Facebook北條 毅さん投稿記事
久しぶりに会った人に、ㅤ「最近どう?」 と聞くと、ここしばらくの出来事を話してくれる。
そこで、「それで、どう感じるの?」と聞いてみると、ㅤ「○○は□□だから良いと思う」ㅤ
とか、ㅤ「こういう理由で ○○はやらないといけないかなと思う」ㅤとか、
その出来事をどう「思うか」を考えながらたくさん話してくれる。
うん、それは「どう考えてるか」だよね。「そうじゃなくて、あなたはいまㅤそれをどう「感じてる」の?」ㅤ
そう聞くと、多くの場合、一瞬面食らった顔をして戸惑うんだよね。ㅤ
戸惑って、そうしてようやく自分の感覚に意識を向け始めてㅤぽつりぽつりと「感じていること」を語り始める。ㅤ
それからやっと、人間らしい血の通ったやりとり、エネルギーが交わる会話が始まる。
こんなことが、実は珍しくない。日々、一生懸命頑張ってる人ほどこんなことが多い。ㅤ
目の前のやるべきことを頑張りすぎてそれをどう「感じてるのか」を置き去りにしちゃってるんだよね。
仕事で関わるクライアントでもプライベートの友人や知人でもㅤ
その人が「どう考えたのか」から出来事にアプローチしたくない。
一見正しく論理的に見える思考の世界から作り出された「それっぽい答え」は言葉の強さや正しさとは裏腹に「何のエネルギーも感じない言葉」になってることがとても多かったりするㅤ
「どう考えたか」の前に、まず「どう感じたか」、だよ。
どんなに稚拙でもどんなに非論理的でも本当にその人が感じていることを本当にその人の内から発するがままに言葉にし、伝えようとしたときにはㅤ言葉以上の「想い」は確実に伝わるもの。
そのときに、その人が発している濃密で、豊かで、輝かしいエネルギーこそがその人なりの世界を創造する力の源泉そのものなんだと思う。
思考だけの世界から作り出した「それっぽい答え」は いかにも正しそうな「それっぽい世界」を生み出し続ける。ㅤ
魂から湧き出した根源的な力を手にした人はその人が思い描き、望む世界を魔法のように生み出し続けていく。ㅤ
少なくとも僕はそんな純粋な生き方をしている人が好きだなと思うんだ。
どう考えたかは一度横に置いといて「どう感じたか」に意識を向けてみよう。
そして、「どう感じたか」をもっと深く感じてみよう。ㅤ
意識にも階層がある。ㅤもっと深く、もっと奥底の部分に意識を向け続けてみよう。ㅤ
ちょっとした意識を向ける先の違いが僕らの世界を、未来を大きく分けていく。
すべての答えは自分の中にある。ㅤそのことを、まず無条件で信じてみよう。ㅤ
そして、自分自身に深く潜ってみよう。答えはいつも外側にあるんじゃない。ㅤ
あなたの世界はあなたの内側から始まるんだ。
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