イザナギ
ワ(地)は中心から外へ右回り(女神で月の精霊)イザナミ
「鳴門海峡の渦潮」
干潮では、右回り(時計回り)
満潮では、左回り(反時計回り)
☆富士が爆発するとか、鳴門の仕組みというのはそのまま来るのではない!
そのままとったら違う!(天明)「富士が火を噴く」は「普字(富士)」と解釈し、
言霊の働きが世に現れるという、形而上学的な解釈ができる。
物理学的な富士山爆発の意味だけでなく、富士に象徴される日本の霊性が火を噴く(出現する)火(霊)の雨が降る→霊性浄化の洗礼という解釈ができる。
人の意識改革が進むと、大難を小難に、小難を無難にできるのだ!
「富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。」
『磐戸の巻』09
「富士と鳴門の仕組み」が分かりかけたら、どんな外国人でも改心するぞ!
それまでに、神の国の日本人も改心していないと気の毒なことになる。
悪の神々が改心するプロセスです。時節が来て、岩戸が開けて来たから見当つくであろう!
この世は善と悪の陰陽表裏一体。ミロク(善)とサタン(悪)のシナリオを理解する。
二つのシナリオを理解することで創造主である神の思いを知り、理解することができる。
最善の誠、真実を見い出すことで、「二二(富士)は晴れたり日本晴れ」となる。
「富士と鳴門の仕組み」とは、富士とは、地球の火球のことであり、鳴門とは月の周期運動のことを表している。人体の血管神経の交錯せるということは、宇宙全体のことを表している。 (「霊界物語」4)
表〇12345678910 裏10987654321〇 表が10であれば裏は0。表が3であれば裏は7。裏表祀り合い和合すれば10の器。
5だけは、裏も表も5なのですが、真ん中に位置する5の内容は 「イザナギ3:イザナミ2=5」であり、ダイナミックな動きを内包している。
九から十へ進む真の誠これがいわゆるフトマニ(大宇宙の法則)であり、二二は大宇宙のダイナミズム(活力)「一二三神示」は宗教ではなく、神から直々に啓示された「道」である!
https://note.com/honno_hitotoki/n/nc60491ae00e3 【霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き|芭蕉の風景】より
「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載がまもなく書籍化されます。ここでは、本書『芭蕉の風景(上・下)』(2021年10月19日発売、ウェッジ刊 ※予約受付中)より抜粋してお届けします。
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉
厚い雲の中の富士
貞享元(1684)年秋、芭蕉は江戸深川の庵を発ち、東海道を西に進み、故郷伊賀へと向かう。芭蕉四十一歳。『野ざらし紀行』の旅であった。
掲出句は『野ざらし紀行』所載。「関こゆる日は、雨降ふりて、山皆雲にかくれたり」(箱根の関を越える日は、雨が降って、富士山をはじめ山はみな雲の中に隠れてしまった)という一文に続いて掲載されている。「霧しぐれ」は霧と時雨の中間的な現象、時雨が降っているとまでに感じられる濃厚な霧である。句意は「濃い霧のために眼前に見えるはずの富士山を見ない日となった。それもまた、面白い」。
* * *
東海道新幹線三島駅で降りる。残暑厳しい日の午後である。ホームから眺めると、駅の北に壮大な富士山がそびえているはずだが、今日は雲の中である。その風景もまた、掲出句にふさわしい。南口に出て、東海バスに乗車、箱根を目指す。出発前、バスの運転手さんに「富士山が見えないですね」と話しかけると、「暑い時期は、駿河湾から蒸気が上がって雲をつくるので、富士山は見えないことが多いです。よく見えるのは、やはり寒い時期です。そのころまたいらしてください」と明るく答えてくれた。
三十分ほど乗って、「山中城跡」という停留所で降りる。山中城は、北条氏の城である。小田原の役の際、豊臣の大軍のために半日で落城した悲劇の城だ。標高はかなり高い。下界の三島に比べると、暑さも和らいで過ごしやすい。
山中城跡
そこから一キロほど三島方向に徒歩で戻ると、富士見平に着く。ドライブインの店頭に掲出句の句碑が建っている。巨大な長方形縦型の句碑で、気をつけていれば、バスから降りなくても見つけられるかもしれない。昭和五十三(1978)年、当時の三島市長によって建てられた。この地が選ばれたのは、「富士見平」という地名からの縁だろう。
富士の姿を見たいと思いつつ一日、箱根を歩いてきた芭蕉が、三島側に降りてきたとき、富士見平という地名に反応して、掲出句を発想した可能性は考えられる。ただ、芭蕉のころから富士見平という地名が使われていたかどうかはわからない。三島市の観光パンフレットには、句碑のかなたに雄大な富士が映っている写真が掲載されていたが、富士山の方面は依然として雲が厚い。句碑の裏を東海道の古道が通っている。石が敷き詰められ、江戸時代の石畳が復元されていた。芭蕉はこの道を下ってきたのだ。
すべてのものに美を見いだす
掲出句を読むことは、「なぜ富士が見えないことが面白いのか」を考えることである。
『野ざらし紀行』には、掲出句の後に「富士」を詠んだ句が掲載されている。この旅に同行した門弟千里ちりの句、「深川や芭蕉を富士に預行あずけゆく」である。深川の芭蕉庵でつくられた句だ。句意は「深川の庵、庭に植えた芭蕉を、はるかに見える富士山に託して、旅に出ることである」。
この句によって、芭蕉の江戸での日常がはるかな富士とともにあったことがわかる。芭蕉は富士のかなたに、故郷の伊賀を、そして、上方を思い描いていた。旅に出てからも、富士の大きさが、東海道の旅の進み具合を示してくれた。
『野ざらし紀行』において、千里の句と芭蕉の句と二つの富士が対比されている。千里の富士は、秋天のかなたに小さいがくっきりと見えているもの。芭蕉の富士は、霧しぐれの中にあって巨大だが見えないもの。遠く江戸からはっきり見えていた富士が、箱根という至近から見ているのに見えないという点に、まず面白みがある。
「富士」は日本文化のなかで、もっとも重要な山である。奈良時代の『万葉集』以来、和歌に詠みつづけられてきた。「富士」は歌枕だったのだ。また、平安時代の『竹取物語』『伊勢物語』など物語の世界にも、重要な地名として登場してきた。絵画にも、さまざまに描かれてきた。現存最古のものは、平安時代の障子絵「聖徳太子絵伝」である。
芭蕉は、実際の富士が見えないことで逆に、詠われてきた、描かれてきた、さまざまな富士の姿を想像したはずだ。霧によって生まれた幽玄な空間に遊ぶ楽しみも、面白さの一つと言っていいだろう。
世間では、晴れると「よい天気」と言い、幸福感を覚える人が多い。逆に雨が降ると「わるい天気」と呼び、うっとうしさを覚える人が多いだろう。
ところが、掲出句の場合には、富士を隠してしまうため、常識では嫌うべき「霧しぐれ」を、「面白き」と詠んでいる。ここに世間の常識にはくみしない、俳諧・俳句独特の美意識、思想が示されている。
「すべてのもののすべての状態に美を見いだす」、それこそが、俳句の根本にある考え方なのではないだろうか。
富士ありぬ秋雲厚く動く奥 實
旧道はいしだたみみち法師蟬ぜみ
※この記事は2010年に取材したものです
小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。
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