Facebook加藤隆行さん投稿記事 【「みんな」に注意】
「みんな」という言葉には「力」がある。なぜなら人間は社会的動物だから。
「社会≒みんな」がどう思っているのかどう行動しているのかが自分の「生存」に関わってくる。
とくに単一民族である日本人なら「みんな」がめちゃ重要な意味を持つ。
一人だけ「みんな」から外れたら生きていけないかもしれないからだ。
「村八分」というのは村の掟に従わない者が村全員から「絶交」されるという重い重い制裁だ。
昔は村から自由に出ることもできなかったので絶交されたら食べ物も情報も話し相手も手に入らなくなりツライツライ想いをしながら気がフれて孤独に◯んでいくことになる。
現代なら学校や職場で行われる「無視」といういじめがそれにあたる。
それぐらい「みんな」の動向が僕らの意識に与える影響は大きい。
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「みんな言ってるよ」「みんなやってるよ」という言葉を聞いた時は要注意。
そんな理由から誰もが容易に「みんな」という言葉に不安になり、操られてしまう。
お母さんも先生も「ほら、みんなやってるよ!」と言って、子どもを動かそうとする。
あの人も「ねえ、みんながそう言ってるよ」と言って、私を説得しようとする。
だけども実際のところ「みんな」なんてよく考えてみればありえないこと。
Aさんがそう言っていてもBさんはそう言っていないかもしれない。
実際言ってる人に確かめてみれば、いてもその人の周りにいる2,3人程度。
いやむしろ「誰も言ってない」ということも多いはず。
「みんな」という”架空の集団圧力”を使ってあなたを説得、コントロールしようとしているだけ。
まあ村八分の昔と違って現代なら誰もがそんな悪意を持って「みんなが」と言っているワケではないのかもしれない。
でも「みんなが」「みんなも」という言葉にはそんな強力な「魔力」があって、誰もがその魔力を無自覚・無意識に使いがち、というところに、大きな問題がある。
「みんなが」と言う言葉を使ってしまうとそれだけで言っている自分が「エラく」感じたり
「優位」になったり「力」を持ったり、という気になってしまう。
でもそれは幻想で「相手」と「私」といった個人同士に誠実に向き合えない弱い者がする卑怯な行為だとおぼえておいたほうがいい。
そして、”自分が自分”にこの言葉を使ってしまっているときはもっともっと注意が必要。
「みんなやってるし」「みんな出来てるし」「みんな持ってるし」いや、それ絶対に「みんな」じゃない。あなたの周りの2人程度か架空の”集団”を勝手に背負っているだけ。
残りの80億人はそんなこと思ってないしやってない。自分で自分を魔力で苦しめているだけ。あなたが弱っていると、不安にとらわれているとこの魔力に巻き取られる。
魔力から目が覚めなないと「自分」を生きることは、できない。
(関係ないが今、 人口を調べて80億4500万人に驚いている)
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ここまで怖いこと書いちゃった。でもね、「みんな」という言葉には「力」があるのですが、
その力はマイナスにもプラスにも使えるのですよ。
元気のない子くじけてしまっている人に「みんなでやろうよ」「みんな一緒だよ」「みんな大丈夫って言ってる」そう伝えてみたらどうだろうか。
そしたら実際はその人数は2、3人なのかもしれないけれどなんだか勇気が出てくるかもしれない。なんだか許された気がするかもしれない。それぐらい「みんな」には力がある。
マイナスの魔力。プラスの魔法の力。「みんな」が悪いのではない。
それは全部、使う人次第で使い方次第なのです。
だからあなたにもそんな「魔法」がいつでも使えるのですよ(^ω^)って、みんな言ってるよ(笑)
https://www.veryparadise.net/post/2017/11/13/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E9%81%95%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%81%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E3%81%84%E3%81%84%E3%80%82 【みんな違って、俳句いい。】より
暦の上では立冬に入っています。そろそろ冬らしくなるそうですね。突然ですが、ここで、一句!
鼻先の少し車窓に触れて冬 これ、私の句なんです。おこがましく、掲げてしまいましたが、俳句からの学びを伝えたくてですね。この句、どんな情景を浮かべますか?
私は、俳句を初めて19年目になります。句会歴も19年目。
ここ数年(いや、もっとかな)の悩みは、上達できていなこと。
芸能人の才能を査定するバラエティ番組「プレバト!!」の俳句コーナーを観る度、
上達が早い芸能人に嫉妬中(笑)
そんなことなので、先ほどの掲句は、6年前のものなんですが、句会に出したとき、その情景が話題となった句なんです。私自身、結構好きな句でもあります。
鼻先の少し車窓に触れて冬 どんな情景が浮かびましたか?
句会では、故郷を離れる女の子が出発する列車の窓に鼻先を付け、家族との別れを惜しんでいる。窓は少しずつ曇っていき、その曇ったところへ、元気でねと指先で文字を書いた。
あるいは、自動車の後部座席に座る男性が、考え事をしているようだ。悩みは深いのだろうか。一点を見つめたままだ。
車窓に鼻先を付けてしまい、その冷たさで現実に戻ったらしい。
車窓というからには、列車か自動車か。鼻先は作者のものか、作者が見ている誰かのものか。
解釈は、人それぞれでした。俳句のおもしろさは、作るだけではなく、鑑賞する側にもあります。五七五という短詩だから、鑑賞する側の想像力を掻き立ててくれるんです。
その想像力は、その人の生きてきた経験からくるもの。皆が同じとは限りません。
私が俳句を通して学んだことのひとつは、様々な解釈があって自然ということ。
自分の世界が、みんなの世界だ。ということはない、と心で知ります。
自分の解釈が正しいも正しくないもありません。誰かの解釈が正しいも正しくないもありません。良し悪しの判断はしない。私は、こういう解釈をするけれど、あなたは、そういう解釈をするんだね。
そこには、お互いがお互いを受け入れるという姿勢があります。
その姿勢がなければ、俳句は楽しめないというのもあります。
みんな違ってみんないい金子みすずの詩「 私と小鳥と鈴と 」の一節を肌で理解できる俳句。
俳句を通して、自分と異なる考えを楽しめる余裕が持てるようになったと感じています。
ここで、自句自解をしますと、今から、6年前、私は、自動車免許を取るために教習所へ通っていました。そこへ行くまでは送迎車を使っていたんですね。
そう、車窓とは、送迎車の窓のこと。外を眺めていると、あ、冷たっ。鼻の先が車窓に触れたのです。ドラマがなくて、どうもすみません(笑)俳句って、日常を詠む短詩ですからね。
「冬」という季語ひとつをとっても、句は世の中にいくつあることか。
千差万別です。だから、これ言ったら、間違い?はありません。
でもこのことは、俳句だけではないと思います。どんなところでも、間違いはなく、「これがあなたの考えなのね了解よ」そこからがはじまり。
ここで、ちょっと自慢してもいいですか?いいですよ。ありがとう。では、遠慮なく、
実は、前出の「プレバト!」で辛口先生として有名な俳人の夏井いつき先生が主催する、
たくさんの人たちと一緒に楽しむための新しい句会の形「句会ライブ」へ俳句仲間と参加したことがあります。
題材を与えられ、即席俳句を作り、先生が選んだ8句から、来場者約400名が一番を決める句会。そのとき、私の句が先生に選ばれました!(素晴らしい!←自分で言う、笑)
人気投票では一番になりませんでしたが、甘口の批評に嬉しさがこみあげる時間でした。
季節は、春。題材は、仕事。取り合わせの句にしてみました。
仕事とは愛を売ることチュ|リップ 句会ライブの詳細はこちらを➡★★★
以下先生の甘口批評。このお言葉をいただいたから、今、上達せずとも、俳句を続けられています。なんて。「最後のチューリップが見事ですね。1本1本咲いているチューリップは、
ひとつひとつの仕事の愛の形のように。いろんな仕事はすべて愛を持って誰かに差し出されるわけですよね。素敵な句ですね」手前みその句でした(笑)。
みんな違ってみんないい。俳句鑑賞を、ご家族やお仲間と楽しんでみてはいかがでしょうか。
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